第16話:侍の逆鱗
「さぁ!今話題の侍と僕の対戦の日程が、正式に決まったよ!ヒーロー協会からの正式リリースだ!」
ゼウスが日程を発表する。その日程は2ヶ月ほど先だ。
会場はヒーロー協会が管理する郊外のフィールド。適度に障害物もあり、実力の出やすいフィールドだ。
「とはいえ、まだ侍の方からのリアクションが何も無いんだよね……困ったもんだよ、だんまり決め込んでれば逃げられるとでも思ってるのかな?
なんで、正式な調印式を1か月後に行います!ここで正式にエキシビションマッチの契約をしましょう。ココに来なければ逃げたとみなしま~す。
もちろん、僕としては逃げても構わないし、それが当然だと思うよ、だって相手が僕なんだもん。でも侍としてはどうなんだろうね~ぇ?じゃ、調印式でお待ちしてま~す」
煽りまくるゼウス。この動画も一気にトレンドを駆け上がって行った。
「……カエデ、鳥が鳴いておるぞ。平和なことだ」
ホテルの窓際、剣一郎は煙管を吸いながら、のどかな空を眺めていた。
対照的に、カエデは目の下に深い隈を作り、震える指でスマートフォンの画面をスクロールし続けている。
画面には、公式発表以来、止むことのない「嵐」が吹き荒れていた。
『老害侍、逃げたら即逮捕w』『逃走フラグ立ってるな』『Mapleチャンネルもろとも消えろ』――。
協会の息がかかったインフルエンサーたちによる組織的なネガティブキャンペーン。カエデが必死にアップロードした「侍の修行風景」や、「侍の本物の戦闘」にも、ネガティブなコメントがつき続けていた。
「師匠……どうしましょう……師匠の動画が……叩かれ続けてて…」
この数日で、カエデは明らかに憔悴していた。食事もほとんど喉を通らないようだ。
「カエデ、そんな小さな箱ばかり見ていては目に毒じゃぞ。わしはどう言われようが構わん。それよりいい天気だぞ、散歩にでも行こうか」
剣一郎の泰然自若とした態度に、カエデはこらえきれず涙をこぼした。自分の師匠がこれほどまでに真っ当な「本物」であるのに、世界中がそれを偽物だと嘲笑っている。その理不尽さが、彼女の心を削っていた。
「……むぅ。そんなにひどいのか?今は何がどうなっとるんだ?」
「あ、ごめんなさい、心配させちゃって……この、ゼウスっていうNo.1ヒーローがいるんですけど、このゼウスが師匠と戦いたがってるんです」
「ふむ。…なぜだ?」
「師匠の奥義の動画とかがバズってまして、このゼウスと師匠がどっちが強いんだ?みたいな議論がネット上で巻き起こって。そしたらゼウスが協会を通して師匠に挑戦状を叩きつけて来たんです」
「そうは言っても、ワシの方にそのゼウスとやらと戦う理由は無いぞ」
「ですよね。なんで、私からも何も連絡してなかったんですが……そしたら師匠が逃げたとか、ついでに私のチャンネルもつぶれろとか……」
「う~む、それはひどいな。…なに、今度この、調印式というのがあるのか。であれば、ここできちんと断りに行こう」
「え、でも、師匠がわざわざそこまで……」
「何、構わん構わん。きちんと話せば誠意は伝わるもんじゃ」
そして、調印式当日。
超高級ホテルの会見場は、無数の報道陣のフラッシュと、ゼウスの熱狂的な信者であるミューズたちの歓声で埋め尽くされていた。
壇上のゼウスは、ド派手なスーツを身に纏い、どの角度から撮られても完璧な黄金の輝きを放っている。
「さ~て、侍おじいちゃんは、逃げずに来るのかな?」
ゼウスが軽口を叩き、ミューズたちが笑う。会場の空気は弛緩しきっていた。
「来ました!神威剣一郎です!」
マネージャーがゼウスに声をかける。会場入り口に一斉にカメラが向けられた。
姿を表した剣一郎。ゼウスのきらびやかな恰好に対して、その恰好はあまりにみすぼらしい。くたくたの胴着と袴に、大小の刀をさしたいつもの格好だ。ミューズたちの嘲笑とともに、大量のフラッシュがたかれる。
その後ろから、カエデがおっかなびっくりついてきている。
「おっと、逃げずに来たんだね、侍おじいちゃん。さ、ここでサインをしてくれるかい?手早く済ませようか」
ゼウスが壇上で傲慢にペンと契約書を指し示す。剣一郎はゆっくりと歩いて壇上に上がって行った。が、ペンを手に取ろうとはしない。
「……今日は、この試合とやらを断りに来た。ワシには、お主と戦う理由がない」
一瞬の静寂の後、会場は嘲笑に包まれた。
「逃げた!」「やっぱりビビってやがる!」「やっぱりあの動画は嘘だったんだ!」
2人の背後の巨大モニターには、会場の同時配信の映像が流れている。そこには、視聴者からの誹謗中傷コメントが、濁流のように流れ続けていた。
「待ってください! 師匠は……!」
剣一郎と一緒に壇上に上がったカエデが、必死に剣一郎を庇おうとする。だが、ミューズの一人が投げた空き缶が彼女の頭にあたり、少し頭を傷つけ、飲みかけの液体が彼女の服を汚した。
「……カエデ、もうよい。下がっておれ」
剣一郎は静かにカエデの肩を叩き、ゼウスに向き直った。
「なに、わざわざ断りに会場まで来たわけ?断るんならこのまま僕の方が強いってことで決まりなんだけど?」
「ワシはそれで構わんし、何を言われても構わん」
そう言って、剣一郎は今度は報道陣の方に向き直って深々と頭を下げ、そして言った。
「だが、この娘のことを悪く言うのは止めてくれ。この子のような若い娘が苦しんでいるのは見ちゃおれん。この通りだ。頼む」
自分への侮辱を飲み込み、愛弟子の平穏だけを願う老侍。
姿勢を正し、深々と頭を下げる姿は、息を飲むほど美しかった。
だが、報道陣とミューズ達は止まらなかった。
「そんなこと言って、結局逃げるんじゃないか!」
「何が侍だよ、時代遅れのクソジジイが!」
「若い子の前でカッコつけちゃって、やっぱあの2人デキてるんじゃないの?」
罵倒の嵐に乗って、深々と頭を下げる剣一郎に、ゼウスがニヤニヤしながら近づく。
「あ、そう、戦わないんだ? だったら、コレはもういらないよね」
剣一郎が腰に下げている刀。侍の魂とも言えるその刀を、ゼウスは石ころでも蹴飛ばすかのように蹴りつけた。
ピカピカの高級な革靴と、手入れはしてあるものの古ぼけた刀の鞘がぶつかり、
カタン、と乾いた音が響く。
会場は今日一番の爆笑に包まれた。
「確かに、戦わないならいらないわ(笑)」
「ウソつきにはお似合いの末路ね」
さらに、頭を下げたままの剣一郎にゴミや飲みかけのペットボトルが投げつけられる。
巨大モニターのコメント欄にも
『爆笑www』
『刀www』
といった文字が洪水のように流れていた。
カエデが泣きながら投げ込まれるゴミから剣一郎を守るために前に立つ。
何かを言い返そうとしているようだが、泣きじゃくってしまっている上に、会場の喧騒のせいで何を言っているのかは分からない。
剣一郎だけでなく、カエデにもゴミが雨のように降り注ぐ。
その時だった。
――キィン。
聞き覚えのある音。
カエデがアップした動画で何度も流れた、剣一郎の鍔鳴りの音である。
誰も剣一郎が刀を抜いたのを認識できなかった。もちろん、ゼウスもだ。
その直後、背後の巨大モニターが、火花を散らしながら真っ二つに裂けた。
それまで会場を支配していた報道陣とミューズたちの嘲笑が、ブツリと途切れる。
静まり返る会場。
その中で、巨大モニターが火花を散らす音と、カエデのすすり泣く声だけが響いていた。
「お主は今、してはならないことをした」
剣一郎の瞳に、初めてゼウスを敵として捉えた光が宿る。
「それに、こうして頼んでもお主らもカエデを傷つけることを止めるつもりは無いようじゃな。……よかろう。戦ってやる」
呆然と立ち尽くすゼウスに、宣言する剣一郎。
「若造。やっていいことと、悪いことがあることを教えてやろう」
「な……この……」
そのあまりの迫力に、ゼウスも咄嗟には何も言い返せない。
逃げ出さないのが精一杯だ。
「来月にワシと戦いたいんじゃろ?安心せい、間違いなく戦ってやる。
カエデ、もうここに用はない。帰るぞ」
泣き顔でぐしゃぐしゃになりつつ呆然としているカエデの手を引き、剣一郎が会場を後にする。
怒気を含んだ足音だけが、会場に鳴り響いていた。
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