3 急にそんなこと言われても
「ええっ。王宮の舞踏会に、私も行くのですか?」
オークカツを食べた翌日。
朝食の後片付けが終わる頃に義母の私室に呼び出されたリーリエは、王宮で開かれる舞踏会への参加を命じられた。それも開催日時は本日の正午だという。
随分と急な話だ。それに、これまでろくに屋敷の外に出たこともないのに、初回でいきなり王宮とは。
(もっと段階を踏ませてくれないかしら……)
義母は気の強さが顔つきに滲み出た、まあまあの美人だ。赤毛の髪を高く結い上げ、舞踏会用のきらびやかなドレスを身に纏っている。
彼女は忌々しげにリーリエを睨みつけると、手に持っていた布の塊を投げて寄越した。
「わたくしだって血の繋がりもないスキル無しのあなたなんか、できれば外に出したくないわよ。でも今回の舞踏会は何故か十三歳以上の貴族の娘は絶対参加で、特段の事情もなしに欠席したら騎士団がチェックしにくるってお達しがあったから、出席させないわけにいかないのよ! まったく三日前に招待状を送りつけてくるだなんて、王家も何を考えてるのかしら。こっちにも準備ってものがあるのに」
リーリエはできれば舞踏会には出たくなかったが、そんな条件があるなら出席せざるを得ないだろう。
「わたくしは夫とキャンディスと先に出発するから、あなたはさっさと着替えて王城に来ることね。ぴったりの馬車を用意しておいてあげたわ」
用が済むなり、義母の部屋を追い出されたリーリエ。
義母が投げつけてきた薄紫色の布の塊は、彼女が子どもの頃に着ていたドレスだそうだ。
使用人棟の自室に戻り着替えてみると、裾丈も袖も短く胴回りも少々きついが、何とか着ることはできた。
靴はおさがりを貰えなかったので、いつも履いている擦り切れ気味の靴である。せめてドレスの裾が長ければ隠せたのだが。
庭に出ると馬車回しに一台の幌馬車が停車しており、酒瓶を握った赤ら顔の老爺が御者台で眠りこけていた。
よく見れば馬車に繋がれているのは馬じゃなくロバである。義母が用意したリーリエにぴったりの馬車とは、間違いなくこれだろう。
「お城がどこにあるか知らないけれど、この馬車で間に合うかしら。ああ、そうだわ。道中で蝶やバッタに襲われてもいいように、厨房で火かき棒を借りてこなくちゃ」
馬車の荷台にはアーチ状の幌がかかっているだけで前と後ろがオープンだから、蝶もバッタも侵入し放題だ。リーリエには護衛の騎士などいないので、自力で虫を撃退するしかない。
「お待ちください、リーリエお嬢様!」
リーリエが火かき棒のために厨房へ向かおうとした時、料理長の声がした。
「料理長? それに皆も」
見れば料理長だけでなく厨房のメンバーが勢揃いで、リーリエのほうに駆けてくるではないか。
何故だか五人ともが厨房の制服ではなく、黒地に金の装飾が施された、お揃いの衣裳を着ている。
伯爵家の騎士服に似ているけれど、それよりも豪華で派手なものだ。
皆も実は貴族の生まれで、舞踏会に出席するために正装しているのだろうか。
「ちょうどよかったわ、料理長。今日一日だけ、厨房の火かき棒を借りていってもいいかしら」
「火かき棒ですか? 一体どうしてそんなもんを……ていうかリーリエお嬢様、なんちゅうドレスを着せられてるんですか!」
「このドレスのこと? お義母様が子どもの頃に着ていたものらしいわ。私にはちょっと小さめで肩から上に腕が上げられないけど、薄紫色で可愛らしいわよね」
「そりゃ最初から薄紫色なんじゃなくて、紫色の布地が経年劣化でハゲてんですよ……しかもちょっと小さめどころか、締め付けられてところどころ血が止まりかけませんか!?」
「あら……そう言われてみると、あちこち痺れてきたような……」
「まずい、こうしちゃいられねえ! どうせこんなこったろうと、お嬢様のドレスはこっちで用意してあるんです。急いで着替えに向かいましょう。ロベルト、転移魔法の発動頼む!」
料理長が厨房メンバーのロベルトに指示した次の瞬間、リーリエは見知らぬ部屋にいた。魔法で瞬間移動したのだ。
「俺達は部屋の外で待機してますから、侍女の皆さんはリーリエお嬢様の着替えをお願いします!」
料理長達が部屋を出ていくと、お仕着せを着た何人もの女性達が一斉にリーリエに群がってきた。
義母のドレスを剥ぎ取られ、いい匂いのする化粧水などを塗りたくられた後、童話の中のお姫様が着ていそうなドレスと靴を着せ付けられた。ヘアメイクも同時にばっちりと施されている。
大変身を遂げたらしい自分の姿を鏡で確認する暇もなく、リーリエが次に魔法で転移させられた先は、どこかの巨大な扉の前であった。
そこには前世でいうと小学校三年生くらいの、銀の髪に青い目をした可愛らしい少年が立っていた。
料理長達が着ていた服と似たデザインの立派な衣裳の少年は、リーリエを見るなり、スッと腕を差し出してきた。
「リーリエ嬢。本日のあなたのエスコートは、私が務めさせてもらう」
「まあ、そうなの? ふふ。よろしくお願いしますね、小さな紳士さま」
「任せてくれ」
彼がエスコートしてくれるということは、扉の向こうは舞踏会の会場なのだろう。転移魔法で連れてこられた時から薄々思っていたが、ここは王宮内なのだ。
エスコートのされ方など見当もつかないながら、リーリエはレースの手袋に包まれた手を、小さな紳士の腕にそっと添えた。
すると扉が開き「フェリクス王太子殿下、並びにパルファム伯爵家嫡子リーリエ嬢のご入場です!」という誰かの声が響き渡った。
「えっ」
(ど、どうしましょう……この子、この国の王太子殿下だったのね……「小さな紳士さま」とか言ってしまったわ)
王族に失礼を働いてはいけないことは、きっと前世も今世も共通に違いない。
「お義姉様!」
「リーリエ!」
不敬の可能性に震えるリーリエの前に、今度はキャンディスと、彼女のボーイフレンドが走り出てきた。
(な、なにをしているのキャンディス……私はともかく、王太子殿下の進行を妨げるだなんて)
義姉妹で不敬を重ねてしまい、リーリエの頭からいよいよ血の気が引いた。
キャンディスにウインクで戻るよう合図を送るが、今まで一度も叶わなかった義妹との意思の疎通が、今日に限って都合よく叶うわけもなかった。
「どうしてお義姉様が、王太子殿下にエスコートされているのよ!? スキル無しの分際で!」
「どうしてって言われても……」
それはリーリエが一番知りたいことだ。
「リーリエ! お前は俺という婚約者がありながら、何様のつもりだ!」
「え? 婚約者?」
ずっとキャンディスのボーイフレンドだとばかり思っていた茶髪にあっさり顔の令息は、確かダウニー侯爵家の三男で、リーリエと同い年だったと思う。
彼は何やらお怒りの様子だが、いつもキャンディスと一緒にリーリエにお茶の給仕をさせては嫌味を浴びせていた人物が自分の婚約者だなんて、普通は思わないだろう。
「今日は古びたドレスを着てのこのこと舞踏会にやってきた間抜けなお前に聴衆の前で婚約破棄を突きつけてやるつもりだったのに、キャンディスよりも高そうなドレスを着て出てきやがってっ。しかも王太子殿下にエスコートされるだと? スキル無しのくせに生意気だぞ!」
「お義母様に頂いた薄紫色のドレスは可愛らしくて気に入っていたのだけど、私には小さかったの。それに婚約破棄もなにも、あなたはキャンディスのボーイフレンドで、いずれは彼女と婚約するのだと思っていたわ」
「何を寝ぼけたことを。四歳の時に、両家で婚約の挨拶を交わしただろうが!」
「ごめんなさい。五歳から前のことは、ほとんど覚えていないのよ」
リーリエの前世の記憶は五歳の時、実母が儚くなったショックで蘇った。その時かなり混乱したせいか、それまでの記憶がおぼろげになってしまったのだ。
(こちらは婚約の事実を覚えていないのだし、好きに無効にしてくれて構わないのに)
それにしても王族主催の舞踏会の真っ最中に婚約破棄しようとは……偉い人達に怒られそうだとか、そういったことを彼らは微塵も予想しなかったのか。
「ダウニー侯爵令息。リーリエ嬢のドレスは、我々王家が用意したものだ。文句があるのであれば私が聞こう」
それまで静観していた王太子殿下が口を開いた。
この少年がおそらくこの中で最年少のはずなのに、彼が一番しっかりしている。王族は皆こうなのだろうか。
「っ……文句というか……ただ、この女が王族の方にこのようにもてなされていることに、納得がいかないだけで……」
「ふむ。では貴殿が納得いく説明をしようか。リーリエ嬢は、我が国の今代の聖女だ。本日の舞踏会は聖女のお披露目のため急遽開かれたものである。彼女は国賓であるゆえ、王族である私がエスコートを務めさせてもらったのだ」
(せ、聖女……?)
自分の耳を疑うリーリエをよそに、キャンディスが王太子に捲し立てる。
「お義姉様が聖女だなんて、何かの間違いですわ! だって、スキル無しのハズレ者なんですよ?」
「スキル無しとの結果が出たのは、彼女がスキルの代わりに神聖力を持っているからだ。教会のスキル鑑定の水晶玉は、神聖力を感知しない。おそらく歴代の聖女達もスキルを持たなかったのだろうが、外聞を気にした当時の王族が記録を抹消したのであろうな」
「う、嘘よ、そんなの信じられないわ!」
その時、閉じられていた王宮の大扉の向こうが俄に騒がしくなり、扉が開くと、血塗れの人間を肩に担いだ騎士らしき人物が駆け込んできた。
「失礼いたしますっ……! 聖女様がこちらにいらっしゃると聞き、不敬を承知で虫にやられた怪我人を連れて参りました!」
血塗れの怪我人はリーリエの目の前に運ばれ、床に横たえられた。その男性をよく見てみると、彼を担いできた騎士と同じ制服を着ている。彼も騎士なのだ。
噎せ返るような血の匂いと夥しい傷の惨状に、広間のあちこちから悲鳴があがる。
キャンディスと侯爵令息は血塗れの人物がこちらに運ばれてくるのを見た途端、一目散にこの場から走り去っていった。
「大丈夫か!? しっかりするのだ!」
王太子殿下が床に膝をつき、怪我人の手を握った。
「で、んか……国境の森で、アゲハ、蝶の幼……に囲まれ……やつら、とうとう……大人くらいの、大きさにっ……ゲホッ……」
「それ以上喋らなくていい! リーリエ嬢、頼む。彼を治癒してやってくれ。聖女の神聖力は普通の怪我や病気は治せぬが、虫にやられた傷ならば四肢の欠損さえ元に戻せると聞く。彼を思って祈れば、神聖力で治癒できるはずだ」
リーリエを振り返った王太子は、必死の形相をしていた。
「わ、わかりました。やってみます」
リーリエも王太子の隣に膝をつく。そして騎士の身体に手を添え、彼の怪我が癒えるよう心から祈った。
すると真っ白な光が辺り一面を包み込み──光が消えると、血塗れだった騎士の傷はすっかり癒えていた。
全身の肉が嚙みちぎられていた無残な痕跡はどこにもない。それどころか、ビリビリに引き裂かれていた騎士服までもが綺麗に蘇っている。
「よ、よかった……治せたわ……」
いきなり聖女だと言われ、瀕死の人間を治すよう頼まれたリーリエは、極度の緊張から解放されて腰が抜けてしまった。
キャンディスが中庭でアゲハ蝶に襲われた日の料理長の言葉が、リーリエの脳裏に蘇る。
『特に王都から離れるほど虫はデカくて凶暴になりますから、国境付近の山林にいる虫共は王宮騎士団や冒険者ギルドで定期的に間引いてるほどですよ』
(怪我をしたこの人はきっと、国境付近で虫を討伐していた騎士様なのね……キャンディスを襲ったアゲハ蝶はバレーボールよりちょっと大きいくらいだったけれど、この騎士様を襲ったのは、大人と同じ大きさの蝶の幼)
「リーリエ嬢、心から感謝する。彼は命をかけてこの国を守ってくれている騎士の一人なのだ。報告によると、今回の討伐任務では彼の他にもかなりの怪我人が出たらしく、じきに転移魔法でここに運ばれてくる。申し訳ないが、彼らの治癒も頼まれてくれないだろうか」
「わかりました」
その後、続々と運び込まれてきた怪我人にリーリエはひらすら祈りを捧げ、彼らの傷を治癒したのだった。




