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第1章【二年間の平和】

 毛布が足りなくなって、ファフィニョは目を覚ました。

 片目を開ける。


 ナイラが隣に座り、彼の背中の下に挟まった毛布をゆっくり引いていた。


「何してるの?」

「私のものを、取り返してるの」


 ファフィニョは、また目を閉じた。


「君のものなんて、持ってないよ」

「その上で寝てるでしょ」

「じゃあ、守ってるんだ」


 ナイラは、もっと強く引いた。

 ファフィニョは横へ転がり、ベッドから落ちかけた。

 両目を開ける。


「そこまでする必要、あった?」

「うまくいったでしょ」


 部屋は、朝のすみれ色の光で満たされていた。

 窓の向こうでは、レプ・オルジオンの三つの太陽の下で、ホライズン・ホームが目を覚まし始めていた。


 ファフィニョは数秒、そのまま座っていた。

 髪はぼさぼさで、まだ下着姿だった。

 ナイラが彼を見た。


「あと十一日」

「知ってる」

「何までとは、言ってないけど」


 ファフィニョは固まった。

 緑の髪の先が、ピンクに変わる。

 ナイラは微笑んだ。


「やっぱり便利」


 ファフィニョは両手で頭を覆った。


「僕の髪は、この会話に参加してないから」

「あなたより先に答えたよ」

「覚えてるか、確かめてたんだ」

「そうだよね」


 ファフィニョは立ち上がり、椅子の上で服を探した。


「それに、どっちが先に忘れるか、まだ賭けられるし」

「初めてのヴァエラリ記念日を?」

「そう。名誉がかかってるからね」


 黒鉛色のシャツと、やたらとポケットの多い炭色のズボン、それに飾りのない暗い色のブーツを身につけた。

 マントはなし。

 武器もなし。


 振り返ったとき、小さな金属部品を踏んだ。

 部品が転がる。

 ファフィニョは両腕をぐるぐる回した。

 ナイラが反射的に片手を上げた。

 転ぶ前に、どうにか体勢を立て直した。


 沈黙。


 ファフィニョは床を指した。


「見た?」

「うん」

「反射神経」


 部品が箱にぶつかった。

 工具が三つ、床へ落ちた。

 ナイラは腕を組んだ。


「少しは進歩したね」

「今日は、朝から僕にけんかを売ってる」


 二人は笑いながら部屋を出た。


 家の廊下は広く、両側に部屋が並んでいた。

 閉じた部屋も、小さな物置になった部屋もあった。

 ファフィニョに余分な空間を与えると、部品のため込める場所が増えるだけだと、見事に証明されてしまったからだ。


 台所から、温かいパンと、何か甘いものの匂いが流れてきた。

 ナレクは、もう食卓についていた。


「生還者のお出ましだ」

「そっちも、おはよう」とファフィニョは言った。


 ヴァエラが、目の前に皿を置いた。


「食べなさい」

「まだ座ってないんだけど」

「じゃあ、座りなさい」


 ファフィニョは従った。

 ナイラは、あまりにも無邪気な顔で隣に座った。


「大事な日について、ファフィニョと話してたんです」


 ナレクが顔を上げた。


「ヴァエラリか?」


 ファフィニョは兄を指した。


「なんで知ってるの?」

「ここに住んでるからな」

「だからって、僕のことを全部知っていいわけじゃない」


 ヴァエラが、もう一枚の皿を置いた。


「みんな知ってるわよ。作業しながら、ひとりでしゃべってるんだから」

「あれは、声に出して集中してるんだ」


 ナイラが笑った。

 残されたわずかな威厳をかき集めて、ファフィニョは食べ始めた。


 壁の小さなホログラム放送では、朝のニュースが流れていた。

 伝える人は、ヴォルジャ・ケルの広場にいた。

 背後には巨大な建物があり、警備の部隊と、さまざまな世界の代表団に囲まれていた。


「元最高統治者ザイラックスの裁判に向け、準備が続いています」

「最初の審理は、帝国ネットワークの中央統制を終わらせたパッチの公開から、二周年となる日に予定されています……」


 ファフィニョは、ほんの一秒だけ顔を上げた。

 映像が変わる。


 拘束用の台。

 拘束フィールド。

 その向こうに、数秒だけ、巨大な黒い影が見えた。


 ヴァエラが音量を下げた。


「朝ご飯のあいだは、やめましょう」

「賛成」とナレクが言った。


 画面の下部に、別の見出しが現れた。


 人工生命体永続運動が、公判への参加資格を申請


 縦の線が横切る、閉じた青い円が数秒映った。

 誰も何も言わなかった。


 ナイラは、ファフィニョの皿を彼のほうへ押した。


「食べて」

「食べてるよ」

「放送、見てたでしょ」

「二つ同時にできるから」


 ナレクが彼を見た。


「いびきをかきながら、起きてるって言い張るのもできるらしいな」


 ファフィニョは、ゆっくりナイラを見た。

 彼女は食べ続けた。


「我が家に裏切り者がいた」


 そのあ後のホライズン・ホームは、人でいっぱいだった。

 ファフィニョは、食べ物の屋台や工房、小さな広場のあいだを歩いた。

 かつては逃げるときにしか出会わなかった世界の種族が、今は隣り合って暮らしていた。


 今は、値段のことで言い争っていた。

 ずっと文明的だ。


 青い目の灰色のロボットが、箱を三つ抱えていた。

 昆虫型の商人が、四つ目を指した。


「それも頼む」

「安全に運べる容量に達しています」

「あと一つぐらい、いけるだろ」

「前回も、同じことを言いました」

「それで、うまくいったじゃないか」

「容器が二つ、破損しました」

「細かいことはいい」


 ファフィニョは微笑みながら通り過ぎた。


 子どもたちが、噴水のまわりを走っていた。

 二人は有機生命体だった。

 一人には、腕が四本あった。

 もう一人は青い小さな人工生命体で、理論上、自分は疲れないのだと証明しようとしていた。


 年老いた女性が、果物の値段で売り手と言い争っていた。

 木の下には、何もしていないロボットが座っていた。

 誰も不思議には思っていないようだった。


 中古部品の店の前で、レイズが待っていた。


「遅い」

「うそだ」

「一度、言ってみたかったんだ」


 ファフィニョは、近づく前にあたりを見回した。


「助けてほしいんだ」

「断る」

「何のことかも、知らないだろ」

「知らないほうが、正解の確率は上がる」


 ファフィニョは声を落とした。


「贈り物を探してる」


 レイズは眉をひそめた。


「いっそ撃ってくれ」

「ナイラに」

「やっぱり撃ってくれ」


 ファフィニョは、店の品を探し始めた。

ほこりをかぶった、小さな古い調整器を取り上げる。


「これ、使えるかも」

「壊れてるぞ」

「壊れてない。未完成んだ」

「半分ないぞ」

「あまり大事じゃないほうの半分ね」


 レイズは口を開いた。


「どっちが大事か、どうやってわかるのかは聞かない」

「経験」

「安心できんな」


 背後から声がした。


「その部品には、内部の腐食、伝導部の破断、校正値の完全な喪失が認められます」


 ファフィニョは目を閉じた。


「アクセル」


 白いロボット、A.X.E.L.(アクセル)は、ほんの数歩先にいた。


「ファフィニョ」


 レイズは調整器を指した。


「がらくただって、言ってやれ」


 アクセルは部品を調べた。


「適切な分類です」


 ファフィニョは、心外だという顔をした。


「取り消して」

「分類を撤回します」


 レイズが吹き出した。


「ロボットがごみに謝る日が来るとはな」

「ごみじゃない」


 ファフィニョは調整器を置き、歩き続けた。

アクセルが後を追った。


「捜索の目的は何ですか?」

「ナイラに、何か」

「条件が不足しています」

「そう言うと思った」

「では、有用な情報を事前に持っていたのですね」

「役には立たないけど」


 再建された世界からの品々が並ぶ店の前を通った。

アクセルが足を止めた。

 棚には、透明な球が一つ置かれていた。

中で小さな光の粒が、星のようにゆっくり上下していた。


光る肌を持つ、アウレリ族の女性の店主が微笑んだ。


「夢の粉よ。夜のあいだ、明るさが変わるの」


 ファフィニョはアクセルを見た。

ロボットは、まだ球を眺めていた。


「欲しいんだね」

「その品は、必要ありません」

「必要かどうかは、聞いてない」


アクセルは黙った。


「欲しいんだね」と、ファフィニョはもう一度言った。


「機能は装飾です」

「それって、欲しいってことだ」


店主は、ホロ・ネクサス端末板を持ち上げた。


「二十七クレジット」


アクセルも、自分の端末板を取り出した。

半透明の二枚の面が、近づいた。

あいだに、青い数字が一瞬浮かんだ。


27 NC

送金承認


ファフィニョは目を丸くした。


「役に立たないものに、二十七ネクサス・クレジットも払った」


アクセルは球を受け取った。


「光を生み出します」

「ランプ、持ってるだろ」

「明るさが変化します」

「そういうランプも、持ってるだろ」


ロボットは球を見た。


「役に立たないという分類を、撤回してください」


ファフィニョは笑い始めた。


「僕に似てきたね」

「その評価は、成立しにくいと考えます」

「いらないものを、ため込んでる」

「その種の品を、三十四点所有しています」


ファフィニョは足を止めた。


「三十四?」

「三十五です」


レイズは額に手を当てた。


「二人に増えた」


ファフィニョは球を指した。


「それも、同じところに置くの?」

「はい」

「コレクションの名前、まだ僕がつけたやつ?」


アクセルは黙った。

ファフィニョは微笑んだ。


「アクセルの夢」

「技術的に正確な名称だとは、考えていません」

「でも、変えなかった」

状況

「はい」

「気に入ったと思ってた」

「そうは言っていません」

「君より先に、沈黙が答えたよ」


アクセルが彼を見た。

ファフィニョの笑みが、さらに広がった。


「ナイラに習ってるんだ」


レイズが工房へ戻るために別れたあとも、アクセルは必要以上に慎重に球を抱えていた。

ファフィニョは、それに気づいた。


「夢のことがあるから、だよね?」


アクセルは少し間を置いた。


「はい」


ファフィニョは歩調を緩めた。


「まだ、どんな感じなのか知りたいんだ」

「休止モードには入れます。シミュレーションも作れます。無環境な状況も生成できます。そのどの機能も、夢を見ることとは異なります」

「僕の夢は、だいたい期待外れだよ」

「以前、身長三メートルのレイズが出てくる夢を見ましたね」

「あれは、すごくよかった」

「悪夢に分類していました」

「まだ怒ってたからね」


アクセルは、球の中の光を見た。


「有機生命体になりたいわけではありません」


ファフィニョは何も言わなかった。


「ですが、あなたたちは目を閉じて、自分で作ると決めていないものを体験できます。誤った記憶。そこにいない人々。存在し得ない場所」


ガラスの中で、光の粒が上へ漂った。


「外から観察するだけでなく、理解してみたいのです」


ファフィニョは、少し微笑んだ。


「いつか夢が見られたら、僕も出てきてほしいな」

「なぜですか?」

「君の親友だから」


ファフィニョは歩き続けた。

三歩進んでから、足を止めた。

アクセルも止まった。


「私を、あなたの親友だと認識しているのですか?」


ファフィニョは視線をそらした。

また髪が、ピンクに変わり始めた。


「変にしないでよ」

「その分類を理解しようとしています」

「分類じゃない」

「では、友人と親友の違いは何ですか?」


ファフィニョは考えた。

思っていたより、ずっと難しい問いだった。


「たぶん……何も頼むことがなくても、そばにいてほしい人、かな」


アクセルは数秒、動かなかった。


「その定義は、当てはまります」


ファフィニョは彼を見た。


「僕に?」

「はい」


ファフィニョは微笑んだ。


「幸運だったね」

「放置されたコンテナの中で、あなたに出会う確率は、きわめて低いものでした」


ファフィニョは吹き出した。


「今の、ちょっと感動的に聞こえた」

「学習しています」


次の店で、ファフィニョは緑がかった小さな結晶の板を見つけた。

ピンクの筋が走っていた。

光にかざしてみる。

アクセルが調べた。


「機械的な機能はありません」

「完璧」

「購入するのですか?」

「ううん」


ファフィニョは微笑んだ。


「何か、作るんだ」


アクセルは首をかしげた。


「計画はありますか?」

「思いつきなら」

「過去の事例では、そのほうが危険でした」

「ありがとう、親友」

「その呼称は、危険な傾向を指摘することも認めますか?」

「認めない」

「では、まだ理解できていません」


午後は、急ぐ必要もなく過ぎていった。

警報もなく。

船で埋まる空もなく。


ファフィニョが家に戻ったとき、結晶の板はポケットの一つに隠れていた。

廊下で、ナイラが迎えた。

彼女はポケットを見た。

それから、彼を。


「何を隠してるの?」

「何も」


髪の先が、ピンクに変わった。

ナイラは微笑んだ。


「そうだよね」

「いつか、これを制御できるようになるから」

「ならないでほしいな」


四人で夕食を食べた。

ナレクはしゃべりすぎた。

ヴァエラはそれに異を唱えた。

ナイラは、ファフィニョを見て二度笑った。

ファフィニョは、一度だけだと言い張った。


大事な争いだった。


そのとき、通信機が震えた。

ファフィニョは、小さな投影を見た。

ヴェイル。


「はい?」

「ホライズン基地に来られるか?」


ファフィニョの笑みが、少し薄れた。


「今?」

「今だと、ありがたい」


ナイラは、もう立っていた。


「何があったんですか?」


少し、間があいた。


「アクセルが、何かを見つけた」


ファフィニョはナイラを見た。

それ以上は聞かった。


二人が着いたとき、ホライズン基地は静かだった。

レイズは、もう待っていた。

セイルは、星図の投影の前に立っていた。

ヴェイルは、両腕を操作台に置いていた。


アクセルが顔を上げた。


「四十九分前、緊急通信を受信しました」


ファフィニョは近づいた。


「どこから?」


地図が変わった。

干渉の向こうに、遠い領域が現れた。

古い識別名が、浮かび上がった。


キャッシュ404


レイズは眉をひそめた。


「あそこには、誰もいないはずだ」

「そのとおりです」とアクセルは言った。


セイルが信号を再生した。

雑音。

遠くの衝撃音。

やがて、途切れ途切れの声。


『……誰か、これを受け取ったら……』


通信は、二秒途切れた。


『……助けて……』


沈黙。


ファフィニョは、点滅する光点を見た。

ナイラが隣に来た。

レイズは腕を組んだ。


「気に入らん」

「僕もだ」とファフィニョは言った。


アクセルが座標を拡大した。


「発信源に矛盾はありません」


ファフィニョは深く息を吸った。


「計画がある」


アクセルが彼を向いた。


「計画を立てるには、まだ情報が不足しています」

「計画の、始まりならある」


レイズが彼を見た。


「本当にいい計画か? それとも、ファフィニョ基準でいい計画か?」


ファフィニョは顎を上げた。


「僕は成長した」


アクセルは、一秒もかけなかった。


「それを裏づける証拠が、不足しています」


ナイラが、短く笑った。

ファフィニョは、全員を見た。


「また一緒に働けて、うれしいよ」


投影の中で、キャッシュ404は点滅し続けた。

第1章をお読みいただき、ありがとうございました。


平和な日常から一転、再び不穏な影が動き出しました。キャッシュ404からの救難信号には一体何が待ち受けているのか、そしてファフィニョたちの新しい計画がどうなっていくのか、これからの展開も楽しみにしていただけると嬉しいです。


もし続きが気になりましたら、ぜひ「ブックマーク追加」や、下部にある評価(星)での応援をよろしくお願いいたします!皆様のリアクションが何よりの励みになります。


次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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