30、失敗
グロリアが記憶消し屋に来てから、半年が経過した。
ソムヌスの特殊魔法の制約が解除される日。グロリアが記憶を消してもらうことを約束した日だ。
「グロリアさん、君の気持ちは変わらないか?」
ソムヌスの金の瞳は真っ直ぐにグロリアを見つめている。グロリアは自身の漆黒の瞳を、ソムヌスへしっかり向けた。
「はい。私の記憶を消してください」
「分かった」
その後、ソムヌスが記憶を消した時に起こる可能性がある事象をいろいろと説明してくれた。記憶にないことを思い浮かべば、記憶を消したことに関係があるか不安になることとか。
一通りの説明を終えたソムヌスがグロリアに尋ねる。
「何か質問は?」
グロリアはちょっと考えたあと思いついたことを聞いてみることにした。
「記憶を消すって、どういう感じなんですか?」
「俺がイメージしているのは、箱の中に入れて鍵をするかんじだ。記憶を思い出すとしたら、その鍵が外れたとき。だが、基本的に鍵は外れない」
「なるほど! ありがとうございます!」
少し視線を上に向け、考え込みながら教えたくれたソムヌスに、グロリアは感謝を伝える。
2人の間に沈黙が流れ、グロリアはソムヌスを見つめた。彼の金の瞳、紫の髪を目に焼き付ける。そして頭を下げた。
「ソムヌスさん、ここで働かせてくださり、ありがとうございました」
「礼を言うのは俺の方だ。グロリアさん、ありがとう」
頭を上げたグロリアは思いついたことがあり、口を開く。
「ソムヌスさん」
「何だ?」
「1つ、お願いしてもいいですか?」
「ああ」
「私がもつ、あなたの記憶を残してほしいんです」
ソムヌスは、全部忘れろと言った。記憶消し屋で働いたことを残すと、それがきっかけで紐付いて思い出してしまうかもしれないからだ。
ソムヌスが不安げに眉をひそめた。
「それは、リスクが伴うぞ」
「ええ。分かっています。でも、ソムヌスさん。あなたとせっかく友人になれたのに、その記憶を消したくないです」
「……友人」
「嫌ですか?」
不安に思ったグロリアが、縋るように見つめると、ソムヌスはすぐに首を振った。
「そうじゃない。前まで友達はほとんどいなかったから、最近グロリアさんやフラマと友達になって、新鮮なだけだ」
「それじゃあ、フラマさんみたいに予約なしできてもいいんですか?」
「連絡をくれるのに越したことはないが。来たいのなら、別に構わない。その代わり、客がいれば帰ってもらうかもしれないが」
「それはもちろんです」
グロリアとソムヌスは顔を見合わせて笑った。ソムヌスとの関係はこれで終わりじゃない。その事実がひどく尊いものに見えた。
「それじゃあ、グロリアさん。またいつでも遊びに来てくれ」
「はい!」
記憶を消し、ソムヌスとの友人という新たな関係になる。
それは自分にとって、きっと良いことばかりだ。
グロリアは自分を捨てた男を思い出す。きっとこれが最後。
さようなら、トニトルス。私の記憶にあなたを置いておきたくないの。二度と、思い出したくない。
「それじゃあ、記憶を消すぞ」
「はい」
ソムヌスが目を軽く閉じた。魔法を使っているのだろう。グロリアは、消える瞬間を待つ。
「え……」
「ソムヌスさん?」
不意に声を出したソムヌスに、グロリアは不思議に思う。目を開けたソムヌスが困惑を隠しきれていない。
「記憶を消す特殊魔法が、使えない」
「え?」
彼は自身の手をじっと見つめてから呟いた。
「俺の魔法が使えなくなったのか?」
可能性を提示したソムヌスは、右手を上へと向けた。その手からはふわりと水が舞い上がる。余計困惑したようにソムヌスはその水を消す。ソムヌスの魔法の適性が水であったことを、グロリアは初めて知った。
その水魔法が使えた、ということは彼自身の魔法についての能力は問題がないのだろう。
「グロリアさん。魔法の適性は闇だったよな?」
「はい。そうです」
「それは、関係があるんだろうか……? しかし、闇魔法が別の魔法を弾くなんて話はきいたことがないが」
「私もありません」
顎に手を当てて考えこんでいたソムヌスだったが、答えが出なかったのだろう。軽く首を振る。
「兄さんに何か知っているか聞いてみるか……? いや、しばらく連絡するなって言われてたな……」
喧嘩にもなっていない、とソムヌスがこの前言っていたが、連絡するな、なんて言葉が出るほどとは知らなかった。グロリアが息をのむと、それに気がついたかどうかは分からないが、ソムヌスがグロリアに視線を向ける。
「グロリアさん」
「はい」
「悪い。失敗だ。もう少しだけこの店にいてもらってもいいか? 別の日なら使えるようになる可能性もあるから」
そう言ったソムヌスは、申し訳なさそうにしながらもどこかわくわくしているように見えた。
「ソムヌスさん、ちょっと楽しそうですか?」
「そう見えるか?」
「はい」
グロリアがはっきりと答えると、彼はバツが悪そうに目をそらした。
「いや、悪い。面白がっているわけではないんだ。ただ、自分の知らない状況が興味深くて」
自分の手で口元を覆ったソムヌスをみて、グロリアはぱちぱちと瞬きをした。
ソムヌスは、好奇心が強いらしい。難しそうな顔をしている彼は、自分の思考に入り込んでいるのだろう。
声をかけるのに躊躇ったが、そっと声をかける。
「ソムヌスさん、本当にいいんですか?」
グロリアの声ではっとしたようにこちらをみたソムヌスが軽く首を傾けた。
「何がだ?」
「まだこの店にいて」
ソムヌスはきょとんとした後に、しっかりと頷いた。
「もちろん。俺から頼んでいるんだから」
当然のように答えた彼をみて、グロリアは浅く息を吸った。気持ちを落ち着かせないと、自分が何を口走るか分からなかったから。
「それでは、しばらくよろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ、頼む」
記憶を消すことができなかった。それは落胆すべき事態のはずなのに。
全く暗くならない自分の心に、グロリアは困惑することしかできなかった。




