地下室で秘密の話
それから数日後──ジョゼットが「五人の魔女の館」を留守にして、はや五日が経っていた。
アンリの手の中にある懐中時計の針はそろそろ、魔法使いのおばあさんからガラスの靴をもらった灰かぶり姫が、舞踏会の会場から駆け足で逃げ出す頃合を指し示している。
そんな時刻にアンリは底冷えのする地下室の、石床の下から水の流れる音がする薪置き場で、ジョゼットがこの館に帰ってくるのを待ちわびていた。暗い地下室に、小さな携帯陽光灯の明かりをひとつ灯したきり、脇にはあのお菓子がぎっしり詰まった紙袋を携えて。
今朝、ジョゼットが連絡用に使っているオオガラスが「五人の魔女の館」へとやってきて、また金色のしっぽフサフサ猫と一戦交えた。
それでたたき起こされたアンリだったが、オオガラスの伝信管には、今夜は戻ってこられるとのジョゼットの暗号文の手紙が入っていた。
『なにをこんな地下室で、こそこそと隠れるようにして、同じ一角獣の宮廷騎士の位にある者を待たねばならんのだ』
闇の暗さにほとんどその姿を溶け込ませている一角獣の「青」が、機嫌を損ねているふうにつぶやく。
どうしても、ジョゼットに訊きたいことがあるのだ──そしてその話は、クリスティーネには聞かせたくないとアンリは答えた。
「だから、ここで待っているしかないと思って」
そう言うアンリの目の前にあるのは、例の地下水路とつながっている抜け穴だ。今は、たびたび水路を利用しなければならないジョゼットのため、葺かれていた床石ではなく、かわりに開け閉めしやすい木の板が乗せられている。
『しかし、なんだそれは。大量の菓子など持ち込んで、兵糧のつもりか?』
「違うよ。これは、ジョゼさんに渡すために持ってきた」
この前、半分齧ったチョコレートバーの味を舌の上に思い出しながら、アンリは沈痛な想いを心に抱えたまま語り続ける。
「……洗濯屋の奥さん、本当は僕にくれたんじゃないと思ったから」
『何故に』
「たぶん僕が、その昔、あの人が使っていたのと同じ屋根裏部屋に引っ越してきたというだけの理由で。僕とジョセさんのこと、重ね合わせて見ていたんじゃないかなって……」
だってあの部屋は、本来ジョゼットのものだったのだもの。あの女の中ではジョゼットの姿は、家出した頃の、十二歳の悪ガキのままに違いないのだ。きっと──。
だからこんなにもたくさんの、十年分の想いを詰めた菓子袋をアンリの胸に押し付けたのだろう、きっと。
押し付けられたアンリは、それを自分の物にしてしまってよいのか、正直なところ判らない。チョコレートバーひとつですら独り占めすることが罪のように思えて、あの時は逃れるみたいに半分をクリスティーネの手に渡した。
「もしかしたらジョゼさん、今夜はもう帰ってこないのかもしれないな……」
蛍光石の光に浮かび上がる懐中時計の文字盤を眺めながら、アンリが待ち人の帰宅を諦めかけた時だ。連続して水を跳ね上げる音が、地下水路の奥から響いてくる。
「あ、帰ってきたかも」
『うむ、「白」が影として付いている。ジョゼット殿に間違いない』
「ごめん。『青』。しばらく姿を消していてくれないかな? もしかしたらジョゼットさんと深刻な話になるかもしれないから」
「承知した。では、我は闇の中に居よう」
『青』の漆黒の馬体が、地下室の闇の中に溶けるように消えてゆく。
ほどなくして、石床に置かれた木の板が下から持ち上げられ、アンリの姿に驚くジョゼットの顔が、小さな陽光灯の明かりに照らされ浮かぶ。
「あれ? びっくりしたーっ、なんでこんなとこに座り込んでるんだよ?」
本気で驚いているジョゼットの声が石造りの薪部屋に響く。
「いえ、あの。ジョゼさんのことを待っていたんです」
「なにもこんな地下の薪置き場じゃなくて、上の階の暖かい部屋で待っていればよかったのに」
と、今夜も濡れ鼠な姿になって穴の中から這い上がり、帰宅したジョゼットは言う。
「ちょっと待っててくれよな。今、服を乾かすから」
そう言うとジョゼットは、腰に下げた帆布製の物入から、琥珀色した石を二つ取り出す。それをカチカチとジョゼットは打ち鳴らした。
『サラマンデルよ、励め。シルフィードよ、勤しめ。ウンディーネの水気を避けて、この場に真夏の南国の、昼下がりより暑い風を』
ジョゼットが呪文らしき言葉を詠唱すると、小さな竜巻のような風の渦がジョゼットの身体を包み込んだ。つむじ風はたちまちのうちに濡れ鼠だったジョゼットの衣服を乾燥させてしまう。
うわー、本物の魔法だぁ──と、アンリは目を丸くしてその様子を眺めていた。
「それで、こんな遅くまで待っていてくれるなんて、何の用だ? あ、この前注文された拳銃のこととか?」」
「えーと、その……。まずはこれ、この前預かった洗濯代のおつりを……」
とりあえず現実的な金銭のやり取りの方を先に済ませてしまおうと、アンリはつり銭の次に、甘い菓子類がぎっしり詰められた紙袋を差し出した。
まじまじと袋の中身を見つめて、ジョゼットが驚きの声をあげる。
「うっわー。なに、この袋の中の菓子? チョコレートやタフィーなんて、いまどきこの街じゃ貴重品扱いだろ?」
なにしろ砂糖だって配給制だ。今年もそろそろ苺が出回る季節だが、アウステンダムでは、それをジャムにするための量の砂糖は、闇市でしか手に入らない状態なのだから。
「ジョゼさんのお母さんからいただきました」
「なんでまた、俺のおふくろから?」
問われるまでもなく、アンリは先日の出来事を簡潔に語った。特に、自分がこの館の屋根裏部屋に越してきたと聞いたジョゼットの両親が、驚愕の面持ちで自分のことを見つめていたとのことを。
「たぶんジョゼさんのご両親は、毎日、ここの屋根裏部屋に明かりが灯っているかどうか、見てらしたと思うんです。ジョゼさんがこの街に帰ってくるなら、きっとあの部屋へ戻ってくると、そう信じているに違いないんです」
自分でも思いがけないほど力の篭った口調でアンリは熱弁を奮って、そして紙袋をジョゼットの胸へと押し付けるように渡した。
しばらくの間、ジョゼットは両腕でその袋を抱え、頼りない簡易灯が照らすとりどりの菓子の包み紙を眺めていた。
だが──。
「俺はいいよ。これはアンリがもらっときな」
「でも……」
「もらっとけもらっとけ。大体、この年齢にもなると、こんなにたくさん甘いもんをもらっても始末に困る」
煙草が吸えるようになると、チョコレートより酒の方が嬉しい舌になっちまうからな──そう、わざと軽口を叩く口調でジョゼットは言って、袋をアンリの腕に押し戻した。大半の男性の場合、大人になると声変わりするにつれて味覚も変わるものらしい。
「さ、地上階へ上がろう。ルルゥが待ちくたびれてるぜ、きっと」
うながすジョゼットの上着の引っ掴み、アンリは相手を強引に引き止めた。
「あのっ、待ってください。実はその、ジョゼさんの家庭の事情について、折り入って尋たいことがあって……」
アンリは返事を待たず、単刀直入に切り込んだ。
「ジョゼさんのお父さんは、どうしてルブランス軍人に与えられる黄金獅子勲章を持っていらっしゃるんですか?」
「……あれを見たのか?」
こんな暗がりでも分かるほど、あきらかにジョゼットの表情が堅くなる。
「はい。金箔で飾り立てられた賞状みたいなのが、宝石の付いたメダルと一緒に洗濯屋の店頭に飾られてるのを見ました」
「ああ……。アレ、厄除けのお札代わりに飾ってあるらしいんだよな、ルブランス軍にこの街が占領されてから、こっち」
俺がガキだった頃、アレは物置の中にガラクタと一緒に突っ込まれていたんだぞ──と、薪の束の上に腰を降ろすとジョゼットは、懐から取り出した防水紙の小さな包みを開いた。その中の紙巻煙草に黄燐マッチで火をつける。
「これから話すことは、俺が直接うちの親父から聞いた話しじゃないんだ。親父は、自分の過去を話したら女魔法使いに祟られる宿命なもんで」




