4 虫愛ずる神のせいで
──この世界を創った創造神は、とりわけ虫を愛する神であった。創造神の寵愛は神自身にその気はなくとも、絶大な加護の力を持つのである。
小さく弱い存在であったはずの虫達は加護を得たことで年を経るごとに強く大きく変化してゆき、彼らの捕食対象は野生生物や魔獣となった。もちろん人間もその例外ではない。
虫達に蹂躙され数を減らした生物達を憐れんだ眷族の神々は、力を合わせて創造神を神殿の奥深くに幽閉すると、虫達の力を抑える神聖力を異世界から取り込んだ聖女を二百年に一度、人間の国ごとに一人ずつ誕生させることを取り決めた。
神々の天啓を受けた各国は王城の奥深くに巨大な神器を作り、それぞれの国の聖女が神器に神聖力を満たしたところ、神器からは神聖力が国中へと拡散し、虫達の力を徐々に弱めていったのであった。
神々は虫達を抑えつける使命を人間に課した代わりに、それぞれの国が天災などで滅びぬよう加護を与えた。
人間達は創造神の絶大な加護をいまだ持ち続ける虫達の脅威から国を守るために人同士で争う暇はなく、この世界の国々の地図は長きに渡り不変となっている。
聖女には世界の安寧を心から祈る資質を持つ者が異世界で選ばれ、その世界のエネルギーを神聖力に変えながら転生してくる。
魂から記憶を消してしまうと保持する神聖力量が目減りしてしまうので、聖女は前世の記憶を持ったまま生まれる。
そのため異世界の記憶を持つことが聖女たる証とされているのだ。
「これはこの世界における各国の民が、学校や教会で繰り返し教えられることだ」
「そうなんですね。すみません、全く知りませんでした……」
今しがたリーリエが王太子殿下から受けた説明は、この世界の最低限の常識であるらしい。
ひょっとしたら実母が教えてくれていたのかもしれないが、前世を思い出した拍子にリーリエの五歳以前の記憶は曖昧になってしまった。今となっては確かめようもないことだ。
(お父様もお義母様も私を疎むにしろ、せめて最低限の常識くらいは教えてくだされば良かったのだけど……)
二人は聖女に教育を与えなかったことで国を脅威に晒した国賊として、騎士団に捕縛されてしまった。
義妹のキャンディスとリーリエの婚約者の侯爵令息も、王太子殿下と聖女に不敬を働いたとして連行されたそうだ。
父と義母はともかく、二人はまだ年若いのだから、偉い人にこってり絞られるくらいのお仕置きに留めてもらえたら良いのだが。
負傷した騎士達の治癒を全て終えたリーリエは、王太子と料理長に伴われ、王宮深くにある神器の間へと移動していた。
何もないだだっ広い薄暗い部屋の中央にそびえ立っている白亜の円錐が神器なのだそうだ。
ビル何階分はあろうかという高さの神器の最上部は王城の天井を突き抜け屋外に露出しており、そこから神聖力が拡散しているらしい。
「我が国の先代の聖女が最後に神聖力を注いでから今代の聖女が現れるまでに長く期間が空いてしまったため、神器に貯められた神聖力の残量が三パーセントを切ろうとしている」
「そ、それは大変ですね」
残量三パーセントと聞いて心臓がキュッとしてしまうのは、前世の記憶も関係しているだろう。
それにしても、リーリエがこの世界に転生してからまだ十三年だ。
もし仮にリーリエが幼い頃に聖女であることが分かっていたとしても、少なくとも三、四歳にならなければ「神聖力を注いでください」と言われたところで理解できなかったろう。
ということは、聖女が十年見つからなかっただけで神聖力が底を突きかけてしまったわけである。結構ギリギリなんだなとリーリエは思った。
「先代の聖女は当時の王弟に嫁いだのだが、嫁いですぐに王弟が聖女の侍女に手を出してしまい、怒った聖女が若くして国を出て行ってしまったのだ。そしてそのまま戻らなかった。我が国の神聖力がジリ貧なのは、そのせいでもある」
「なるほど。そのような事情があったのですね」
国が危機に瀕しているのは、先代聖女の伴侶であった王弟と、リーリエの父と義母のやらかしの合わせ技であった。
「神聖力が五パーセントを切った十年前、聖女が現れる前に残量がゼロになるのを回避するため、神器から神聖力が拡散する出力を弱めたのだそうだ。結果、王都から遠い地ほど神聖力の効力が薄まり、虫の巨大化、凶暴化が年々酷くなっていった。一刻も早く国中に聖女を探すお触れを出すべきであったのに、王家の求心力の低下を嫌がった先代陛下……つまり私の祖父が許可せず、内情を知る者達は皆困り果てていたのだ」
「あの……他国の聖女様のお力をお借りすることはできなかったのでしょうか」
「この国で生まれた虫には、この国の聖女の神聖力しか効かない。それは全ての国がそうなのだ。おそらく国と国との間で聖女の略奪が起こるのを防ぐためだろう。神々との盟約により聖女は一度は神器に神聖力を注ぐまでは国境を越えられない。先代の聖女が国外に出奔できたのは、既に一度神聖力を注ぎ終えていたからだ」
「では、あのまま私が聖女だと判明しなければ、いずれこの国は大変なことに……」
「ああ。神聖力残量が底を突けば、十数年の内に滅亡していたかもしれない。国内の虫は眷属の神々の加護により国境から外に出られぬから、他国に被害をもたらす心配だけはないのだが」
王宮には王族や騎士団員をはじめ、一般の国民よりも魔法のスキルを持つ者が格段に多いが、名前も風貌もわからぬ聖女を探し当てるスキルを持つ者はいなかったそうだ。
「手詰まりだったところ、今から二週間と少し前、私が誕生日を迎え八歳となった。一縷の望みをかけて教会の鑑定を受けると、直感のスキルがあると判明したのだ」
王太子殿下の直感で聖女は王都にいる貴族だと分かり、貴族名鑑を開いてパルファム伯爵家の名を見た瞬間に聖女はここだと確信したそうだ。
伯爵家のタウンハウスの料理人達が給金の安さと待遇の悪さに不満を募らせていたため彼らに余所への紹介状をばら撒き、王宮騎士団の精鋭五名が、伯爵家を探るために厨房スタッフとして潜入したのである。
「リーリエお嬢様がお作りになるお料理の数々は、歴代の聖女様方がお好きだった異世界の料理であったり、この世界で馴染みのない料理ばかりだったのです。リーリエお嬢様こそが今代の聖女であると確信した我々がその旨を王宮に報告したのが、今から五日前のことです」
そう語る料理長は、王宮騎士団の団長であった。
「リーリエ嬢。今日は舞踏会の名目で集めた貴族達の前で神器に神聖力を注いでもらい、あなたのお披露目とする目論見だったのだ。しかし大勢の前で虫にやられた怪我人を治癒したことで、奇しくもリーリエ嬢が聖女であると知らしめられた。今後、あなたがスキル無しだと軽んじられることはないだろう」
「そうだったのですね……ありがとうございます」
料理長、もとい騎士団長達が伯爵家でのリーリエの扱いを憂いて、王宮に報告してくれたのだ。
王太子の後ろに控えている彼は、リーリエと目が合うとニカッと笑った。
「リーリエ嬢。あなたは先ほど大勢の怪我人を治癒したばかりだが、今ここで神器に神聖力を注いでもらうことは可能だろうか。少しでも無理そうなら後日で構わない」
「大丈夫だと思います。今すぐ取りかかります」
神器に神聖力が満たされれば出力を元に戻すことができ、巨大化した虫達を鎮めることができる。
神聖力がじゅうぶんに行き渡れば、虫達は次第に小さく大人しくなり、滅多に人や動物を襲わなくなるそうだ。
リーリエが陶器のような質感の神器に手を当て祈りを捧げると、神器に備わった神聖力残量の目盛りはみるみる回復し、数分と経たぬ内に百パーセントとなった。
(よかった。これで今よりは安全な国になるのね)
弱められていた神器の出力は、即座に元に戻された。
神器の先端からは潤沢な神聖力が国中へと拡散し、やがて虫達を鎮めてくれることだろう。
(なんだか前世でお世話になった、電子蚊取り器を思い出してしまったわ……)
日本の夏を思い出し、リーリエは少しだけ懐かしさを覚えるのだった。
これにて一件落着──とはならず、リーリエは次に貴賓室に通され、陛下から聖女の対応を任されている王太子から、実父と義母の処遇を問われることとなった。
「騎士団にも冒険者ギルドにも治癒のスキル持ちがそれなりにいる。そのため、これまで虫の討伐による騎士団員の死者は出ていないが、一般の国民はその限りではないだろう。辺境の村々は、かなりの数が避難を余儀なくされ廃村となった。また、騎士の中には魔法で治しきれなかった虫による怪我や毒の後遺症に苦しんでいる者達が少なからずいるのだ。リーリエ嬢に教育の機会を与えず屋敷に幽閉していたパルファム伯爵並びに夫人の罪は重いと、父である現王は彼らの縛り首を望んでいる」
「縛り首ですか。あの……鉱山送り? などの労役では駄目なのでしょうか……こうなってしまったのは父や義母のせいだけではなく、恐れながら先代の聖女様の伴侶であった王弟殿下も一端を担っているそうですし」
父のことも義母のこともまったく好きではないし、たくさんの人達に被害をもたらしたのは許されることではない。そう頭ではわかっていても、リーリエは彼らに死んでほしいとまでは思えなかった。
「それについては私も同意見だ。リーリエ嬢。代々聖女は王族に輿入れするのが慣例となっている。あなたが私と婚約するならば、王妃の親族ということで極刑は免れるやもしれない」
「婚約って、殿下と私がですか? あの、私には一応婚約者がいるようなのですが」
「ダウニー侯爵令息ならば、長年あなたの義妹と一緒に聖女を虐げていたことと、今日の公の場での王族への不敬を重く見た侯爵家が彼を除籍した。あなたとの婚約も当然白紙となっている」
「まあ。そうなのですね」
婚約者が、あっと言う間に元婚約者となってしまった。
それはいいとして、殿下が八歳でリーリエが十三歳なので、こちらが五歳も年上である。王太子の伴侶としては姉さん女房が過ぎるのではないだろうか。
「年齢のこともありますし、私はこの年までろくに教育を受けておりません」
「学び始めるのは今からでも遅くはない。それに私の直感が、あなたと婚約すべきだと告げている。直感で求婚して申し訳ないが」
リーリエは王太子殿下とは今日初めて会ったばかりだが、彼の言動を振り返ってみると、配下の騎士や国民を真摯に想う人格者であり、リーリエよりもしっかりしていて頼もしかった。
少なくとも元の婚約者よりは、遥かに信頼に足る人物だ。
「では、何年かして殿下の気が変わられることがあれば直ちに私との婚約を解消し、私に料理ができる仕事先を斡旋してください。この条件を書面にしていただけるなら、喜んでお受けいたします」
「私の直感は書面は必要ないと訴えているが、リーリエ嬢の心の安寧のためにそうしよう」
その後、リーリエの父と義母は鉱山送りとなり、幼いキャンディスは現王妃の王妃教育を担った烈女として知られる大叔母のもとで再教育を受けることになった。
王太子と婚約したリーリエは王宮に住まいを移し、虫の後遺症に苦しむ人々の治癒をしながら勉強に励んだ。
ついぞ婚約解消することのなかった王太子とリーリエは良き王と王妃となり、善政を敷いたのであった。
ちなみに創造神が愛していたのは昆虫採取をする少年が好みそうな虫のみであり、一般に害虫と称される類の虫はむしろ嫌っていたため、それらはとうに絶滅している。虫差別も甚だしい創造神である。
終




