第62話 婚約の儀式
こんな・・・こんなはずではなかったのに・・・。
いつも通り魔法を発動しようとしたのに、なぜか発動されない。どうして・・・。
「みなさん、今この場をもって、私モサロ・ハピロンとイリア第三王女の婚約が決定しましたぁ!」
膝の力が途端に抜けて崩れ落ちるように座り、不本意ながらも両手を床につけて肩を落としてしまいました。
そうです!ジンイチロー!!
こんなとき、ジンイチローがいればなんとかしてくれるはず!
でも・・・あたりを見回してみたもののジンイチローの姿が見当たりません。
アニーさんが顔をこわばらせたまま口に手を当てているのが見えました。
メルウェルも悔しそうな顔で私を見ています。
付いてきてくれた給仕たちは混乱しているようで、互いに見合っています。
そして会場はお祭り騒ぎ。わたくしだけ取り残されているような錯覚にさえ陥ります。
俯き項垂れ、床しか見えないわたくしの視界に、男の靴が入り込みました。
ジンイチロー!?
と思ったら・・・。
「イリア王女、約束は約束ですぞ」
「ハピロン伯爵・・・」
満面の笑みでわたくしを見下ろす伯爵の顔には、不気味に思えるほど松明の明かりの揺らめきが映りました。
伯爵は喧騒の中、しゃがんで私の耳元で囁きました。
「今日の夜、楽しみにしております」
悪寒が走るとはまさにこのこと。全身の毛が逆立つようでした。ニタニタと笑う彼の黄ばんだ歯を見た途端、絶望ともいえる虚無がわたくしを暗く覆いました。
どうして・・・こんなことに・・・。
会場はすぐに移され、列席者は中庭の祭場に集められました。ホールの華やかな雰囲気と違い、松明の灯と風になびくハピロン家の紋章旗が会場を厳かに染めています。
わたくしはハピロン伯爵と腕を組み、祭場の中央に立ちました。
伯爵はわたくしの胸を突っついてきます。このスケコマシ・・・。
ですが、もう逃れようがありません。
『ハピロン伯爵とイリア王女は前へ』
祭壇の上に登壇しているのは、王国の内務局法執行上級官・・・。この者の仕事は確か、王国の法統制のために各市や貴族に対して執行や報告処理を行う業務とあわせ、王国の公文書登記などの『記録』業務を範疇としていたはずです。敢えて上級官が登場するということは、彼もまたハピロンと繋がっていたというわけですね・・・。
わたくしたちは一歩ずつ、ゆっくりと祭壇へ歩みました。
列席者は祭場の周囲に設けられた客席に座り、儀式の一部始終を見ようと目を見張っています。わたくしに帯同してきた者たちは最前列に座っていて、顔の曇りは誰の目から見ても明らかです。
ごめんなさい、みなさん・・・。期待に応えられなかったわたくしのせいで悲しい思いをさせてしまいました。
それにジンイチロー・・・。
せめて一目・・・最後に一目会って・・・。
祭壇の前まで歩いたところで歩みを止めました。
『ハピロン伯爵とイリア王女よ、これより婚約の儀式を挙行する。これにあたりいくつかの確認を行う。まず、この以前に行われた魔法発動の儀式の結果によって婚約の是非を約束していた・・・その通りか』
「あぁ、その通りだ」
「・・・確かに」
『魔法発動の儀式の結果、イリア王女の魔法発動は至らなかった。これに違いはないか」
「見ての通り、発動はしなかった」
「・・・しませんでした」
『列席者の皆に問う。儀式において、イリア王女の魔法発動を確認した者はいるか。いるならば立ちあがられよ』
「上級官、誰一人立ちあがる者はおらんだろう」
『うむ・・・確認した。ではあらためて二人に問う。イリア王女の魔法発動は至らなかったものとみなし、婚約の儀式を挙行する。相違ないか』
「もちろんだ」
「・・・・・」
『イリア王女に問う。婚約の儀式を挙行するか』
「・・・はい」
『よろしい。ではここで、二人が述べる婚約の誓いの言葉を列席者全員が記憶し、そして上級官の記録でもって証明する。まずはハピロン伯爵、述べよ』
「イリア王女、わたしはあなたと婚約し、生涯をもって愛することをここに誓う」
『・・・・・記録した。ではイリア王女、述べよ』
「・・・ハピロン伯爵。わたくしはあなたと・・・あなたと婚約・・・うぅ・・・うぅうう・・・」
「イリア王女、これはわたしとあなたの約束した結果なのだ。王女であるならば約束したことに責任をもってほしいものだ。泣くときはあとで私の胸の中で泣きなさい」
「・・・・・・・ハピロン伯爵。わたくしはあなたと婚約し、生涯をもって愛することをここに誓います」
『・・・・・記録した。列席者よ、今の誓いに異議ある者は立ちあがられよ・・・・・・うむ。それでは婚約に係るハピロン家の側からの約束事項署名に移る。二人は祭壇へ上がられよ』
わたくしとハピロン伯爵は腕を組んだまま祭壇へ上がり、中央にある小さな演台の前に並びました。
『それでは婚約にあたり次の事項をハピロン家からイリア王女に求めるものとする。なお過去の婚儀の慣例に従い、取り決める事項はハピロン伯爵から行うものとする。異議はないか?』
「ない」
「・・・ありません」
『うむ、では事前に伯爵より受け取りし事項をイリア王女は確認し、双方署名を行いなさい』
何故このような制度があるのかは存じ上げません。少なくとも数百年の歴史のあるものだということは誰かからご教示いただきました。
王子がいない場合は第一王女が将来の王となる男性を迎えることになるので、婚約の際に王家側から約束事項を言い渡します。ですがわたくしの場合王位継承権が下位で嫁入りとなるため、伯爵からの約束事項を守ることとなります。
わたくしは上級官より約束事項の記された目録を受け取り、目を通しました。
な・・・なんということを約束させようというのですか!
あまりにも卑猥な事項に、思わず衆人の前であることを忘れて伯爵を睨み付けてしまいました。
「私と結婚するということはそういうことなのだよ。双方の尊厳のため、約束事項の宣言は省いているからよかっただろう」
わたくしは・・・わたくしは・・・こんな下劣な男と生涯を共にしなければならないなんて・・・
泣いてはいけないとわかっているものの、短い間にあったジンイチローやアニーさんとの日々が鮮烈に思い出され、目頭を熱くさせてしまいます。
『イリア王女、確認したら署名を』
「えぇ、わかっています」
唯一まともな内容が、「どちらかに不義があった場合は莫大な慰謝金とともに婚約並びに結婚を破棄することができる」というもの。不義の内容如何によりますが、わたくしが不義を働けば王国を揺るがしかねないお金を請求するつもりなのでしょう。敢えて『不義』の内容を伏せることで、わたくしの行動や発言を閉ざすつもりのようです。
ニヤニヤする伯爵を横目に、わたくしはやむなく署名をしました。
『伯爵、イリア王女の署名を確認してあなたの署名を記しなさい』
伯爵はわたくしの署名を確認すると、スラスラと名を記しました。
『列席者よ、今ここに双方同意により約束事項が締結され、婚約が確定した。約束事項も今この瞬間から発動するものである』
会場から大きな拍手が届きました。皆さんは『歴史的瞬間に立ち会えた』と喜びを隠せない様子です。
メルウェル・・・あなたには苦労をかけました。これまで命懸けでわたくしを守ってくれたこと、本当に嬉しく、感謝してもしきれません。わたくしの気持ちを察してか拍手を拒み、この男を切り捨てんとする気持ちを必死に抑えているのがよくわかります。あなたはいつだってわたくしの味方でした。本当にありがとう・・・。
アニーさん・・・あなたとは相容れないと思っておりましたが、蓋を開けてみれば何のことはありません。わたくしと一緒、孤独の人でした。ですが、同じ人を想う気持ちがわたくしたちを結びつけ、同時にその想い人がわたくしたちをいざなってくれました。しばし対峙することや妬むこともありましたが、あなただからこそ許せました。そうそう、それとあなたは、わたくしの長年の夢だった『友達との買い物』も果たしてくれました。同年代の女子と服を買いにいけるなんて、王家の人間からすれば夢で終わるほどの大事なのです。お揃いの服はわたくしのお気に入りなんですよ。
ジンイチロー・・・短い間でしたが、わたくしの心は永遠にあなたのそばにあることでしょう。例え伯爵にこの身を委ね子を宿しても、この想いは消えることなく心に刻み込みます。あなたとの楽しくて苦しく、辛くても心地よい日々はずっと忘れません。出来るならばこの気持ちをあなたに告げたいのですが、叶わぬ今となっては、わたくしの胸のなかにいるあなたにだけお伝えします。あなたはきっと大成して世の助けとなることでしょう。伴侶となる方は・・・ふふ、まだどなたになるかはわかりませんが、きっと素敵な方ですよ。その方と共に協力しあいながら良き人生を歩んでください。だから・・・アニーさんを泣かせてはいけませんよ。おわかりとは思いますが、強そうに見えても脆い心をお持ちなのです。あなたの優しさで支えてください。
みなさん、ありがとう。そしてさようなら・・・。
『それでは慣例に従い、口付けを交わすことで婚約の儀式の全てを完結する』
わたくしは伯爵と向き合うと、彼はわたくしの流れ落ちる涙を指で掬いました。
「これで晴れて私のものだ。必ず君を幸せにすると約束するよ」
できればジンイチローから聞きたかった台詞をこうも易々と言われると腹立たしい気分になります。
ですが、わたくしはもう『ハピロン伯爵家命に寄る』という約束事項の範疇にあり、その中に記載されていた『婚約時から伴侶として行動すること』を護らなければなりません。
・・・つまり、わたくしはすでにハピロン伯爵の妻となったのです。
何も見たくはありません。見開いたままこの男と口付けをするなどわたくしには耐えられないのです。わたくしに許された唯一の抵抗手段は、瞳を閉じてその醜悪なニタニタ顔を見ずに事を終えるだけしか残されていません。
伯爵が私の頬に手を当てました。
あぁ・・・いよいよ・・・
ズドォオオオオオオオオオオン!!
ん?今の音は・・・?
目に光を戻すと気味の悪い顔を視界に映すことなく、すぐに音のする方へ顔を向けてみました。
な・・・なんですかアレは!!
「何事だ!!」
ハピロン伯爵も驚いてそちらに目を移したようです。
音は祭場の中心から発せられ、そこには二人の男性がいました。
すすけた灰色のローブを着ている男と、もう片方は・・・黒いマスクに黒い出で立ちの・・・
まさか!!
「ジュノアール様!?」
「はははっ!いかにも!さぁイリア王女よ、この『灰色ローブの男』に向かって魔法を放て!」
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回投稿予定日は9/23です。




