第1章第17節
もみくちゃにされた双畑が動けなくなった頃、格納庫に大きな音が鳴り響いた。
故郷の学び舎で聞こえるものとまったく同じだと、彼は気付いた。
「定時だ!」
鳴り始めた瞬間、カァラは叫んで木剣を放り出す。
双畑への興味は掻き消えていて、コルガーを見て目を爛々と輝かせた。
この鍛錬の時間で見た以上の興奮がその顔には浮かんでいる。
「コルガー、この後付き合え。君のプライドをへし折った詫びをしてやる」
「あんた、ちゃんと動くの一日三時間もないんじゃないですか?」
「ちゃんと動かなくても貴様には勝てる。十分以上の働きだとは思わんか? それにな、今日は元々休日だったのだ。誰にも文句は言わせん」
コルガーは肩を落として言った。
「そろそろ集結地点に着く頃でしょう? 騎士団と連絡を取る必要がありますから先に飲んでてください」
「仮眠をとって万全な状態で待つ」
「早く寝たい気分なんですがね。剣聖様にプライドを粉々にされたことですし」
「今日は楽しかったからな、久々に誰かと飲みたい気分なのだ。しかしながらわたしの同僚は付き合いが悪い。もちろん部下を無理やり付き合わせるのも趣味ではない」
「ほう、わたしならそのちっぽけな良心が痛まないと」
「微塵もな。今朝貴様が勇者召喚をしなければ、午後まで寝ていられた筈なのだ。おとなしく付き合いたまえ」
「代金はカァラが持ってくださいね」
「もちろんだとも」
双畑をボロ雑巾のように弄んだふたりの巨人は他愛のない会話を繰り広げながら扉から姿を消した。
格納庫の中央でぽつんと立ち尽くす双畑をおいて。
余りにも鮮やかに事態が進んだため、彼は声を上げることができなかった。
「おっと、君には残業がある」
扉からカァラが真っ赤な短髪が目立つ豪奢な頭だけを突き出してそう言い、また直ぐに消えた。
その直後、大女の代わりに円柱状の機械が扉から姿を現した。
掃除用自立機械らしい。下部から回転式モップがはみ出ていた。双畑を案内するように、円柱の上部が点滅した。
格納庫から出た双畑は、バケツめいた見かけの自立機械について歩いた。
狭い廊下には、モップを回転させるモーター音と彼の足音だけが響いていた。
時折自立機械がピーピーと音を鳴らした。
異世界の機械と言っても、地球の家電とそう変わらないんだな。双畑は思った。
数分後、自立機械はある扉の前で停止する。
回転して双畑に正面を向けると、上部の操作パネルが点滅した。
一度だけ電子音を鳴らすと、円柱状の機械は掃除を続けるため、再びモップを動かして廊下の奥へと消えていった。
ここに入れということか。双畑は思った。
「案内ご苦労さん」
空気が動くような気の抜けた音を立てて扉が開く。
吹き込んでくる風が自分の体を撫ぜるのを双畑は感じた。
扉の外には、橙と紺のグラデーションで塗りつぶされた空が広がっている。
夕暮れに支配されつつある異世界の景色を双畑は目の当たりにしていた。
乗り込んだ時と同じくこの飛行戦艦は空に浮いていた。
扉の直ぐ外は、強襲揚陸転移艦〈テンペスト〉の後部から突き出る翼のようなもの--双畑が知る由もないことだったが、宇宙航行時における放熱板であった。もちろん、大気圏飛行における試製安定効果も期待されている--の上部に繋がっている。
双畑は橙色に支配されている方角に視線を向けた。
ふたつ並んだ太陽の片方が、地平線の向こうに消え去ろうとしている。
地球の夕焼けとは異なり、橙の中に奇妙なほど青が混じっている。もう片方の太陽がまだ空に浮かんでいるせいかも知れない。
反対側を振り返ると、彼の下には暗がりに包まれた大きな街があった。
双畑が召喚された廃墟と同じ意匠の建物が立ち並んでいるが、こちらは更に大きな街のようだった。
灯され始める明かりが街の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていて、この街が生きていることを主張している。
すぐ足元に、あの廃墟の神殿よりもはるかに大きな建造物がそびえていることにことに彼は気が付いた。その建物の最上部、大きな半球屋根だけが夕焼けに照らされ朱に染まっていた。
眼下の都市からだと、ふたつ目の太陽も沈みかかって見えるのかも知れなかった。
ひとしきり異世界の風景を楽しんだ後、翼端に向かって双畑は歩く。
彼が歩む先、翼の端で、人影が腰かけて足をぷらぷらと宙に揺している。
制服を着た少女。ルリだった。
風に吹かれた髪が、夕焼けに照らされて銀色とも桃色ともつかない輝きを放っていた。
本当は、扉が開いた瞬間に彼女がそこにいることに双畑は気が付いていた。
いや、彼女が待っていることは分かっていたのかも知れなかった。
景色に目を奪われてみたのは気恥ずかしかったからだ。
自分が身代わりになって命を救った少女に何を言えばいいかなど、当然習ったことはなかった。
それに。端正さを通り越して攻撃的な印象すら与える顔が朱に染まっているのを見て、双畑は思った。
それに、そう。ルリの顔に見惚れてしまうと分かっていたからかもしれない。
何から話したものか。とりあえず、声を掛けてみよう。
俺が死んで中断した話を続きをしないとな。
「どうしたそんな危ないところで。そう人生に悲観するもんじゃないぜ」
双畑は高校の屋上と同じ台詞を言った。
夕焼けを黙って眺めている澄ましたルリの顔が、どんなふうに変わるのか楽しみだった。




