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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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アンリ、海軍入隊

「うちの二件先の風車小屋は乳牛の牧場をやっていてな。今の季節は子牛が生まれて牝牛の乳の出が良くなってくるから、チーズ作りも始まる。だから牡の子牛を殺さなけりゃならないんだ」


 牛乳をチーズの原材料のたんぱく質・ガードにするには、レンネットという酵素が必要だ。これは子牛の第四胃でしか生成されない酵素で、それを入手するためにはどうしても子牛を殺さなければならない。牝の子牛は成長させれば乳が出るので、殺すのはもっぱら牡の子牛になる。

 ローランドで作られるチーズの多くは十か月以上長期熟成させたハードタイプで、表面にワックスをかけてチーズ全体を密封するのが特徴だ。長い航海に出る交易船では、そうやって長期保存できるチーズは重要なたんぱく質源である。


「三日前に殺して、熟成しておいた肉だそうだ。子牛肉だから柔らかいぞ」


「うれしーっ! 俺、絶対カツレツがいいっ! 柔らかロース肉のカツレツ!」


 できればチーズ乗せで──子供のようにはしゃいだ声で、ジョゼットが今晩のメインディッシュを提案する。アンリの初陣の晩餐になるというのにである。


「ほら、ゾティ。おすそ分けだよ」


 防水布を開けて、ガルド・ルルゥが肉の塊にナイフを当てると、細いあばら骨の部分を一本切り出し、金色の大きなふさふさ毛並みの「お守り猫」に与えた。まだ食肉用に太らしてはいない子牛なので、あばら骨についている肉は少ないが、ゾティは喜んで肉と筋と骨のうまみをかみしめているようだ。


「アンリは何が食べたい? 今のうちに食べたいメニューを言い出してくれないと、本当に子牛のカツレツになっちゃうわよ。煮込み料理は時間も手間もかかるから」


 にっこりと優しそうな顔でガルド・ルルウが笑った。そう言われると、なんとなく話の流れに流されてしまうアンリである。


「じゃあ、カツレツにしてください。あと、スープとマッシュポテトも付けて欲しいです」


「はいよ。ちょうど小粒の新玉ねぎがあるから、玉ねぎのスープにするわ」


 その日は税関務めのマクシミリアンも早めに──しかも上等な赤ワインとウイスキーのお土産をもって帰ってきた。

 小粒玉ねぎが丸ごと入ったスープに、マッシュポテト。新鮮な春野菜のサラダに、ハーブ入りパン粉をつけてオリーブ油で両面をこんがり焼いた子牛肉のカツレツ──と、その夜のテーブルには戦時下とは思えない豪勢な料理が並んだ。

 けれども誰も明日から始まる『サラマンデル号』破壊作戦については口にしなかった。

 誰もが分かっているのだ、ほんのひと時の幸せを壊さないように──その場にいる皆はその夜、「おやすみなさい」の挨拶をするまで笑い声を絶やさなかった。




 翌日──時間に余裕をもって第一埠頭へと、昼ごはんが終わってすぐ出発したアンリは、自分の読みが甘かったことを運河ボートの上で知った。なにしろ自分と同い年くらいか、ちょっと年上の水兵服を着た少年ばかり運河用ボートに乗り込んでくるのだ。座る場所などなく、みんな立ち乗りである。


 たどりついた西港第一埠頭では、陸軍少年学校の合奏隊が演奏する軽快な行進曲が流れていた。明日の出港式にむけての練習なのだと、どこからともなく流れてくる噂話がアンリの耳にも入る。いつも検問所にいる少年兵たちの一部は、検問所の仕事が終わると懸命に楽器の練習をしているのだと、はじめてアンリは知った。


 陽が長くなった青空には羊雲がぽこぽこと浮かんでいる。春とはいえころころ空模様が変わるローランドの低地地帯では、まず晴天といって良い天候だろう。

 そして第一埠頭には、不沈戦艦と呼ばれる『サラマンデル号』が鈍い鋼色の船体を横付けにしていた。その姿はまったく魁夷としか言いようがない。全体を甲鉄に覆われた堂々たる巨艦である。

 その上に後部甲板には紡錘型気球に翼とプロペラが設置された高速翼船が二機も泊まっており、これまた見る者たちを唖然とさせる。

 まさに軍国の権威といえる戦艦だった。


 少年たちが群がって騒がしいのは船尾側だ。今日、入隊する少年水夫たちが順番に並び──たいのだが、狭い埠頭の上で荷物を持って、押し合いへし合いしている。全部で百五十人ばかりはいるだろうか。しかも、まだまだ追加の少年志願兵たちはやってくる。

 アンリもその揉みくちゃにされている中の一人だった。


 もっとも、二百人の少年志願兵は戦闘要員ではない。大半の子供たちが、これから行われる処女航海の出発式の時に紙テープや紙吹雪を撒いたりする係で、その後首都シテ・ドゥアン最寄りの海軍港、ポルトリガトにある海軍少年学校で降ろされ、そこで三年間海兵として学ぶことになっている。

 大人数の中で押しくらまんじゅうしながらよれよれになって、やっとアンリの順番が回ってくる。すると、軍曹あたりの上官が気難し気な顔をしながら、アンリの海軍身分証明書をチェックした。


「アンリ・ラウールです。出身はホロウ県ゴダール村、十五歳です」


 ちなみに本物のホロウ県ゴダール村は、かなり大規模な漁村だ。アンリはその村の缶詰工場を営む家の次男坊という設定になっている。

 目付きの悪い軍曹がギロリとアンリの細っこくて子供こどもした全身を見回す。


「おい、ボウズ。この書類では一度ジャック・ラウールと書いて、名前が二重線で消されているが、どうしてだ?」


「その……、ジャックは僕の兄なんですが。缶詰工場の作業でこの前、指を切断してしまって。兵役資格を取り消されたので、弟の僕が来ました」


 と、アンリは前もって打ち合わせておいた話を、つっかえつっかえしながらしゃべる。偽の証明書を作ってもらったその時、いくらなんでもアンリの眼鏡姿では海兵には徴集されないだろうと、証明書を密造した同志がひねり出してくれた策だ。


「なるほどな……。兄貴の代役ってわけか。いいか、今からおまえに与えられた身分証明番号は一〇三番。軍備品の受け取りのため、向こうに、並んでおけ」


 大量の少年兵を目の前に、頭数さえ揃えばいいとそう深く考えることもせず、軍曹は海軍証明書にポンッとスタンプを押してくれる。内心ほっとしながら、アンリはそれを受け取った。

 軍備品の受け取りでもかなり長いこと待たされて、ようやく「一〇三番!」と番号を呼ばれる。


「はいっ!」


 返事だけは威勢よく窓口に行ってみると、ほとんどアンリの身の丈くらいはある大荷物を渡される。


「これがチェックリストだ。備品の中に入っていないものがあったら申し出ろ」


 と、寝袋をはじめとしたこまごまな備品と、そのリストをチェックするための用紙が押し付けられてきた。

 教科書、ノート、筆記用具の類はこれから海兵学校に送られるのだから、中に入っている理由も分かる。しかし白煙筒や防水マッチ、方位磁針まで付いてきたのには驚いた。しかも寝袋はぺらぺらの薄さで、敷き毛布すらない。

 それに食器やブリキの弁当箱やコップにフォーク、スプーン──雑多な品を備品チェックシートと照らし合わせる。

 そうこうしていると、もそもそと寝袋を畳んでいるアンリに向けて、威勢の良い声が掛けられた。


「一〇一番から一二〇番までっ! 今夜の寝床に案内するぞ、付いてこい!」


 アンリたちより十歳くらいは年上に見える青年兵が、厳しい目付きで少年たちを眺め渡す。アンリも急いで寝袋と荷物をまとめて、わたわたとした足取りでその青年兵の後についていった。

 連れていかれた場所は甲板に出されている二隻の高速翼船の真下──つまりは格納庫だった。臨時に乗せる少年兵になど、明け渡す部屋はないという事だろう。白いチョークで「一〇三」と書いてある場所に、どうにかこうにかアンリは荷物を降ろした。


「いいか、就寝の時は奇数番が壁側、偶数番が通路側に頭を向けること! シャワーは十分で済ませること、便所は一階層下まで使える」


 そんな説明を聞いていると、しばらくして、コックらしい白衣を着た初老の男がアンリたちを迎えにきた。


「配送係の小僧ども! 艦内は自動昇降機やなんやらでまるで迷路だ。これから艦内案内図を配るから、間違えず、厨房のある階まで付いてこい」


 そう言って初老の男は、三つ折りにしなければならないほどの大きな艦内図を、二十名の少年たちに一部ずつ渡した。


(うわぁ……! これって、艦内のことがことこまやかに書いてあるよ! これはどうみても機密情報だぁっ!)


 興奮しながらアンリも案内図を受け取る。案内図は紙の表裏にびっしり印刷してあった。


「それじゃあ、これから自動昇降機に乗って、第二層まで降りる。グズグスするなぁ~っ!」


『A-3業務用』と書かれた大型昇降機に、十人の少年たちがまるで家畜のように押し込められる。初老の男は合図して、扉脇のボタンを押す係にうなづいた。係の男が『↓』『2』と連続して押すと、自動的に扉が両側から動いて昇降機の小部屋が密閉された。


「す、すげぇーっ!」


「本当に自動で部屋が下がってくっ!」


 十人十色の驚き方で、初めて乗る昇降機に驚く少年たちばかりである。アンリも一体どういうカラクリでこの「昇降機」というのが動いているのだろうかと、小部屋の四方八方を見渡してしまった。

しばらくすると「チンッ!」と軽くベルの鳴る音がして、小部屋の天井近くにある矢印が『1』から『4』まである数字の『2』のところを指す。

 やがて自動で扉が開くと厨房のある第二層の、料理をしているような微かなスパイスの香りや食用油の臭いがふわふわと漂ってくる。


「小僧ども、こっちだ!」


 ごぉんごぉん……と艦内には遠くからも近くからも機械音が響いている。初老の男に連れられて行った先は、本当に甲鉄で出来た迷路の奥で、こんなに大きな厨房が船の中にあるのかと驚くような場所だった。


「まず、最初に教えておく。そこらここらの壁や天井に張り巡らされているパイプだが。青のラインが引かれているものは水が流れている。赤は電気系統、黄色は可燃性ガス、緑は炭酸ガスのパイプだ。ここでは電気系統も張り巡らされているから、火事が起こった時に消火には水を使わず、炭酸ガスで火を消すということをまず覚えておけ」


「は、はいっ!」


 なんて最新式の設備なんだと、返事をしながらアンリは驚いた。なにしろ「空気」というものが酸素、窒素、二酸化炭素などの混合体で出来ている──そして「火」は酸素がなければ燃え上がらない。という発見がされたのが、ほんの三十年くらい前のことなのである。


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