第89話 奴隷ベネデッタ
短剣を逆手に持ったベネデッタさんが靴音を響かせながら歩み寄る。
ああも殺気を向けられるとこれまでのベネデッタさんの印象とまるで違い、正直言うと、怖くて動けない。
それに短剣を持つ相手と相対するのは初めてだ。どう戦えばいいのか―――いや、どう切り抜ければいいのだろうか・・・。
それよりもまして、ロサーノの奴隷であったというのが信じられなかった。
そもそも『奴隷』というものがこの世界にあるのかと驚いてしまったほどだ。
彼女がロサーノの奴隷―――。
「ベネデッタさん、ロサーノの奴隷だというのは本当ですか」
俺の言葉に歩みを止め、いつもの笑顔などなく俺を見据えた。
「だからなに?」
「ただ・・・驚いただけです」
「私はロサーノの奴隷。奴隷は主人に従う。ただそれだけ」
商会で俺に向けていた笑顔のかけらも優しい物言いもなく、松明の明かりの影に同化した顔からは明らかな俺への殺意が向けられていた。
「剣を抜いて」
「・・・」
「・・・そう。抜かいないのならおとなしく首を撥ねさせて」
彼女はそういうと、大きく跳躍するように駆けてきた。
刀を抜いていたとしても無理だった。防ごうにもすぐに間合いに詰められ、簡単に短剣を持つ右腕を振られてしまった。
魔力循環もままならないまま、俺は思わずしゃがんで一撃を躱した。
足に蹴り込むチャンスかと思いきや、突然彼女が消えた。
「後ろです!!」
モアさんの叫びに反応し、体を横に転がした。
起き上がると同時に刀を抜いた。
視界に捉えたのは、転がる前に俺がいた場所に短剣を突き刺していた彼女の姿だった。
ゆっくりと態勢を整える彼女。俺は魔力循環を施し、攻撃に備えた。
だがその時だった。
ロサーノの取り巻きがもっていた松明の明かりがおもむろに消えていったのだ。
ロサーノが指示したのか・・・。
やがてモアさんのもつ松明だけが倉庫の中をほんのりと橙色に染めるだけとなった。
「ベネデッタさん、一体なんのつもりだ・・・」
「私は暗闇の中でも目標を見失わない。捉えた者は逃さない。それが『暗殺者』である私の固有スキル。私がこの世界で生きていくための証・・・」
「『暗殺者』?まさか公爵を・・・」
「公爵を殺せと命令を受けた覚えはないわ。公爵はこの街には必要だってこの前話したはずよ」
「全てはロサーノの命令だったというわけか」
「話した通り、主人の命令に従うのは奴隷である私の仕事。カフィンを高騰させ、そのカフィンをさらに値上げして流通させる。この街には必要だったはずよ、なんの取柄もない田舎の街をあんな実だけで価値の高い文化ある街に仕立てることができるのだから」
不意にディアヌさんの泣きっ面が脳裏をよぎった。
必死になって夢を追った者が、夢のために作ったもので夢を壊される――――
刀を握る手が熱くなった。剣先をベネデッタさんに向けた。
「違う。価値ある文化は全ての人に広がり、みんなが作り上げていくべきものだ。金で吊り上げた文化なんて所詮似非モノだ」
「甘いわね・・・」
短剣を握ってから初めてベネデッタさんは笑った。とはいっても口元を歪めるだけの嘲笑といったところか。
「ベネデッタさん、聞きたいことがある」
「・・・最期のあなたの言葉を聞いてあげる」
「奴隷だからこんなことをするのか?奴隷とか関係なく本心はどうなんだ?」
まだ俺は信じられなかった。
屈託ない笑顔を向けてくれたベネデッタさんが、本当にこんなことをよしと思っているのだろうかと。
彼女は不機嫌そうに眉を吊り上げた。
「何も知らないくせに・・・奴隷になった私のことなんて何もわからないくせに・・・」
彼女が身構えた。
「あんたに――――何がわかるっていうの!!!」
暗闇に目が慣れてきたとはいえ、薄闇にぬるぬると動く彼女の動きは感嘆の息さえ漏らすほど鮮やかで無駄がない。
だからこそか、動けない。避けても彼女はすぐに詰め寄るとわかる。彼女の言う通り獲物を逃がさんとするその姿勢は、飢えた大蛇のようだ。
いつの間にか間合いに詰め寄られ、短剣の筋が見えた気がした。
思わず後ろに上体を反らせ、刀を振り上げた。
偶然か、短剣の筋と刀が触れて乾いた金属音が響いた。
彼女はすぐに第二撃を滑らせた。
その短剣を俺は辛うじて刀で受ける。
目の前にある彼女の悲しいまでに憎悪に満ちた表情が、余計に俺を哀しくさせた。
何が彼女をここまでにさせたのか・・・。
彼女が間合いから少し離れたと思ったら、再び彼女が視界から消えた。
後ろか!!
いない!!
ハッとして上を見たら。短剣の切っ先を真っ直ぐ俺に下ろしていた。
刀を振って切っ先を弾くと、俺はバランスを崩して倒れてしまった。
だが彼女はそれ以上斬りこまなかった。
「ベネデッタよ!何をしている!はやく始末しろ!」
うるさいな、あの親父は・・・。業を煮やしたロサーノがベネデッタさんに恫喝した。
「ベネデッタさん、ロサーノの奴隷になったというからには何か契約でもしたのか?」
「・・・あなたは奴隷を知らないのね。奴隷は必ず奴隷紋を体に付けられる。それで事足りるのよ」
「じゃあ、ロサーノがいなくなれば奴隷は解消されるんだね」
「・・・」
その無言が俺に答えをくれた。
ベネデッタさんに背を向けようが構わない。俺は踵を返してロサーノへ歩み寄った。
ロサーノが驚愕したのは言うまでもない。
「おま・・・何を・・・」
「あんたがいなくなれば彼女は自由なんだろ?だったらわかるだろう?」
「ベネデッタ!!」
背後から気圧され髪が逆立ちした気がした。
俺は振り向きざま刀を真一文字に振りぬいた。
「せいっ!」
「くぅ・・・!」
ベネデッタさんの左腕に深い刀傷を与えてしまったようで、彼女は跳躍して後ろに引いた。
地面には黒い染みが浮かんでいる。
俺は再度ロサーノに向く。
「彼女はあんたが奴隷として買ったということか」
「・・・そうだ。アナガンで掘り出し物として購入した。『暗殺者』としての能力はまだその時には開花していなかったがな」
「つまり、あんたに買われたあと彼女は訓練をして仕立て上げたというわけか」
「そんなところだ。ここではない遠くの国でな。将来は教国のために働いてもらおうと思っていた。そのためのカフィンでもあったが――――」
なんだって?『きょうこく』?
カフィンがなんでそんなものと?
「ロサーノ、つまりはそのためにカフィンの高騰を画策して私腹を肥やそうとしていたことは事実なんだな」
「私腹のためではない!だが、有用性のあるカフィンを外に流す前に出来るだけのことはしようと思った。盗賊もでっち上げ、カフィンの生産も我が商会が独占するようベネデッタを使って抑えていた。エルズ商会はカフィンのための施設を整えたが、許可が下りる頃にはフィロデニアの細部にわたり、我が商会の独占が行き届いているだろう」
「そして・・・あんたはカフィンの農場にも手をまわしはじめた」
「ふふ、村人どもに渡す金が操作できる時点で我々の元へ来るのが自然の摂理だ。維持が出来ないと言われれば、すぐに私が全ての農場を押さえて、奴隷に働かせるつもりだった。食事とほんのわずかな給金を与えるだけでいいのだからな」
虫唾が走る。
こんな奴にディアヌさんの想いが踏みにじられていたと思うと、今すぐ斬りつけてやりたい気分だ。
「いかん・・・話し過ぎた。ベネデッタ!!早くこいつを!!」
まったく、こいつはそれしか言えないのか・・・と思いきや、ベネデッタさんは俺を見るのではなく、一人佇むモアさんに目を向けた。
まさか・・・!
「この女に剣を向ければおのずとジンイチローは刀を捨てる」
「やめろ!!」
ベネデッタさんは瞬く間にモアさんの首筋に短剣の切っ先を当てた。
モアさんの首筋に緋色の珠が細線となって落ちていく。
「あと少し力を入れたら一気にいくぞ」
「・・・ジンイチロー様、私のことはお気になさらずに。短い間でしたが楽しい時間を過ごせました」
「モアさん・・・」
「なんだ、もう辞世の句か?ならばひと息にいく」
ベネデッタさんの気が据わった。
「やめろ!!」
「ですがジンイチロー様、あなたを困らせたこの女には少々仕置きをしてやる必要があります」
「え?」
モアさんは持っていた松明を思いっきりベネデッタさんの顔めがけて叩き込んだ。
「ぎゃああああああああああああああ!!!」
短剣を落としたベネデッタさんは両手で左目を覆った。
モアさんの思わぬ攻撃は予想していなかったんだろう。
よし、今だ!!
俺はモアさんの元に駆け付け、彼女をお姫様抱っこすると、両手で目を押さえるベネデッタさんから遠ざけた。
「モアさん大丈夫?」
「なるほど、世の女子が殿方にしてほしいと思う理由が今わかりました」
「こんな時に何言ってるの。傷は?」
「問題ありません」
「よかった。じゃあここで待ってて」
「承知いたしました」
モアさんを降ろして踵を返すと、鬼のような形相でベネデッタさんは俺を睨んでいた。
「おのれえぇ・・・」
「ベネデッタさん・・・」
もしかして・・・
彼女が俺に対して向ける熱い憎悪の眼差しは、俺に対するものではないような・・・
過去に何かがあった――――。彼女の纏う怒気は俺の向こう側にある何かに向けられている・・・そんな気がした。
「おまえ・・・ころす・・・」
「もうやめようよ。奴隷だからやるとか、君が剣を持つ理由はそんなのじゃないでしょ」
「うるさい!!!」
彼女はいつの間にか握っていた短剣を再び逆手に持ち変えると、俺に向かって駆けだした。
しかし先ほどの鮮烈な動きとは全く違い、ただ足が速い人の動きにしか見えなかった。
今の彼女ならイリアでも対処できるかもしれない。
刀の間合いに入ったところで、短剣にしっかりと狙いをつけ、下から短剣目がけて振り上げた。
金属音と共に、短剣が宙を舞い、遠くで鈍い音を立てて落ちた。
俺はすぐに彼女に駆け寄り、首を掴んでそのまま地面に叩きつけた。
苦悶の表情で絞める俺の腕を掴んだ。
俺は刀の柄を握りかえ、彼女に突き刺すようにポーズをとった。
その瞬間、彼女の右目に憂いがみえた。
覚悟したのか。
その刹那、彼女の体は光の繭に包まれ辺りを眩しく照らした。
ロサーノや取り巻きの連中も目を細めながらも口をあんぐりと開けて驚きを隠さなかった。
もっとも、一番驚いていたのはベネデッタさんだ。
きょとんとした顔で俺を見ていた。
「左目が・・・腕が・・・」
「フル・ケアをかけたんだ。回復魔法だよ」
「・・・どうして・・・」
「別に。深い意味はないよ。ただまぁ・・・ほっとけなくてね・・・」
「・・・」
怪訝そうに俺を見る彼女の顔には戸惑いも見えた。
「ベネデッタ!!・・・くそぅ!使えない奴め!お前ら、今ならあいつをやれるぞ!やった奴は金貨50枚だ!」
息巻くロサーノに呼応してか、取り巻きの連中も興奮気味に剣を手にしていた。
「仕方ない、やるか・・・」
起き上がろうとした、まさにその時だった。
「全員、そこを動くなぁ!!!!」
松明を持った兵士達が入り口からなだれこんだ。
聞き覚えのある声で一喝されたためか、ロサーノは肩を震わせた。
「ロサーノよ、全て聞いていたぞ」
「こ・・・公爵様!!」
「私を騙した挙句、盗賊をでっち上げカフィンの高騰を画策して私腹を肥やした罪は重い!!全員武器を捨てて投降しろ!!」
公爵の怒声に、取り巻きの者達は「どうする?」という目をロサーノに向けた。
ロサーノは怒りと恥辱を織り交ぜたような顔で公爵を睨んでいた。
そして彼は公爵に指差して叫んだ。
「お前ら!公爵と兵士を全員やるんだ!全員やれば報償を出すぞ!!」
倉庫に響いた彼の言葉は誰の心にも届かなかったようだ。
取り巻きは人数も技量さえも劣る自分たちの劣勢を感じ、ロサーノの指示に応えることはなく、皆次々と武器を投げ捨てた。
「ちょ・・・お前ら!何のために雇ったと思っている!?」
「ロサーノ、これでおしまいだ」
公爵の低く、それでいて落ち着いたその声に、ロサーノは膝から力が抜けたかのように地面に座り込んでしまった。
「よし、全員拘束しろ!!」
兵士達が次々とロサーノはじめ取り巻きの者達を捕えていった。
そして、それはベネデッタさんにも及んだ。
縄で括られるベネデッタさんを、俺は静かに見ていた。
ベネデッタさんは終始うつむき、抵抗することなくお縄についた。
そして皆倉庫の外へと連れられて行った。
公爵が俺に歩み寄った。
「ジンイチロー殿、本当にありがとう」
「いえいえ。むしろ感謝しているのは私の方です。私を信じて行動に移していただきありがとうございます」
公爵が手紙を理解したことは承知の上だった。
夕刻前にオズワンド商会で固く握手をしたあの時――――
ベネデッタさんに見えないように公爵は俺に片目を瞑って合図してくれていた。
『公爵に宛てられた手紙』のカラクリもすでに公爵は織り込み済み。鋭くも静かな瞳はロサーノとベネデッタさんの反応を窺っていたのだろう。
公爵は俺の行動を理解した上での、一歩遅くもロサーノの独白を聞いた後で乗り込んできた―――というわけだ。
「手紙を読んだときは確かに信じられなかったが、今こうして大量に積まれたカフィンを見ると、あらためて君を信じてよかったと思っている。ベネデッタのことは本当に残念に思う・・・」
この倉庫にはカフィンが大量に眠っていた。
価格の高騰を招いても運送自体は正常だったのだから、外の街へのカフィン流通はこの倉庫のものを使うつもりだったのだろう。本気で大量のカフィンを高額で売るつもりだったらしい。
だが、私腹を肥やすためではないとロサーノは断言していた。
きょうこく・・・強国?教国?よくわからないけど――――――
「何はともあれ、今日はゆっくり休んでくれ。ただし申し訳ないが、明日、私の屋敷へ来てほしい」
「わかりました」
「それでは」
踵を返して残った兵士と共に倉庫を出る公爵。
俺とモアさんは黙ってその後ろ姿を見届けたのだった。
いつもありがとうございます。
次回予定は12/8の予定です。
よろしくお願いします。




