31、クッキー
グロリアの記憶消しに失敗してから数日後。グロリアは変わらず店にいた。店の床を掃き掃除していると、店の奥からソムヌスがやってくる。
「今日は記憶消し屋の方に客が来る」
「そうなんですね。私も行きましょうか?」
「いや……」
以前、一緒に記憶消しの方にいてくれないか、という提案があったのを思い出し、グロリアは今回もかと思って尋ねるが、ソムヌスは口ごもる。
「君はやっぱり、ここにいてくれ」
「どうしてですか?」
「俺の考えが甘かった。この前はフラマだから大丈夫だったが……。暴力的な客が来ることもある」
ソムヌスの表情は酷く強張っている。それを見ていると、彼の意思に反することをするのはいけないことのように感じた。
「……ソムヌスさんは大丈夫なんですか?」
「ああ。一応はクレアティオだった人間だ。護身術はもちろん、武術はある程度は」
ある程度、とソムヌスは言った。しかし、ソムヌスの身体を見ると、明らかに鍛えられているものだ。魔法の知識があって、さらには武術まで。
この人が国の中枢にいない、というのは非常に損失のように思えるが、ソムヌスの意思がない以上は仕方がないだろう。
そして、おそらくそんなソムヌスに対し、グロリアは足手まといにしかならない。暴力的な相手に勝てないし、ソムヌスに守らせることになってしまう。
「……分かりました。ソムヌスさんがそう言うのなら」
「ああ」
「でも、無理はしないでくださいね。人の気持ちや感情に、共感しすぎないようにしてくださいね」
「……分かった」
互いに、どことなく納得しきれていないことが分かる。しかし、ソムヌスがグロリアにかけた言葉は、自分のことを気遣ってくれている、というのは伝わってきている。グロリアがソムヌスに言ったことも同様だ。
だからこそ、納得はしていなくても、相手の気持ちを尊重するために受け入れた。
それでもグロリアの顔に不満がはっきりと浮かんでいたのだろうか。ソムヌスが困ったように笑った。
「キッチンにおやつを置いておくから、大人しくしていてくれ」
「ちょっと、ソムヌスさん。子どもだと思っていません?」
「まさか」
くすくすと笑うソムヌスに、グロリアはわざとらしく怒った素振りをする。しかし、ソムヌスは微笑みを崩さず言う。
「でも、甘いもの好きだろう?」
「……はい」
残念ながら否定できない。いつ気づかれたのだろうか。そう思っていると、ソムヌスが懐かしむように目を細めた。
「前、ルースに飴もらったって嬉しそうにしていたじゃないか」
「え、そんなに嬉しそうでした?」
「ああ」
ソムヌスの笑みをみて気恥ずかしくなるが、彼は馬鹿にしたような表情ではなかったため、嫌な気持ちにはならなかった。
「ありがとうございます。いただきます」
「ああ」
ソムヌスが記憶消し屋で使う部屋へと向かった後、グロリアはしばらく掃除を続けていた。ある程度終わったところでキッチンの方へと向かった。
「これかな?」
チョコチップが入っているクッキーが紙袋の中に入っていた。それを1枚取り出す。
さくっという音がして、口の中でクッキーがほぐれる。上品な甘さが口の中で広がり、そのクッキーの甘さを邪魔しない程度のチョコの味が、さらにおいしさを引き出している。
「おいしい……!」
ソムヌスの仕事が終わったら、どこの店で買ったのかを聞いてみよう。ソムヌスは大丈夫だろうか。厄介な客ではないといいが。
彼のことを考えながら、グロリアはクッキーを頬張った。
◆
グロリアが魔法書専門店の方へと戻り、本でも読んでようかと考えて本棚を見ているうちに、ソムヌスが戻ってきた。予想より早いため、グロリアは瞳を瞬かせる。
「終わったんですか?」
「ああ」
ソムヌスが店番用の椅子に座る。グロリアもその隣の椅子へと座る。ソムヌスの顔を覗き込むようにして見た。
「魔法は、使ったんですか?」
「いや……」
ソムヌスが言葉を濁すようにした後、顔を伏せた。
今のソムヌスは、記憶を消す魔法が使えるはずだ。しかし、それを使わない、ということはグロリアに気を遣っているからだろうか。
「私のことは気にせず、魔法を使える人に使ってもいいのですよ?」
「それでも、君との約束が先だろう」
ソムヌスの金の瞳で見つめられ、グロリアはソムヌスから目を逸らした。
申し訳ない気持ちはある。しかし、それ以上に。ソムヌスが約束を破らない人だということに喜びを感じた。
そんな自分の気持ちを悟られないように、グロリアは話を逸らす。
「記憶消し屋って、お客さんはよく来るんですか?」
「前までは年に1人来るくらいだったんだけどな」
しかし、グロリアが知る限りは4人。グロリアの前のお客さん、グロリア、フラマ、今日のお客さんが来ている。フラマも噂をきいたと言っていた。
「記憶消し屋、評判になっているんですかね?」
「その可能性があるのか。目立たないくらいがちょうどいいんだが」
半年に1回、という制約がある以上、頻度が高く記憶を消すことはできない。だからこそ、ひっそりとやっていたのだろう。
それでも、ソムヌスの商売の邪魔をしている状態は少し気になる。
「ただ、今日断ったのはグロリアさんとは別の理由だ」
「別の理由、ですか?」
ソムヌスに自分の後ろめたさを気がつかれたのかと勘ぐるが、彼は平然としているため、グロリアに気を遣っているわけではなさそうだ。
「ああ。記憶を消したいという男性の話を聞いている間に、その人の恋人だった女性がやってきて、仲直りをして帰って行った」
「……そんなこともあるんですか?」
「平和的解決の良い例だな」
ただソムヌスが痴話喧嘩に巻き込まれただけだったのだろう。
ソムヌスの言う通り、平和だ。巻き込まれた彼は疲れたかもしれないが。
「グロリアさんは問題なかったか?」
「あ、はい。そういえばクッキー、ありがとうございました」
クッキーの話で、先ほど聞きたかったことを思い出す。
「あのクッキー、どこで買ったんですか?」
「ああ、あれか。作った」
「え?」
作った? あれを? グロリアの頭の中で疑問符が浮かべていると、彼が慌てたような顔をした。
「あ、悪い。不味かったか? それか素人の作ったものを食べるのは抵抗あるか? 先に言っておけばよかったな」
「いえ、とても、とてもおいしかったです!」
「そうか? それなら良かった」
ソムヌスの安心した顔で気がつく。ソムヌスがクレアティオ家にいたときに料理をしていたとは考えにくい。そして人との交流が少なかった彼が、誰かに自分が作ったものを渡していたとは思えない。
「ソムヌスさん、もしかして今まで誰かに渡したことないのですか?」
「え、ああ。よく分かったな」
自分が初めて、彼の作った物を食べたというのか。
気を許してもらえている。その感覚がぎゅっと胸を締め付けられた。
嬉しいと惜しいを同時に感じた。
こんなおいしい物と出会えたのは喜ばしいことだし、この素晴らしさが世間に知られていないのが勿体なく思う。
次に感じたのは恐怖。自分が特別だなんて自惚れるのが怖い。
それらの感情を全部振り払って、グロリアは笑った。
「ソムヌスさん。クッキー屋さんをしましょう。絶対に売れます。私が保障します」
「流石に店を3つも同時に経営するのは、少し難しいな」
困ったようにも、照れたようにも見える彼の笑みを見て、グロリアは自身の気持ちを落ち着けた。




