サラマンデル
「べ、弁当と飲み物の配達にきましたーっ!」
腹の底に力を入れてアンリが叫ぶと、
「おう、こっちだ。こっちの作業員休憩室だ」
との、どこか聞き覚えのある声が返事する。その声に従い、作業員休憩室に台車を押し入れたアンリは驚きのあまり、心臓が口から飛び出るかと思った。
どういうわけか、水兵服ではなく半袖の人足服を着たジョゼットが、そこに居たのである。
「ビール! とにかくビールくれっ!」
「弁当は後回しでもいいからっ!」
灼熱の釜焚き地獄から解放された男たちが、勝手に台車からビールと発泡水のケースを下ろす。そして瓶に付属しているスゥイング・キャップを片手で器用に開けて、乾いた喉にホップの苦みがよく効いたビールを流し込む。こんな滝のような汗をかかねばならない仕事場では、ビール一本分くらいのアルコールを口にしても、すぐに汗ごと蒸発してしまうのだ。そのためビールは酒類扱いされることはない。
「はい、これ。お弁当です」
アンリはわざと、釜焚き部隊に潜入しているジョゼットに向けて、弁当入りのブリキの器を差し出した。すると、にまりとジョゼットが唇の端を上へ歪めた。悪戯を考えている悪ガキの顔だ。
「ボウズ、いいもの見せてやろうか?」
「は? な、なんでしょうか?」
少し後退りながら、アンリが内心ビクビクしながら答える。
「この艦の主力、『火蜥蜴・サラマンデル』様さっ! ローランドの船には『聖クラースのお守り猫』を乗せるんだが、ルブランスの船には乗せない。だから、ここの釜の中に居る『火蜥蜴』様が一番位の高い生き物なんだぜ!」
今なら暇だから、見物させてやってもいいでしょう──とのジョゼットの声が響くと。周りの人足たちも野次馬のように後押ししてはやし立てる。
三つあるボイラーの一番手前──ジョゼットが足でレバーをガシャンと押すと、一気に熱風が見物する子供たちを襲う。
そこには炎の中に四つん這いに張っている生き物がいた。アンリはそれを何年か前の夏の休暇中、移動動物園で見たことがある動物と勘違いする。
「……わ、ワニっ?」
「口先が丸いだろ。それに背中も滑らかだ。あれはトカゲだよ、『火蜥蜴』だ」
それは全身金色をした金属質の滑らかな鱗でおおわれていた。目の周りから首、胴体にかけてカナヘビに似た銅色の模様があり、しっぽは見事にすらりと長い。しぺろっ、と蜥蜴が舌を出すと、その舌だけは不思議に青黒かった。
「よっく見ろよ。頭の上に冠みたいな形をした肉襞があるだろう。あれが『サラマンデル』の印なんだと」
ジョゼットがカッコつけて、シャベルで石炭庫からひとすくい亜炭や泥炭のかけらをボイラーに放り込む。すると、一瞬でそれはどろりとした液体になった。液体はすぐに燃え上がり、魔法機関を巡る水を一瞬にして水蒸気に変える。こんな高出力な戦艦では上等な無煙コークスが使われるのが普通だが。ここの石炭庫にあるのは、アンリの目で見ても分かる質の悪いものばかりだ。
「いいか、良く見ておけよ、あの三重になっている輪が魔法陣の一番外側だ。あの魔法陣があるから俺たちがこんな間近で仕事をしていても平気ってわけさ」
得意げにジョゼットは言って、さりげなく魔法使いが築きあげたこの甲鉄の戦艦の心臓部の説明をしてくれる。
その後、急いで厨房へと戻ったアンリは、次は空中翼船の泊まっている甲板へ。その次は三十インチ砲を備え付けてある砲台へ──と弁当の配達を次から次へと命じられ、へとへとになりながらもその任務をやり通した。
しかも、白衣を着た厨房長からは「おまえら小僧どもの食事なんぞ、一番最後だ! 腹が膨れるだけ、ありがたいと思え!」などと怒鳴られる始末だ。
パンは白かったが、トウモロコシ粉のパンだ。インゲン豆の煮物はどろどろに溶けて粥のようになっているし、その上焦げ臭い。レモンのかけらが四分の一と、薄っぺらなベーコンとチーズが一切れずつ付いてくる。それに加えて生温いビールが瓶一本──。
腹は確かに満たされたが、しみじみとガルド・ルルゥの料理はおいしかったなぁ、と思う味だ。
そして就寝──まるで缶詰のイワシのように互い違いになって、少年兵たちは寝袋に収まった。春とはいえ、隙間だらけの格納庫だ、ハッキリ言って背中からしんしんと冷えてくる。
(ゾティが居てくれたらなぁ……)
窒息しそうになりながらも、胸の上で自分を温めてくれたあの巨大猫のことが、もう懐かしくなっているあたりホームシックなんだろう。おのれの影の中に潜んでいる『青の一角獣』に話しかけることもできないまま、アンリは左腕に括り付けた「お守り」、ピンクダイアモンドを握りしめ、少しずつ眠りの淵へと誘い込まれていった。
夜は「五人の魔女の館」へも平等にやってくる。
目の前には巨大な竈がちろちろと火を絶やさずに燃えている。膝には『聖クラースのお守り猫』なゾティを乗せて、テーブルには五人分の香草茶の用意をして、真夜中十二時の鐘が鳴るのをクリスティーネは待っていた。
ちなみにお茶請けのクリームサンドビスケットは、この前アンリが洗濯屋のおかみさんからもらったものだ。こんな甘い物の乏しい戦時下でも、騎士精神を発揮したアンリはクリスティーネに、「僕はそんなに食べないから」と言って、もらってきた紙袋の三分の二にはなる量のお菓子を分けてくれていた。
ボーン、ボーン……と、おっとりした色合いの音で振り子時計が真夜中を告げる。
それと時を同じくして、竈の中から五人の黒衣の魔法使いのおばあちゃんたちがぞろぞろと出てきた。
『あらぁ、お茶の用意ができているわぁ』
『これはアップルカモミールとレモングラスの香りだね』
『お茶請けにはなんておいしそうなクリームビスケット!』
『さぁさ、冷めないうちに一杯いただきましょう』
『うれしいわぁ、仕事の前にお茶ができるだなんて』
ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ──まるで丸々実った葡萄の実のように、区別がつかないそっくりな顔をした老婆たちはそれぞれの椅子に腰を下ろした。
クリスティーネは膝から、金色の毛並みのふさふさ巨大猫・ゾティを降ろす。そしてしばらく黒衣の魔法使いたちに香草茶を注ぐ係に回った。
二杯目の香草茶が空になって、やっとクリスティーネは口を開く。
「おばあちゃんたち。魔女のおばあちゃんたち──。どうか占って欲しいの、今夜敵の戦艦『サラマンデル号』に乗り込んだ船長やアンリが無事ここへ帰って来られるかを……」
『おやぁ? 王位継承玉座は必要ないのかい、六番目のクリスティーネ』
「それはまぁ、必要だけれど……。でも、人の命には代えられない。今はアンリや船長の無事の方が大切だわ」
黒衣の老婆たちの眼が、すぅっと細くなった。そして茶器の隣に添えられていた銀のティースプーンを、魔女たちは一斉に空中にかざす。
『テーブルよ、水鏡の占いの支度を』
そうつぶやくと、五人同時にテーブルの面を匙の頭でとんっと小突づいた。
すると古びた一枚板の丸テーブルに、光の泉が現れる。
『さぁ、水鏡。六番目のクリスティーネが、白の一角獣位の騎士と、青の一角獣位の見習い騎士の吉凶禍福を占えとのお望みだ。聖人クラースと聖女ルシアの加護のもと、良き魔女イーディスが綴った預言の書に、あの者たちの名前があるのなら映し出せ』
ゴポゴポ……と、泉の水が水底から湧き出るように、丸テーブルの光に揺らぎが生じる。
『ああ、これはひどい……。沢山死人が出るね』
『ひどいものだ。火蜥蜴に水妖、風精にちいさな雷鬼まであんな箱の中に閉じ込めていれば──』
『ほんの小さな誤りでも大惨事を招く』
クリスティーネの表情が氷のように固まった。それでは一角獣を背負った者たちも無事には帰れないというのか?
『だが安心おし、六番目のクリスティーネ』
『大気の大きな流れを纏った者が我らに味方してくれようぞ』
『王位戴冠玉座もこの「聖クラースの丘」へ戻ってくるだろう』
『そうさ、大した勇気を持つ者がいるからね』
「……大した勇気を持つ者?」
ぱちくりとクリスティーネはその長い睫毛をしばたかせた。それは白の一角獣の騎士・ジョゼットのことだろうか?
「それじゃ、とにかく船長もアンリも提督も、ここへ帰ってくることができるのね?」
『今の時点の水鏡の予報では、そうなっているね』
『だから六番目のクリスティーネ、そなたは温かい寝床とスープを用意して待っておいで』
五人の魔女の中の、ベルタ、ドーラ、ハンナ、ウルラ、ローザの誰かは分からなかったが、そう言って皺深い顔でクリスティーネに向けて微笑んでくれる。
「温かい寝床とスープね。用意しておくわ!」
力強くクリスティーネが言いきって、寝具用の物置の方へ歩みだす。
その後ろ姿を見ながら黒衣の魔女たちはにこにこと笑い合って、香草茶を飲み干す。
『さぁ、お茶もなくなった』
『わたしらはわたしらの仕事をしはじめよう』
楽しそうにぺちゃくちゃとしゃべくりあいながら、黒衣の魔女たちは食堂の下ごしらえをはじめるのだった。




