メイク・ミー・グリーン
「……うっわあー」
「ようやっと、くっついたわけですか」
思わず、ため息が漏れる。いや、この喫茶店の常連なら誰だって、そう思わずには居られないだろう。あのハードボイルド二人組が、二年と半年をかけて、恋人の位置に落ち着いたのだから。仲違いの心配こそ微塵もする必要がなかった二人だけれど、先輩さんの就職が決まったあたりから、どうするのかな、とは思っていた。聞けばなんと、もう同棲話が持ち上がっているとか。うーん、若いってすごい。私たちの方が若いけど。
「ええ。本当に、見ていてじれったかったですよ」
「あんたらもな、マスター?」
「おっ。うわさをすれば、先輩さん」
「……よう、常連その四」
「いだっ」
私を見るや否や、デコピンをかましてくる先輩さん。いつもながらにひどい。でもまあ、お隣の後輩さんも、常に無表情だった口角をわずかに上げたから、よしとしよう。
「それで、お隣は彼氏くん?」
無表情なだけで無口ではない後輩さんが、私に問いかける。面白い間違いをしてくれちゃって、と内心だけでもなく、にやにやしながら答える。
「そうでーす」
「違いますよ。ほら、常連その五の弟ですよ」
「……おい、そりゃ嘘だろ」
先輩さんは、わずかに眉を上げる。後輩さんも若干同じくする中、マスターだけは、気づかなかったのか、と不思議そうに二人を見ていた。しかし、「髪型が変わったんですよ」と言えば、二人とも納得した風だった。
「あー……なるほど」
「あのもっさりが、なくなったのか」
「……そんなに酷かったですか、あれ」
複雑そうな表情をする、隣の弟くん。驚かれるのも無理はない。後ろは肩につくほど、前は目が隠れる長さに固定していたのを、高校の推薦受験を機に、さっぱりと切り落としてしまったのだから。今じゃ、休日に街で遊べば、それを見かけた高校の友人から紹介を頼まれるほど。元々、顔の造りはいいのだ。今まで隠されていたのが本当にもったいない。
「酷いっつか、何で今まで切らなかったんだよ」
「……正直、あっちのほうが落ちつくんです」
「この根暗め」
違いますよ、と否定しないあたりもまた、弟くんらしい。
そのタイミングでマスターが、ヴァイオリンを持ってきた。弾け、ということだろう。弟くんに目配せすれば、彼は彼で、店の中央にあるグランドピアノの蓋を開けた。
この店に通う理由のひとつ。それは、自由に演奏ができること。
「何がいい?」
と訊くのは、もちろん曲のこと。
「えっと、新曲じゃダメですか?」
「……楽譜は?」
「持ってきましたよ」
「うええ……が、がんばる」
「じゃ、決定です」
まだ練習中なのにい、と唇をとがらせてみる。けれど、弟くんのニコニコ顔を見ると、私まで嬉しくなってしまう。これだから、弟くんの姉である友人にも「甘やかすな」と言われてしまうのだろう。昔から可愛くて仕方なかったから、もう不可抗力と表現してしまえば、それまでだけどね。
澄んだピアノが流れる。
そこに、私のヴァイオリンを乗せる。
私は、この瞬間が好きだ。
▽
「なるほど、店に合わせてきたか」
演奏が終了し、一言目に先輩さんが発したのが、それだった。
「意外に本格的なジャズですね。驚きましたよ」
「なんならレコーディングしてもらって、BGMに使ったらどうだ?」
「ええ。私もそれを考えていました」
マスターがベタ褒めするなんて久しぶりで、なんだかくすぐったい。それだけ気に入られたのだろう。
「へへー、すごいでしょ」
「お前の作曲じゃねえんだろが」
「いでっ」
またデコピンする先輩さん。でも、自分が褒められたみたいに嬉しかったのだから、いいじゃないか。私も練習した甲斐があったというものだ。
「それは良いんですけど、先輩」
「なあに、弟くん」
「時計、見てますか」
「え。……ぎゃ」
店内、壁掛けの柱時計を見る。もう、七時過ぎだと示していた。
「帰るよ、弟くん! お夕飯が冷めちゃう!!」
「僕の家の、ですけどね」
「弟くんは毎日食べられるからいいけど、私はたまにしかご馳走になれないんだから! ほら早く!」
「……分かりましたよ」
今日、両親が揃って出張なのを忘れていた。友人宅のご飯はとってもおいしいから、逃すなんて言語道断。私は弟くんの腕をつかむと、一目散に店の階段を駆け上がった。
▽
「弟くん、真っ赤でしたね」
「ああ、真っ赤だったな」
「見事に耳まで。青春ですね」
うんうん、と三人でうなずき合う。
「あの子も、そろそろ気づいてあげても良いんじゃないですかね」
「お前が言うな。お前が」
「……それは棚上げしてください」
後輩の頬も、心なしか、若干色づいているように見える。可愛いな、と思うが、今アクションを起こしたらマスターにからかわれるのは目に見えているので、あえてしない。するものか。
そして、何とはなしに目線を移動させると、――紙の束が、カウンターに置きっぱなしになっていることに気づいた。
「なあ、これ」
「はい? ……楽譜、ですね。ヴァイオリン用でしょうか」
「お前、楽譜読めたのか」
「ずっと前に、ピアノを習ったことがありまして。ピアノ用ではありませんから、ヴァイオリンかな、と。あの子の忘れ物ですね」
後輩が拾い上げる。題名を聞いていなかったことを思い出し、俺もそれを覗き込んだ。見れば、見事な筆記体で〝on the weekends day〟と書かれていた。
「……なんか、しっくり来ないな」
「題名、ですか? 私も思います。もっとこう、しっとりしているというか、扇情的というか。……あ、弟くんも忘れていったみたいですよ」
ほら、と指差す先には、開いたままのピアノ。ちょこん、と同じような手書きの楽譜が座っていた。マスターはいつの間にか消えていたので、仕方なく取りに行く。
「二人そろって仲良く忘れ物か。正反対なようで、あいつら似てるよなあ」
「私たちに似たようなところも、あると思いますよ。弟くん、どちらかというとロマンチストな気がします」
「……それ、俺のことか?」
「駄目でした?」
「いや。――同じようなこと、考えるんだなあと」
ほれ、と俺が持ち上げたのはピアノ用の楽譜。題名に斜線が引かれているが、かろうじて読める。
「〝make me green〟だとよ」
「……なるほど。同じこと、考えますねえ」
「だろ」
二人、顔を見合わせる。思わず笑むと、後輩も、わずかに優しい表情になった。
カラン、とドアベルが鳴る。入ってきたのは、常連その一だった。
「……あれ、マスターは居ないのかしら」
「お、叔母さん。マスターなら酒蔵じゃねえか?」
「そう呼ばれると、なんかむず痒いわねえ。『常連のおばちゃん』呼びはどうしたのよ」
「いいじゃねえか、晴れて入籍したんだから。叔母さんで正しいだろ」
「それじゃ、あなたも養子縁組、してみる? ちょうど、息子が欲しかったのよねえ」
さらり、と言われた言葉は、何気にかなり重いものだった。
「おいおい」
「それはいいですね。あ、でもそうなると、お義母様って呼べるんですね」
「……お前まで」
こいつは無意識にだろう、もっと重い言葉を発していた。まあ確かに、養うつもりではあるが。
「気が早いなあ、お前ら」
「……おいマスターぁ、助けろコノヤロウ」
「はは、『父さん』って呼んでくれたら考えようかな」
「ふ、ざ、け、る、な」
そんなこと、一ミリも思っていないくせに。
はあ。これまた重い、ため息ひとつ。急に増えた家族を目の前に、悲しいような疲れるような、それでもって心地よい、そんな奇妙な感情に揺られていた。
……とりあえず、今日は呑ませてくれ、マスター。
Fin.




