王様の一番の家来
「けれど、占領軍の連中も仰天したでしょうねぇ。何重にも厳重に封印してある宝物用金庫の扉を破って、ロザムンド王家の守護聖獣が飛び出していったんだから」
今日あたり、護国府付きの衛兵の幾人かの首は切り落とされ、血の池が石畳の上に生まれるに違いない──と、物騒なことをジョゼットが口にする。
「しかし、『青』が目覚めたということは、クリスティーネの身の上に大事があったことになるはずだが……」
寝台の上で腕組みするヘルムートが、さすがに一人娘を心配する父親の顔つきになった。
「野茨の君ならご無事です。ちゃんと『青』がお助けしたそうですから」
クリスティーネのことを暗号名で呼びながら、ジョゼットは、安心するよう国王に伝えた。
海を隔てていても、聖人と同じ地位に叙せられた伝説の魔女の手で創られた一角獣同士は、思念で会話することができるのだ。もっとも五百カイリも離れていては、よほど強く思念を飛ばさねば意思の疎通は難しいが。
「それで、良き魔女イーディスが新たに選んだ一角獣位の騎士というのは、どのような人物なのだ?」
「それが、あまりはっきりしないんですよ。やっぱり海を越えて思念を飛ばすのは、こいつら一角獣同士でも長時間は無理なようで」
いくら伝説の魔女の手で創られた聖獣といっても、限界はある。いつでも奇跡を起こせる万能の至高神とは違う。
「ただ、『青』は非常に困惑しているようです。あまりにも頼りなさそうな相方だといって」
「そうか? 私は、おまえの上に良き魔女イーディスの雷が落ちた時も、どうしてこんな子供が選ばれたのかと、唖然とせざるをえなかったがな……」
ヘルムートが眼を細め、十一年前の出来事を思い出す。
最初は、ほんの些細な悪戯心だったのだ。十一年前のあの時、ヘルムートは聖クラース教会の大司教から懇願され、特例で受験を許可した十二歳の少女が、王立音楽院の奨学生試験に史上最年少で無事合格したとの一報を受けた。
そのため「それでは祝いの言葉のひとつも掛けてやらねばならないだろう」と思い立った。
偶然にもその日、行政視察の関係で音楽院のあるゴッセンに滞在していたヘルムートは、数人の気心の知れた従者だけしたがえ、秘密裏に外出したのである。
合否を確かめに来た受験生しかいないだろうと高を括っていたヘルムートの予想に反して、発表会場には大勢の新聞記者が詰め掛けていた。
受験資格が十五歳以上と定められていた王立音楽院の奨学生試験に、国王自身のお声掛かりで、貧しい孤児院出身の十二歳の少女が特別に受験を許され、しかも最優秀の成績で合格したというので。 これは良い記事になる──と、新聞記者たちは色めき立っていたのだ。
そこへ国王本人が、ふらりとお忍びで現れたものだから、これはもう飢えた狼の群れに子羊を投げ込んだようなものである。
早速ヘルムートは粗末な身なりの少女と並ばされ、写真機の白熱球の光を何十度となくあびせられ、どうして十二歳の女の子に受験資格を与えたのかと、記者たちから質問攻めに遭っていた。
その真っ最中の出来事だった。
『王様!』
いかにも下町の育ちといった服装の、褐色の瞳に黒い癖っ毛の少年が、記者たちの間を掻き分けるようにして前へと進み出てくると、自分の足元に駆け寄り、両膝を付いて平伏した。
『ありがとうございます、王様! ルシアを奨学生試験に合格させてくれたから、手紙に書いた約束のとおり、俺は王様の一番の家来になります!』
そういえば、つたない活字体で綴られた手紙にそんな一文が書かれていたのを、ちらと目に止めた記憶があるな──と、自分宛に届いた封書や書簡はどんなものであれ、すべて一度は目を通す習慣を持つヘルムートが思い出したその時だった。
突然、上空に七色に輝く雲が現れたかと思うと、轟音とともにまばゆい雷光が地上に向けて放たれたのだ。
『良き魔女イーディスの雷が落ちた!』
誰が最初にそう言ったかは定かではないが、純白の光り輝く体毛を誇る一角獣が少年に寄り添うように立っている姿をみれば、その言葉を疑う者は一人もいなくなった。
瞬間、ヘルムートは苦悩の淵に突き落とされた。
母から聞いた事のある「一角獣位の宮廷騎士」とは、すでに成人で、武術に長け、命知らずの勇猛果敢な海賊であった。
「なのに自分に与えられた騎士は、どう見ても小学校を出たか出ないかくらいの子供だった。あの時、私は正直、頭痛を感じたよ」
「そりゃまぁ、今考えてみれば、しごく当然でしょうねぇ……」
今さらおのれの過去をこうやって語られるのは、なんだか気恥ずかしいものだ。もうこれは笑って誤魔化すしかないという表情で、ジョゼットが相槌を打つ。
「しかし、良き魔女イーディスの目に間違いはなかったな。よくぞここまで育ってくれたものだ」
今や、精鋭揃いの海兵隊特課でも「斬り込み隊長」の異名を馳せる若者の姿を、感慨深く見遣ると、寝台の上のヘルムートはつぶやいた。
持って生まれた資質もあったのだろうが、なによりジョゼットには、あの少女が──いつか立派な宮廷騎士となった暁には、花嫁として迎えにゆくと約束した、ルシアが居た。だからこそこの男は、天上の魔女に定められた運命の一本道を我武者羅に突き進んできたのだ。
「というわけで、新たな『青』のパートナーに会いにアウステンダムまで行ってきます。他にも『冗談じゃないぜ』ってくらい、いろいろと用事を押し付けられているんで、今回は長逗留になると思います」
任されたのは、無事に戻ってこられる保障もない危険な任務ばかりだ──だから出発のその前に挨拶に来たと、ジョゼットは笑顔を見せる。
「今回は、ハーリンゲンにどんな無茶を命じられたんだ?」
ヘルムートが、国王代行として亡命政府を動かしている首相の名を口にする。
「まず、強奪されている国王戴冠儀式用の玉座を奪還する。その上で、現在行方不明の王位継承宝器を探し出してくる。そいでもって、今度就航式を行う新型戦艦を処女航海中に沈めてこいと──」
指折り用件を数えながら、「これじゃ身体がいくつあっても足りねー」と、ジョゼットがため息交じりに愚痴った。
「動かせる手勢はどれくらいだ?」
「せいぜい二十人くらいですね。海軍工兵として潜入している連中を、総動員するわけにもいかないし。今回は提督の手も借りるつもりです」
「また、『いい加減に楽隠居させろ』と文句を言うのだろうな、あの『黒』の一角獣位の老騎士殿は……」
おのれの母と浅からぬ因縁を持ち、なおかつ長年ローランド海軍の一翼を指揮してきたジーザスのことを、ヘルムートは少々苦手にしている。実際、おとなしく隠居してくれればどれだけ自分の気が楽になるかと思う時もある。
だが五十歳になれば定年となりお役御免となる軍人とは違い、一角獣の位の宮廷騎士は死ぬその時まで、王家と運命を共にする定めだ──そのために選ばれた者なのだから。
(だからこそ、私は一生あの老騎士殿には頭が上がらんのだよなぁ……)
この別荘の庭に作られた、母・マリエンヌの墓がある方角を眺めながら、ヘルムートは複雑な気持ちになる。
母は、結婚式での定型句「死が二人を別つまで」との誓いの文句通り、その死を持って嫁ぎ先とは縁を切り、エセクター家代々の墓所には入らず、海に面したこの別荘の庭に葬られることを望んだ。
そしてその墓前に、時々、酒瓶片手にふらりと『船隠し』から訪れる隻眼の男のことを、ヘルムートは少年時代から知っていた。
母の名を刻んだ墓石の上には、愛飲していたというダークラムが注がれたグラス。隻眼の男が無言であおるのは、ウィストール産のウィスキー。
死神が振るう大鎌の刃ですらも断ち切れなかった絆が、そこにはあった。
(本当に、国王として即位してからも、しばらくの間は、一体どのような顔をしてあの『黒』の一角獣位の騎士殿と接すればいいのか、随分悩んだものだ……)
なにしろ相手は「母の昔の男」──なのである。ろくな恋愛経験もない十八歳の少年に、手に余る存在だったのは確かだ。
「──ところで、陛下。野茨の君になにか伝言でもあるのなら、お伝えしておきますが」
「あ、ああ……」
ジョゼットの声を聞いて我に返った。鬱々とした物思いを中断して、第一位王位継承者だというのに、無謀にもレジスタンス活動に加わっている一人娘への思いやりへと、ヘルムートは思考を切り替える。
「あまり無茶はするな。それと、私の体調のことは気にするな──そう伝えてくれ」
しばらく考え込んだが、いつも手紙に綴る内容とさして変わりない台詞しか思い浮かばない。
「了解しました。では陛下、行ってまいります」
「うむ──」
窓際に立つジョゼットが敬礼して寄越すので、寝台の上のヘルムートも答礼をする。
軍人としての教育を受けていないからか、ヘルムートは敬礼をあまり好まないが、こんな、掛ける言葉も見つからない時には便利なものだ。
身軽に大窓の窓枠を飛び越えてゆく、ジョゼットの後ろ姿を見ていたその刹那、不意にヘルムートは忘れ物に気が付いた。
「待ってくれ、ジョゼット。もう一つ伝言があった」
石化した下肢に軋むような激痛が走るのにもかまわず、寝台の上から身を乗り出すようにし、ヘルムートは、船長帽を被ろうとしていた若者を振り向かせる。
「はい、なんでしょうか?」
「ルシアに会ったら伝えてくれ。私はブライトン岬で待っているから──と」
船長帽を目深に被りなおしながら、複雑な表情でジョゼットは返した。
「それは無茶な注文ですよ、陛下。ルブランスの秘密警察どころか、俺たちレジスタンス側の情報通ですら、ルシアが今どこに居るか分からないんですから」
『嘘を言うな』との言葉が、ヘルムートの喉元にまで込み上げてくる。ルシアの居場所を本当に知らないのなら、このジョゼットが──誰よりも『歌姫ルシア』を愛する男が、これほど冷静でいられるはずがない。
「けれど、もしも偶然どこかで出会えることがあったなら、その時には陛下からの伝言をつたえます。きっと──」
そう言い残し、ジョゼットは崖下の『船隠し』へと続く小道を歩み始める。もう、振り向くことはなく。
(やはりルシアの居場所を知っているな、あいつは……)
知っていて、自分に隠しているという確信がヘルムートにはある。
母・マリエンヌと「黒」の一角獣位の騎士、ジーザスとの間にかつてあった絆を感じれば分かる。 正式に宮廷騎士の位を与えられた肩打ちの儀式の際、同時に行われた「指輪の誓い」を交わしたジョゼットとルシアの仲にも、同じ種類の絆が結ばれていると。
万が一、おのれとルシア二人同時に銃口を向けられるようなことがあったら、王であるこの自分のことは「白」の一角獣にでも任せておいて、ジョゼットは、迷わずルシアを助けるに違いない。
そう思いながらヘルムートは唇を拗ねた子供のようにひん曲げた。
「陛下、花瓶はどこへ置けばよろしいでしょうか?」
「ああ、そこのテーブルの上に。ここから、よく見えるよう飾ってくれ」
侍従長が生けてきたライラックの花を、ヘルムートはじっと見つめる。
ジョゼットとルシアは相思相愛の仲だ。この戦争が終わったら、ふたりには幸せになってほしいとヘルムートも思うが──それでも、どうにも遣り切れない嫉妬に似た感情に揺さぶられ、咲いたばかりのライラックの花びらを、すべてむしり取ってしまいたいほどの暗い衝動に駆られてしまいそうになる。
自分には、そんな強い絆で結ばれた相手がいない。
だからか、この孤独を誰かのせいにしたかった。
楽師たちを呼び戻し、気晴らしのための音楽を演奏させたが、なかなか憂さは晴れてくれない……。
そしてその憂鬱──負の感情を媒介にし、病魔はヘルムートの肉体の中を、深く静かに移動しはじめるのだった。




