06 K 白粉花
景はベルに受信したメッセージを再読する。
『platte!』で夜を明かしてから2日経った。昼過ぎに連絡があり、出会いの場になった彫像公園でイリアと待ち合わせている。
彼女の元に再び新しい地図が届いたようだ。目的地が山林付近なので、動きやすい服装で来てほしいと告げられ、スポーツウェアの上下とスニーカー、ボディバッグでベンチ横の街灯に凭れている。いつも早く着きすぎてしまって恥ずかしい。
数分後、イリアが現れた。彼女は淡いピンク系チェックのジャージに、同じ色柄のショートパンツ、グレーのレギンスという明るい軽装だ。ブロンドの長い髪は左右に分けて三つ編みにしていた。隙のない出で立ちなのに、運動が得意には見えなくて可愛い。
「景くん、ダンススクールの生徒みたいで素敵ですね」とイリアが笑いかけてくる。
側のベンチに座り、奇妙な地図を一緒に確認した。彼女の話によると、示されている地点は、ここからバス1本で行けるフラワーパークの辺りらしい。紙の余白に、水に浮かぶ人形のような、気味の悪いイラストが添えられていた。
「何か食べてから行きませんか?」と提案があり、異国情緒溢れるカレーの専門店で、トッピングを選びながら素朴なディナーを楽しんだ。
バスに乗車中、視線を感じて隣を窺うと、イリアが不安げに首の絆創膏を見つめていた。
「治らなくても大丈夫だよ。あとは死ぬだけの身体だから」
ジョークのつもりだったが、深刻な反応が返ってくる。
「ひとりで行くべきでした。本当にすみません……」
「気にしないで。イリアちゃんのせいじゃない。次も一緒に行くよ」
終点でバスを降りた。太い道路を挟み、住宅地と山林方面に分かれている。頼りにしていた陽射しにも、夕暮れの暖色にも見離され、今はもう紺碧の空だ。
丘陵の艶やかな花畑にライトの粒が鏤められている。パークはシティ・ノヴァの管理下にあり、昼夜を問わず誰でも自由に観賞できるらしい。何気なく眺めてみたが、花と戯れている暇人間は、ひと組のカップルのみだった。
「あちらのエリアだと思います」
ペンライトを装備したイリアに倣い、自分も持参したものを点灯させる。彼女の指した方角へ少し歩くと、玩具みたいな短い橋から水のせせらぎが聴こえてきた。
「ここかもしれません」膝をついて欄干の鉄柵から頭を出し、照らしながら深々と橋の下を覗き込んだイリアが鋭く悲鳴を上げ、額に手を遣って座り込む。
呼吸を止めて同じ位置にライトを向けた。「……本物の人だ」
初等部低学年くらいの男の子に見える。過去に誘拐された被害者だろうか。不気味な腕の写真がフラッシュバックする。ロープで吊るされた死体の首に、カーキ色の平たいポーチが掛かっていた。普段着のような服装で、上半身は濡れていない。けれど下半身は水に浸かり、奔流に攫われかけている。
「イリアちゃんは離れてて。僕が……」
「わかりました」と頷いた彼女が警告を発する。「景くんっ! 誰か来ますっ!」
花畑のあいだの小路を辿って光が近づいてくる。犯人かもしれない。急がなければ面倒なことになりそうだ。焦る左手で橋の欄干を掴み、右の腕を伸ばして死体の首に結ばれているポーチを回収した。それを素早く彼女に渡す。封筒が入っているはずだ。
「たぶんパークの職員さんです。偶然ここで死体を見つけたことに……。わたしに任せてください」イリアは立ち上がり、職員らしき人物のところへ駆け出した。「すみません! あちらに、どなたかのご遺体がっ! 依存症を断ち切りたくて、頭痛薬を水に流そうとしたらっ、人のようなものが、見えてっ……」
作業着姿の男性は戦慄した様相でベルのボタンを押し、端末を耳に当てている。
涙声で叫ぶイリアの演技に心を合わせ、川の縁の芝生に下りてロープを外した。鍛えていない軟弱な両腕で、冷えた子どもの身体を引き上げる。暗がりに目が慣れていたが、顔から視線を逸らした。
首吊りのような状態で、他殺にも、自死にも、行き過ぎた紐遊びの事故にも見える。犯人は間違いなく殺意を持て余した巧手だが、こちらに勝算はあるのか。
フラワーパークの職員に後を頼んで走ったにも関わらず、最終バスに置いて行かれた。
その過程でイリアが靴擦れをしてしまい、彼女を背負って駅を目指している。
約1.6mの女子高生より、氷のような幼い死体の方が重く感じた。少年は命を奪われたのに、疑惑まみれの自分は生き残っている。申し訳なくて、肘から先を巡る陰鬱な謝罪の意をノートに綴って吐き出したい。写真や広告に添える清潔な詩を紡いでいるだけではだめだ。己の頭を刃物で突いて、もっと精神の中枢から血を撒かなければ。
橋を離れて10分以上経ったが、未だにサイレンは聴こえず、パトカーとすれ違ったりもしていない。警察の怠慢は聞いていたけれど、本当に酷い有り様だ。
誘拐犯は逮捕を怖れているのではなく、イリアが約束を守るか否かを試す目的で通報を禁じたのではないか。愉快系の罪人から執心されていて可哀想だ。
「少年の死はわたしが受け止めるので忘れてください。景くんがいてくれてよかったです」
なぜか不意に『密着する勇気』という青年向けの変な恋愛漫画を思い出してしまった。
こちらの背中に身を預けているイリアは冷静で、誘拐殺人鬼の愚弄に微塵も取り乱していない。内容と濃度に斑があるものの、予知を外したことがないのだろう。自分も似た感じだ。犯人はきっと、彼女の性質を把握できていない。
「このままバスターミナルの隣にあった『スアン』に行きませんか? 『Stay Up All Night』の略です。コミックとパエリアを運んで屋上のソファで過ごしましょう。星が見えるかもしれません」
「そうしよう」血か排出液で首の絆創膏が湿り始めている。
イリアには、『次の受傷で破滅するから容易く心を開けない』と、先に言えたらよかった。
終わりある憩いに寝転んだとき、胸を犯す泥濘を、やさしい花びらで掻把してほしい。
06 Kei end.




