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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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『提督』ジーザス・オブライエンの場合。


 正午から店開きするフリーヘン横丁の配給食堂の店頭に、アンリが立ち始めて、はや十日ばかり経っていた。

 最近では、杖をついてでしか移動できないお年寄りを手伝って、その食事を乗せたトレーをテーブルに運んだり、返却された食器の後片付けをするのがアンリの役割になっている。

 たった二~三時間ほどだが、まだ慣れない仕事をどうにかこなすのに必死なアンリは、その人が「五人の魔女の館」へとやって来ていたことに、まったく気付かなかった。

 もっとも、食堂が大賑わいしているその混雑を避けるため、荷車が、館の裏口からこっそりと中庭の井戸際へと入ってきたためもあるだろう。

 荷車の主人は食堂の営業を邪魔しないようにと、薪割り用の切り株に腰を下ろし、持参した弁当を飼い犬と分け合いながら腹を満たすと、無言でマドロスパイプをふかしていた。        

 脇では、荷車から解放されたエドマンドが、のっそりと中庭の石畳の上に寝そべっている。

 だからアンリが、クリスティーネに「風車小屋のおじいさん」と呼ばれていた隻眼の老人の姿を見つけたのは、遅い昼食が終わった後。井戸端に置かれたブリキのバケツを取ってきて欲しいと、ガルド・ルルゥから頼まれた時だった。

 狭い中庭に出た途端、アンリはぎくりと、蛇に睨まれた蛙のように全身を硬直させる。

 前に会った時に感じたのと「気配」がまったく別物だ。いや違う、アンリ自身がその老人の影の中に潜むものの「気配」を感じられるようになってしまったのだ、聖なる一角獣を背後に背負い込んだために。


「どうやら、おまえさんが『青』の新しいパートナーのようだな」


 と言って、隻眼の老人はゆっくりと切り株から立ち上がる。まるで頭のてっぺんから足の爪先まで、なにもかも見逃さぬようにと観察されているふうな視線を、アンリは感じた。


「まぁ、俺は海賊上がりの無作法者でな。こんな時、どう挨拶を交わせばいいのかもわからんのだが──」


 宮廷騎士としての作法を知らないのはアンリもなのだが。あまりに再会が突然すぎて、一言も言葉を返すことができない。


「『黒』っ!」


 その呼び声に応じ、つややかな黒鹿毛の一角獣が、老人の背後を守るかのごとく現れる。『黒』と呼ばれているわりには、完全に漆黒というわけではなく、磨き込まれた黒檀のように、深い茶色を感じさせる黒鹿毛という毛色だ。


「そういうわけで『黒』の一角獣位の宮廷騎士、ジーザス・オブライエンだ。今後、ロザムンド王家を守りゆく立場を同じくする者として、よろしく頼む」


 よろしく頼むと言われても、老騎士が全身から発する近寄りがたい威厳といい風格といい、完全にアンリの貫禄負けである。どう返答すればいいのかも分からない。


「ええと……、その……。あ、『青』っ!」


 こうなったらもう、苦しい時の相方頼みだ。とにかく、自分の影の中に潜んでいるであろう、一角獣を呼び出す。


『呼び出しに応じ、只今この「青」参上仕った』


 と、アンリのパートナーが気品に満ちた立ち姿で現れる。太陽の光を浴び、青黒く輝く勇壮な体躯は、思わず見とれるほど凛々しい──のだが。


『ったく。相変わらず、てめぇはお高く止まっていやがるな』


 けっ──と、『黒』が短く文句を吐き捨てる。


『貴様こそ、ロザムンド王家の守護精霊としての自覚に欠けた、その言動をどうにかしろ』


 むっとした口調で『青』が返した。どうやら同じ王家の守護者同士と言っても、かなり性格の違いがあるらしい。二頭の一角獣は興奮ぎみに首を曲げ、険悪な雰囲気で真正面から睨みあう。

 そこへ、話し声が聞こえたのか、ひょいと中庭へガルド・ルルゥが顔を出した。


「あら、提督。もういらしてたの?」


 との、おっとりとした一言で、その場の刺々しい雰囲気が一気になごむ。


「おいおい。どこで秘密警察の犬がうろついているか分からん街中で、『提督』はマズイだろう」


『提督』とはジーザスの暗号名だ。レジスタンス活動に係わっている連中で、直接ジーザスを知る者は、尊敬を込めて、普段も彼を海軍に居た頃のこの階級名で呼んでいる。


「じゃあ、『オヤジさん』?」


 ほんの少し意地悪するような笑みを浮かべて、ガルド・ルルゥが尋ねる。


 レジスタンスの同志のうち、海軍出身者の中でも、特にジョゼットと親しい一部の者は、ジーザスに対する敬愛も含めて彼のことを『オヤジ』だとか『オヤジさん』と呼ぶ。というか、最初にジーザスを『オヤジ』と気安く呼び始めたのが、当のジョゼットなのだが……。


「そう呼ばれるのもなんだか癪なんだが、街中ではまぁ、それで仕方ないか」


 ジーザスも最初のうちこそ「誰がおまえの父親だ!」と、ジョゼットから『オヤジ』と呼ばれるのに反発していたが、近頃ではもう諦め気味だ。


「で、あの悪ガキは?」


「こんなお天道様が高い時刻から帰ってきているはず、ないでしょう。晩御飯に間に合うようここへたどり着ければ、上々なんじゃないかしら」


「ならば、今夜の晩飯は景気よく大盤振る舞いしてやってくれ」


 材料ならたんまりと用意してきたぞ──と、ジーザスが荷車の中の食材を披露する。それを見て、ガルド・ルルゥは素直に感嘆の声を上げた。


「あら、すごい。これなら、夏至祭りと救世主の聖誕祭が一緒に来たようなご馳走が作れるわ」



 夕刻というにはまだ明るすぎる旧市街地の空に、午後五時半の鐘が鳴り響く。

 今日は、定時きっかりに職場を後にしたてきたマクシミリアンが、最寄りの乗り合い軌道車の停留所から、両手に重そうな荷物を下げて「五人の魔女の館」に帰ってきた。


「ただいま戻りましたーっ!」


 ドアノブを握るため、右手側の麻袋を石畳の上に降ろしたのを、もう一度手にするマクシミリアンを見て、アンリが玄関に駆け寄る。


「あの、手伝いましょうか?」


「ああ、割れ物だから気をつけて。一応新聞紙で包んできたけれど、その袋の中身、全部酒瓶だから」


 と注意され、一回り小さい方の麻袋を手渡されたが、びっくりするほど重い。新聞紙に包まれていても分かるほっそりとした形状と、針金で縛られた大きな頭のコルクは、発泡酒独特のものだ。きっと城壁の検問所でたっぷりと税金を支払わされてきたのだろう。


「これ、みんな発泡ワインですか?」


「外側はね。でも中身はシャトーの名前を言ったら、仰天するほどの超有名な高級シャンパンさ」


 そう言ってマクシミリアンは、新聞紙を剥きながら、八本のボトルを次々と食堂のテーブルの上に並べてゆく。


「これは全部、港の税関で輸出時に摘発された『等級落とし』の違法品だよ。ほらここ、ラベルや封蝋を替えた跡が残っているだろう?」


「あ、ほんとだ。これ、元のラベルかな? 金色の紙を剥がしきれなかった跡がありますね」


「つまり、輸出する際の関税を低く抑えようとして、高級酒をわざと大衆向けの発泡ワインに偽装したわけだよ。有名なシャトーのシャンパンと大衆用の発泡ワインじゃ、税率がまるで違うからね」


 それが発見され、押収されたのを、こうやってこっそりと持ち帰ってきたのだ。税関職員ならではの職権乱用である。


「おぅ、マクシィ。久しぶりだな」


「提督!」


 店の奥から姿を現したジーザスに対し、マクシミリアンは条件反射的に食堂のベンチ椅子から立ち上がると、ぴしりと儀仗兵のように背筋を伸ばす。そしてシャンパン瓶とは別の形のボトルを、一礼しながらジーザスの方へ押し遣った。


「今夜は、提督用にもウィストール産ウィスキーを三本確保しておきましたから。満足ゆくまで堪能してください」


 と、ジーザスに対しては言葉遣いまで、がらりと変わってしまうあたり、やはりマクシミリアンも海軍関係者だ。


「おっ、『ウォーエンブレム』じゃねぇか。何年物だ?」


 瓶に巻かれた新聞紙を剥ぎ取りながら、生まれ故郷の名酒を手に出来るのがよほどうれしいのか、ジーザスの隻眼に笑いが浮かぶ。


「このご時勢に、よく手に入れてきたな。『ウォーエンブレム』なんて敵国の酒だから、もう正規じゃ輸入してないだろう?」


「いいえ、逆に正規外輸入品だから、税関法違反ってことで摘発・押収できるんです。港湾税関の保管用倉庫に行けば、ハドニアやドルンベルガー産の酒は、グロス単位で箱積みされていますよ。そのうち軍部が接収に来るだろうけど、その前に『押収品の一部を誤って破損』って報告書を書いて、上へ回しておけばいいだけの話しです」


 そう、不正のやり口をマクシミリアンが説明するのが、アンリには少なからずショックだった。


「……マクシミリアンさんは生真面目な事務方の人だと信じていたのに。そんな実直そうな顔をして、なんて悪辣なことを」


「いや。僕みたいな書類書きの内勤なんて、おとなしいもんだよ。実際に貨物船舶に出入りする外回りの職員なんて、輸出入の手続きする度、堂々と賄賂を要求してるもの」


 下級地方公務員の給料なんぞそれこそ薄給だから、特別商業区の飲食店に押収した酒を横流しして稼いでいる上司もいるとの話しだ。


「まぁ、最初のうちは抵抗もあるけれど、いつの間にか慣れてしまうんだ。それが大人の世界というものなんだよ」


 みんなそうやって薄汚れてゆくものなのさ──と、悟りきった表情で、両腕を組んだマクシミリアンは諦め顔して、深々とうなずいた。

 


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