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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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ジョゼの昔話

 自分自身が上げた悲鳴のおかげで目が覚めてからも、しばらくの間、アンリはベッドから動くことができなかった。

 心臓が、驚くほど早鐘を打っている。髪の毛は、寝汗でぐっしょりと濡れていた。


(ま、まさか、今見たのが正夢だったら……)


 そんなはずはないと、大きく頭を振りながらアンリは半身を起こし、眼鏡を掛けた。サイドテーブルの上の懐中時計を見ると、まだ午前五時になったばかりだ。

 けれど、こんな早朝にもかかわらず、屋根裏部屋のドアを盛大に連打する音が聞こえてきた。

一瞬、夢の続きで秘密警察か公安でも踏み込んできたのかと、アンリはびくりと身構える。


「おーい、アンリぃ! 朝早くから悪いけど、勝手に邪魔するぞーっ!」


 ジョゼットだ。その遠慮のない声を聞いた途端、逆に人心地ついて、アンリは妙な安心感に包まれた。

 内側の鍵は部屋の扉に付いていないので、本当にアンリの了承なく、一方的にジョゼットが部屋に入り込んでくる。そして、屋根裏部屋の中をぐるりと見渡した。


「うーん。聞いてはいたけど、ルシアのポスターとか全部剥がしちまったんだなぁ」


 片手に生成り色の帆布の袋を下げた男は、おのれの古巣の変わりように、ひとしきり感心している。


「すみません。僕が下宿することになって、この部屋、かなり模様替えしたみたいで……」


「ああ、張ってあったルシアのポスターとか、公演記念のパンフレットとか、大切なものは全部隠し部屋にしまってあるってよ。屋根裏部屋に置いていくよりは、その方が日焼けの心配とかなさそうだって言われた」


 確かにこんな良く陽が差し込む天井裏の小部屋では、彩色されたポスターなんてすぐに黄ばんでしまうだろう。


「それに、一番大切なルシアが『歌姫』の称号をもらった時に、一緒に撮った彩色写真はここにあるしね」


 にやり……と、笑いながらジョゼットが胸元に手のひらを当てる。そして上着の内ポケットから、革製の写真入れを取り出した。


「見る? 見てみる?」


 ニヤニヤと、悪ガキのような笑いを満面に浮かべジョゼットが、アンリのことを誘う。


「そ、それじゃあ、ちょっとだけ拝見させていただきます……」


 遠慮がちにアンリは、ジョゼットの手元を覗き込んだ。そこには淡い薔薇色のドレスを着た、長い銀髪の天使と見まがうほどの美少女と。身長は現在とほぼ変わらないが、無精髭もなければ癖のある黒髪も整髪料で撫でつけ、海軍の礼服を着た、今より少し若いジョゼットの姿が写っている。


「わぁあああー。ルシアさん、綺麗ですねーっ!」


「だろっ、だろっ!」


 まるで自分自身のことを褒められたみたいに、ジョゼットが鼻高々と自慢する。

 しかし、百八十センチを楽に越す身長のジョゼットに入ってこられると、本当に部屋が狭苦しく見える。斜めに傾いた北側の、低い側の天井なんて、腰を曲げなければジョゼットが頭を打つくらいだ。


「それで、こんな早くからなんのご用ですか。ジョゼットさん」


 まさか記念写真を見せびらかすだけに来たわけではないだろう。夜着の上に、慌ててカーディガンだけ纏うと、アンリはベッドの端にちょこんと腰掛ける。


「ジョゼって呼んでくれって、夕べの宴会の席でも言っただろが。大体、ジョゼットっていうのは女の名前だぜ」


「あ、ああ……。言われてみれば、そうですよね。『ジョゼット』って、確かに女の子の名前だ。どうしてそんな名前なんですか?」


「一応、『ジョゼット』ってゆーのは通称なんだよ」


 勉強机の前から椅子を部屋の真ん中に引きずり出し、そこに腰を下ろすと、黒髪の偉丈夫は天井の方へ視線を向け、むっつりと唇を尖らせ語りだした。


「『へその緒の名前』っていう、古いまじないなんだとさ。産婆のばあさんとかが、取り上げた赤ん坊に、洗礼式の間まで使うよう付ける仮の名前なんだ」


 洗礼を受けていない、産まれたての赤子ほど霊的に弱い者はいない。悪魔や魔物には格好の獲物にされる。だから幼子を護るため、そやつらに本当の名前を知られないよう、偽の名前を付けておくという、今ではほとんど行われていない中世以前からの古い習慣だ。

 特に家の跡取りの長男の場合、わざと女の子の名前をまじないとして付ける場合が多いそうである。


「ただ俺の場合、教会と役所に届けてある名前が『クラース・ヤン・クラーセン』ってさー。クラースもヤンもクラーセンも、この国には掃いて捨てるほど居る名前なの」


 低い天井を仰ぎながら、憮然とジョゼットは続ける。

 聖クラース信仰の強いローランドでは、国民の八割を占める新教会系の家の長男は、ほとんど「クラース」である。洗礼名の「ヤン」はハドニア語で「ジョン」、ルブランス語で「ジャン」、やはり一般的に長男に多い名前だ。


「……そういえば、うちのお兄ちゃんの名前も『ジャン』です」


 考えてみると、うちの家の命名方法にも捻りがないなと思いながら、『アンリ』なんていう、実に次男・三男向けの名前を付けられた少年は、つられるふうに苦虫を噛み潰したみたいな顔をした。


「でもって『クラーセン』ってのは、『クラースの息子』って意味だから──」


つまり『長男の長男の長男の息子』──それではあまりにもありふれすぎているし、同姓同名が多すぎる、と。


「それで普段から、『へその緒の名前』のジョゼットの方で呼ばれることになったわけ」


だが、さすがにこの年齢になると、女名前で呼ばれるのには抵抗があるわけだ。


「というわけで、頼むからジョゼって呼んでくれよな」


「分かりました、ジョゼさん」


「できれば、『さん』付けもいらんのだけどなー」


「いえ、宮廷騎士としての先輩ですから。呼び捨てにはできません」


 子供とはいえ商談客の相手もしなければならない家業だったため、礼儀作法に関してはかなり厳しく躾けられたアンリにとって、その辺り、どうしても譲れぬ一線らしい。


「それで。こんな早朝から、僕にどんな御用ですか?」


「ああ、それなんだがな……」


 一転して、ジョゼットが真面目な顔付きになると、階下からわざわざ持ってきた、帆布製の袋の口を開ける。


「昼過ぎの、食堂が終ってからの暇な時間になってからでいいから、隣横丁の洗濯屋に、こいつ出して来て欲しいんだ」


 そう言ってジョゼットは、床の上にどさりと衣服の詰まった袋を置いた。

 しかし隣横丁といっても、距離的にはほんの目と鼻の先だ。なにしろこの屋根裏部屋の窓から、その洗濯屋の屋上の、物干し場が見下ろせるくらいだから。

 それに、この「白」の一角獣を背負う男の経歴は、確か……。


「あの。ジョゼさんのご実家って、洗濯屋さんのはずでは?」


「そう、実家だよ。俺の実家だから、秘密警察のヤツらに四六時中張られてるんだ。そんな所へ、のこのこ汚れ物出しにいけるわけないだろ」


 しかも親父から勘当されてる身の上だから、帰れねぇんだよ──と、ジョゼットは本音を吐くように呻いた。


「勘当って、その……。なにが原因なんですか?」


 父親になど、ほとんど逆らったことのない──というか、持って生まれた性格的に「素直ないい子」なアンリは、父親と口喧嘩したことすらない。勝手に染色工場の化学薬品を持ち出し、興味本位の遊び感覚で危険な実験をして、しこたま叱られた経験なら何度かあるが。


「なんつーか、うちの場合はちょっと事情が複雑でな……」


 部屋に灰皿が無いので、煙草を一服できないのが不満そうな顔のジョゼットが、おのれの家庭の事情を話し出す。


「十一年前──俺の上に、良き魔女イーディスの雷が落ちて、将来的に一角獣位の宮廷騎士になることが決まった時のことなんだが。陛下や政府のお偉いさんが集まって、当分の俺の処遇をどうするか、話し合いが持たれたわけだ」


 その頃ジョゼットは旧市街地の公立小学校に通っており、「町内一の悪ガキ」呼ばわりされている割にはそこそこ成績も良く、小学校を卒業したら、洗濯屋組合の職人の資格を取得するため、組合仲間の店に修行に出るようにと将来を父親に決められていた。


「だから、良き魔女イーディスの雷が自分の上に落ちたと知った時は、心底『やった!』と思ったね。洗濯屋になんてなりたくなかったもん、俺」


 確かに、洗濯屋などという地道な職人稼業には、向いていなさそうな性格の男である。


「大体、下町の平凡な洗濯屋の主人なんて職業じゃ、『歌姫』になった暁のルシアを迎えにいくのに、カッコ悪いじゃん?」


「……えっ? じゃあ、ジョセさんって、その頃からルシアさんが『歌姫』になれると信じていたんですか?」


「あったりめーよ。なにしろ、ルシアが生まれた時からずっと一緒に居たから、俺は誰よりもルシアの歌の才能を信じてた」


「生まれた時から、ずっと一緒?」


「うん……。ルシアのおふくろさん、ものすごい難産だったんだ。あんまり七転八倒して苦しむんで、このすぐ裏の聖ルシア修道院に運び込まれたそうなんだけど──」


 中世以来、貧しい市井の者たちにとって、医療の中心は修道院であった。

 また、お産する妊婦や生まれてくる新生児は、悪魔や魔物に狙われやすいと信じられている。難産も悪魔の呪いによるものと考えられていたため、その魔の手から逃れようと、聖域である修道院内での出産はよくあることだったのだ。


「でも、ルシアを産み落とした直後に、おふくろさん、あの世へ逝っちまってさ」


 それが十二月十三日──聖人暦で、このローランドの守護聖女と崇められている、聖女ルシアの祭日である。その祭日に生まれた庶民の家の長女だったから、もう誰も文句ひとつ言わず、その女の子は『ルシア』と名付けられた。


「で、同じ町内で乳の出の良かった、うちのおふくろが母親代わりということで、しばらくルシアを預かることになったんだ」


 俺は八月生まれだから、四ヶ月ばかり年上なんだよね──と、照れたような笑みをジョゼットは満面に浮かべる。


「それで、話しは元に戻るけど。俺が一角獣の『白』のパートナーになった時、十二歳の見習い騎士なんてのは前例がなくってな。お偉いさん方は頭を抱えたわけ」


 しかし、とにかく下町の洗濯屋にだけはさせてはならない。苦肉の策として政府の高官の一人が、提督として海軍で勤務していた『黒』の一角獣位の騎士、ジーザス・オブライエンに倣い、ジョゼットを海軍士官にしてはどうかと提案したのだ。

 海軍士官学校を卒業し士官の位を得れば、本来の宮廷騎士の役割である、王宮守備の近衛隊に編入させても、なんら不足はないという理屈である。


「そんな訳で、政府のお偉いさん方がうちへ押しかけてきて。とりあえず俺を海軍幼年学校へ入学させて──とかなんとか、両親に対して説明しはじめたんだ」


 その様子をひとめ見ようと、町内中の野次馬が小さな洗濯屋を取り囲んで、大騒ぎだったんだぜ──そう、ジョゼットは当時の模様を語る。


「その時。俺はもう、やる気満々だったもんね。海軍士官っつたら、一般庶民の出身でも、働きようによっちゃ爵位までもらえるような、そんな実力社会だからさ。絶対出世して、ルシアを迎えにゆくって決心したんだ」


 落ち着き払ってそう語るジョゼットの態度に、アンリは心底、二人の間を結びつけている絆の強さに心を打たれる。自分だったら、こんな懸命にたった一人の女性を愛してゆけるのだろうかと、ふと、考え込んでしまうくらいに。


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