第1章第16節
「私のことは、師匠、もしくはカァラ師匠と呼ぶように」
見上げるほどの体格を誇る大女は、広い空間の中央で仁王立ちして言った。
周囲には何もない。大女の大声がこもって響いた。
カァラと名乗った女の身長は、頭ふたつ分は双畑より高かった。いや、正確にはふた回り上にも縦にも大きいという表現が正しい。
地球の人間をそのまま30%拡大したらこうなるのかも知れなかった。
彼女の足元には木刀が数本転がっている。
「何の師匠ですか?」
双畑は腰の痛みを堪えながら答えた。この女も人の話を聞かなさそうだ、と確信している。
数分前、双畑は学ランの襟をカァラに掴まれ、双畑は床が透明な部屋から引きずり出された。
大女のせいで一層窮屈に感じられる廊下を引きずられ、昇降機に乗り込み、自動歩道に乗せられ、また廊下を引きずられた後、この区画に連れ込まれた。
格納庫らしい。扉から中に放り込まれながら双畑は思った。
地球最強国家の大統領が数年前、海軍増強に関する演説を最新鋭航空母艦の胎内でしている。それを双畑はテレビで見たことがあった。
そういえば、あの真っ白男は強襲揚陸転移艦とか言っていたな。それが何かはさっぱりだが、要は船体にあれこれ積み込んで、積み込んだあれこれで色々なことをする船なんだろう。空母に似ていてもおかしくないのかも知れない。もちろん、地球の船は飛んだりしないけれど。
強襲揚陸艦は分かる。空母の仲間だ。転移は分からん。多分、異世界に飛べるってことだとは思うが。
異世界にいて、更に別の異世界の何か--真っ白男は別の世界から来たと言っていたのを信じるとするならば、だが。まあ、鉄の甲冑を纏った騎士と飛行戦艦は食い合わせが悪そうではある--に乗り込んでいるにしては、あまりに彼の知る船と造りが似すぎているように思える。
一方で、これが科学技術の産物というのなら地球の船と似ていてもおかしくないのかも知れない。
「で、俺は何をさせられるんです?」
周囲の光景に気を取られていた双畑だったが、低くしわがれた声が響いたことで我に返る。
この格納庫にいるのはカァラと双畑だけではなかった。壁に寄りかかって立つ大男がいる。
カァラより頭一つ分低く、双畑より頭一つ分高い。
角張った部品が配された縦長の顔には、軽薄そうな表情が浮んでいる。紺色の髪は半白になっていて、青年から中年までのどの年齢にも見えた。厚手の上着--双畑の世界の中世史家ならば、布鎧と呼んだだろう--を着ている。
面倒そうな思いを隠さない男の声を、双畑はついさっき聞いた気がしている。
「彼はコルガー君だ。さっき会ったろう」
カァラは大男を無視して続ける。
「この人と戦ってたんじゃないんですか」
確かに背格好も雰囲気も同じだ。言われて双畑は思い出す。
あの頭の悪そうな姫様の側にいた奴だ。不敵な顔付きがイメージぴったりだった。
「カァラ。何をさせるつもりだと聞いているんです。おい」
「一時的に利害が合わなかっただけでね。普段は仲がいい。人間関係には色々な形があるものだ。大人になれば分かるさ、少年」
「わたしはあんたが嫌いですよ」
「コルガー君には、君と一緒に朝の運動に付き合ってもらう」
「あんたの運動にはさっき付き合ったでしょうが。それにもう午後だぞ」
カァラはわざとらしくため息を付いて見せてから、無視していたコルガーの方を向いて言った。
「うるさいぞ裏切り者。勝手に勇者召喚などしおって。我々に殺されてもおかしくないのだぞ」
「でも生きてますよ。拘束もない」
「不愉快な奴め。我々が貴様に手を出せないと分かっている癖に。それにな、さっきは私を殺すつもりだったろう。許さんぞ」
「殺すつもりでやらなきゃ勝てないでしょう」
「確かにそうだ。それでも貴様は負けたが」
カァラは頷き、コルガーから視線を外した。
おい、納得するな。聞いているのか、自分勝手な尊大女。何が剣聖だ。いつもおれの話を聞かない。そういうところだぞ。などと抗議の声が上がった。
カァラは手をひらひらさせて話す意思がないことを示している。
会話自体は殺伐としていたが、ふたりの付き合いの長さと親密さを感じさせるやり取りだった。
双畑は意外さを覚えたが、直ぐに思い直す。文化が違うということか。異世界だからな。異世界なりの付き合い方があるのだろう。
そう理解しないと脳がパンクしてしまう。
「新たな弟子よ。これから君に戦い方を教える。君の肉体はこの世界のもので、この世界の魔法は私には使えん。見て分かるように」
カァラは両手を上げてその巨体を誇張した。
「私はこの世界の人間ではないからな。何もかも小さく感じるよ。これでも故郷では華奢な方だったのだ。ふ、まあいい。そういうわけで、コルガー君に手伝ってもらう」
木刀を双畑に投げて寄越す。
「拒否権はないぞ。ふたりともだ」
コルガーは渋々といった調子で足元に転がる木刀を拾う。
「少年、戦う意志があると聞いたぞ」
カァラは双畑に問いかけた。あの猛獣めいた笑みを浮かべている。
「なら、やれるよなぁ。2対1でかかってこい」
双畑は頷いた。彼に準備はできていた。少なくともそう自分に言い聞かせている。
あの少女、ルリを助けると決めていた。そして、彼はずっと世界の真実を求めていた。ルリと出会う前から、世界から自分のように不幸な人間を減らそうと考えていた。
しかし同時に、自身の無力さに焦りを覚えてもいた。つまり、戦う力を得られる機会を逃すつもりはないのだった。
----
「ストップストップストップ!!!」
双畑は走り回っている。逃げ回っている。戦うどころではなかった。
「この世界の魔法は、縛り、絆、繋がりだ。ほら」
カァラは軽やかに駆けながら言った。
その瞬間、コルガーが剣を振るう。切っ先から炎と雷撃が奔る。カァラはあっさりと避けた。神殿で見た動きよりより格段に素早い。
マジでさっきは二日酔いだったんだな。巻き添えを避けるために必死で走りながら--
「うげっ」
斬撃の衝撃で双畑は壁に打ち付けられる。
コルガーは立て続けに幾度も剣を振るい、その度に熱と光がこの場を支配した。
と、格納庫の照明が一瞬暗くなる。同時に足元が少し揺れた。
「死ぬ死ぬ死ぬ!!!」
双畑はコルガーの斬撃の余波で肌がひりつくのを感じながら再び駆け出す。巻き添えで死なないようにするのが精一杯だった。
「この男は、この船の心臓で余った力を引っ張ったのだ。おっと、苦情が入った。余っていないそうだ」
耳に手を当ててカァラは言った。
「これで通じぬというならば!」
コルガーの持つ剣が虹色の光で輝く。ルリの刀と同じだ。双畑は思い出した。
「勘弁してくれ」
カァラはそう言って顔をしかめる。
コルガーは気にせず剣を振るう。虹色の斬撃が飛ぶ。ルリが〈瞬燃〉を倒した時と同じくらい強く輝いていた。
しかし、カァラはあっさりとその手に持つ大剣で受け止める。弾かれた斬撃が格納庫の壁に大きな裂け目を作り出した。
カァラは地面に縫い留められたかのように一歩も後退していない。
「防御膜から引っ張ってきたな? 本当に止めてくれ。この船は只でさえ人嫌いなのだ。ああ、許してくれ。リーダーに頼んで修理の手配をするから」
休憩だと示すかのように掌をかざしてカァラは言った。
もう片方の手は、やはり耳に当てられている。
「……私が最強なので分かりづらいが、コルガーはこれで大したものだ。この世界の肉体を得たからには、彼を目指すべきだろうな」
「剣聖様には及びませんがね」
コルガーは肩をすくめてから、馬鹿にしたような双畑に調子で言った。
「勇者召喚で呼ばれたからには、貴様はおれよりも魔法適正が高いということになる。身体強化の魔法も当然発現する。伝承における勇者は、信じられないほどの力を発揮したそうだ。それを証拠に」
カァラがコルガーの台詞を引き取って言った。
「巻き込むように戦ったのに、少年は全部避けている」
この数分、彼は四方八方に跳ね、転げ、走り続けた。
巨人ふたりが繰り広げる戦いはあの城跡公園で双畑が巻き込まれたそれよりも上回るほど激しいものだった。彼が乗り込んだ強襲揚陸転移艦とやらが墜落していないのが不思議なほどだが。不思議と壁に大きな裂け目が幾つも出来たぐらいで済んでいる。
今になって双畑は気付いた。自身を状況を確認する。
「あれっ?」
しかし、無傷だった。
「それでは、リーダーから命じられていることであるし、ここらで真面目にやるか。必死で学べよ。少年」
「召喚したのは俺達だからな。手伝うのはやぶさかではない」
「自分を超人だと信じろ。それで身体強化はうまくいく」
「阿呆みたいな説明だが正しい。限界を超えた動きを想像しろ。少年」
「実地で学べ。勇者よ」
カァラとコルガーは代わる代わる説明を始めた。状況を飲み込めない少年に襲いかかりながら。
双畑は本能的に背を向けて逃げ出した。
もちろん逃走は失敗した。
「異世界では自分の世界の魔法をほとんど使えないのだ。殆どの魔法は世界固有のものだからな。転生体でもない限り、使えるの身体強化くらいだ。身体はひとつの宇宙だからな。世界の干渉を受けづらい」
カァラは双畑の頭の上に立って言う。
使えることに気がついたばかりの身体強化を目一杯使って切りかかった直後だった。体重を一切感じなかった。
「だが、何事にも例外が有る。魔法にもな。現にこの女は俺の世界の人間じゃないし、それでも好き放題自分の魔法をつかっている。でなければ俺に勝てる筈はない」
コルガーは電撃を両手から放ちながら言う。追ってくる稲光を必死で避けながら双畑は聞いた。
「滅びつつある世界は、世界の法則が働きにくいのだ」
双畑はカァラの回し蹴りを受けて吹き飛んだ。
「不愉快なことに、我が世界は滅びつつあるらしい」
宙を舞う双畑はコルガーに受け流されて壁に叩きつけられた。
「細かい理屈は別の誰かに聞いてくれ。科学のことは分からん」
カァラが殴った。
「そしてこの剣聖様とその仲間たちは、俺の世界を含めた数多の世界を救うのが仕事らしい」
コルガーが蹴る。
双畑は、ふたりの巨人に弄ばれながら、魔力の感じ方、身体への流し方、縁の通し方、縛った存在の引っ張り方を学んだ。
毎秒毎に体中の痛みが増えていくように感じた。パワハラだと叫びそうになった。
しかし、彼は実感していた。自分の動きがどんどん良くなっていくのを。早く、重く、強く動けるようになっていく。
徐々に、攻撃を避ける回数が増えていった。受けても吹き飛ばなくなっていく。
彼は痛めつけられながら笑った。彼が求めていたのは痛みでは決してない。しかし、力を望んでいた。世界を変える力を。そうでなくとも、何かを成すに足る力を。
双畑はそれを、ついに得た気がしていた。




