今夜はご馳走
午後三時半──今日も配給食堂は大入り満員で、ガルド・ルルゥ、クリスティーネ、そしてアンリの三人は遅い昼食を食べている最中だった。
「アンリ、居るかー? 変装用の制服だのなんだの、一式持ってきたぜー」
極秘任務用の品物を届けに来たというのに、あまりに緊張感がない間延びした声が地下から聞こえ、膝までずぶ濡れのジョゼットが階段を上がってくる。
「ど、どうしたんです? 昨日に続いて、今日はやけに帰ってくるのが早いですね」
干し鱈のほぐした身と缶詰のトマトの水煮、それに春野菜を煮込んだソースをパスタにあえたものを食べていたアンリが、いつもは深夜になってからではないと館へは戻ってこないジョゼットの姿に目を丸くしている。ガルド・ルルゥは水浸しになっているジョゼットの足元を見て、さっと席から立ち上がると、代わりの靴やズボンやらを用意しにいった。
「お、うまそーなの食べてるな。ルルゥ、少しでいいから俺の味見の分とかない?」
「残念だけど、あたしたち三人前でギリギリだよ。それよりも、ほら、早く部屋で着替えておいで」
「あちゃー、ちょーっと一足おそかったかぁー」
「まかない分だけしか作ってないんだから、仕方ないじゃない。愚痴いいなさんな、ほら」
いいながら、ガルド・ルルゥは下半身濡れ鼠のジョゼットに手早く服やタオルを渡した。
一旦、現在のねぐらにしている地上階の角部屋にジョゼットは引っ込むと、肌にへばりついた冷たいズボンを脱ぐ。そして下着まで濡れた服を着替えると、こざっぱりした様子で出てきて丸テーブルのおのれの席に着いた。すかさず、ガルド・ルルゥが蜂蜜入りの香草茶を入れたカップを彼の前に置いた。
「まだ四時前ですよ? 今日は本当にどうしちゃったんです?」
どこか不安が混じった怪訝な顔付きをして、アンリが問い掛ける。それに対してジョゼットは、香草茶のカップを両手を温めるみたいに持ちながら説明をはじめた。
「だから、アンリに『サラマンデル号』潜入任務用の服やら着替え一式やら渡さないとさ。それと、アンリが動かなけりゃならない明日の夕方からのスケジュールを伝えにきたんだよ」
「あ、明日から? 作戦の開始は金曜日だと言っていませんでしたか?」
今日は水曜日だ。壁に吊ってある日めくり暦をまじまじと確認しながら、アンリが問い返す。
それに対し、ジョゼットは帆布製の袋を丸テーブルの上に置きながら、事情を説明しだした。
「確かに、少年志願水兵が『サラマンデル号』に乗り込むのは明後日、金曜日だ。だが、人員点呼のために木曜日には海軍基地に集合しなければならない。そこで一泊して、働き場所の持ち場を指定された志願兵は、前夜東の港から西の港の第一埠頭に移動させてお披露目される『サラマンデル号』に、一般人からの声援やらなんやら受けながら乗船することになる」
西港での『サラマンデル号』の完成披露会は、お祭り状態になるだろうとジョゼットは預言者のように言った。
「実は『サラマンデル号』の完成披露会には、陸海空軍のお偉いさんやその家族も招待される。甲板に高速翼船も出してくるし、交響楽団の演奏もあるそうだ。それが終わったら船内の上級士官食堂で食事会やら舞踏会。下手したら七~八時間は続くお祭りだ」
通常、戦艦には非戦闘員の女性は乗船できない。そこへ着飾ったドレス姿で立ち入ることができるのだから、これは軍人の女房ならば一生一度の名誉といっても良い。
「ちよっ、ちょっと待ってください。七~八時間続くって、そんなに船内に位の高い軍人ばかり集めて、このアウステンダムの守りはどうするんです? 全員、シテ・ドゥアンまで連れていけないでしょう?」
思わず椅子から立ち上がり、興奮気味にアンリが問う。
「ああ、その点は大丈夫。暗礁だらけのアウステンダム航路で、大型船はそんなに速度は出せないんで、ライデン湾閘門を出たらしばらくはのんびり物見遊山の航海さ。それに巡視船が二隻、タグボートが二隻付いてくるから、パーティーが終わった後は、そっちの船にお客さまは乗り換えて、アウステンダムに戻ってくるって予定になっている」
「……なるほど」
よく考えられているなぁ、と──アンリが感心した時だった。
「そんじゃま、とりあえず水兵服に一回着替えてみてくれよ。中に、偽造した船員手帳と海軍の身分証明書も一緒に入っているはずだから、そっちにも目を通して、軍部で通用しそうか確認してくれ」
これがおまえの初任務だ──そう、ジョゼットがどっしりと腰を落ち着かせながら言う。
「は、はいっ?」
いきなり思ってもいなかった『初任務』という単語に、アンリは心臓が跳ね上がるほど動揺した。
「なーに、丈が少し短かったり長かったりしたら、すぐに俺が直してやるよ。海の男は裁縫も編み物も料理もできて一人前なんだぜ」
見た目よりずっと器用らしい海軍士官学校出身の男は、ニヤリと唇に笑いを浮かべる。しかも上着の内ポケットから、簡易式だが裁縫セットが出てくるあたり水も漏らさぬような手配だ。
「とにかく早く着替えてみなよ。なんなら俺の部屋つかってもいいし」
急かされてアンリは部屋を借りると、バタンと扉を閉めて、もそもそと不器用な子猫のように着替え始めた。
「ああ、そういえば『野いばらの君』にも渡しておかなければならない物があるんだった」
やはり上着の内側から、防水パラフィン紙に包んで折りたたんだものをジョゼットが取り出すと、丸テーブルの上に広げる。
それは不沈艦との噂名高き『サラマンデル号』の設計図だった。
厚さ三十センチの装甲砲塔に主力の三十サンチ砲四門、十五サンチ砲二門、七・五サンチ砲四門。全長九十一メートル。巾十八メートルなどと、設計図には数字や記号が書き込まれている。
「よく調べてあるわね。さすがは『船長』の仕事らしいわ」
澄んだクリスティーネの声が響く。
「みんなが『サラマンデル号』を不沈艦だと声を揃えて言うけれど、本当にこの甲鉄の戦艦を沈められるの?」
「たしかに一メートルもの厚さがある木製シタデルの箱の中に、主要機関がすべて納められている上、三百五十六ミリなんてバケモノじみた舷側装甲がはりめぐらされているんだ。正攻法では勝ち目はないだろうが……」
トントンと指先で、ジョゼットが設計図の一点を叩いた。
「ここが三連結ボイラー。ここにルブランス海軍のヤツらは、最上級の養殖モノ・火蜥蜴を飼っている。こっちの水槽には海水を真水にするために水妖・ウンディーネが封じ込められている。艦内消火用に炭酸ガスを発生させるための風の精・シルフィードがここに居て──」
ジョゼットが設計図の要所ようしょを指先で押さえていく。
「つまりはさ、魔術で固められた戦艦でもあるんだ、『サラマンデル号』は」
「魔法対魔術の闘いなら、わたしたちにも勝ち目はあるというの?」
「そういうことです」
と、自信を持ってジョゼットがニマリと笑った。
「必ず王位継承用玉座を持って戻ってきますよ。いつか『野いばらの君』、貴女にそこに座ってもらわなけりゃならないから」
軽口を叩く口調とは正反対に、鋭い眼の戦士は言う。ロザムンド王家の守護精霊・一角獣を背負った男の覚悟が声には響いていた。
「あ、あの……。着替えてみたので、見てくれますか?」
まるで新しいドレスをもらった少女のように恥ずかし気に、アンリが扉の影から出てくる。
白いフチなしの水兵帽に、紺色の線が一本だけ入ったセーラー襟と海軍のマークが刺繍されたスカーフ。長袖長ズボンの水兵服は、アンリの細い身体だと幾分かだぶついて見える。足元はデッキシューズだ。
「……似合わない」
ぼそり──と、クリスティーネが冷たい目をしてつぶやいたので、アンリは思わず泣きたくなった。確かに極度の弱視用メガネに、セーラー襟の海軍服というのは違和感がある。
お姫さまのキツイ台詞を聞いて、なんとか慰めてやろうとジョゼットが椅子を立ち、一足飛びにアンリの元へやってきた。
「いやいや、手足の丈は調度こんなもんでいいけど。おまえ、本当にほっそい身体だもん。手足は長いんだから、少し肉が付けば一気に背が伸びるタイプだぜ
」
でも、今のこの身体つきじゃあ厨房の皿洗い係かな──などと。アンリの腕を取って、先輩騎士はそう肩を叩いて元気づける。
「船員手帳と海軍の身分証明書は中身をみたか?」
「あ、はい。これの事ですよね」
確認するようにアンリは言って、二冊の手帳を胸ポケットから取り出した。その二冊両方の身分証明書のページを開く。
『名前・アンリ・ラウール。
生年月日・革命歴十五年雨月・プリュヴィオーズの三日。
性別・男。
髪の毛・麦藁色。
目の色・緑色。
肌の色、白。
父の名・ジャン・ラウール。母の名、ルネ・ラウール。
特筆情報・極度の弱視のため眼鏡着用。
出身地・ルブランス本国・ホロア県ゴダール村──』
という偽装した個人情報が、箔押しをしたページ一枚分書き連ねてある。海軍の身分証明書の方には、「配置、厨房班」とも記されている。
「偽名と偽の誕生日、偽の出身地くらいは暗記しておけよ」
ジョゼットはそう言って、二冊とも偽装ページをアンリの鼻面に押し付けるみたいにした。
「あ、あの、それより。ここの特筆情報には書いてないんですけれど、僕、山の中の育ちだから泳げないんです。水兵なんて本当に務まるでしょうか?」
おどおどと不安な表情で、先輩騎士にすがるような眼差しをアンリは向ける。
「そういう事になった時は、おまえの相方、『青』を呼び出せ。魔法の一角獣がなんとかしてくれる」
きっぱりとジョッゼトが断言した。
「ほ、ほんとですか?」
その問いに揺るぎもしないジョゼットの強い眼の力を見て、アンリは胸に手を当てると『青』と声に出して、おのれの聖獣を呼び出す。
アンリの背後にゆらりと影が立ち上がり、馬の顔と胴体、二つに割れた蹄、ヤギの尾──そして、額から生える螺旋の一本角の一角獣の姿を取った。前回、アンリの見習い騎士入りを祝った宴会の時よりも、手入れ道具をもらったせいかますます全身が青黒く輝いている。
角の青さといったら、王位戴冠継承用の玉座に飾り付けられている色の深いサファイアそのものだ。
「……『青』、僕がもし海で溺れたら、助けてくれる?」
なんとも覇気のない弱々しい声をアンリが上げた。
『そのような腑抜けた弱音を今から吐いてどうする。一角獣位の騎士の役目は、我が毛並みを整えるためのブラッシングと、この角にヤスリをかけることだけではないわっ! ローランド王家のために戦うというのなら、水の中でも炎の中でも自由に動けるようにしてやろう』
相方の方を下に見るように、青光りする一角獣は空気が震えるような声で言った。
「んっ? これなんだ? 何を巻き付けてあるんだ?」
アンリの身体つきを「細い」と言って、ぺたぺた撫でまわしていたジョゼットが、長袖の水兵服の下にある硬いものをさぐりだした。
「そっ、そのっ! それはクリスティーネが貸してくれた、お守りですっ!」
「んーっ、ちょっと見せてみろ」
無理やり左腕の袖を引っぺがすと、ジョゼットは大判ハンカチで包まれたピンクダイアモンドを指先で突いた。
「あー、ダメだな。こんな結び方じゃ……。ちょっとこれ直すぞ」
小物入れ用のベルトポーチから、ジョゼットは点滴チューブに似たゴム管を取り出して、きつめにアンリの上腕部に巻き付け様子を見る。
簡易用の裁縫箱から針と糸を取り出したジョゼットは、お守り袋を器用にゴム管に縫い付けてゆき、それを上下二本の組にすると、左腕の心臓の近くに結び付けた。これならゴム管の締め付けで簡単には落ちない。『水兵は裁縫も編み物も料理もできて一人前』とジョゼットが言っていたが、それはどうやら本当のようだ。
「俺たちのお姫さまがせっかく貸してくださったお守りなんだ。大切にしろよ」
アンリの麦藁色の髪の毛をくしゃくしゃと掻きまわすふうに撫でながら、ジョゼットがいう。
「は、はいっ!」
「そうだ、晩飯! せっかくアンリの初陣なんだから、今夜はがっつり肉喰おうぜ。俺、何とかして調達してくるから!」
急いで隠れ道の地下水路へ降りていこうとするジョゼットを、ガルド・ルルゥが引き止めた。
「買いに行かなくてもいいわよ。もうすぐ『提督』が子牛の肉を持ってきてくれるはずだから」
「いつの間にそういう話になったわけっ?」
「今朝方よ。アンリの初陣だから、『提督』も一緒に晩御飯を──って、連絡用のオオガラスに暗号文持たせて飛ばしたら。一時間くらいで帰ってきたわよ、『子牛の肉を持っていく』って、手紙持って」
「子牛肉っ! そりゃすげー上等品じゃねぇかっ!」
などと、手を叩きそうになりながら喜ぶジョゼットの声に重なって、ちょうどタイミングよく中庭から、「おーい、勝手に入るぞぉ」と『提督』ことジーザスの声が聞こえてくる。防水布にくるんだ大きな荷物を持ち、慣れた様子で竈のある部屋に入ってきた。
担いできた荷物をドサリと丸木のまな板に下ろす。二十キロはあるのではないかと思われる子牛の半身に、アンリが目を丸くした。
「よく検問に引っ掛からずに来れましたね。こんな大量に肉を持っていたら、絶対、少年兵たちが文句をつけるでしょうに」
「いや、検問所は通らず、ボートでシンゲル運河のどん詰まりまで来て、そこからは巡礼門を登ってきた。朝夕の見回り以外はほとんど兵隊の寄ってこない道筋だからな」
ガルド・ルルゥから、ぬるくなって飲みやすくなった香草茶を一杯もらうと、ジーザスは一気に飲み干した。そして話し出す。




