第1章第18節
「だから、飛び降りませんって」
ルリは顔を動かさずにくすくすと笑った。
彼女の視線の先には太陽がひとつ消えて暗くなった夕焼けがあった。笑顔が橙に染まっている。
「ちょっとの間しかいられなかったけれど、あの後友達ができたの」
ルリは顔を上げた。
双畑は、だからどうしたのだと言うように眉を上げている。
「あなたが言ったことなんですけど」
「……はて」
「友達を作れって、高校の屋上で言われた記憶があるよ」
「おお、いいことを言うなおれは」
双畑はとぼけた声で返事した。
相変わらず偉そうな人。ルリは笑いながら思った。
絶対に忘れてるでしょ。虚勢を張るのが本当にうまい。まあ、この人との短い付き合いを振り返る限り自覚はなさそうだけれど。
凄いな。この人の身になってみれば、もっと取り乱してもおかしくない状況なのに。
いきなり日常が壊れて大けがして、気が付いたら異世界にいたんだから。
三年前みたいに質問攻めでもおかしくないのに堂々としている。本当に変わってる。
でも、優しい人ってことだけは確か。他人の優しさなんてもの、あの頃のわたしは全く理解できていなかったけれど。
「まあ、なんだ…… 元気そうでよかった」
ルリの笑顔を見て暫く固まったようになっていた双畑は再び話し始める。
「義務と人生の釣り合いが取れたということかな、後輩」
「……はて。何と何と釣り合い……? あなたが痛いことを言ったことだけは覚えているけど」
「はて、じゃない。俺の真似をするな。今朝そう言ってただろ。いやまて今なんて? 痛い…… だと……?」
細かいところは本当に覚えていないけれど、このやけに偉そうな態度をとる少年に反感を覚えたことをルリは思い出す。本当に何か、難しい言葉を使ったのかもしれない。
あの事件の後、通うことになった高校でクラスメイトに自分から声を掛けたのはこの人のせい。
任務のことしか考えていなかったわたしが、そんなことをするなんて。
友達ができた。なんでもない高校生みたいに遊んだりもした。世界の滅びなんかとは関係のない生活を味わうことができた。
仮初の平和に過ぎなかったし、半年くらいで離れなくちゃいけなくなったけれど、今のわたしがあるのは間違いなくあの宝石のような時間のおかげ。
あーあ、みーちゃんとはーちゃんに会いたいな。いきなり消えて、怒ってるだろうな。それとも、悲しんでくれてるかな。忘れてないといいけれど。
他人のことを知ったほ方がいいんじゃないかって、本当の意味で考えるようになったのは、三年前が切っ掛けだったことだけは確か。
この人が思いがけない行動ばかりとるから、人間に興味を持たずにはいられなかったのかも。
それに、わたしが初めて笑ったにはあの日だったような気もする。笑わない人に友達なんてできないしね。
「ルリと呼んで。もう同い年だしみたいだし、敬語はいらないよね」
三年前とその後の高校生活を思い出しながらルリは立ち上がった。
そういえば。「おれが痛いだと……?」とまだ呟いている双畑の顔を見てルリは思った。
わたし、この人のことを何にも知らないな。あの日からずっと、不思議に思ってたことがあったんだった。
「ねえ、どうして戦おうとするの? わたしを助けようとしてくれたのは何故? なんでそんな平然と立ち向かえるの?」
----
平然? 平然だと。双畑は喚きたくなる気持ちを抑え込んだ。
あの日、見っともない顔を晒しながら何度も抗議した筈だが。それがこの少女には「平然」に見えたというのか。俺は死んで勇者になって魔王を倒さなきゃいけなくて三年が経ってていきなり過酷すぎる訓練に巻き込まれて。
平然なわけがない。
あれ? 結局あの姫様が言ってた魔王って何なんだよ。結局説明不足じゃねぇかよ。
地球が滅びの危機にあるってことしか未だに分かってないぞ。どうやらここの連中はそれを防ぐつもりらしいが。この異世界は一体何だ。何故俺は生きてるんだ。
正直叫びたい気分だ。
しかし、初対面で偉そうな態度をとった手前、そろそろ威厳を取り戻す必要がある。
双畑は堂々とした態度をかろうじて保ちながら思った。
「ちょっと考えさせてくれ。今朝から落ち着く暇がなかったから」
双畑は、そう言って視線を空にやった。
地平線にはふたつ目の太陽が沈みつつあった。
「まだ分からないことだらけだけど……」
視線の端にルリを捉えながら、双畑は考えをまとめようとする。
随分と表情が豊かになったこの少女を見れば、三年という月日が経ったのだと確かに実感する。
あの屋上で会った時も、神社の境内でも、あの公園でも、全ての表情がぎこちなく感じたものだが。背が高くなったし、顔も大人びている。
ポニーテールも良かったが、短髪も似合ってる。頭の輪郭がよく見えるから美少女度が向上している。なんだこの可愛さ。ありえねぇだろ。
おっとそうじゃない。考えを戻そう。
印象が全く異なるこの少女にも変わらないことがあった。
ルリはまっすぐに彼の顔を見つめている。射抜くような眼だけは変わっていなかった。
何故か向き合う気になれなくて、双畑は暗くなりつつある空を眺め続ける。
新たな異世界要素に気が付いた。月が5つ浮かんでいる。
「たくさんあるな……」
双畑は思わず呟いた。
おっとこうでもない。くそっ。気をそらされることばかりだ。さすが異世界。
そう、戦う理由、助けた理由、平然としている理由の3点だったな。
そんなのは決まっている。決まりきっているのだ。考えるまでもなかった。一日を振り返るまでもなかった。
双畑は話し始める。
「おれはずっとおかしいと思っていたんだ。あの世界にむず痒いほどの違和感を感じていた。正しい姿があるんじゃないかって。平然として見えるのはそのせいかも知れない。おかしいと思ってた日常が実際におかしいと分かっただけ…… と言えないこともない。かも知れない……」
「なるほど……」
「実際はただ、目の前の現実を受け止められずに麻痺しているだけかも知れないけどな」
双畑は自嘲する。
「だが…… 今になって思うことだけど……」
息を吸い込んで、吐いてから双畑は言った。表情が一変している。その顔には強い決意があった。
「こういう荒唐無稽な出来事こそ、おれは待ち望んでいたのかもしれない」
強い信念を持つものだけが浮かべられる何かがあった。世界の嘘を正そうとするような、刺すような眼だった。
「地球じゃ、おれは普通の高校生に過ぎなかった」
腕を組んで双畑は続ける。いつの間にか、その目はしっかりとルリの顔を見据えている。
「でも今は違う。なんでこうなったかは分からないけど構わない。でも、もう普通の高校生じゃない」
双畑は勢いよく続けた。
「遂におれは見つけた!! 世界のおかしさを突き止める道を!! 遂に手に入れた!! 両親が〈超常現象〉で死んだのは何故か!! それを知る資格を!!!!」
双畑は吠えた。心の内を初めてさらけ出した。
「だから戦った。だから戦いたい。やってみたいんだ」
そうだ。だからおれはここにいるんだ。双畑は自分の言ったことを噛みしめる。
そして、だからこそ、だからこそだ。この少女を助けると自分自身に誓ったのだ。
言葉にして初めて自分の気持ちを正確に理解した気がしている。
双畑は今、不思議なほど爽快な何かを感じていた。
怒涛のように押し寄せる理解不能な出来事を味わった末にやっとだった。
その場の勢いでもない、流されているのでもない、真の理由を、遂に彼は自分の中に見つけ出したのだった。
「はぁ……」
ルリは珍しい動物を見た時のような声で言った。
「お前を助けたのは…… だから…… そのついでだな」
双畑は返事を聞いて我に返り、照れくさそうにルリから視線を外しながら付け足した。
「変な人」
ルリは笑った。
腹を抱えて笑う。目尻には涙が浮かんでいるほどだった。
「おい…… 結構赤裸々に胸中を語ったんだが……」
双畑は不満げに言った。
太陽はすでに沈みきっているのに、羞恥心でその頬は少し赤く見えた。
「一緒に働くのだから、呼び方を決めないとね。双畑って呼んでいい?」
「双畑先輩と呼んでくれ。おれの方が生まれが早い」
「……双畑は誰に対してもその偉そうなキャラで通してるの?」
「一度死んでるらしいからよく覚えてないな。一度死んでるらしいから……」
自分の態度が偉そうなのは自覚していることだったが、人から言われると困惑するものだった。
どこかで聞いたことのあるルリからの質問をはぐらかし、双畑は再び眼下に広がる景色を眺めた。
これが異世界の風景ってやつかよ。双畑は思った。
奇妙な夕焼けを作り出すふたつの太陽に、石造りの丸屋根が連なる街並み。暗くなってみれば空に浮かぶ5つの月。そして、おれはでかい機械の鮫、強襲揚陸転移艦とやらに乗り込んでいる、と。
おまけに、この鮫は中身がぎっしり詰まっているくせに浮いていやがる。
こういうのは反重力で浮いているってのがお約束だが。まったく、ファンタジーなのかSFなのかわかりゃしない。
まあ、悪い気分じゃない。やっと、おれが為すべきことが分かったのだから。
どうも、考えていたのとはかなり違っているけれど。




