「起床ーっ!」
「起床―っ!」
鎧戸の隙間から、朝の光が差し込む屋根裏部屋に、澄んだメゾ・ソプラノによる大音声が響いた。
その声に、一緒に眠っていた猫が驚き枕元からひとっ跳びして、どこかへ逃げ出してゆく。アンリも一瞬遅れてベッドの上に半身を起こすと、慌てて、サイドテーブルに置かれた眼鏡を掛けた。
母親でも姉でもない女性に、ノックもなしに一方的に部屋へ入り込まれるなんて、もちろんはじめての経験である。起きたばかりだというのに、アンリの心臓はとんでもないダンスを踊っていた。
そういえば、懐中時計の目覚まし機能をつけていなかった。寝過ごしたのかと思い、しょぼしょぼする眼で文字盤の針を確認してみると、まだ午前五時だ。もっともこの時期、アウステンダムの空はとうに夜明けの時間を迎えているが。
ふと我に返れば、ベッドの足元の側で、クリスティーネが腕組みしておのれのことを見降ろしていた。その不機嫌そうな視線が、夜着のままのアンリに突き刺さる。
「ごきげんいかかが? 良い夜を過ごせたかしら?」
「うん、それなりに眠れたよ……。けれど、こんなふうに叩き起こされなければ、もっと気分の良い朝を迎えられたに違いないんだけれど……」
と、掛け布団を跳ねのけ朝方の空気に触れた全身が、鳥肌立つのをアンリは感じた。春とはいえ朝晩は冷え込むので、暖炉に火の入っていない屋根裏部屋の空気は肌寒い。
「まだ眠い」と、もそもそと毛布を上半身に巻きつける下宿人の姿を見て、クリスティーネは堅い口調で言った。
「十五分で着替えて、下へ降りてきて。食事が済んだら、すぐに出掛けるわよ」
アンリに抗議の声を上げる間も与えず、「今日は月に一度の食用油の配給日なの」と、口早に告げる。
「今日、油を配給価格で売ってもらえなかったら、食堂の営業を続けることができなくなるわ。だから早く支度して」
「でも僕、公安警察の人から、今日にでも住民登録をしに役場まで来いって言われているんだけれど……」
アンリのささやかな反抗に対し、クリスティーネは、一刀両断するようにきっぱりと冷静かつ端的なアドバイスを返す。
「大丈夫よ、優待市民章を持っているなら。締め切り間際に駆け込んでも、役所の窓口は嫌な顔ひとつせず受け付けてくれるはずよ」
「だけど、旅行カバンの荷物ひとつ解いていないんだし。せめて、身の回りのものを整頓できる時間が欲しいんだけど」
しかし、相手はアンリより一枚上手だった。
「あら。ゆうべ食堂の手伝いでもなんでもするからここに置いてくれといった、あの言葉は嘘だったの?」
指摘に、「うっ」とアンリは言葉に詰まる。その上、屋根裏部屋に朝一番で乗り込んできた少女は、こう言ったのだ。
「それにあなた、昨日の夕食にチーズや、鶏肉とカブのシチューを食べたでしょう?」
「うん、とってもおいしかったよ」
「あの夕食は、ガルド・ルルゥが自分の配給割り当ての、一週間分のお肉やチーズをすべてつぎ込んで作ってくれたものなのよ」
「……えっ?」
そんなご馳走を他人の手元から奪ったのだと思うと、胸の内が罪悪感で塗りつぶされる。同時に、たったあれっぽっちの鶏肉やチーズが一週間分の配給だなんて……と、アンリは、このアウステンダムの食糧事情の悪さを垣間見た気がした。
「わたしがここへ来たばかりの時もそうだったけれど。ガルド・ルルゥは、自分がどれだけひもじくても、お腹を空かせた子供がおいしいものを食べて、しあわせそうな顔をしてくれることを優先してしまう。そういう人なの」
ベッドの上の少年が黙り込んだ一呼吸分の隙を見て、クリスティーネは、戦況がおのれの側に有利になるよう、一気に畳み掛けた。
「だから、あなたがガルド・ルルゥに気の毒なことをしたと思うなら、その感謝の分、お店のために労働力を提供してくださらない?」




