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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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明け方の悪夢


7それぞれの過去、それぞれの事情


 上空では、繁殖期に入ったイワヒバリの求愛の歌声が響いている。

 キャスケット帽を被っているのに、それでも思わず眼鏡の上を手で遮ってしまうほど、日差しは眩しかった。シャツ一枚でも汗ばむような気温で、もう春たけなわというより、初夏の陽気である。

真っ青に晴れ渡った北カルティーヌの空には、万年雪を頂いたモントレー山脈の姿が美しい。

 本当に、空と大地が大きく感じられる風景だ。


(そうだ……、ここが僕の故郷……)


 靴底に感じる、ジャリジャリとした小石の感触が、なんだか懐かしい。

 石畳なんて、クロマーニュの町の城門を出た途端、途切れた。ソレイアード村まで、あとは小石だらけの急な上り坂を、延々と登ってゆくだけである。

 道の両側は、イノシシ避けの石壁で囲まれた葡萄畑ばかり。この辺りは標高が高くて、昼夜の温度差が大きなため糖度の高い葡萄が実るので、ワインの産地として有名なのだ。

 クロマーニュの町の学校へ通う時は馬を使っていたから、山道を歩いて家へ帰るだなんていつ以来だろうか──なんて考えながら進んでゆくと、ソレイアード村の一番大きな集落に差し掛かる。

 不思議なことに村人の姿がまったく見えない。だが、兄が結核を患ってからというもの、同じ村で暮らす下級生にすら石を投げつけられたこともあるアンリには、見知った顔とすれ違うことがない方が、かえって気が楽だった。

 やがて葡萄畑は消え、針葉樹林の中へと道は続いてゆく。アンリの家でもあり染物工場でもある「パルデュー染色商会」は、この村外れの森の中に湧く鉱泉のすぐ傍に建っているのである。

 四十年ほど前、染色に適した鉄分の多い鉱泉を探す旅をしていたアンリの祖父・シモンは、ソレイアード村の森の奥で、その理想的な成分の水を湧出する泉を発見した。

 そして、その鉱泉がある森を所有していた没落地主の娘と結婚し、祖父はこの村で小さな染色工場を始めたというわけだ。

 くちさがない村人たちは、どこの馬の骨ともつかぬ流れ者が、大枚をはたいて、地主の跡継ぎ娘付きでこの森を買い取ったと噂しているけれど──。

 実際「パルデュー」の姓は、その借金まみれの没落地主だった祖母方の家のものだし、祖父と祖母の年齢は二十歳以上も離れていたから、意外と真相は村人たちが言う通りなのかもしれないが。

 染色工場を開業してからも、最初のうち、村人たちは「あんな、狼やイノシシですら飲まない毒水の泉を買い取って、なにをするつもりだ」と、余所者の祖父のことを後ろ指さして嘲笑っていたそうだ。

 ところが数年後。カルティーヌ県最大の自由都市サングレアどころか、首都シテ・ドゥアンからの商談客が、遠路はるばる「パルデュー染色商会」に製品注文のため訪れるようになった。  

 以来、村人とパルデュー家の者たちの間には、妬みまじりの奇妙な一線が引かれたままである。

 道の奥に、針葉樹の森を切り開いて造成した平地と、その上に建つ、いくつかの木造の建物が見えてきた。アンリの歩調が次第に早まる。体育は実技全般が苦手だから、たとえ全速力で走ったとしてもたかが知れているけれど。それでも、気持ちは身体のずっと先を進んでいる。


「ただいまっ、お母さん!」


 勢いよく扉を押し開けながら、生まれ育った家の中に飛び込むが──誰も居ない。


「……お母さん? おばあちゃん?」


 居間や食堂や台所、はては商談用の応接室まで確かめたが──やはり、誰も居ない。

 アンリの足は自然に、結核療養中の兄の静養室にと改装された、祖父の書斎へと向いた。そこになら、きっと兄が居てくれるはずだとの望みを持って。


「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!」


 何度もドアを連打するが、返事はない。思い切って扉を開け、兄が日中のほとんどを過ごす窓際の安楽椅子を確かめるが──兄・ジャンの姿はない。

 否応無く、不安が募る。気付くとアンリは、階段を上の階へと駆け上がっていた。


「エクレーヌお姉ちゃんっ! マドレーヌお姉ちゃんっ!」


 自分の部屋の隣、普段は入ることを許してもらえない姉たちの部屋も見て回ったが──そこにも誰も居ない。


「お、お父さんっ、お父さんっ!」


 悲鳴に近い声を上げながら、今度は、母屋の隣の工場へと走った。

この時間ならまず間違いなく、父は工場長として、徒弟たちと一緒に染色工場にいるはずだ。だが、すぐにアンリは奇妙なことに気が付いた──静かすぎる。工場の、機械の作動音がしていないのだ。

 嫌な予感は的中した。いつも五、六人の徒弟たちと共に父が働いているはずの工場内は、妙に広々としていて、猫の子一匹いない状態だった。


( ……どうして?)


 どうして誰も居ないのだ──との疑問と、それ以上に大きな不安がアンリの心を苛む。

 何かがおかしい。家族全員が居ないなんて、絶対に、こんなことあるはずがない。他に、家の者が集まりそうな場所というと──と、アンリは必死になって考える。


「う、馬小屋かな……? 馬のお産で、なにかあったのかも……?」


 そういえば、ちょうど家畜たちにとっては出産期だ。パルデュー家で飼われている荷馬車用の馬は、ペンシュロン種という牝でも体重一トン近くになる重種馬なので、そんな巨大な馬の出産──それも難産ともなれば、家人総出の大事になっても不思議ではない。

 最後の望みの綱を握るような思いで、アンリは工場の建物の裏手へと回った。

 工場の裏手は、染め上げた布を天日干しするための場にされている。物干し台がずらりと並び、その間を洗濯ロープが均等な幅になるよう引かれている。

 その物干し台の高い柱に、アンリは奇妙なモノが吊るされているのを見た──いや、見てしまった。

 まるで魚の干物のように首にロープを巻かれ、柱から吊るされた、変わり果てた父の姿を。


「───っ!」


 悲鳴が、声にすらならない。

 それに、父の隣の柱に吊るされているのは、兄のジャンではないか?

次の列の柱にぶら下がっている、スカート姿の女性三人は母と二人の姉に間違いない。奥の方には、腰の曲がった祖母までが無残な姿を晒している。


(こ、こんなの……、こんなの……っ)


 嘘だ、嘘だ嘘だ……──お願いだから、嘘だと誰か言ってくれっ!


「誰か……」


 助けを呼びに走り出そうとしたが、足がもつれ、アンリはその場に倒れ込んだ。

 極度の混乱のあまり、ままにならない身体を上半身だけ起こし、無意識のうちに叫ぶ。


「誰か、誰か助けてっ!」


 その声に応じるかのごとく、ジャリの上を進む、妙に規則正しい靴音がやってきた。国防色の軍服を纏い、鉄のヘルメットを被った一団が、小銃を手にして現れる。

 同時に、「アンリ・パルデュー。第一級国家反逆の罪により、この場で即座に銃殺刑に処する」との冷徹な声が響く。

 第一級国家反逆罪だなんて、とアンリはますます混乱するが……。

そんな大罪に問われる理由は──あった。

 だって自分は、ルブランス共和国の敵であるローランド亡命政府が、現在も国家元首と仰ぐロザムンド王家のヘルムート一世と、その娘で、唯一の直系後継者クリスティーネ六世の守護者たる、「青」の一角獣を背負う騎士なのだもの。


「構えっ!」


 と、隊長らしき男が右腕を上げる。


「撃てっ!」


 無数の銃声を耳にして、引き攣れた喉から悲鳴がほとばしる。

 だがしかし──皮肉なことにその悲鳴が、アンリを、あまりにリアルな悪夢から、現実世界へと呼び戻した。



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