裏通りの葬儀馬車
「おっ? こりゃまた、なにが起こったっていうんだ?」
フェスティバルの初日となった土曜日の午後。フリーヘン横丁に、見慣れぬ馬車が停まっているのを発見したのは、国民管理委員という役目柄、なにかと目敏いドミニクだった。
「黒塗りの馬車が来たってことは、死人が出たってことだよな……」
今朝からそんな話しは聞いていないと、ハンチング帽の少年は疑り深い目を輝かせる。
昔から旧市街地の城壁内では、道路が狭いため馬車の乗り入れが制限されている。
だが、唯一どんな路地裏であろうとも立ち入れる馬車がある。馬具も、箱型の馬車も、すべて黒で塗りつぶされたそれは葬儀用のものであった。
古い漆喰が欠け、剥がれ落ちている古屋から、棺が運び出されてきた。それを担いでいる男たちの中にアンリの姿があるのに驚いて、ドミニクは思わず声を掛けた。
「いよぅ! どうしたんだい、眼鏡くん。お弔いの手伝いかい?」
普段着に喪章を付けただけのアンリが、葬儀の列には相応しくない飛びぬけて明るい呼び掛けに、びっくりしたふうに振り返る。
「そ、そうなんだよ。この家の一人暮らしのお年寄りがなくなってね。それで町内会でささやかなお別れの式をしていたんだよ」
突然話しかけられたので、びっくりして舌を咬みつつ、眼鏡のぼうやは答える。
「でも確か。ここに住んでたフーケ爺さんって、亡くなったのは五日も前じゃないか。いまごろ埋葬だなんて、棺桶用の馬車の予約がいっぱいだったのか?」
そう言いながら、きょろきょろ良く動く眼で、ドミニクは遅れた葬式の理由にさぐりを入れてくる。
「違うよ。なんでもここのお爺さん、難しい病気だったみたいで……」
大きな声じゃ言えないけれど──と、アンリは声を潜めた。
「ここのお爺さん、脊髄炎っていう法定伝染病で死亡した疑いがあるんだって。死亡診断書を出したお医者様が、そうおっしゃったんだよ」
「ホーテーデンセンビョウ?」
「普通のお葬式なら、共同墓地へ土葬にすればいいんだろうけれど。なんでも法定伝染病患者の亡骸は、火葬にしなければならない規則があるんだって」
それで役場で許可をもらったり、火葬場の予約をしたりしていたので、こんなに日延べさせられたわけだ。なにもかもお役所仕事ってやつだから大変だったと言って、アンリが肩をすくめるふうな格好をする。
「まぁ、確かに。本当なら、お祭りの日の午後なんかに葬式なんてやってらんないわな」
オレだって遊びに行きたいくらいだもん──と、ドミニクが赤と黒に染め分けられた腕章をひらひらさせながら、まだまだ子供じみた素顔をみせた。
「まだマクシィは戻ってこないの?」
古屋の中から、クリスティーネの声が響いた。
公務員も土曜日は半休日である。だというのに今日に限って、時計の針が午後のお茶の時刻を示しても、東港の税関に勤めるマクシミリアンは帰宅していない。
「いつもなら、戻ってきているはずなのに。遅いわね」
そう言いながら裏通りに現れた配給食堂の看板娘の姿に、ドミニクがぽかぁんと口を大開きにして、間抜け面をさらしている。
クリスティーネが普段の「愛国少女の模範服」ではなく、レースやタフタで全身を包み込んだ大時代的な喪服姿だったため、度肝を抜かれたようだ。
いかにも借り物という喪服だった。ウエストが入るから無理やりこの衣装を着込んでいるのだろうけれど、丈の合わないスカートの裾からは、黒い絹の靴下に包まれた形のよい下肢が伸びていて──本人にはまったくその気はないのだが──少年たちの視線を釘付けにした。
足は、テーブルやピアノの脚まで布で覆うのが礼儀であると信じるアンリなど、彼女が歩くたびに、揺れるスカートの裾にどぎまぎさせられてしまう。
しかも、弔意を表すレースの覆いを顔に掛けたその姿は、まるで黒い孔雀のような気品を漂わせている。
「……眼の保養ってヤツだな」
「でも、『喪服が似合う女を妻にするのは考え物だ』っていう諺もあるよ」
「あ、それは確かに言えてるぜ」
初めて互いの意見が合って、思わず、少年たちはうなずきあった。
「困ったねぇ、お金が足りなかったから御者をやとえなかったのよ。マクシィに馬を操ってもらって、火葬場まで行ってもらう手はずだったのに」
クリスティーネに続いて古屋から出てきたガルド・ルルゥは、本気で困り果てていた。それを見て、ついお調子者の地が出たのかドミニクがしゃしゃり出る。
「おばさん。もしよかったら、オレが御者を──」
瞬間、アンリは慌てて国民管理委員の腕章を付けた少年を押しのけた。
「大丈夫、僕が御者をしてゆくよ!」
占領軍政府の手先であるドミニクをあの馬車に乗せるわけにはいかないのだ。棺桶を載せた馬車には、すでにもう、先に乗り込んだライヒャルトが身を隠しているから。
アンリが、この密航計画を知らされたのは昨夜のことだった。「今夜が、君への最後の講義になるよ」と、ライヒャルトから突然告げられたのだ。
お別れなどしたくはなかった。もっともっと、彼から学びたいと思うことがたくさんあった。
けれど、いつまでもライヒャルトに隠し部屋での不健康な暮らしを強いるのが最善ではないことは、アンリにも理解できた。音楽をなによりも愛する人が、好きな歌を自由に演れる国へ行けるなら、そのほうが良いに決まっている。
亡くなった老人が法定伝染病患者だという書類も、レジスタンス組織に協力する医師が発行してくれたのだ。同じ横丁の独居老人が数日前病死したのは運の良い偶然だが、それ以外はすべて今夜の密航計画のため、仕組まれたのである。
「火葬場の立会人は二名必要なんでしょう? クリスティーネと僕と、二人揃っていれば立会人の数もちょうどいいし」
突然の申し出に、ガルド・ルルゥとクリスティーネが顔を見合わせ、どうしたものかと、無言のうちに考えを交わしている。
「おいおい、眼鏡くん。大丈夫なのかよ、ちゃんと馬車馬を御せるのかい?」
「僕の育ったのは、馬が操れなければ学校へも通えなかったくらいの田舎だったからね。こんな小柄なポニーじゃなく、ちゃんとした荷馬車用の挽馬もうちで飼っていたよ」
だから馬あしらいには慣れている──と、これ以上ドミニクに嘴を突っ込ませないよう、アンリは無理やり胸を張った。
そうこうしているうちにも、時間は過ぎてゆく。
「……アンリにお願いするしかないようね」
決断したのはクリスティーネだった。十五分ごとに時を告げるカリヨンの音を聞きながら、もう躊躇している暇はないとヴェールの下の表情を堅くする。
「火葬場の受付は四時半まででしょう? それを過ぎたら、今週中には火葬できなくなってしまうから、また一から書類やらなにやら作り直さなければならないんですもの」
日曜日は火葬場も休業なのだ。勤務する職員たちは、土曜日も一般労働者と同じく半休日にしたいそうだが、衛生上の理由でできないらしい。
アンリが御者台へ上って手綱を取ると、クリスティーネもガルド・ルルゥの手を借りて、助手席へと腰を下ろした。
「気をつけて──。どうか事故など起こさないよう、無事に、いつも通りに帰ってきてちょうだいね」
ガルド・ルルゥが外套を渡しながら、まるで戦地へ赴く兵士を送り出すかのごとく、しっかと喪服の少女の手を握り締める。
ポニーの尻に軽く一鞭あてると、軽々、黒塗りの馬車は動き出した。
後々になって思い返せば、まさにその時だった。アンリ・パルデューの運命を司る女神は、無慈悲に賽を投げたのだ。




