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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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旧市街一番の悪ガキ

 午後七時──街中のカリヨン塔が、時報の鐘の演奏をはじめた。厳かで美しい鐘の音の旋律は、空からも海からも運河からも、そして大地の底からも、渦巻いてこだまするかのごとく聞こえる。


「さてと、そろそろ行くか……」


 応接室のソファで横になって仮眠を取っていたジョゼットが、勢いよく上半身を起こす。荷物を肩に掛けると、気合を入れるかのごとく、運河船──カナルボート乗りの身分を表すつば付きの黒い帽子を被った。やはり船乗りという職業人は、帽子がないとどうもしっくりこない。

 夕暮れ時とはいえ、外はまだ、すれ違う者の人相が分かるほどだ。しかし、これ以上暗くなると、照明なしの目視での運河航行は難しくなる。ジョゼットは応接室を後にすると、従業員用の通路から、運河に面する娼館の裏口へと向かった。

 本来なら世話になった礼の一言も残していきたいのだが、指名手配者の身の上では、それは逆に迷惑になるだろう。だから、誰の目にも止まらぬよう裏口の扉を開け、すばやく荷物をボートに放り込むと、もやい綱を解く。


「へぇ……。こんな池遊び用みたいなボートに、わざわざ外付けの推進用エンジンを取り付けてあるよ」


 オールを漕がなくてもいいから楽だな──と思いながら、そこまで周到に移動手段を用意してくれた老婦人に、ジョゼットは改めて感謝した。

 機関を始動させ、岸を離れると、ジョゼットは新市街地に網の目のように張り巡らされた運河を、本職の運河船乗りさながら、不安定な船上に立ったまま器用に片足でボートの舵を動かし、船を操る。

 実際のところ、アウステンダム新市街の水路すべてを頭に入れているわけではないから、事前に丸暗記してきたまま、目的地まで、目印となる運河沿いに建つホテルや教会を確認しながらの航行だ。

 途中、ルブランス軍がいくつも運河に関所を作って通行税を巻き上げるのに必死だから、ジョゼットも相手から文句を言われないよう、税金用の小銭を大目に用意しておく。そして、関所に引っ掛かる度、投げるようにして通行税ぴったりの硬貨を投げ渡した。

 運河を行きかう、勤め帰りの者たちを満載した乗り合い船の姿を目にする度に、それを操る運河船乗りに、自分の姿が怪しまれていないかとひやひやし、一方では橋脚の低い、アーチ状の橋底や跳ね 橋の下を潜る時には、慎重に片膝を付いて、頭をぶつけないようやり過ごす。

 船が向かう先は、シンゲル運河のどん詰まりの船着場。そこから旧市街地への入り口である巡礼門までは、目と鼻の先である。


「──『白』。さっきからどうも、妙な感じがしないか?」


 シンゲル運河へと舵を切りながら、自分の影の中に潜むパートナーの存在を確かめるかのごとく、ジョゼットは語りかけた。


『ああ、着けられている』


 冷静沈着な相方は、姿は現さず、声だけでジョゼットの影の中から応じた。


「そーいや、さっき服は取り替えたけれど、靴と荷物はそのまんまだもんなぁ。鼻の利く魔物の猟犬なら、追い掛けてきて当然か」


『というより、水の上に出ても後を着けてくるような、特別製の猟犬相手では、服を取り替えるの程度のめくらましではまったく効かぬと思うが』


 そうこう言っているうちに、運河が途切れ、広々とした船着場として整備された一角へとボートは到着する。ここまで来れば、ジョゼットにとっては子供の頃から慣れ親しんだ場所ばかりだ。


「おっと、係留許可票……許可票っと」


 最近はこれを接岸した船のロープに付けておかないと、すぐに巡回公安から不法係留の罰金刑を喰らう。夕映えも消え、黒いインクを流したように濃くなってゆく空の下、携帯式陽光灯をつけると、その明かりで係留許可票を船底から探し当てる。

 きらりと、陽光灯の光を反射する真鍮製プレートに刻まれた文字を目にして、ジョゼットが一瞬、押し黙った。


『ウィレム・クラーセン。マウリッツ通り、ケイゼルス横丁一番地』


 魔法使い特製の猟犬に尾行されていることも忘れて、接岸用ロープ片手に、まじまじとその文字を凝視してしまう。


「なんで、うちの親父の名義なんだよ、この許可票……」


 冗談きついぜ──と、ジョゼットは重苦しいため息を吐きながら、うつむく。


「そりゃまぁ。うちの親父の名義にしておけば、巡回公安だろうが秘密警察だろうが、軍部のお偉いさんですら、おいそれと手は出せねぇだろうけどさぁ……」


 そう、自分自身に言い聞かせるように独語しながら、船着場の鉄柱に許可票を下げたロープをのろのろと縛りつける──なんとなく『いざ、旧市街地へ!』と急いていた心が、父親の名前を目にした瞬間、萎えてしまった。


『物思いに耽っているのを中断するようですまないが、魔物の気配がする猟犬が近づいてきているぞ』


 ジョゼットが、「白」の忠告に我に帰る。とりあえず今は、運河を利用しても撒けなかった尾行への対応が先だ。


「ところでその猟犬、背後に猟犬使いを連れてはいないか?」


『私の診立てでは、単独追尾のようだ』


 蜘蛛の巣のように複雑な水路を描く、運河の水面をも追ってきた魔犬だ。あまりの能力の高さに、尾行側も使いこなせていないのかもしれない。


「さて、どう料理しようものかね。魔物退治の銀の弾丸も用意してあるけど、派手な銃声は立てたくないな」


 愛用の三十八口径回転弾倉式拳銃は、脇の下のホルダーに納まっている。しかし、巡回公安や秘密警察の連中を、銃声で呼び寄せることだけは避けたい。


『わたしが一戦交えてもいいが、どうする?』


「城壁の中ならともかく、こんな場所で『白』に魔物退治なんぞさせた日にゃ、護国府の魔振動計が目を覚まして、大騒ぎになること間違いなしだ。ここはおとなしく控えていてくれ」


『しかし、そなたが「自在なる剣」で魔犬と対峙しても、結果的には同じようなことになると思うが……』


 ジョゼットが操る神出鬼没の剣も、魔法の一角獣からの賜物だからである。


「俺が旧市街地の生まれ育ちだってこと、忘れてるだろ。あの街には昔なじみの、心強い味方が山ほど居るから大丈夫っ!」


 やっと本来の悪童じみた表情を取り戻したジョゼットは、駆け足で、旧市街地を守る城壁に作られた門のひとつ、巡礼門の前へとたどり着いた。


 

 その昔、船着き場に到着した聖クラース教会への巡礼者がここを通ったため、「巡礼門」と呼ばれる城門の脇には、長い旅路の果てに聖地へとたどり着いた者たちが、渇いた喉を潤した水飲み場がある。

 その水飲み場のすぐ後ろに控える櫓造りの城門には、頭に二本の角、背中に蝙蝠のような翼を付けたドラゴンの、迫力ある姿が旧市街地の門番として彫り込まれている。

 このドラゴンには古くからある言い伝えがあった。真夜中、中世からの魔法がこの街を支配する時刻になるとドラゴンは生身の身体となり、城門の上から降りてきて、脇にある水飲み場で喉を潤すのだと──。

 十数年前──単純明快な好奇心から、「ドラゴンが動いて水を飲んでいる姿を見たい!」と、目を輝かせ毎日のように城門の上を見張る、ひとりの幼い少年が居た。

しかし、ドラゴンが動き出すという真夜中まで、自分のような子供が起きていることはまず無理だ。  そこで少年はひとつの策を講じた。


「あんな小さな子供が登るのは無理だろう」と思われていた城門を、彫り付けられた装飾彫刻を足掛かりにてっぺんにまで登り詰めると、あろうことか、ドラゴンの背中の上に火を付けた爆竹を大量にばらまいたのである。

 さすがにこの行為には、お昼寝中のドラゴンも逆上した。魔力が半減する真っ昼間だというのに、石から生身の姿へと変化するなり、前足の鋭い鉤爪で悪戯の主を引っつかんだ。

次の瞬間、『なにさらすんじゃあーっ、このガキぃ!』との怒号が、辺りに響き渡ったのはいうまでもない。

 その後はもう、てんやわんやの大騒ぎになった。結局、悪戯の主はたった五歳だというのに、聖クラース教会の大司教さま直々の説教を延々と聞かせられ、「二度とこのような悪戯はしません」との書き取りを、千回、繰り返させられた。


「ま、そんなわけで、その時から俺ってば『町一番の悪ガキ』っつー、栄誉を与えられたわけよ」


『自慢するようなことではないと思うが……』


 しかも、以前にも何度か聞かされた話しだぞ──と言いながら『白』は、幼い頃のパートナーの素行不良ぶりを想像し、小さなため息を吐いた。

 巡礼門の、二本の角を頭から生やしたドラゴンの彫像は、夜の闇の中、その恐ろしげな姿にますます不敵な雰囲気を漂わせ、鎮座している。

その姿を確かめるとジョゼットは、助走で勢いをつけ、あちこちに突き出した装飾彫刻の出っ張りを足掛かりにして、あっという間に城門の櫓部分にまで登りつめてしまう。


「ドラゴンさん、ドラゴンさん。真夜中にはまだちょっと早いけど、目ぇ覚ましてもらえないかな?」


『……なにしに来やがった、この悪ガキ』


 建造されてから五百年もの歳月を経た巡礼門の守護者にとっては、相手が五歳だろうが二十三歳だろうが、悪ガキは悪ガキである。


「そんな冷たいこと、言わないで欲しいなぁ。俺がこの旧市街で生まれた時からの、長い付き合いだろう?」


 にやりとジョゼットが笑い掛けると、徐々に石の身体から生身へと変化しつつあるドラゴンが、口角の端を上げ、真珠色の牙を覗かせる。


『貴様ぁー、この背中に今も焼け付いている焦げ跡の原因を、忘れたとは言わさんぞ!』


 ドラゴンは低く吼えてみせたが、不運なことに、相手はその程度の脅しに屈する軟弱者ではなかった。しらっと、ジョゼットは切り返す。


「うん、やったことは忘れてない。だけど、王家の一角獣を背負っている今は、俺のほうが格上のはず」


『……うっ、たたた確かに。そ、そ、そうなるが』


 思わず、二股に分かれた長い舌をもつれさせるほど、ドラゴンは動揺した。

 この世界にも階級制度というのは存在するのだ。城壁の門番といえば、この旧市街地内に点在する守護者の中では、かなり上位に格付けされるが。それでもどう逆立ちしようとも、王家の守護精霊である一角獣には敵わない。


「というわけで、お願い聞いてもらえないかなぁ。退治してもらいたい魔物が、もうすぐこの城門の前を、うろつくはずなんだけどさ」


『ふんっ。王家の一角獣を背負う者として、退治する義務は貴様にあるのでは?』


 今や完全に生身と化し、緑青色の鱗をぬめらせるドラゴンが、年長者の意地をもって抵抗を試みる。


「えーと。現在、非常に混み入った人間側の事情により、俺は今、この街に居ないってことになってるのよ。だからまぁ、お願いを聞いてもらえない場合は、恫喝というか脅迫というか──」


 意地の悪い笑みが、ジョゼットの口元を彩った。荷物の中から取り出した、船乗りなら遭難した際絶対必要で、一本や二本常備していて当たり前の発炎筒なぞ、ドラゴンの目の前にちらつかせてみせる。

 いやそれは、発煙筒に見せかけた爆雷筒だった。硫黄と木炭の混じった黒色火薬の臭いがプンプン漂う。


「その気になってくれないなら、久々に背中に火ぃ付けてみようかー?」


 あんな思いは二度と御免だ──この悪ガキの言いなりになるのも癪だが、ドラゴンは心中の怒りを抑え、この城門を魔物から護ることがおのれの使命であると、自分に言い聞かせる。


『こンガキゃーっ、憶えていやがれーっ!』


 コウモリのものに似た翼を広げ、緑青色のドラゴンは、捨て台詞を残して城門から飛び出した。

 一方、すっかり暗闇の中に静まる船着場の水面には、連続した波紋が点々と広がる。姿を消した魔物が唯一残す痕跡──水面の上の足跡だ。

 魔法使い特製の猟犬は、本当にジョゼットの操るボートを追い、水の上をその足で駆けてきたのだ。石畳の上に四本の脚先が揃った途端、相手はそのグレイハウンドに似た、優雅ささえ感じさせる曲線を描く生身をあらわにした。

 その姿形と大きさを見て、思わずドラゴンは舌なめずりする。


『これはこれは……。晩飯にするのに、なんと手頃な大きさ』


 瞬間、肉を喰らう怪物の本能を剥き出しにしたドラゴンは、両眼をぎらつかせ、どさりと魔犬の背中に、鉤爪を打ち込むがごとく降り立った。

 しかし魔犬は咄嗟に反転した勢いで、ドラゴンの首にがっちりと二本の犬歯を打ち込むと、そのまま相手の上半身を巻き込み、もんどり打つようにして地上に倒す。緑青色のドラゴンの尾と、灰色の猟犬の長い手足が絡み合う。

 だがこの勝負、どう見ても体格で勝るドラゴンに有利だった。

蛇が捕らえた獲物にするように、ドラゴンは頭を咥え込んだ魔犬に対し、長い胴体を一気に巻きつけ全身を締め付ける。すると、獲物の肋骨がベキベキと悲鳴を上げはじめた。さらには快速を誇る猟犬特有の、すらりとした長い手足の骨をも、細かく砕くかのように折ってゆく。

 全身の骨を圧迫骨折させられ、口から血を吐きぐったりとなった魔犬を、ドラゴンは顎の間接を外すと、頭からゆっくりと丸呑みにした。


『……うーむ、なかなかの美味』


 口からあふれ出した血の味を、じっくりと二股に分かれた舌であじわいながら、腹を満たしたドラゴンが満足そうにつぶやく。魔物の味の良さは、その身に持つ魔力の強さに比例する。つまり、それだけこの猟犬の形をした魔獣は強力だったというわけだ。


『どうだ、見事に退治してやったぞ』


 と、自慢げに城門の上へと視線を向けると、すでにジョゼットの姿はない。格闘の間に、さっさと門を潜って旧市街地内へと逃げ込んだようだ。


『あンのガキゃーっ! 礼のひとことくらい、残していかんかーいっ!』


 無人の巡礼門前。まんまと利用されたドラゴンの、叫びが虚しく響き渡った──。



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