第86話 ディアヌの想い
広い農場で黙々と赤い実を摘み取る。
籠には摘み取った実が溢れんばかりに詰まっている。
摘み取りを止めて少し離れたところに置いてある白い大きな袋にその実を開けた。
この作業を延々と繰り返すこと2時間。最近は時間の進みが時計がなくともわかるようになってきた。
額の汗を拭い、再び先ほどの樹のところへ行き摘み取りを始めた。
隣の列の樹ではディアヌさんが、その隣はモアさんが、せっせと摘み取りに汗を流している。
リッケンバッカー農場の他の働き人はキリマン村への街道を挟んだ向こう側の畑で摘み取りをしているらしい。
「少し休憩しましょう、ジンイチローさん」
「はい」
籠半分になった実を袋に開けてから、街道に座った。汗を拭いていると、ディアヌさんが桶に汲んでおいた水をカップに入れて渡してくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
勢いよく喉奥に水を流し込む。
「ふぅ~~~」
「お疲れになったでしょう?」
「正直に言います。疲れました」
「ふふふふっ!」
水のおかわりをもらって、ぐびぐびと音を鳴らして喉を冷やした。
「助かりました。この子たちは旺盛に育つのですぐに実をつけて熟すんです。放っておくと落ちてしまうのでそうなる前に取らないといけなくて・・・」
「ディアヌさんの育て方が上手だからすくすく育つんです。だからカフィンもおいしいんですよ」
「・・・」
ディアヌさんはじっと俺を見つめた。
「お優しいんですね、モアさんがジンイチローさんと一緒にいる気持ちがわかりますよ」
「えっ、いや、そのモアさんはそういうのじゃ・・・」
「そんなこというとモアさんが可哀そうですよ。ねぇモアさん」
ディアヌさんがモアさんを見ると、モアさんは小さくうなずいた。
「誤解を恐れずに言えば、ジンイチロー様は人の気持ちに無頓着なところがあります」
「えっ」
「しかしながらそうは申しましても、ジンイチロー様は人の痛みに寄り添うこともできる方で、無頓着に心にある傷を浮き上がらせてるも、不思議と一緒にいるとその傷がふさがるのです。ジンイチロー様を慕う方々はそれがわかっています。だからこの方を助けようと心から思うのです」
「「・・・・・」」
モアさん、いいこと言うじゃん・・・。
問題なのは、モアさんの言うことをいつしたのかが俺自身さっぱり思い出せないという点だ。
「ねぇジンイチローさん」
「はい」
「その・・・旅は楽しい?」
「まぁ・・・色々なものが見れますからね。楽しいといえば楽しいですよ」
「そうですか・・・。えっと・・・その~・・・この農場はどうですか?」
「本当に素敵で、ずっといたいって心から思えるところです。本当にいいところです」
「そっか・・・。それなら・・・あ、いや、いけない・・・うん・・・」
「?」
「さてと、もうひとがんばりしましょう!」
「はい」
こうしてさらに時間をかけて俺達は収穫に当たった。
日が沈みかけるまで続けた作業のおかげで、白い大袋は20袋を超えた。
ディアヌさんは満足そうに大袋に入ったカフィンを撫でていた。
作業を終えてディアヌさんの家に着いたとき、どこかで野営でもしようかと目論んでいたらディアヌさんが家に泊まるように勧めてくれた。申し訳ないと最初は断ったものの、手伝ってくれたお礼もしたいと言ってきかなかった。
俺達はご厚意に甘えてディアヌさんの家に泊まることとなった。
その夜――――――
中々寝付けない俺は、暗闇の中、キリマン村から街道を歩き近くの農場へ歩を進めた。
月は沈んでしまっているかわりに空には一面の星空が広がっていた。
明かりのない農場だけれど、星の光さえも反射しそうなほどカフィンの葉で埋め尽くされているのが闇夜でもわかる。
立ったまま空を見上げていると、歩いてくる音が聞こえてきた。
誰かと思い顔を向けたらディアヌさんだった。
「ディアヌさん」
「ジンイチローさんも寝付けないんですか」
「えぇ。疲れすぎて眠れないようです」
「私もです。たまにこういう日があるんです。ちょっと座ってお話ししませんか」
「はい」
街道沿いに生える草を座布団にして座った。
「・・・父は・・・」
「・・・」
「・・・父は、クリストフ・リッケンバッカーと言いまして、大のカフィン好きでした。キリマン村がまだカフィンの生産をしていない頃、父は早くからカフィンの有用性に目を付けていました。最初は興味本位でカフィンの実を調理しようとしていたらしいのですが、ある日あの香りの爆発性を発見し、実の処理方法と乾燥、焙煎方法を見つけたんです。この話だけでもすごいんですが、さらに父は村に一大農場を作ろうと孤軍奮闘し、リッケンバッカー農場として手がけはじめ、今ではキリマン村の一大産業になりました」
「すごいお父さんだね」
「ほんとに・・・。父はたくさんの人にカフィンを広めたいといつも言っていました。でも・・・」
ディアヌさんは見上げていた顔を俯かせた。
「病気で亡くなって以後、農場は私が引き継ぎました。それでも父は亡くなる間際まで私にカフィンについてあらゆることを教えてくれました。私が農場を引き継がなくても、誰かに譲れるようにって・・・」
「夢半ばで・・・か。でもディアヌさんはお父さんの遺志を継いだんだね」
「私が引き継ぐことを病床の父に話した時、父は何も言いませんでした。でも最後の最後に、父は笑って私にこう言ってくれました。「ありがとう」って・・・」
ディアヌさんが鼻をすすりだした。
「父の夢を叶えるために・・・私は必死にカフィンの栽培に力を入れました。農場も広げました。するとついにエルドランが動きました。カフィンの将来性に目をつけた公爵がカフィンの買い取りと市内での流通を促すようになり、キリマン村でしか味わえなかったあの香りが今ではエルドランの文化になっています。父の夢が一歩進んだように思えました」
俺は何も言わず彼女の話に耳を傾けた。
「でも、そう上手くはいかないものですね。盗賊の被害が相次いでいると聞き、カフィンの実が高騰の兆しを見せると、状況は変わってきました。育てても育てても、摘み取っても摘み取っても飲んでほしい人に行き届かない。本当に欲しがっている人に行き届かない・・・。それに・・・どんどん働き手が離れて行って・・・せっかくたくさんの人に楽しんでもらえるようにと広げた農場が、このままじゃ手入れもできないままカフィン達を枯らすことになりそうで・・・。今の働き手も疲れきっています。一人はあと少ししたらここの仕事を辞めると言いました。もう・・・私・・・どうしたらいいか・・・」
すすりなく声がカフィン畑に消えていく・・・。
「ごめんなさい、お父さん・・・私、お父さんの夢をかなえようと必死だったのに・・・ごめんなざい・・・ごめんなざい・・・うううぅぅ、ひううぅぅ・・・」
泣くまい、と気丈に振る舞っていたんだろう。
でも俺にはそれが限界に見えた。
歯を食いしばって嗚咽を漏らさないように必死だったディアヌさんの頬は、堰を切ったように溢れた涙で濡れた。
「ごめんね・・・ごめんね・・・もう私・・・もう無理よ・・・」
誰にも叫ぶことのできなかった悲鳴が聞こえた気がした。
俺はたまらず彼女を抱きしめた。
「誰にも言えずに、辛かったね」
「う・・・うぐうぅうううううええええ・・・・ああああああああ!!!」
胸の中で嗚咽する彼女は、俺の背中に回した腕を強く締めた。
「ディアヌさんはよくがんばっているよ。きっとお父さんはディアヌさんを笑顔で見ているよ。決して責めてなんかいない。むしろ感謝しているよ。自分が出来なかったことをディアヌさんがやってのけたんだから」
俺はそれだけ言うと、あとは黙ったまま彼女の嗚咽を受け止めた。
ディアヌさんの嗚咽は止まらなかった。
翌日―――――
モアさんが馬車の準備をしているのを見ていたとき、ディアヌさんが服の裾を引っ張った。
「どうしました?」
「朝食のときモアさんがいたから言えなかったけど、昨晩はありがとうございました」
「俺は特に何もしていないよ」
「いえ、隣にいてくれただけでも嬉しかったです。誰にも言えなかった辛い気持ちを全部吐き出せました。農場のみんなにはせめて笑顔を見せなきゃって思ってて、そうしたらいつの間にかそれが当たり前になっちゃってて・・・」
「辛い時に辛いって言えるのも大切だし、辛いことを共有するのも笑顔でいることと同じくらい大事なことです。辛さをみんなで乗り越えた先に、はじめて見えるものもあるんじゃないですか。それにずっと笑顔だと、働き手のみなさんも辛い時に辛いって言いだせないですよ。困ったときは「困った!どうしよう!」って騒げばいいんですよ。あぁもちろん、それしか言わない経営者だと不安になりますからご注意を」
「ふふ、そうですよね・・・。不安にさせちゃいけないって思って笑顔だけでいれば、相談したくてもできない雰囲気になっちゃいますよね・・・」
「でも、笑顔はそれでも一番大切です。ディアヌさんの笑顔はみんなを勇気づけられることができますから」
「・・・ありがとう、ジンイチローさん」
モアさんが馬車に乗り込み、手綱を握った。
「お待たせいたしました。出立の準備整いました」
俺は小さくうなずいた。
「ディアヌさん、また報告に戻ります」
「はい、お気を付けて」
手を振って見送るディアヌさんに、俺も手を振って応えた。
「ジンイチロー様、昨晩はお疲れ様でした」
前を見ながら淡々と話すモアさんにギョッとしてしまった。
「見てたの?」
「私はいつでもジンイチロー様の傍にお仕えする身でございます。とは申しましても、昨晩は家からお二人の様子を望んでいました。ジンイチロー様の後を追うようにディアヌ様が家を出られましたので、私も後を追おうかと思いましたが、すぐにやめました」
「・・・どうして?」
「昨日のディアヌ様の笑顔があまりにも作られたものに感じたためです。そして大方の予想通り、ディアヌ様は心に傷を負っておられました。ですが、今朝の様子を見て安心しました。ジンイチロー様のおかげでしょう」
「何もしてないけど」
「抱き寄せたことは何もしていないという部類に入るのですか」
「・・・」
「あれでよかったのだと思います。ジンイチロー様がこの地に来なければ、おそらくディアヌ様は農場経営を誰かに譲ったでしょう」
「モアさんもそう思う?」
「はい。ですが問題は・・・」
モアさんはわずかに目を細めた。
「そうなるように仕向けたのは誰か、ということです」
エルドランの街に着くと、馬を厩舎に預けてすぐに公爵邸に向かった。
相変わらず和む人々が集う旧城の開放区を抜け、邸宅の入り口までやってきた。
番の兵士に公爵との面会希望を伝えると、伝令に向かってくれた。
「ジンイチロー様、もしベネデッタ様が現れても公爵様のことについてお話しください」
「あぁ、わかってるよ」
「おそらくベネデッタ様が現れることになり邸宅には入れないでしょうし・・・。あ、来ました」
モアさんの言うとおり、現れたのはベネデッタさんだった。
「ジンイチローさん。昨日はどうされたのですか」
「公爵は?」
「すみません、公爵は多忙のため私が代わりにお話を伺います」
「そうですか・・・」
俺は一呼吸置き、ベネデッタさんを番の兵士から遠ざけてから口を開いた。
「実は俺達、昨日はキリマン村に行っていたんです」
「・・・キリマン村に?」
ベネデッタさんの顔が曇った。
「そうです。農場を営む人から色々と公爵についてお話を聞きまして」
「・・・公爵がどうかなさいましたか」
顔の曇りに険が増したように思えた。
「キリマン村からの要請をことごとく断り、あまつさえ商会から特別手当をもらっているという話も聞きました。まさかとは思うのですが、公爵はカフィンの有用性を知ったうえで、盗賊を雇い、カフィンを敢えて高騰させて外部に流通させようとしているのではないかと思いましてね」
俺はベネデッタさんを見つめながら話した。
すると、ベネデッタさんは途端に瞳に悲愴をにじませ、俺に抱きついてきた。
「ベネデッタさん・・・」
俺の胸の中で咽び泣いている。
モアさんをちらっと見ると、大きくうなずいた。
やはり、モアさんと話した通りの展開になった。
やがて落ち着いたのか、目の周りを赤く腫らした顔を上げた。
「誰にも言えなくて、私、どうしようかと思っていたんです」
「よかったです。話していただけますか」
「えぇ・・・でも、バレたらと思うと怖くて・・・」
「大丈夫。その時は俺が守ります」
「ジンイチローさん・・・」
今度はゆっくりと、俺の胸に沈み込んできた。
「公爵は盗賊を雇い、カフィンを盗み、どこかに隠しています。ただ私にはそれがどこかは知りません。それと私が渡したカフィンの運送ルートも、公爵の指示で違うものを渡しています」
「そうだったんですね・・・」
「ですが・・・ジンイチローさん・・・」
ベネデッタさんは俺から一歩離れ、向かい合うように立った。
「この件からは退いてください」
彼女の瞳は先ほどとは打って変わり、覚悟の決意を光らせていた。
「どうして?」
「誰かに訴えることもできましょう。是正することもできましょう。しかし、公爵がいなくなったらこの街は廃れてしまいます。曲がりなりにも旧公家の御家です。街の人々は公爵を慕っていますし、綺麗な街並みを維持できているのも公爵の努力が大きいのも事実なのです。確かにカフィンのことについては困ってはおりますが、それ以上に彼の業績を考えればこの街になくてはならない人物なのです」
「ベネデッタさん・・・」
「ですから、私の胸の中だけにとどめておきたいのです。私は、この街が好きなんです。お願いします・・・」
深く頭を下げるベネデッタさん。俺はその姿を見て、ため息を一つついた。
「わかったよ・・・。ベネデッタさん、頭を上げてください。公爵の件については退きます。私もこの街が好きですから」
「ジンイチローさん・・・」
再会を約束した後、ベネデッタさんと手を振りあって別れた。
ベネデッタさんが邸宅に入ったことを確認しすると、俺は早速2人の番兵に歩み寄った。
「すみませんが、ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」
「私たちにですか」
「はい。この公爵へ用事のあるときや手紙などが届いたとき、まず最初に報告するのは誰ですか」
番兵は互いに見合った。
「まずはベネデッタ様だ。必ずベネデッタ様を通せと言われている」
「絶対にそうしなければならないのですか」
「あぁ。以前公爵に直接報告してしまったことがあって、そうしたらベネデッタ様から相当お叱りを受けた。以後は絶対にそうしているが――――あ、そうだ。あんたたちが来たときは違ったぞ」
「ん?」
「最初はベネデッタ様を通してからと思い報告に行ったのだが、あいにく席を外していてな。そうしたらたまたま公爵様が歩いていたからやむなく公爵様に報告したんだ」
「ふ~ん・・・。なるほど。ありがとうございました」
2人の番兵に礼を言って、邸宅を後にした。
「さて、モアさん。次はオズワンド商会に行かないかい?」
「私もそう思っておりました。ある記録が残っているはずです。見せてもらえるかどうかはわかりませんが・・・」
いつもありがとうございます。
次回予定は11/29の予定です。
よろしくお願いします。




