第3章【エーテリ】
「ここで、始まったのだと思います」
ファフィニョは、エーテレオンを見下ろした。
刃は暗いままだったが、柄の線には、まだごく淡い緑の光があった。
目の前の、埋もれた広間の壁にも、同じ記号が彫られていた。
数秒、誰も話さなかった。
最初は、レイズだった。
「『ここで始まった』って、具体的に何だ?」
アクセルは、二つの印の分析を続けた。
「この施設の技術と、エーテレオンには、直接の関係があります」
「長ったらしく『はい』って言ってるように聞こえる」とレイズは言った。
「そのとおりです」
ファフィニョが彼を見た。
「時々、わざとやってる気がする」
「学習しています」
ナイラが答えようとしたとき、信号がまた鳴った。
雑音。
そして、同じ途切れた声。
『……助けて……』
全員が、アクセルの投影を見た。
ナイラが座標を確かめた。
「私たちの下だよ」
ファフィニョはエーテレオンをしまった。
「じゃあ、降りよう」
レイズは、光り始めた壁を指した。
「これを全部、置いていくのか?」
「ううん」
ファフィニョは、奥の出口へ向かった。
「傷が深すぎて、でも、助けを求めてる人は、僕らより長く待ってる」
広間の先には、足場があった。
そして、その先に街があった。
ファフィニョは動きを止めた。
施設ではなかった。
研究所でもなかった。
街が、丸ごとあった。
暗い塔が、深みへ延び、つり橋でつながっていた。
円い広場、曲線の建物、地上から流れ落ちた砂に埋もれる大通りがあった。
はるかな頭上では、天井の裂け目を通して、重い帝国の残骸が見えた。
船体。
エンジン。
装甲板。
すべてが、この場所の上に積まれていた。
レイズが上を見た。
「ザイラックスは、ごみで街を埋めた」
「ここに街があると知ってたかは、わからないよ」とナイラは言った。
ファフィニョは塔を見た。
「これを見たあとだと、偶然だったとは信じにくいな」
アクセルは、下へ向かう経路を投影した。
「信号の発信源は、現在地より約百八十メートル下です」
歩き始めながら、ファフィニョは壁に手を置いた。
指の下で、表面が光った。
手を離した。
また一本、線が灯った。
「あ」
レイズが振り返った。
「駄目だ」
「何が?」
「触るな」
「一つしか触ってない」
「それで、光った」
「普通は、うまくいったってことだよ」
「だから心配してる」
アクセルが、二人のあいだを歩いた。
「過去の事例は、レイズの懸念を裏づけています」
ファフィニョが彼を見た。
「親友だろ。僕の味方をしてよ」
「あなたの味方です」
「そうは見えない」
「あなたが分解される可能性を防ぐことも、味方であることの一部です」
ファフィニョは眉をひそめた。
「まだ、ちゃんとは理解できてないね」
「だから、学習を続けています」
ナイラは笑みを隠した。
三層下で、記録庫を見つけた。
少なくとも、そう見えた。
黒い柱に満ちた、巨大な半円形の広間だった。
中央には、卓のような構造物があったが、操作部は見えなかった。
アクセルが走査装置を接続した。
何も起きない。
別の周波数を試した。
何も起きない。
「システムは、停止したままです」
ファフィニョは壁を見た。
見覚えのあるものがあった。
同じ曲線。
同じ線。
エーテレオンを抜いた。
「普通の電力じゃ、駄目なんじゃない?」
ナイラが近づいた。
「何か見つけた?」
ファフィニョは、中央の構造物にある細いくぼみを指した。
「あれ」
アクセルが分析した。
「寸法は適合します」
ファフィニョは剣を近づけた。
「少しだけ」
柄を途中まで差し込んだ。
反応は、即座だった。
緑の波が、床を走った。
柱が、一つずつ光った。
白と緑の線が、壁を伝い、天井へ昇った。
ファフィニョは微笑んだ。
「ほらね?」
そのとき、指の感覚がなくなった。
笑みが消える。
「あ」
アクセルが、すぐに振り向いた。
「神経活動が上昇しています」
しびれは痛みに変わり、ファフィニョの手から前腕へ上がった。
「大丈夫」
広間いっぱいに、映像が再構成され始めた。
人々。
建物。
空。
「ファフィニョ」とナイラが言った。
「もう少し」
痛みが、肩まで届いた。
ナイラが手首をつかんだ。
「離して」
「あと――」
「ファフィニョ」
彼は、ナイラを見た。
それから、エーテレオンを引き抜いた。
光は弱まったが、消えなかった。
ファフィニョは、手を開いて閉じた。
指が動くまでに、少し時間がかかった。
「こんなの、初めてだ」
アクセルが腕を上げ、彼を走査した。
「いいえ。エーテレオンの長時間使用後に、類似した症状が出た記録があります」
ファフィニョは彼を見つめた。
「それ、教えようとは思わなかった?」
「原因がわかっていませんでした」
「痛みだけでも、十分な手がかりに思えるけど」
ナイラが手を取った。
「感覚はある?」
ファフィニョは指を動かした。
「うん」
今度は、ごまかさなかった。
「少し痛い」
「じゃあ、私たちに言わずに、もう何かにつながないで」
「厳密には、言ったよ」
ナイラが彼を見た。
「ちゃんと伝えて」
「了解」
映像が、完成した。
有機生命体が、見知らぬ通りを歩いたていた。
背が高く細い者も、小柄な者もいた。
手足の形も、体の色も違っていた。
光る構造物のあいだを、子どもたちが走っていた。
研究者たちが言い争っていた。
一人が、小さな工具を卓に投げつけた。
別の一人が、怒って画面を指した。
ファフィニョは首をかしげた。
「もっと……古代らしいのを想像してた」
「古代の人々です」とアクセルは言った。
「わかってる。厳かな感じ、ってこと」
レイズは記録映像を指した。
「あいつ、今、相手に何か投げたぞ」
ナイラは微笑んだ。
「とっても厳かだね」
アクセルが、文字の断片を復元した。
「エーテリ。有機生命体の文明です。生体システム、情報、電磁場の相互作用を、主な専門分野としています」
ファフィニョは、エーテリの家族が広場を横切るのを見た。
「じゃあ、エネルギーでできた存在じゃなかったんだ」
「もともとは、違います」
新たな映像が現れた。
空が変わる。
ケア・ヴェリスの上の恒星は、巨大だった。
明るすぎた。
やがて、嵐が来た。
防護フィールドの下の街。
避難。
惑星を離れる船。
待つ人々が、多すぎた。
船が、少なすぎた。
冗談は消えた。
ナイラは、点がつながり合う投影へ歩いた。
「アクセル、戻して」
映像が巻き戻った。
「これ、文字だけじゃない」
「系譜を表す構造です」とアクセルは答えた。
ナイラは、ゆっくり首を振った。
いくつかの層を動かした。
点が変わる。
「地図でもある」
一部を拡大した。
星座。
星系。
航路。
「恒星の移動で位置はずれてるけど、見覚えがある」
ファフィニョが近づいた。
「どこへ向かってるの?」
ナイラは、投影をさらに広げた。
何百もの線が、ケア・ヴェリスから外へ伸びていた。
銀河中へ。
アクセルは、繰り返される言葉を見つけた。
「エリル・ヴァ」
別の記録が現れた。
世界が周囲で死んでいく中、働くエーテリの人々。
「おおよその訳は」とアクセルは続けた。
「『残り続けるパターン』です」
「僕がコンピューターじゃないつもりで、説明して」とファフィニョは言った。
「それは、すでに標準の設定に含まれています」
レイズが鼻を鳴らした。
ファフィニョは彼を指した。
「今の、冗談だった」
「確認はできません」
アクセルは続けた。
「適合する生物に取り込まれる電磁的なパターンを用いて、不可欠な生体情報の構造を保存しようとしました」
ファフィニョは瞬きをした。
「もう一回」
アクセルは間を置いた。
「自分たちの一部が、ほかの生命の中で生き続けるようにしたのです」
ファフィニョはうなずいた。
「ずっとわかりやすい」
映像には、ケア・ヴェリスを離れる小さな光の構造が映っていた。
人ではなかった。
完全な意識が入っているわけでもなかった。
種だった。
断片だった。
パターンだった。
エーテリのほとんどは、逃げられなかった。
最後の街の映像は、白い嵐の中に消えた。
あとは、地図だけが残った。
ナイラが、航路の一つをたどった。
「何百もの星系へ、送り出された」
「何千世代にもわたって」とアクセルは言った。
「融合。繁殖。継承」
ナイラは、ある古い航路を見つけた。
ずっと後にファフィルとつながることになる人々。
その人々に関連する星系の近くを、横切っていた。
ファフィニョは、ほかの航路を見た。
多すぎた。
「どれが、僕の?」
ナイラは、彼の目を見た。
「『あなたの』っていうものは、ないと思う」
アクセルは、もうデータを比較していた。
遺伝子構造を投影した。
ファフィニョには、見覚えのあるものもあった。
「それ、僕の検査記録だ」
「そのとおりです」
別の試料が現れた。
セイリャ。
ファフィニョの笑みが、少し薄れた。
アクセルが、パターンを重ねた。
一致した。
完全にではなかった。
だが、十分だった。
「共鳴ゲノムと呼ばれる現象は、継承されたエリル・ヴァが発現したものと考えられます」
ファフィニョは動かなかった。
「じゃあ……僕は、エーテリなの?」
「いいえ」
答えは、すぐに来た。
ファフィニョは顔を上げた。
「あなたはヴェリルです」とアクセルは続けた。
「エリル・ヴァは、あなたが生まれるまでに、数えきれない種族と世代を経てきました。あなたの生物としての、また文化上の帰属を、置き換えるものではありません」
レイズは地図を見た。
「じゃあ、これを持つやつは、ほかにもいるかもしれない」
「はい」
「何人だ?」
「不明です」
ナイラは航路を指した。
「自分が持ってると、知らない人もいるかも」
「その可能性は高いです」
ファフィニョは、もう一度その網を見た。
エーテレオンは、彼を認めた。
彼のΩの印。
ザイラックス。
ミラー。
すべてが、自分を中心に回っているように思えていた。
「エーテリは、誰がこれを受け継ぐか、わかったのかな?」
「その証拠は、見つかりません」
「個人を予測できた?」
「いいえ」
次の問いを言葉にするまで、ファフィニョは少しかかった。
「僕を、選んだの?」
アクセルは、データの投影を止めた。
ナイラが彼を見ていた。
レイズも。
「個人の選定、予言、あらかじめ定められた担い手についての記録は、ありません」
ファフィニョは息をのんだ。
アクセルが付け加えた。
「あなたは、選ばれたのではありません。ファフィニョ」
沈黙。
ファフィニョは、下を向いた。
そして、微笑んだ。
「よかった」
レイズは眉をひそめた。
「よかった?」
「うん」
説明はしなかった。
ナイラも、説明を求めなかった。
わかっていた。
ファフィニョを待っていたものは、何もなかった。
ノード・ゼロに入れと命じたものも、なかった。
ファフィルのために戻らねばならないと決めたものも、なかった。
避難したあの子どもに、今の彼になれと強いたものも、なかった。
彼自身が、決めたのだ。
救難信号が、また鳴った。
『……助けて……』
ファフィニョは顔を上げた。
だが、記録庫を停止する前に、アクセルは最後の記録を一つ見つけた。
細長いものの図。
そのコアは、エーテレオンと同じだった。
「エーテ・エリオン」と、読み上げた。
ファフィニョが近づいた。
「剣だったの?」
「いいえ。エリル・アンカーです。エリル・ヴァの集積を安定させ、適合する生物との同期を可能にしました」
ファフィニョはエーテレオンを見た。
「じゃあ、誰かがこれを武器に変えたんだ」
「はい」
「誰が?」
アクセルが探した。
何もない。
「不明です」
ファフィニョは微笑んだ。
「やっと、単純な答え」
「ほかにも、重要な情報があります。エーテ・エリオンは、単独ではエネルギーを生成しません」
ナイラは、ファフィニョの手を見た。
彼にも、わかった。
「持つ人から、奪うんだ」
「増幅し、通すのです」とアクセルが訂正した。
ファフィニョは、まだ痛む指を曲げた。
「説明がつくことが、多すぎるな」
レイズは、離れたところにいた。
「来てくれ」
側面の壁のそばに、しゃがんでいた。
床に、切れ目があった。
エーテリのものには見えなかった。
金属の固定具。
ケーブルの残り。
穴があけられた場所。
「あとから、誰かがここを掘った」と言った。
アクセルが、さびた部品を分析した。
青い目が、動きを止めた。
「ザイラックスの、最初期の開発段階に関連する技術です」
ファフィニョが近づいた。
「ネットワーク?」
「それ以前です」
止まった操作台を見つけた。
アクセルは、三つの断片の復元に成功した。
最初は、雑音だった。
それから、声がした。
ザイラックス。
もっと澄んでいた。
もっと浅かった。
だが、間違えようがなかった。
『共鳴は、製造できない』
干渉。
『適合性は、生物に属したままだ』
記録が飛んだ。
最後の一文が、残っていた。
『永続を実現する、別の構造で進める』
記録は途絶えた。
ファフィニョは、何も映らない画面を見た。
「永続?」
ナイラが、静かに言った。
「死に、勝ちたかったんだ」
アクセルは答えなかった。
ファフィニョは、掘削の痕を見た。
「統治者になる前に、ここにいたんだ」
「はい」
信号が、また鳴った。
今度は、ずっと鮮明だった。
『……助けて……』
ファフィニョはエーテレオンをしまった。
「気を取られすぎてる」
ナイラが地図を確かめた。
「三十メートル」
レイズが立った。
「じゃあ、ここに来た目的を果たそう」
最後の門は、細い通路の突き当たりにあった。
レイズが片手を上げた。
「待て」
しゃがんだ。
ほこりに、痕があった。
新しい痕だった。
ナイラが近づいた。
「助けを求めた人の?」
「たぶんな」
アクセルが距離を投影した。
「十メートルです」
門の向こうに、青い光が現れた。
ファフィニョは微笑んだ。
「見つけたと思う」
別の光が灯った。
もう一つ。
レイズは入口の脇に立った。
ナイラは灯りを用意した。
ファフィニョはエーテレオンを、さやに収めたままにした。
アクセルが、向こう側を走査した。
「活動を検出しました」
「じゃあ、開けよう」とファフィニョ es と言った。
門が、左右に分かれ始めた。
アクセルは動きを止めた。
「訂正します」
ファフィニョはเขาを見た。
古い機構が、扉を開け終えた。
「誰かが、ここにいます」
第3章をお読みいただき、ありがとうございました。
ファフィニョが「選ばれた英雄」ではなかったという真実、そして彼自身が自分の意志で歩むことを決めた瞬間。このシーンは本作の中でも非常に重要な転換点です。しかし、余韻に浸る間もなく、ついに扉の向こう側の「誰か」と対面することになります。
もし今回の展開が面白いと感じていただけましたら、ぜひ「ブックマーク追加」や、下部にある評価(星)での応援をよろしくお願いいたします!執筆の大きなモチベーションになります。
次回、ついに物語が大きく動き出します。どうぞよろしくお願いいたします。




