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13、嫌な再会

 急に口数が減ったグロリアを、ソムヌスはどんな風にみているだろうか。しかし、ソムヌスの表情をみる余裕がなかった。


「着いたぞ」


 ソムヌスの声で、はっと意識が目の前に戻る。落ち着いた雰囲気の店が目の前にあった。ソムヌスがドアを開け、グロリアに視線を向けた。グロリアを先に通してくれようとしているのだろう。


「ありがとうございます」


 グロリアが礼を言いながら入ると、ソムヌスは軽く頷いた。


 やっぱりこの人は優しい人だ。優しいから、勘違いしそうになるだけだ。そう言い聞かせながら、グロリアは案内された席の方へ向かった。

 

 ◆


「ソムヌスさん、ありがとうございました」

「……ああ」


 食事が終わり、帰り道。グロリアからの感謝の言葉に、ソムヌスが頷いた。

 

「グロリアさん」

「なんですか?」

「ずっと店に来ているけど、家の方は大丈夫なのか?」

「はい。元々、暇だから手伝いをしていただけで、人手が足りないわけではないので」


 グロリアの父親が王宮の騎士科で働いており、姉も騎士科で働いている。父親の持つ爵位を引き継ぐのは姉であることが決まっているため、グロリアとは無関係だ。


 母親の方が商売をしており、パン屋をしている。ソムヌスのいう「家の方」はそちらだ。


 もしグロリアが魔法科に入るとすれば、誰かの後継者にしてもらうか、爵位を持つ人か後継者の婚約者となる必要がある。そう考えたら、難易度は高い。


 本当に今後をどう過ごそう。なんでも選べるはずだ。それなのに、こんなにも目の前に霧があるかのように先が見えない。


「ソムヌスさん。どうして今の商売、特に記憶消し屋ををやろうと思ったのですか?」


 魔法書専門店の方はまだ分かる。魔法科には行きたくなくても、魔法からは離れられなかったのだろう。それでは記憶消し屋の方は? 記憶を消すという特殊魔法を持っていたとしても、商売にしようと思うだろうか。


「どうして、か。そうだな……」


 ソムヌスが目を伏せて黙り込んだ。しばらくして、彼はぽつりと言葉を漏らした。

 

「……どうして、なんだろうな。気がついたら、記憶消し屋をやるのが良いと思っていた」

 

 自分で言いながら、ソムヌスは愕然としているようだった。グロリアも想定外の返答に戸惑う。明確な経緯があるのかと思っていた。


「え、いつからだ? なんで俺は……」


 思い出せないソムヌスが一番混乱していそうだ。彼は視線をさまよわせていたが、息を吐いてから呟く。


「……些細な理由だから忘れたか、あるいは俺自身が消したか、だな」


 そのソムヌスの表情は不安げなものであり、グロリアは記憶を消すということを目の当たりにした。消したい記憶に関連することも消えるため、後で考えたときに一見関係ないようにみえても、その理由すら分からない。


 それを受け入れるのが、記憶を消すということなのだろう。


 それでも記憶を消したいか? グロリアは自問自答する。


「あれ、グロリア」


 急に自分の名が呼ばれて、グロリアは反射的に振り向く。そこにいる人をみて、背筋が凍る気がした。


「……トニ、トルス」


 グロリアにとっての諸悪の根源、トニトルス・ノックス。

 こんな町中で会うとは思わず、言葉が出ない。トニトルスをよくみると女性と一緒にいるようだ。それは、トニトルスが以前口付けをしていた女性だ。グロリアは下を向いた。


「久しぶり、元気だったか?」


 何も気にしていなさそうな様子に、胸が抉られる感覚がした。自分だけが今も縛られている。その事実に、じわじわと苦しみが湧き上がる。


 この男は、自分の言葉も行動も何も悪いと思っていない。ただ、別に好きな女性ができた。だから、グロリアが邪魔になり、簡単に切り捨てた。この男にとっては、それくらいのものだろう。だからこんなに軽く話しかけてきた。


 それなのに、グロリアの中ではいまだに失恋の傷が色濃く日常に根付いているというのは、なんて愚かで惨めなのだろう。


「『グロリア』、知り合いか?」


 隣から声をかけられ、はっと意識がソムヌスの方にうつる。ソムヌスはグロリアを呼び捨てにしたことはない。そして、トニトルスという男が何者かを知っているはず。


「えっと……」


 グロリアが口ごもると、ソムヌスがグロリアにだけ笑みを浮かべる。その笑みがあまりにも美しくて、グロリアは固まった。さっきまで沈んでいた思考が一気に目の前のソムヌスへと塗り変わる。


「グロリア、その人とはどういう関係なんだい?」


 トニトルスに言われて、グロリアは今の状況を思い出した。ここではなんと答えるのが正解だろう。グロリアが考えていると、ソムヌスがグロリアを引き寄せた。温かい手が背中にあてられ、グロリアの気持ちを落ち着けた。

 ソムヌスはグロリアを助けようとしてくれている。捨てられた惨めな女ではなく、すでに別の男と親しくしている女へと、変貌させた。


 自分は1人じゃない。グロリアは口元に笑みをのせた。


「見て分からない?」

「……」


 グロリアはソムヌスに寄りかかる。ソムヌスが拒絶することはない。グロリアもソムヌスも決定的なことを何も口にしていないが、ソムヌスの纏う空気は常時より甘く、柔らかいものだ。だからグロリアもそれにあわせ、できる限り「恋人の空気」を意識する。


「ソムヌス。そろそろ時間が厳しいわよね?」

「ああ。でも、君が彼らと話があるなら、予定なんていくらでも遅らせよう。グロリア、君がしたいようにすればいい」

「ううん。大丈夫。もう行きましょう」


 グロリアはソムヌスに向かって笑いかける。そして思い出したように、トニトルスへ視線を向けた。

 トニトルスも、一緒にいる女性も、ソムヌスの持つ雰囲気に圧倒されているようだ。それもそうだろう。彼ほどの美貌は滅多に見ないが、その纏う空気も独特で不思議な魅惑を放つ。

 グロリアはソムヌスの腕に自分の腕を絡めた。そして視線をトニトルスへと向ける。


「それじゃあ、ばいばい、トニトルス」

「……うん」

 

 なぜか暗い表情のトニトルスへ手を振って、そこからは振り返らなかった。

 


 さっきまでの迷いはなかった。絶対に。絶対にトニトルス・ノックスの記憶を消す。他に起こりうる問題を考慮しても、忘れ去りたい。なんであんな男のことを覚えていなくてはならないか分からない。


 

「ありがとうございます。ソムヌスさん」

「……勝手に触れて悪かった」

「いえ。本当にありがとうございました」


 グロリアを惨めにしなかったのは、ソムヌスがいたからだ。彼らはソムヌスを新たな恋人だと勘違いしたことだろう。


「巻き込んでごめんなさい」

「いや。そもそも声をかけてきたのは向こうだっただろう?」

「それでも、声をかけてきたのは私のせいですから」


 グロリアがトニトルスの中で何も爪痕を残せなかった、ただの平凡な女だったから。トニトルスにとって、配慮の必要もない人間だったから。だからトニトルスはグロリアを軽く扱う。気を遣う相手ならもっと配慮をしたはずだ。


「……それでも、俺に力があれば。例えば、記憶消しの特殊魔法に制約がなければ。君は今、傷つかずにすんだはずだ」


 ソムヌスに言われて、グロリアは瞬きをした。彼にそれを指摘されるまで思い当たらなかった。グロリアは少し喉に引っかかりをおぼえた。それに気がつかないようにしながら、口を開く。


「ソムヌスさん、あなたが優しいのは知っています。それでも、あなたのせいじゃないです。私のことまで背負わなくていいんです」


 グロリアは、明白な拒絶をしたつもりだ。残りの3ヶ月半。それが終われば、ソムヌスとは赤の他人だ。


 この人の優しさに甘えてはいけない。それはきっと。(はめつ)への道に入りかねない。


 グロリアはソムヌスの瞳を見た。その金の色に思わず言葉を失う。


 ソムヌスは申し訳なさそうな笑みを浮かべている、はずなのだ。そのはずなのに。


 その瞳は、暗く寂しげな色を放っていた。

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