44、記憶を取り戻すとき
ソムヌスが1人で来たことに驚いていたアエラスであったが、グロリアの両親から拒絶されたことを説明をすると、口元を左手で押さえて頷いた。
「なるほどね」
アエラスがいくら口元を隠していても、目に感情は滲み出ている。数秒間の沈黙の後、ソムヌスは口を開いた。
「兄さん、全く驚いていないな」
ソムヌスが目の前のソファに座っているアエラスを見つめると、彼は口元から手を外した。手を机の上で組み、軽く首を傾けた。
「そう見える?」
ソムヌスがすぐに頷くと、アエラスは苦笑した。
「そっか」
「兄さん、知っているんだろう? 俺の消した記憶が関係しているということであっているか?」
ソムヌスが言うと、アエラスは目を伏せた。口元に笑みはない。
「うん。知っているよ。多分君の予想通り。それでも、私は君が記憶をとり戻すことが正解かは分からない」
その言葉に、ソムヌスは諦めに似た感覚があった。やはり、自分が何かをしてしまったのだろう。それでなければ、アエラスはこんな曖昧な感情を持っていないはずだ。
ソムヌスが息を吐く。しばらく沈黙が流れた後、アエラスが口を開いた。
「私個人としては、記憶を取り戻した方が良いと思う。記憶には、幸せだった感情まで含まれているから」
穏やかな口調で、アエラスは言う。そんなアエラスを、ソムヌスはじっと見つめながら話を聞く。
「感情をなくすのは、虚しいことだと思う。個人的な考えとしては、幸せだった気持ちを大切にしてほしい」
人の感情を消すことができるアエラスだからこそ、人の感情を消したことがあるアエラスだからこそ、この言葉は重い。ソムヌスは黙ったまま、頷いた。
しかし、そこまでは柔らかかったアエラスの表情が険しくなった。
「それでも、あの記憶を思い出せば。君は苦しむ。確実に」
アエラスの低い声。ソムヌスが黙っていると、アエラスは呟いた。
「苦しむ、という言葉で表現しきれているのだろうか。……もしかしたら、死にたくなるのかもしれない。君の気持ちを完璧に知ることは無理だろうけれど」
ゾッとするような声色だ。思わずアエラスの方を見る。これは脅しじゃない、と直感的に分かった。アエラスは本気だ。本気で、ソムヌスが死を望むことを憂いている。
「私には、どちらが良いと断言することはできないよ」
アエラスが、消え入りそうな声でそういった。それにソムヌスは黙ったまま頷く。
目を伏せていたアエラスが、真っ直ぐにソムヌスの目をみた。
「だからソムヌス。君が選択をするんだ」
「……」
そのアエラスの言葉に、息を吸った。
どうするのが正解か。そんなものは分からない。しかし、自分がどうしたいかは分かる。
「俺は、記憶をとり戻す。何があったかを認識しないと、きっと前に進めない。そうしないと、グロリアさんのご両親に認められることはきっとない」
ソムヌスが言い切ると、アエラスは目を見張った。諦めたように息を吐いたアエラスは視線を落とす。
「それが君の選択なんだね」
その声に、感情は乗っていなかった。ただ、理解をしたということを伝えるだけの言葉だ。兄がどう思っているのか分からず、その金の瞳から考えを見つけようとするが、全く分からなかった。
考え込んでいたアエラスが、急に口を開く。
「ねえ、ソムヌス。お願いがあるんだ」
「なんだ?」
アエラスが弟であるソムヌスに「お願い」をすることは珍しい。人に頼むことなどせず、いつも勝手に解決をする人間だ。
だからこそ、わざわざ「お願い」という形をとって何を言いたいのか、ソムヌスは身構えた。
「1つは、私の目の前で記憶を取り戻すこと」
ソムヌスは瞬きをした。なぜ、そんなことを言うのか。全く意図が読み取れない。考え込んでいる間に、アエラスはまた口を開く。その表情はどこか苦しげだ。
「そして、もう1つ。君が仮に自死でもしようとしたら、君の感情に干渉するから」
「そこまで、か? それに、兄さんがなんでそこまで……」
その「お願い」は先ほどからアエラスが憂いていることへの対策だろう。兄は、本気で弟が死ぬことを警戒している。だから、もしものことがあれば「死にたい」という気持ちを消すと言っているのだ。
なぜそこまで思っているのか。なぜそこまでしようとしているのか。
ソムヌスの疑問が顔に出ていたのだろう。アエラスは苦い表情で息を吐いた。
「私はいくつか後悔していることがあるんだよ。君が記憶を取り戻したら、分かるだろうね」
今は言うつもりはないのだろう。アエラスの「お願い」を受け入れるかどうか。それは、迷うまでもなかった。
「分かった。兄さんなら構わない」
アエラスが自分のためを思って言っていることは重々承知している。だから、アエラスの真意が分からなくとも、ソムヌスは了承した。
「ありがとう」
安堵の表情で答えたアエラスを見ながら、ソムヌスは口を開く。
「それじゃあ、今から良いか?」
「は? 今? え、うん。良いけれど。ちょっと部屋を変えよう。君の部屋にしようか。それにルースを含め、部屋に近づかないように言っておかないと」
「分かった」
アエラスの言うことに素直に頷いたソムヌスを見て、アエラスも頷く。
「30分待って。準備するから」
◆
昼の3時を過ぎたころ。ソムヌスとアエラスは、ソムヌスの部屋にいた。家を出てからも部屋をとっておいてくれたらしい。かつて自分が生活いていた部屋で、アエラスが口を開いた。
「じゃあ、ソムヌス。記憶を取り戻すとき、ベッドでやりな」
「なぜ?」
「一気に記憶が押し寄せるんだから、どうなるか分からないでしょう? 頭痛くなるかもよ」
「なるほど」
アエラスの言う通りだ。納得したソムヌスはベッドへと横たわった。記憶を取り戻す方は今までにしたことはない。上手くできるだろうか。
ソムヌスがそう考えていると、近くの椅子に座ったアエラスが軽く微笑んだ。
「心配しなくても、私がどうにかするから大丈夫」
それは無責任な励ましではない。
アエラスなら、なんとかしてくれるだろう。気持ちに干渉できるのだから、ソムヌスの「忘れたい」と思っていた過去の感情を消すことができるはずだ。それをすれば、魔法は無効となり、自動的に解除される。
兄に頼れば、すぐに解決する。
それでも、自分の力で思い出すことに意味がある。そんな気がする。
「ありがとう、兄さん」
礼だけ言い、ソムヌスは自身の特殊魔法を発動させた。
――消した記憶を、取り戻すことができますように。
そのようにして、閉じた記憶の蓋を開けるように。自身の使った魔法をなかったことにする。
それは突然だった。ぶわりと一気に水が流れ込んだように、急激に押し寄せてくる何かがあった。これが記憶だ。
様々な出来事が脳によぎる。
ソムヌスは混乱しながらも、どこか懐かしい感覚があった。たくさんの、幸せな記憶。そして、不幸な記憶。
ああ。自分が忘れていたのは。そうか。
ソムヌスは押し寄せる記憶に沈んでいくように。記憶に埋もれていく感覚でいっぱいになった。




