第96話 エナリア商会にて
なんという速さか。
この世界にも交通の革命があれば、ヒト、モノ、カネの動きが変わるのだろう。
幸運にも俺はフォーリアと出会い、デップ・ワイバーンの知識も得られたから移動の革命の恩恵にあずかれたものの、他者が知ったら悪用されかねない。
龍化したフォーリアを他者に見せたくない理由がさらにはっきりした。
ミニンスクから離れた林の中に降り立ったフォーリアから降りると、彼女は予定通りデップ・ワイバーンを探しに出かけてくれた。できるだけ多く探してくれるらしい。
ゴマ粒程度の大きさまで昇っていったフォーリアを見届けると、さっそくミニンスクの街へ向かった。
まだ陽が傾いていない中、これだけの長距離を移動できたことは大きい。
ミニンスクの街中に入ると、一直線にエナリア商会の建物へ向かった。
建物を見つけて扉をくぐりグォールさんへの面会を希望。
使用人が確認に行ってしばらくすると中へ通された。
通された部屋は、グォールさんが覚醒したあの私室だ。
「失礼します」
「おぉジンイチロー殿、久方ぶりだ」
「グォールさん、お元気そうで何よりです」
「さぁ、かけたまえ」
「ありがとうございます」
三人並んでソファに腰かけた。
「グォールさん、紹介します。こちらはハピロン伯爵邸でも働いていたメイドのモアに・・・あぁ、確かもう会っていましたっけ。それと、エルドランから派遣されたベネデッタです」
「「 よろしくお願いします 」」
「うむ。さて、今日はどんなことで私の所へ?」
「はい。まずはエルドランから持ち込んだものについて相談したくて・・・」
「エルドランから?」
「グォールさんは、カフィンというものをご存知ですか」
「いや、知らないな。しばらく呆けておったからな、新しい情報と昔の情報を比較精査しているところなんだ。ただし・・・エルドランの商会が不穏な動きを見せている、という情報は耳に入っているぞ」
グォールさんの目が光った。カフィンは知らずとも何かしらの動きは察知していたんだろう。さすがとしかいいようがない。
「そうですか。では百聞は一見に如かず・・・グォールさんにもエルドランに広まっているカフィンを飲んでいただきたいと思います」
「カフィン・・・飲み物か・・・ふむ・・・」
「ベネデッタさん」
俺がベネデッタさんを呼ぶと、彼女は小さくうなずいた。
「はい。グォール様、お湯を拝借したいのですが」
「うん、いいぞ。おい!コレットはいるか!」
すると、ドアをノックして入室してきた人がいた。コレットさんだ。
「ジンイチロー様ですか、お久しぶりです」
「お久しぶりです」
「コレットよ、頼むがポットに湯をいれてきてはくれまいか」
「承知いたしました。すぐにお持ちいたします」
コレットさんが部屋を出るのと合わせて、ベネデッタさんがバッグからカフィンの豆を取り出した。すでに焙煎してあるようだ。
「これがカフィンの『焙煎』後の豆です。それとこの豆を細かく砕いたものがこちらになります」
「手にとってみてもいいか?」
「ぜひ。香りを確かめてください」
「うむ、それでは・・・。ほぉ・・・うむ・・・これは・・・独特の香りがする。焙煎・・・とは豆に火を通すのだな」
「そうです。ただ焼くのとは違いますがその認識で間違いありません。焙煎することでただの豆から芳醇な香りが生まれます」
「飲む、ということは・・・これを濾すのか」
「その通りです。今からそれを実演します。お茶を淹れるときとさほど変わりませんが、香りの爆発性はそれを上回ります。それもぜひお楽しみください」
「それは楽しみだ。して、ベネデッタ殿の目的というのは・・・なるほど、それが私を訪ねた理由か」
グォールさんは大きくうなずき、俺もあわせるようにうなずいた。
「そうです。エルドランに文化として宿っているこのカフィンを、ミニンスクの地にも根付かせたいと思っています。ですが、カフィンの豆だけを流通させても広がらないと思いまして、まずはあなたに試飲していただき、何かご助言をいただければというおこがましい企みをもってきたんです」
すると、肩を揺らしてグォールさんは笑った。
「はははっ!おこがましいなどとは!ジンイチロー殿、貴殿には恩がある。金貨では償えないほどの価値のあるのだ。気にすることはない。それにしてもカフィン・・・面白いな。ベネデッタ殿、この豆の香りだけでもその有用性は明るいと見たぞ」
「グォール様・・・」
ベネデッタさんはほっと肩をなでおろした。
親の仇を取るという目的もありながらも、カフィンを広めたいとする思いも本物なのだろう。
彼女の安心した顔を見てそう思えた。
ちょうどよくコレットさんがポットに入れたお湯とカップを持ってきてくれた。
それを見てベネデッタさんが濾し器をカップにセットし、挽いたカフィンを濾し器の布にさらさらと入れる。
お湯を少しだけカフィンに馴染ませると、ほんのりと香ってきた。
「湯気に乗って香ってくるな・・・」
「ここからが本番です」
ベネデッタさんがさらにお湯をカフィンに注ぎ込む。
しっかりと強く、それでいてやさしくふんわりと香った。
「うん、これはいい・・・。この香りは初めての体験だ」
「グォール様、これは・・・」
コレットさんがずいっと覗き込む。
「カフィンというものらしいぞ」
やがてカップに溜まったカフィンがグォールさんに差し出された。
グォールさんは言われるでもなくカップのカフィンを鼻に近づける。
そしてそっと口にした。
「香りとは裏腹になんと強烈な味わいだ。しかし・・・口に広がる苦味と共に、何とも言えぬ深い味わいと甘み、酸味が混ざり合う・・・こんな飲み物は初めてだぞ」
「もちろんこの苦味が苦手な方もいます。その場合は砂糖と牛乳で薄めることもできます」
「私は断然このままがいい。この味わいこそこの飲み物の神髄であろう。エルドランはこんな隠し玉を・・・そうか、オズワンド商会が動いていたのはこれだったのか・・・」
グォールさんの目が再び光った。さすがはエナリア商会のドンだ。
ベネデッタさんは敢えてグォールさんと目を合わせないようにしているように見えた。
目を合わせたら何かを悟られてしまうと思ったに違いない。
俺は話を逸らせるために間に入った。
「どうですか、グォールさん。エルドランはこれをミニンスクに広げたいのです」
グォールさんは大きくうなずいた。
「これはいける!香りだけでなく味わいも豊かだ。発酵茶ができたときも騒ぎになったものだが、これはそれを上回るものだぞ!ベネデッタ殿、エナリア商会は全面的に協力することを約束する。これは素晴らしいものだ」
「グォール様・・・!」
ベネデッタさんは笑顔は見せないものの、認められた嬉しさが雰囲気で感じ取れた。
「この飲み物は今後の食文化を変える力を持っていると確信した。ふふ、年をとってもなお変革に立ち会えるというのは胸躍る以外何ものでもないな」
「グォールさん、これをこの地で広めるためにはどうしたらいいですか」
グォールさんはカップを置いた。
「まずはこのエナリア商会に一定数運んでほしい。機会があるたびにカフィンを貴族平民問わず提供してみよう。反応を見ながらもエナリア商会がやがて発注するだろうという『期待値』を上げ、噂を立てる。ある程度の反応が見られたところで・・・エナリアの扉をくぐれば飲めるように給仕させる。このころになればある程度淹れ方も習得できるだろうな。飲食店の店主向けに正式に披露するのもこの頃だ。目途としてはミニンスクの祭りに合わせて屋台が出せるようになればよいな。特別販売も施せば流行が訪れると思う。ただし、すべてが順調にいけばの話だがね。そうはいっても発酵茶の流行は徐々に伸びていったが、このカフィンはもっと爆発的に拡がるはずだ。しかし・・・ここで問題になるのはこのミニンスクの街の規模にあう受注と生産がエルドランに可能かどうかだ。」
ベネデッタさんはいつの間にかグォールさんの話をメモしていた。小さくうなずいている。
「グォール様、まずは個別に受注を行って広げることも想定していたのですが・・・」
「ふむ・・・。しかし輸送はどうする?エルドラン方面の街道はよくないはずだ。個別の受発注をいちいち行っていたら輸送と伝達に時間がかかってしまう」
「それでしたら先ほどジンイチローさんと打ち合わせまして、輸送の目途が立ちそうです」
「ふむ・・・では個別の受発注はこのエナリアが一旦請け負うことにしよう。ベネデッタ殿が広報活動を実施したとしても、注文はエナリアへと言ってもらえばよい。これは我が商会の独占を目的とするものではなく、あくまでもベネデッタ殿の信用問題とカフィンの今後を考えての上だ。注文したのに商品がまったく届かない、ということがあったとしても、それは『エナリア商会の責任』とすることができる」
ベネデッタさんが目を丸くさせた。
「そんな恐れ多いことを・・・よいのですか?」
「カフィンの文化を広げるためには、ミニンスクからの注文に対してエルドランがどこまで耐えられるかを確認しながら行わなければならないと思う。エルドラン内にもカフィンを回さなければならないとしたら、価格が高騰しないようにミニンスクにも回さなければならない・・・。そのギリギリのところを我が商会がしばらくの間見守ることにする。ベネデッタ殿はエルドランに行った際に『取扱業者』の反応や市場の価格の動向を確認していただきたい。そうそう、あとは生産現場の生産状況だ。無限に増産できるわけではないだろうからね。季節の収穫ものであればなおさらだ。少しでも生産に変調があれば教えてほしい」
俺はため息をもらしてしまった。
「そこまでしなければいけないんですね・・・」
「そうだ、ジンイチロー殿。これは私がカフィンに対して『本気』だからだ。あらたな息吹をこの地に舞い込ませる予感が、このカフィンから香るからだ。それに、人々が・・・いや、たった一人でも魅力を感じる者がいれば大きな鼓動がすぐに訪れるだろうし、そうなることを見越して活動しなければなるまい。エルドランもカフィンの初めての対外受注を通して学び、我が商会もエルドランの生産状況を学びつつ、互いに『文化』を学ぶ取り組みを行うのだ」
ベネデッタさんが大きくゆっくりうなずいた。
「そう言っていただけると・・・エルドラン公爵も安心されると思います。グォール様に会えという命の意味がようやくわかりました」
「そうか。まずは少しずつ、焦らずに取り組もうじゃないか」
「はい」
ベネデッタさんは事件以来初めての笑顔を見せた。
俺もその笑顔を見てほっと安心できた。
しかし、俺はまだ心配な点が残っていた。
「ベネデッタさん、俺は『焙煎』も心配なんだけど、そこはどう思う?」
メモを一通り書き終えたベネデッタさんは俺を見た。
「そうなんです。私もそう思っていました」
「ジンイチロー殿、どういうことだ?」
「カフィンの豆は、いわば生鮮食品・・・生ものです。焙煎をすれば確かに飲めるのですが、焙煎から一定時間経つと香りが飛んでしまいます。香りのとんだカフィンは苦味と酸味が強く出ておいしさを味わえなくなるのです」
「ほぉ~・・・」
「つまり、淹れ方だけでなく焙煎の方法も習得してもらい、生きた香りを皆さんに提供できるようにする必要があります」
「奥が深いな」
ベネデッタさんはうなずいて続けた。
「そうなんです。エルドランは培った技術と文化がありますから問題はないのですが・・・。焙煎の技術が習得されるまでの間は、焙煎したものをすぐに運べるように努力します」
「うむ、そうなると街道の整備もすすめなければならんということか。こればっかりは私の権限でも至らぬところが大きい。周辺貴族にも機会があれば訴えていこう」
このあとベネデッタさんは焙煎の方法についてもグォールさんに教え、自らも試したいとしてカフィンの豆とセットを所望。公爵からもらったセットのうちの一つをグォールさんに贈呈した。必要とあらばエルドランから調達すると約束を交わした。
「グォールさん、カフィンのほかにもう一つお伺いしたいことがありまして」
「なんだね」
「グォールさんはワイバーンをご存知ですか」
グォールさんは少しあざ笑うかのように鼻で笑った。
「もちろんだ。この目で見たこともある。しかしそれはもう何十年も前の話だ」
「ワイバーンを討伐したのですが売れるところが分からなくて―――」
グォールさんはテーブルを叩いて立ち上がった!
「なんだと!!」
「いやっ、その――――」
「ワイバーンを討伐しただとぉ!?」
俺はもしやと思った。ワイバーンって狩っちゃいけない魔物だったのか!?
「見せてくれっ!!」
「えっ?」
「今すぐ見せてくれっ!!」
「あの・・・実は今はとある理由でお見せすることができなくて・・・」
「いつ!?いつなら見れるというのだ!?」
「そうですね・・・使いに出している者が保管しているので、その使いが戻ってきたら―――」
グォールさんはようやく落ち着いたようで、ソファに腰を落ち着かせた。
「待つ。私は待つぞ」
「はぁ・・・」
「ジンイチロー殿、よくぞ私に相談してくれた。貴殿にはまた借りができた」
「そんなに大ごとなんですか?」
「当然だ。ワイバーンが狩れるという事実だけでも一大事だ。これが他の者の耳に入ったとしたら大変な騒ぎになる」
あなたもたった今大変な騒ぎを起こしましたけどね。
「・・・・・まだかね?」
「え?」
「大分待ったぞ」
「待つとおっしゃってから20秒も経っていませんが?」
「私にとっては2時間ぐらい待った気分だが?」
だが?とおっしゃられても・・・。
「使いの者はどこに行っておるのだ?」
「さぁ・・・?近くても大山脈かと・・・」
「なにぃい!?それならば早くてもあと一週間はかかるではないか!」
「え?そんなことはないですけど?早くても日が暮れるまでには帰ってくると思いますけどね」
「何を言う?それこそワイバーンのように空を飛べなければ到底無理ではないか」
えぇ、まさにそうするから早いんです。
「うぅむ・・・貴殿は本当に価値ある男だ。できればこのミニンスクに拠点を置いてほしいのだが」
グォールさんは口角を上げて笑っているが、目がマジだ。
「今のところは王都を拠点にしているので―――」
「・・・知り合いの女性がいてな。婚儀の相手を探しておるようだが―――」
「遠慮します」
「むむ・・・なびかんのう・・・。いや、無欲なればこそか・・・」
ますます目がマジになってきた。
そろそろフォーリアが帰ってくるかもしれないから、そろそろお暇しようか。
「グォールさん、それでは明日にでもワイバーンをお見せします。また立ち寄りますから」
「ジンイチロー殿、絶対だぞ」
「えぇ、約束します」
帰ろうと立ち上がったその時だった。
コレットさんがグォールさんに耳打ちすると、何かを思い出したようにうなずいた。
「そうだ、ジンイチロー殿。貴殿は今日の宿はどうするかね」
「宿・・・まだ何も手配していませんが」
「もしよければ旧ハピロン邸に泊まっていかれよ」
「いいんですか?」
「もちろんだ。それに、貴殿の知り合いも今そこで働いている。顔合わせついでに利用してみてはいかがかな」
「わかりました。立ち寄らせていただきます」
「うむ。すでにコレットが使いの者を出した。到着する頃には部屋の支度も整っているだろう」
そして俺とグォールさんは固い握手を交わした。
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