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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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とにかく隠れろ

「おいっ、そこの台車! どこに行く!」


 軍曹らしいヒゲオヤジから怒鳴られて、アンリは心臓を握りつぶされるかと思った。それにはトマがうまいこと答えてくれる。


「甲板の『A-5』って区域ですよ。甲板には初めて上がってきたから、どこがどうなってるのか、全然分かんなくてー」


 そう溜め息をつきながら言うと、ヒゲオヤジが交通整理員みたいに怒鳴った。


「『A-5』はあっちの、上品な臙脂色のベルベット椅子が並べてある方だ。持ち場の係員に聞いてみろ、『ここはルブランス革命交響楽団の演奏席か』って。陸軍少年隊の楽団も来ているから、間違えないようにな!」


『ルブランス革命交響楽団』と聞いて、アンリの心臓はさらにワイン用果汁を搾る葡萄のように握りつぶされた。そこは本当だったらライヒャルト先生がいた楽団であり、『歌姫ルシア』が歌っていたところ……。流血革命を起こしたルブランスには相応しくない芸術楽団……。

 そんな思いで胸がいっぱいになる。


「おーい、なにしてんだよ、アンリ。この六十本の真水、俺たちだけで降ろして、椅子ごとに一本ずつ並べろってよ!」


 係員と話していたトマが、次の指示を寄越す。アンリは心の中の物思いを振り払って、しばらくは真水のビンをならべることに精を出した。が──どうにも立派なベルベット張りの椅子の群れの、後ろに乱雑に積まれているゴム引きの防水布が気になった。


「あのー、これ片付けなくていいんですかー? 邪魔なんですけれど?」


「ああ、それは万が一雨が降ってきた時用の傘だ。この交響楽団を上から一斉に覆うんだ」


「こんな、六十席もある広いところを、一斉にですか?」


 唖然としてアンリは言葉を詰まらせた。確かに雨傘の骨を何倍も太くしたようなドーム状の仕掛けや、形を整えるためのピアノ線はついているが……。

 アンリがあまりにも動かないのでしびれを切らしたのか、係員がやってきて、一緒に真水入りのビンを並べ始めてくれる。


「あのなぁ、ボウズ。楽器ってのはなぁ、目の玉飛び出るほど高価なんだよ。雨に濡らしたらオレたちのクビが飛ぶ。なんといったって、ここの楽器はゴドフロア総統閣下から、直々に下賜されたもんだっていうしな」


 それを聞いて、アンリの胸はいっそうムカムカとしてきた。才能はあっても楽器を買えない貧しい家の子たちに、高級楽器を質にとって無料奉仕させるだなんて。

 ハッキリ言って欺瞞ではなかろうか。


「お、おいッ! 革命交響楽団の皆様がご到着したぞ!」


 陸軍学校の楽隊の様子がそわそわし始める。大型楽器も乗せられる魔法機関発動車が、第一埠頭の後部タラップに三台着けられた。そーっと、どんなヤツが登ってくるかとデッキの影から目を凝らしたアンリは、一瞬、貧血を起こして倒れるかと思った。

 先頭のベスト姿の係員にうながされ、タラップを上がってくるのは──間違いない。アンリが都市間急行の中で夕飯をごちそうになって、優待市民証までもらった、あの親切な人だ。

 名前はヴィクトール・クロードヴィスと言っていた。なぜあの人が革命交響楽団の先頭に立ってタラップをあがってこなければならないのだ?

 咄嗟に物影に隠れたアンリは、陸軍学校合奏隊の連中の、ヴィクトールに向けられる羨望の眼差しと歓喜の声に取り囲まれ、捕まった。


「すげーっ、本物のクロードヴィス先生だ! 今月号の『魔法と音楽』の彩色ページに出てたのと同じ顔してるっ!」


「そんなにすごい人なのかよっ?」


「もちろんすっごい指揮者だ。まだ二十六歳だっていうのに、毎月どこかの大ホールで演奏の指揮して拍手絶賛されてるって話だし」


「どんなのろまな楽団だって、一流の楽師に変身させちゃうとかいう話だぜ」


「音楽魔法術師の間では、もうすぐ三日月の位になるんじゃないかって噂だぞ」


 ワイワイと囃し立てる合奏隊にむけて、ガランガランと支度の鐘の音が鳴った。ヒゲの指揮者が子供たちに楽器を持たせて、定位置につける。

 木の椅子に座った子供たちが合奏しかけたのは、軽快な行進曲だった。座学三分の一、軍事訓練三分の一、音楽練習三分の一の割合で特訓してきたわりには上手じゃなかろうかとアンリは思う。

 行進曲は続いた。交響楽団の次は、出港式に招待された軍人とその連れ合いの番だ。


「ジョセフ・ガスパール海軍大佐御一行、ご到着!」


 貴族趣味な白銀の車体の、八人は優に座席に座れる魔法機関発動車が、第一埠頭に入ってくると『サラマンデル号』の船首から渡されたタラップの入り口に車体を着ける。その下には赤いカーペットがよく港を見渡せる通路を作っていた。

 車の中からは早速、勲章でじゃらじゃら胸を飾った立派な軍人と、今日のため仕立てたドレスや帽子で目一杯に着飾っているご婦人方が出てくる。そしてうやうやしく挨拶する蝶ネクタイにベスト姿の案内係に、「お足元、お気をつけて」などと言われながら、タラップを上ってゆく。

 それにしても先程からアンリにとって謎なのは、向かい合った少年合奏隊とルブランス交響楽団との間に置かれた、二つの荷物だ。

 どちらにも黒のベルベット地の上等な布がかけられ、外からはそれの正体は分からない。

 片方はアンリが物書き用に使っているテーブルほど。もう片方はアップライトピアノを四個ほど固めておいてある感じがする。

 とにかく今こんな甲板の中央に出ていったら、怒鳴りつけられて当たり前だろう。


(どうしよう……)


 水はもうトマが配ってくれたようだし。このまま厨房へ帰らないと怒られる。


(本当に、どうしよう……。どうすればいい……?)


 思い余って「傘」といわれたゴム引きの防水布の下にアンリは飛び込んだ。できるだけ姿を見せないようにと防水布の下を這いずっていると、

「メルヴェイユ護国卿閣下、および奥方さまのご到着!」との声が聞こえる。


 最悪だ。一国の最高権力者の前に寝転がっていなければならないなんて……。見つけられたら鞭打ちくらいではすまないのだろう、きっと。何も反論できずに銃殺だとか、そんな未来ばかり頭の中に浮かんでくる。


「こらぁあああっ! ガキがこんなところで何隠れている!」


 見つかった! やっぱり見つかってしまった! 亀の甲羅のように伏せながら、アンリの頭の中は自分に向けられる銃砲でいっぱいだった。死んだらクリスティーネに「お守り」のピンクダイアモンドを返せなくなる。それだけは絶対に避けるべきことだと思いながら、ぎゅっと左腕を握りしめる。


「なにをしにこんなところで転がってるんだ? おいっ!」


 ヒゲ面のいかめしい顔をした軍曹あたりの男が、ゴム引きの防水布の中からアンリを引きずり出す。


「いいえ、あの……」


 視覚の隅にヴィクトール・クロードヴィスの姿がちらりと引っ掛かる。瞬間、アンリはおそらくは一番上等な嘘をついた。


「その……あの……、クロードヴィス先生の生演奏が聴きたかったんです、どうしても……」


 アンリの返答に、「ほほほほほ……」と機嫌の良い笑い声が帰ってきた。声の主はメルヴェイユ卿の奥方らしい。

 派手な白孔雀の尾の扇を優雅に前後させて、甲板上に土下座しているアンリの姿を楽しそうに見ている。革命が終わったら貴族階級は廃されるとの約定があったが、いまだ軍の上流階級では貴族が優雅に生きていると思わせる姿だった。


「貴方、あんな小さな子供がクロードヴィスの指揮を聞きたがっているなんて、なんとまぁ文化的な発言ですこと。世の中は変わったのです。わたくしは、彼にはルブランス人として、クロードヴィスの演奏会を聞く権利があると思いますわ」


 まるで革命前のお妃さまのような膨らんだスカートと高々としたカツラを付けたメルヴェイユ卿婦人はそう言って、アンリの応援をする。しかもアンリを後押ししようとする以外な味方は今一人いた。


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