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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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第五章 レジスタンスの歌

5  レジスタンスの歌


 冬将軍は敗北を認めた。

 西風の若者が花の妖精の手を取って、優雅にダンスする春風が吹き始めると──いくら質素倹約を美徳とし、貯蓄好きで財布の紐が堅く、派手な行事を好まぬ住人が大多数を占めるアウステンダムの街も、この時期だけは浮かれ騒ぐ喜びを満喫する。

 復活祭から始まる一ヶ月は、春を呼ぶ縁起物の魚ニシンの初荷パレードや、宮殿の前庭を開放してのチューリップ祭り。

 国王所有船までもが参加する港祭りのヨットレース、市民が熱中する自転車レースなどなど、五月のメイディまで毎週のようににぎやかな催しが街のあちこちで繰り広げられる。

 けれどそれは三年前、教会暦がローランド王国で使われていた頃の光景だ。

 ルブランス軍がこの国を侵略し、国民に革命暦の使用を押し付けてからは、復活祭をはじめとする一連の催し物は中止され、人々の心からは宴の火が消えた。

 それでも今年から、支配下にある敗戦国民たちへの慈悲深き温情という名目で、「革命記念アウステンダム産業振興祭り」というフェスティバルが、芽月の第三週の週末に催されることになった。

 週末までの数日間。日めくり暦はまったく単調に破り捨てられていった。なんの変哲も無い「日常」が淡々とアウステンダムの街の上を過ぎてゆく。

 もっとも、五人の魔女の館に暮らす者にとって、ライヒャルトの国外脱出計画が水面下で進行している現在、それは今まで通りの「日常」とは言い切れなかったけれど。

 それでも大きな波風が立つこともなく、日付は週末へと至った。

 

「飼育場」へと向かう、ダニエル・ディディエの足取りは重かった。

 なにしろ、二度と組みたくないと嫌悪したあの「正真正銘の魔獣使い」の元へ、今夜の出動要請のため直々に赴かなければならなかったので。

 ディディエたち秘密警察が、「飼育場」と呼ぶそこは、元々はローランド王家が所有する動植物公園だった場所だ。かつては市民の憩いの場だった、アウステンダム動物園の敷地に足を踏み入れた途端、むうっと、野獣の発する臭気がディディエの鼻をつく。


「やぁ、保安部特別機動班の班長どの。こんなあばら家へお越しいただき、まことに光栄だ」


 足元で、ニシキヘビやらクロコダイルやらを、朝の散歩よろしく日光浴させるフェルディナンドが、銀色の長髪を輝かせながら、愛想よく挨拶の言葉を口にする。


「……すまないが、魔法使い。その爬虫類を適切な飼育箱の中に納めてほしいのだが」


 そうでなければ気が散って話しができないと、顔面を引き攣らせながらディディエは申し入れる。クロコダイルの半径五メートル以内に近づく勇気は、自分には無いので。


「なぜだい? この子たちには毒も無ければ魔力も無い。僕の工房で生み出された魔獣どもに比べれば、手乗りの小鳥みたいにかわいらしいじゃないか」


 と、他人を小馬鹿にするふうな薄笑いを浮かべて、フェルディナンドは二メートルくらいあるニシキヘビを襟巻きのように首に巻きつけ、その頭に軽くキスした。


「しかしまぁ、仕事の話しをするのに、呑気に愛玩用動物同伴というわけにもいかないか」


 そう魔法使いも納得したらしく、日光浴させていた大型爬虫類たちを、それぞれ飼育小屋の水槽や檻の中へと連れ戻した。

 魔法薬の材料にするならともかく、トカゲや蛇を愛玩するために飼育する魔法使いという人種の神経は理解できない──ディディエは下等生物に対する嫌悪感に唇を歪ませ、「飼育場」を眺め渡した。

 この動植物公園を設立したクラース三世の興味は、どちらかというと植物のほうに注がれていたため、動物園は見世物小屋に毛が生えた程度のお粗末な設備しかない。特務機関の魔獣使い・フェルディナンド・ハーフナーは、その動物園部分をおのれの仕事場に当てていた。

 小屋の中に入ってからもフェルディナンドは、生餌のウサギやハツカネズミを爬虫類に与え、食事の世話をしている。真面目に訪問者の相手をしようという態度には見えない。

 しびれを切らし、ディディエはここへ訪ねてきた用件を切り出した。


「出動要請だ、フェルディナンド・ハーフナー。国外逃亡を企てている叛乱分子拘束のため、本日十五時以降、この出動要請が解かれるまで、君の扱う魔獣ともども、私の特別機動班の支配下に入ってもらう」


「ふぅん。『命令』では、ないんだね?」


 差し出された書類を受け取りもせず、そこに連ねられた文字をちらと一瞥し、フェルディナンドはまた例の底意地の悪そうな薄笑いを口元に浮かべた。


「復唱は?」


「ああ、そういう面倒くさい儀式をしなければならないんだ。あいにくと、僕は軍隊での教育を受けていないので、どうもその辺りの事情に疎くてね」


 敬礼もしなくちゃいけないのかな──と、いちいちキザったらしい身のこなしで、壁にもたれかかっていた背筋を伸ばし、右手を額に添える。


「わたくし、魔法使いフェルディナンド・ハーフナーは、本日十五時以降、飼育下の魔獣とともに、保安部特別機動班ダニエル・ディディエの支配下に入ることを了承いたしました」


 との宣誓の直後、出入り口の脇に置かれた檻のオオトカゲの強靭な尾が柵に当たり、鉄棒がぎぃんと鳴った。固定されていない檻の底が一瞬、地面から浮き上がるほどの激しさに、ディディエが反射的にのけぞる。


「この程度の嵌め込み格子で大丈夫なのか? 飼育動物が脱走する危険性があるのでは……」


 しかし、爬虫類を愛ずる魔法使いは涼しい顔だ。


「心配ないさ。これまで、タランチュラの一匹すら逃がしたことはないんだ」


 そんな猛毒の殺人蜘蛛なんぞ逃がした日には、この小屋ごと燻蒸処分にしてやるとディディエは拳を握り締めた。


「通常の動物ならそうかもしれないが。なぁ、魔法使い。君のところではその、特殊な能力を持つ獣も多々飼育しているそうだし」


「魔獣たちのほうが管理は楽さ、あいつらには檻の封印を開放できるほどの力はない。それに、向こうの工房には特別に厳重な結界も張ってある」


 一応、対策は講じてあるわけだ。そうでなくては、いくら特務機関の管理下にあるとはいえ、こんなお粗末な施設で、凶暴な魔獣を飼育し調教するのを軍部が許可しないだろう。


「よかったら、今夜同伴する猟犬の様子も視察してゆくかい?」


 などと魔法使いが、おのれの気前よいところを見せつけるかのように、ディディエを誘った。

 魔獣たちの飼育場をフェルディナンドは「工房」と呼び、爬虫類小屋とは区別しているらしい。動物園の奥まった場所に建っているそこは、どことなく巡業サーカス団のテント裏に似た、殺伐とした雰囲気が漂っていた。

 建物自体はレンガ造りの立派なものだが、周辺に野積みされた糞や小動物の死骸の臭いが充満し、胸が悪くなる。

 フェルディナンドが「愛玩用動物」といっていた爬虫類たちを飼育していた小屋のほうが、はるかに整然と管理されていたと、ディディエはハンカチーフで口元を覆いながら、お世辞にも衛生的とは言えない状況に憤慨した。


「今夜、こいつをもう一度実地訓練に使おうと思っているんだ」


「……この獣は」


 ディディエの血の気が引くのも無理はない。狭い檻の中を、無闇やたらと円を描いてうろついているのは、ハリネズミのような棘だらけの鎧を着せこまれた、あの狂った獣の獰猛なところばかり合成された魔獣だったからだ。


「こいつは来月、陸軍のとある将軍閣下のところへ納入する予定になっているんだが、いまひとつ物覚えが悪くてね。もう少し調教を積みたいと思っていたところなんだ」


「言っておくが、魔法使い。今回の任務も、殺害許可は下りていない」


 前回、この魔獣が人ふたり喰い殺した酸鼻極まる現場の光景を思い浮かべながら、ディディエは釘を刺した。


「魔法使いの工房で生まれたとはいえ、所詮畜生のしでかしたことだ。前回の件は『過失』として始末した。しかし二度目ともなれば、君がいくら特務機関に籍を置く者で、総統閣下が目を掛ける魔女の弟子だとしても、見逃すわけにはいかない」


 もしも今夜も死者が出るようなら、しかるべき上官に報告せざるをえない──と、態度を硬化させる。


「親切なご忠告をどうもありがとう」


 ディディエの予想に反して、美貌の魔法使いはうやうやしげに帽子を取って一礼してよこすと、鉄のペチコートを履いた尼僧ですらも瞬時に悩殺しそうな、なまめかしい笑みを浮かべた。


「あまり派手に遊びすぎて、秘密警察の内部監視官に目を付けられても困るしな。ヘマして、退屈な『アカデミオン』に戻されないよう、せいぜい任務に励みましょう」


 どうやらこの魔法使いは、アウステンダムへは羽を伸ばしにやってきているらしい。そうと気が付いた瞬間、ディディエの心中に、出動要請に対する後悔の念がにじんだ。


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