第91話 退役
暗くかび臭い地下の牢獄とはいえ、気持ちが暗くなったわけではない。
彼女が自分の将来を考える上では最高の場所となった。
湿った空気を吸いながらも、むしろ清々しいと彼女は思えた。
例えるなら、今の気分はまるで巣立った小鳥を見送る親鳥のようだろう。
転機はハピロン伯爵の人外化した姿と戦う姿を見たあの時だろうか。
自分が会得しえなかった魔法を存分に操り、あまつさえ騎士団に勝るとも劣らない剣術を振るい、気色の悪い魔物に勇気をもって戦いを挑んだ。『元人間』であれば剣の切っ先を向けるのは誰でも躊躇するものを、彼女は心に発破をかけ、切り捨てた。
さらに最たるは穀倉地帯での戦いだ。
暗闇の中護衛もままならない混戦を、彼女は自分の力で切り抜けた。
冒険者や兵士を鼓舞し農務にあたることも厭わず民と喜びも苦しみも分かち合い、光る汗がなお一層内なる光と共に彼女を輝かせた。
そんな彼女を見た時、彼女は思った。
もう自分の役割は終えたのだ―――――
思わず口元が緩む。
いつかは来る別れの時、それはどこかの貴族に娶られる時とばかり思っていた。
だがイリアは彼女の想像の斜め上をひた走った。可能性を感じる成長の結果がもたらした大きな光は、彼女へ『決断』という贈り物を授けた。
イリアはこの牢獄に幾度も足を運んでくれた。
何度慈しみ深い言葉をかけてくれたことか。
何度彼の者の必要性を説いてくれたことか。
他者では味わえない誉れ高く誇りある栄誉職、近衛騎士団に就いて、これほどの喜びはなかった。
イリアの言葉を聞き、彼女はさらに思った。
栄誉は今の自分にこそあるが、これからの自分が受けるべきではない―――――
忠誠心は疑うことなく彼女の心中深くまで存在している。
しかし、この職に就き続けることがイリアにとって――――いや、自身にとって必要なことなのか
「第一近衛騎士団長メルウェル、出ろ」
牢獄の番兵が鍵を開けて促す。片足だけ立てて壁にもたれかかるように座っていたメルウェルは、ゆっくり上体を起こし、長い間世話になった鉄格子の部屋を出ると、番兵の後に続いて歩いた。
誘われるまま向かったのは、王と客の応接する謁見の間。
久々の日光にもまだ慣れないというのに、牢獄から出て早速王との面会か―――
メルウェルは緩みきった心に喝を入れ、団長の所作を記憶から手繰り寄せた。
まだ王はいない。
謁見の間のやや中央まで歩んで止まるとそのタイミングで別扉から王とイリアが入室した。
何度も獄中で会っているはずなのに、何か月も会っていないような想いが廻った。
「第一近衛騎士団長メルウェルよ」
王が張りのある声で呼んだ。
「はっ」
そう・・・ここでは跪き、王家への忠誠心を見せるところだった。王が入室した時点でするはずだったことを、内心しまったと思いながらも、戸惑いの表情など微塵も見せずに取り繕った。
「貴殿の罰を解き、近衛騎士団長に復職することを命ずる」
「はっ!恩赦に感謝いたします」
「うむ。今後もイリアをよろしく頼む」
「はっ」
王はそういうと、謁見の間から退室していった。
他の兵士も謁見の間から退室した。
口合わせでもあったのか、イリアを残してやがてすべての兵士も退室した。
謁見の間に残されたのは、イリアとメルウェルだけであった。
イリアが玉座のある台座からメルウェルに歩み寄った。
メルウェルは未だ跪いたままである。
「メルウェル・・・」
イリアが跪くメルウェルの目前まで歩むと、その膝を床につけて、メルウェルを抱き寄せた。
「イリア様・・・」
「メルウェル・・・辛い思いをさせてしまってごめんなさい。私が悪いのに・・・あなたをそそのかしてしまったばかりに・・・」
「イリア様が悔やむ必要はございません。不肖ながらこのメルウェルは普段味わえない牢獄の生活を楽しんでおりました」
「・・・ふふ、あなたらしいわね」
「ですが本当の事です」
「・・・こんなに匂っていても?」
「匂いは自分では気づかぬものです」
「特別に私の湯あみ場を貸すから汗を流してきて」
「いえ、それは・・・」
「いいの!罪滅ぼしにお願い!」
必死の形相に、メルウェルは思わずクスリと笑ってしまった。
「承知しました。それではお言葉に甘えまして」
「じゃあ付いてきて」
イリアにエスコートされながら立ち上がると、メルウェルはいつもと同じように彼女の半歩後ろを歩いて付いて行った。
大きな浴槽が付いているイリア専用の湯あみ部屋。すでに給仕たちが湯はりを済ませ、数人が部屋の外で後片付けをしていた。
イリアが給仕達に礼を告げると、脱衣室のような小さな部屋にメルウェルを入れた。
「イリア様、替えの服がございません」
「いいのよ、私のを貸してあげるから」
「いえ!なりません!イリア様のお召し物を私のような―――」
「いいの!たまにはドレスも着なさい!」
「はぁ・・・」
湯あみから上がったメルウェルに差し出されたドレスは、王女しか着用しないような肩を出した淡い藍色のドレス。
イリアが着付けを手伝い、姿見でメルウェルの着こなしをチェックした。
「メルウェル・・・素敵・・・」
「あの・・・このようなお召し物は私のような者には―――」
「何を言うの!すごく似合ってる!素敵!」
「あぁ・・・うぅ・・・」
頬を赤く染めたメルウェルが困ったように俯く。
「これならメルウェルにもお見合いの話が来そうね」
「み、見合いですか」
「そうよ。あら!それとも、もう心に決めた人がいるのかしら」
イリアは窺うようにメルウェルを見つめた。
心に決めた方など―――――
不意によぎった面影があったものの、メルウェルはさして気にも留めず、面影は彼方に消えていった。
「特にそういう男性はおりません」
「そう・・・ふぅん・・・」
「何か?」
「何でもないわ。さて、お茶にしましょうか」
「え・・・このお召し物のままですか?」
「何か?」
「あ・・・いえ・・・はぁ・・・」
近くのイリアの居室に移動すると、すでに給仕によって準備済みだったテーブルのティーセットにルンルンとお茶を淹れるイリア。メルウェルはため息深く、ソファに腰を落ち着けた。
メルウェルはしばらくの間イリアの四方山話に付き合ったが、一呼吸置くと、少しだけ表情を硬くしてイリアが話題を変えた。
「ねぇメルウェル。実は今日、お父様から私に対する穀倉地帯での不届きについてお達しが下されるの」
「イリア様に?罰は十分私が受けましたので、何故イリア様に・・・」
「私が望んだことよ」
「直々に、でございますか」
「そう。たとえ娘であっても戒律を乱したことには変わりはないし、それにメルウェルだけに罰を受けさせるわけにはいかないと思ったの」
「イリア様・・・」
「どんな罰でも受けるわ。それこそ、あなたのように牢獄でしばらく生活することも覚悟している」
メルウェルは首を横に振った。
「なりません。なんだかんだといってもイリア様は王女の御身分です。罰を受けるとしても牢獄はありえません」
イリアは軽く嘆息した。
「・・・お父様も、私が罰の話を持ち込んだ時同じことを言っていた」
「でしょうね」
「ジンイチローといる時は厳しく『相応の罰がある』と言っていたのに、ふたを開けてみたら特に考えていなかったっていうの。罰を下すなら王女であろうがなんであろうが、王として当然の義務だと言ってやったの」
「ふふっ。王の困った顔が目に浮かびます」
「そうね。『困惑』という言葉はまさにあの顔のためにある言葉だわ」
イリアがティーカップのお茶を一口含んだとき、メルウェルは目を細めた。
誰もいない今こそ、ここで告げるべきだろう―――――
「イリア様、私からも大切なお話があります」
「何?」
「今後の、私のことについてです」
「・・・メルウェル?」
「私は第一近衛騎士団長の職を退任し、王城を去りたいと考えています」
イリアの顔が一編に青ざめた。
メルウェルはそうなることを想像していたものの、いざ目の前で起きるそれを見ると心が軋むように痛い。
「どういうこと?なんで?罰を受けたことに不満があった?なら私がお父様に――――」
メルウェルは静かに首を振った。
「違います。王は関係ありません」
「じゃあなんで!?」
メルウェルは持っていたティーカップを置いた。
「色々考えた上での決断です」
「そんな――――わたくしは・・・わたくしはずっとあなたに・・・」
メルウェルは瞳を閉じ、握った拳を腿に乗せた。
「ずっと・・・ずっと考えておりました。決断の時が迫ったと感じたのはハピロン伯爵邸の事件の際、イリア様の戦いぶりを眺めた時です。本当にお見事でした。魔法と剣術を駆使し異形となった『元人間』に立ち向かうそのお姿を嬉しく思った反面、いつかは訪れるだろうと思っていた別れの時が近いことを悟りました。その後の采配における堂々とした立ち振る舞いも然りです。そして穀倉地帯での戦いぶりと民や兵士との交流を垣間見て、私は決心しました」
「メルウェル・・・」
「イリア様をお守りするのが私の役目です。ですが私はそれと同時に、イリア様の成長をお助けする役目も担っておりました。無論王からはそのような拝命は受けておりませんが、私はそれを常に心がけて任にあたっておりました」
「・・・」
「イリア様、私はこれほど幸せな立場にいる自分を誇りに思います。民と共に歩もうとするイリア様の成長をこれほど近くで見守ることができたのですから。別れの時はやがて来るものです。私は―――今がその時と思うのです」
「メルウェル・・・」
「ですから――――」
メルウェルは続けようとして開けた口をそのままに、イリアの流れている涙と震える姿に気付いた。
「イリア様・・・」
「ごめんなさい。こんな―――泣いてはいけないと思っていても・・・ちょっと・・・無理・・・」
「申し訳ございません」
「メルウェルが謝ることじゃないわ。むしろあなたが自分の気持ちを話してくれただけでも嬉しいの。こんなふうに面と向かって話をする機会なんて数えるほどしかなかったから」
「えぇ、確かに―――」
「でも、そんなドレスを着ながら話すことは初めてね」
「あっ!あぁ・・・・」
「ふふ!一本取ったわ」
「・・・ふふふ!」
思わずメルウェルも吹きだして笑ってしまった。そんなメルウェルをイリアは優しく見つめた。
「・・・ねぇ、メルウェル」
「はい」
「あなたの気持ちはよくわかったわ」
「・・・ありがとうございます」
「お別れといっても、いつでも会えるでしょ?」
「お望みであれば・・・」
「うん、それならよし!」
にっこりと笑うイリアだが、頬に伝う一線は途絶えることはなかった。
メルウェルはそんなイリアに努めて明るく振る舞おうとした。
「それで――――メルウェルはいつ王城を離れるつもり?」
「・・・お許しがあれば、すぐにでも」
「・・・そう。わかったわ。辞令については伝えておきます」
「イリア様、一つお願いがございます」
「ん?」
「辞令を下すのは兵務大臣―――あぁ、今は空席でした。兵務局長より下されると思われますが、まずはイリア様から、私の任を解く命令を下していただきたいのです」
「わたくしから・・・」
「はい。ぜひとも」
メルウェルは大きくうなずいた。
その数刻後のこと、王の居室にて――――――
「はぁああ!?メルウェルがぁ!?」
「うむ・・・」
アルマン王の眼前であんぐりと口を開けるバーカー兵務局長。
彼の上にいるはずの兵務大臣は目下無期限休職中で空席となっている。組織として兵務大臣は警備局と兵務局を抱える体制から、つまるところ兵務局長は警備局長のノランとともに事実上の大臣となってしまう。
ここ最近ノランと同じく頭を痛めているのが、人材不足という問題。
兵士に対するニーズの増加と周辺地域の魔物討伐任務も増加し、頭痛の種も増えるばかりだった。
「なにゆえに・・・まさか、給金が足りぬとでも!?増やしますぞ!!増やしましょう!!こうなったら3倍でも4倍でも!!」
「バーカー、落ち着け」
「落ち着いていられますか!!メルウェルは将来この仕事に就く一番の候補者ですぞ!!我が国の行く末にも影響します!!」
「無論それは私も承知している。お前と同じ思いだ」
「はぁ・・・だから私は反対したのですよ。穀倉地帯に無断で行ったからといって罰を受けさせる必要などないと。兵士も冒険者も農務者も死人を出さずに彼らは帰ってきたのです。讃えられることはあっても罰を受ける必要はないのです。表向きは澄ました顔をしていても、奥底には彼女なりの誇りもありましょう。牢獄に長い間入れられたら、こんなところにはいられないと思うのは関の山。・・・・・はぁ、次の大臣に向いていたというのに・・・」
アルマンは軽く嘆息した。
「バーカーよ、そなたはメルウェルを誤解している」
「え?」
「確かに彼女は将来的に重要な役どころに落ち着くべき人材であったろう。だが、彼女自身はそれを望まん。彼女が望むは『イリアに仕えること』、この一点のみだ。仮に我々がイリア警護の任を解きでもしたら、彼女は王城を去るだろう」
「しかし!!それならばなぜ彼女は王城を去ろうというのですか!!牢獄からも出てイリア様警護の任をそのまま引き続きあたってもらうことに変わりはなかったはず!何が不満だというんですか!」
「・・・・・強いて言えば、イリアだ」
「・・・?」
「わかりづらいな。とにかく、メルウェルはイリア警護の任を自身が行わなくともよいと判断した。つまり、それだけイリアが成長したともいえる、ということだ」
アルマン王は顎に手を当てて遠い目をしている。
「だからといって王城を去るなど―――」
「・・・イリアが・・・」
アルマン王が目を細くした。
「イリアがああもはっきりと身近な者の進退について意見するなどなかった。あれほど自らににうそぶいて解任を申し出るなど・・・。だからこそイリア達は本気なのだろう。わたしはそう思っている」
「あぁ、優秀な人材が・・・」
バーカーは再び頭を抱えた。
「しかし、例の施策は功を奏しておるのだろう?」
「えぇ、規定数は上回りました。やはり安定した収入と食の当てがあるというのは魅力なのでしょう。ですがよろしいのですか?平民にまで・・・」
「仕方がなかろう。そもそも歴史を紐解けば国同士の争いが最近までなかったから急務となりえなかった・・・とはいえニグルセン領域を我が国に取り入れた時点でそうすべきだったといえる。広すぎる国土を治めるには民の力を借りねばできない所業だ」
「間者が紛れ込む可能性も捨てきれませんよ」
「承知の上だ。だからこそ、微細な報告も逃さぬような体制づくりも研究しろと言った」
「それについてはノランとともに毎日詰めておりますゆえ・・・」
「いずれメルウェルに代わる人材も発掘できるやもしれん。貴族だけが優秀とは限らん。穀倉地帯の一件のような出来事を起こさんためにも、兵士募集の枠を広げる此度の施策は将来をみてもかなり重要な決定だ」
バーカーは小さく何度もうなずいた。
「わかりました。話を戻しますが、メルウェルの件は・・・すべての任を解くという辞令で構わないのですか?王城勤務だけでも・・・」
「そうは言ってもな・・・メルウェルの意志は固いだろう・・・」
「ですよね~・・・。御家柄的に厳しければよいのですが、入城した際のランド男爵たちの反応はすこぶるあっさりしていましたからね。今でも覚えていますよ、近衛騎士団入隊の祝いに来たランド男爵が本人を目の前にして言った「本人の好きにさせていい」という言葉を」
アルマン王はニヤニヤと笑った。
「あれは私も覚えている。やけにあっさりした親子だと思った。だが互いに信頼し合っている証拠でもあるだろう」
「そうですね。・・・さてと、わたしはこれで失礼します。あぁ、問題が山積みです・・・」
「うん。頼んだ」
バーカーは王に見えないようにため息をついて王の居室を後にするのだった・・・。
いつもありがとうございます。
次回予定は12/14です。
よろしくお願いします。