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第36話 モサロ・ハピロン

 とある屋敷の応接間。客人を見送った男が、グラスの水を一気に飲み干した。

 脂ぎった顔と太い体躯からは、とても彼が成功を治める貴族とは思えない。


 彼の名は、モサロ・ハピロン―――


 彼を疎む者達は『脂男』と揶揄しているが、張り巡らされた情報網を恐れてか、決して表には出せない隠語となっている。


(あと2週間か・・・)


 ニヤリと醜悪な顔をさらに歪ませる。

 彼にとって、これほど望外な結果が待ち受けていようとは思いもよらなかった。


 彼は思い出す。

 およそ25年前のこと、求婚した女性に振られたことで始まったイリアとの一件と王国内での買収・・・。

 間も無くして女性は婚約した。相手は次期国王、アルマン・ダグノー。自分ではなく、次期国王と婚約したことに少なからず憤りを覚えた。

 だがアルマン王もイリアも、亡くなった王妃と彼に繋がりがあったとは思うまい。それだけ彼は復讐心にも近い想いを心の奥底に留めていた。

 彼の欲望に火がついたのは2年前、貴族として高名を馳せ初めた頃のこと。亡き王妃の国葬に参列した際に、初めてイリア王女と接見した。

 彼は驚愕した。美しく気高い容姿、目を見張る体つき、一つ一つの仕草・・・。すべて亡き王妃と瓜二つだった。

 それまでは国に取り入り見返してやろうという程度だった気持ちが、イリアを見たことをきっかけに、その欲望を黒く染めた。


 そして、イリアと出会う前から手掛けていた工作がここまでの展開を見せるとは、ハピロン伯爵自身も想像できなかった。


 だからこそ、笑いを隠せない。思い通りにことが運ぶ爽快さといったら、何事にも代えがたい余興だ。



 応接間にドアのノックが響く。

 モサロは緩んだ顔を引き締め、応えた。

「入れ」

「失礼します」

 給仕と思われる女性が部屋に入ると、頭を下げた。王城の給仕と違う点と云えば、給仕服であるワンピースの丈短く、太ももを露わにしているということだろうか。

「ドルアンド様がお越しです」

「うむ、通せ」

「畏まりました」


 恭しく、男が入室した。

「失礼致します」

「待っていたよ。おおぃ!酒を持ってきてくれぃ!」

 モサロは扉の向こうにいる給仕に声を上げた。

「ハピロン様、お構い無く」

「何を言っている。貴殿には毎度世話になっているのだ。これくらいさせてくれ」

「ありがたいお言葉です。それでは頂戴致します」

「かけてくれ」

 ハピロンが促すと、男は柔らかい布張りのイスに腰掛けた。それを見てハピロンも腰掛けた。

 給仕がドアをノックして入室し、テーブルにグラスを置くと、赤い果実酒を注いでいく。ハピロンは給仕の露になっている太ももをじっくり眺めた。

「あとは私がやる。いいというまで入るな」

「畏まりました」

 果実酒の入った大瓶をテーブルに置くと、給仕は退室した。


「ハピロン様、パーティーの準備は順調そうでなによりです」

「ああ、あと2週間だ。全て滞りない。アルマン王への親書も送った」

「では、その中身にイリア王女との?」

「もちろんだ。すでに王の耳にも王城の練習場での一件は入っているはずだが、念のためだ。あ、さぁドルアンド殿、貴殿も一杯」

 ハピロンがグラスを揚げると、ドルアンドも倣った。

「二人の価値ある未来のために」

 ハピロンが発声し、二人はグラスを少し上げてから一気に飲み干した。

 ハピロンは大瓶の果実酒をドルアンドのグラスに注ぐ。

 それを見ながらドルアンドは話す。

「やはりイリア王女は気づきませんか」

 ニヤリと顔を歪ませたハピロン。

「ああ、疑う様子すら見せん。最初は内通を増やして取り入る目的だったが、これほどまで王家に近付けるものとは思いもよらなかった」

「それもこれも、ハピロン様の先見の明あってこそ成せた業。流石です」

「ははっ、よしてくれ。世辞はいらんよ」

「世辞などではありません。ハピロン様の先見に見惚れたからこそ、私は補佐の役を願い出たのです」

「ドルアンド殿は謙遜が過ぎる。貴殿がいなければこれほどまで人も金も付いてこなかった。いやはや、どういう術があればエナリア商会から鉱山を引っ張ってこれたのか、今でも不思議で仕方ない」

 ドルアンドは首を横に振った。

「私の実力ではありません。たまたま、エナリア商会が手放したいという噂を嗅ぎ付けただけにすぎません」

「カタブツで有名なあの老人と、こちらの利にしかならない鉱山譲渡ができようとは、さすがに恐れ入った」

 ドルアンドはモサロの褒め殺しに全く動じず、口元を僅かに緩ませるのみである。

 モサロが褒め殺すのも無理はない。どんなに金を積んでも応じなかった商会のドン、グォール・エナリアが、ドルアンドのたった一回の訪問で、全ての鉱山をハピロンに譲渡すると約束したからだ。

「今でも覚えているよ。書類を取り交わす際、何を吹っかけられるのかとヒヤヒヤしていたんだ。しかしあの御仁はただただ無言で書類を取り交わすだけで、なんの交渉もしてこなかった」

「・・・エナリア様も何か思うところがあったのでしょう・・・」

 ドルアンドはグラスを手に持ち、軽く果実酒を口に含んだ。

 ハピロンは、「そういえば」といって思い出したように口を開いた。

「親書を数日前に送ったのだが、ドルアンド殿は王城の件、聞いておるか」

「王城の件・・・ですか?はて、なんのことか・・・」

「何者かが王都に魔道具を仕掛け、その仕掛けによって王城の天空に魔法陣が現れたという」

「なんと・・・。それで、その後は?」

「その魔法陣から多数の魔物が降臨し、王城がひどく傷つき、死傷者も多数出たとか」

「なんという・・・。さすがにそれはいただけませんな」

「うむ。警備の問題もさることながら、舞い降りた魔物が大森林の魔物だったというから驚きだ」

 ハピロンはグラスの果実酒を窓に向け緋色に反射する光を見る。

「しかし、王家は・・・?」

「王家は無事なようだ。もちろん、イリア王女もな」

「しかし、大森林の魔物が多数現れたというのに、それほど耳に伝わらないのは何故でしょう」

「・・・詳しくはわからん。ただ、『何者』かがその事件をきっかけに、急速に内政者どもの心を掌握しているという。事実、王の取り巻きの情勢がどうも好転しているようにも感じる」

「助かったのは良しとしても、そればかりは目を瞑れぬ由々しき事ですね」

「大魔法士ミルキーが魔道具を破壊したという目撃情報も入っているが、ミルキーは政治に口出しする人間ではない。王城への影響力も無いに等しいからな」

 ハピロンはグラスを一気に空けた。

「しかし、王都の噂も気になってな・・・」

「噂?」

「大賢者マーリンが王都に戻ってきた、と」

「・・・」

 ドルアンドが急に眉間に皺を寄せた。

「あくまで噂だ。それに、私の網にはマーリンの王都入城の情報は掴んでいない」

「とはいえ、何もないのに突然マーリンが戻ってきたなどと吹聴する者はいないでしょう。王城内にも影響力を残すほどの人物が王都に現れたと考える方が納得いきます」

「うむ。それは私も考えた。今のところ目立った動きもないし、これといった噂も出ていない。『何者』かの情報はじっくり掴んでいくことにする」

「えぇ。私も何か掴みましたら報告いたします」

「頼む。貴殿の情報網の方が早いし信ぴょう性が高い」

「ありがとうございます。これだけは自信のもてるものでして」



 しばらく二人は雑談を交わし、用事があると言ってドルアンドが立ち上がった。

「そうだ、ドルアンド殿。パーティーの際は貴殿も来てくれるのだろう?」

「わたくしも同席させて下さるのですか」

「もちろんだ。それにその席はイリア王女との婚約パーティーにもなるし、それに、イリアと私の『愛を誓う夜』にもなるのだ。こんな記念すべき場は他にはあるまい。ぜひ貴殿にもお越し願いたい」

 ドルアンドは恭しく頭を下げた。

「ありがとうございます。それでは僭越ながら、同席させていただきます。微力ながら、パーティーが少しでも盛り上がるよう、準備のお手伝いをさせていただきます故」

「恩に着るよ。それでは、何かあればまた連絡をする」

 二人は固く握手を交わした。

「そうそう、ドルアンド殿。先日貴殿が気に入った給仕の女だが・・・」

「ありがとうございます。大変気に入り、私のの屋敷にてそのまま()()()()おりまして・・・。お返しした方が・・・」

「あぁ、いや、よいのだ。貴殿が気に入ってくれればそれでよい。そのまま置いてくれてよいのだ。貴殿から何かを求めることなど滅多にないものでな」

「そうですか。それではお言葉に甘えまして、そのまま()()()()いただきます」



「失礼いたします」

 ドルアンドは扉の前で再び頭を下げ、退室した。

 ハピロンは大きく息をついた。


(風貌の怪しさは否めないものの、なにかと頼りになる男だ。しかし、あやつが何を求めているのかさっぱりわからんな。この私に何の見返りも求めずに働いてくれるなど、そうそういる者ではない。まぁ、先日は給仕の女が欲しいといってくれてやったが・・・。『保管』とはなんだ?・・・大した意味ではないだろうが・・・)


(それにエナリア商会の交渉のことも、どうやったのかはいつ聞いても口を割らない・・・)


 ハピロンは再びイスに腰掛け、大瓶からグラスに酒を注ぐ。


(今回は言わなかったが、あの灰色のローブ姿は何とかならんものか?もう少し出で立ちをよくすれば相手との交渉も印象もよくなるというのに。いくら言っても手放さないのは思い入れでもあるのか・・・)




 ドルアンドはハピロン邸の外に停めてある馬車に乗り込み、走らせた。

 荷車の中には男が一人座って、彼の帰りを待っていた。

「すまん、待たせたな」

「いえ、問題ありません」

 待っていた男もまた、灰色のローブを纏っていた。

「ハピロンが掴んでいる情報は、おそらく数日後にはこのミニンスク内にも及ぶだろう」

「・・・そうでしょう。あまり思い出したくもないことですが」

「ふふ、気にするな。まさか失敗するとはこの私でも考えが及ばなかった。ボロネー様にはすでに伝えているが、『気にすることではない』とお言葉をもらった」

「寛大な御心に感謝いたします」

「だが少なくとも、ボロネー様の計画に遅れは生じた。まぁ・・・大した遅れではないが、嫌なことに、失敗の原因が掴めていないという弱さがある。なぜ失敗したのか、早急に洗い出せ。でないと同じ轍を踏む」

「承知しました。ですが、われわれのこの風貌では王都の警戒を生みます」

「あぁ、タズンの捕縛は予想外だった。口を割ることはないと思うが、王都に無用な警戒を生んだことは事実だ。私が無事に王城入りを果たせるようになればいいのだがな」

「ですが、それもあと少しでは?」

「あぁ。そのあたりはハピロンが上手く事を運んでいる。王女をきっかけに王都への影響力をさらに強めれば、われわれの潜入と『操作』も軽くこなすことができるだろう」

「それと、聞き捨てならない噂が」

「マーリンのことか」

「・・・お耳に入りましたか」

「あぁ、ハピロンから聞いた。大賢者マーリンが王都に入ったと」

「デマだと思われます」

「お前もそう思うか。マーリンであればもっと大騒ぎだ。われわれの耳にもすぐに引っかかるはずだ。だが、今回そのようなことはない。お前の言うとおり、デマだろう」

「ですが・・・」

「火のないところに煙は立たない、か。まさに今回はその通りのことが起きているように思う。私が気になるのは、些細な報告と思って聞き流していた、魔道具が破壊されていたというあの件だ」

「あれが・・・ですか?」

 男は怪訝そうにドルアンドに尋ねる。

「破壊したのは偶然だったかもしれん。だが、忌避結界を通り越して魔道具を破壊するというのは、実力ないし素力としては十分だ。なにか情報を掴んだら私に報告してくれ」

「承知いたしました」

 ドルアンドは、馬車からの景色に目を移した。

「・・・何事もなければいいがな」


 ドルアンドはポツリと呟いた・・・。






投稿できました。

出来れば明日も同じような時間帯に投稿したいです。

よろしくお願いします。



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