出港式の準備
ガラーンガラーンと鐘の鳴る音がアンリの耳に突き刺さった。
「ガキども起きろーっ! 顔洗って、歯磨いたら、朝飯だぞーっ!」
そうは言われても、一晩中もやもやした夢の断片みたいなものの中を漂っていたアンリは、あまり熟睡したという気分がない。
それでも寝袋を畳み、水兵服に着替えて、自分の食器や顔洗い用のタオルなど一式を持って、水道台に並んだ。二百人も少年志願水兵はいるが、蛇口も十二個付いているので、結構すいすいと列は前へ進む。それに『火蜥蜴』を三頭も飼っているからか、お湯が存分に使えるのはうれしかった。
「食事だぞーっ!」
第二層の調理場から、巨大な鍋と洗濯タライぐらいはあるボールに入れられた朝食が届けられる。今朝のメニューはリーキのスープ、マッシュポテト、薄切りのベーコンとチーズ、それに林檎が四分の一個付いていた。なぜ林檎みたいな春になったら高級品ともいえる果物が付くかというと、林檎とジャガイモを同じ箱の中にいれておくと、ジャガイモの芽が出ないからだ。ジャガイモは船での食料の主食のようなものなので、その寿命を延ばす食材として林檎は重宝される。
食べ終わったら、食器洗いは自分たちの仕事だ。やはり水道台に新入り一同が並んで、あまり泡立ちのよくない石鹸で器を洗いながら、ついでに歯も磨く。
「食器を洗い終えたら、今度はおまえたちが朝食を配給する番だ! 昨日の組み合わせどおり相棒と組んで、厨房へ急げ! 艦内地図は絶対に忘れるなよっ!」
二百人の志願少年兵のうち、二十人が厨房へ遣られる。アンリも昨日組んだトマと一緒に自動昇降機に乗り込んだ。
ちなみに他の者たちは来賓のための戦艦の飾り付け係や、椅子並べ係、掃除係などそれぞれに振り分けられている。今日の出港式は、メルヴェイユ護国卿の意向で、おもいきり派手に豪華にしなければならないらしい。
台車にビールと発泡水のケースを乗せる。そして蓋付きの小型バケツみたいな弁当箱を積み上げていく。今朝も一番最初の配達先は最下層の地獄の釜焚き場であった。
チンッ!──と、ベルの音がして、第二階層にどっと人が降りて行った。みんな乗り込もうとする台車とは逆に、調理場隣の食堂を目指しているのだった。
だが、ボイラー釜焚きや無線の傍受、艦橋での見張りなどここへ来られない係員もあるので、そういう人夫のためにはアンリ達のような配送係が弁当と飲料水を運んでいくわけだ。
第四階層で自動ドアが開くと、昨日感じたのと同じ、むわっとした熱気が台車押し係の二人を襲う。
「おーっ、来たか!」
「ビール! とにかくまずビール!」
昨日と同じように人足たちがビールケースを勝手に奪っていく。その中にジョゼットの姿がなかったので、蓋付きの弁当容器を下ろしながら、思い切ってアンリは尋ねてみた。
「……あの、昨日の弁当配達の時に、『火蜥蜴』を見せてくれた親切なおにいさんはいないんですか?」
「ジョドーのことか? あいつならまだ眠っているだろうよ」
「あいつは昼飯が朝飯になる順番の組だ。昨日は楽な作業ばかりだったから、遊びに来ていただけさ」
だぶん「遊びに」ではなく、「偵察に」来ていたのだろうけど。それでも顔見知りの姿がないとどこか安心できない。
「それじゃ、食べ終えたら自動扉の横に積んでおいてください。あとで回収にきます」
朝食を届けなければならない先は、まだまだあるのだ。空の台車をくるりと半回転させて、アンリとトマは自動昇降機の前で待った。しばらくして、今度はほとんど人のいない昇降機の扉が開く。スムーズに厨房に戻れたと思ったら、「次は『SA-3』、無線機械室だ!」と行先を命じられる。
艦橋の上、無線機械室行きの自動昇降機は狭かった。アンリとトマの二人が台車を支えると、もう背中に小部屋の壁が当たっている。そんな狭い昇降機だから、子供に弁当配達などという仕事をさせるのだろうか。
「朝食もってきましたーっ!」
勢い良い口調でアンリが言うと、難しそうな顔をして機械の方を向いていた男たちが一斉に機械仕掛けの人形のようにこっちを見る。
「レモンないかー? 発泡水にレモンいれてくれや、ボウズ」
「おいおい、スープがこぼれちゃってるぜ! 高価な無線用機械にスープの汁がかかったらどうするつもりだよ!」
「林檎がついてるじゃないか、ごちそうだな、これは」
これまでずっと機械の調整をしていたのだろう、男たちの顔は疲れ切っている。その時、トンツー式の機械の針先が勝手に動き始めて、穴と長丸の印を穿った無線テープの用紙に残す。
「おっ、やったぁ! ポルトリガトの港の機械と接続できたぜ!」
「これで全部接続完了だぁ……。徹夜になっちまったよ……」
朝食のリーキのスープをすすりながら、涙ぐむ者までいる。それほど無線通信というやつは取り扱いが難しい最新鋭の機械らしい。
「あの、その紙テープにはなんて書いてあるんですか?」
興味津々な顔をして、アンリが弁当箱を渡しながら訪ねる。
「こいつか? こいつにゃあな、『ポルトリガト。本日夜明け晴天、昼より曇天の模様』って、トンツー記号で打ってあるのさ」
「小僧ら、海兵学校に入ったら、なにがなんでも無線通信のクラスへ入れよ。船乗りにとっても陸の連中にとっても、こいつは学んでおいて損のない最新の技術だ」
真剣な表情で無線通信室の男たちはアンリに、これから未来を切り開いていく力を勧める。
「は、はいっ。貴重なアドバイスありがとうございますっ」
なんだかこの調子で二、三日戦艦の中を弁当配達して回っていれば、貴重な戦艦の構造だけでなく、気安く船員との関係も築けるのではなかろうか。ジョゼットたち先輩騎士が、アンリを厨房班に入れた理由がだんだん分かってくる。本当に密偵として働かせるならば、厨房が一番なのだと。
厨房にもどると、今度は真水のビンを五ケース、甲板の『A-5』へ配達だった。
「甲板って、今頃出港式の準備で大わらわなんじゃねーのか?」
トマがかなり要領よくなってきた手つきでケースを積みながら、そう言う。
「いいじゃない。出港式に参加できない僕らも、ちょっとはお祭り気分を味わえるかもよ」
「そうかぁー? 下手すりゃ手伝わされるぜ、いろんな手間の掛かることを」
トマが言った通り、甲板には戦艦を飾り付ける水兵服の少年たちが右往左往していた。半円形の三色旗に金色のリボン、ルブランス国旗に海軍旗が、手摺や無線受信用ケーブルにはたはたとはためいている。




