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ラーメングラディエーター地獄龍流  作者: 深津 弓春


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第四話 追憶せよ地獄龍! イモータルラーメン(後編)

   *


 記憶の全て。

 経験の全て。

 見たもの、聞いたもの、考えたこと、意識の流れの痕跡の全て。


「スキャンしていたというわけだ」


 地獄龍は自身のラーメンラボで医療分析機器の前に立ち、転送された結果をタブレットで閲覧していた。

 体内に残存していた特殊な微小分子が画面には表示されている。一定数が体内に侵入すると協働して一定の機能を発揮し、主に血管を伝って移動し、脳を中心とした神経系へと散らばって深みに潜る。

 奈落底のラーメンに仕込まれていた、ラーメン分子機械だった。奈落底は学生時代から微小分子系機能性ラーメンを得意としていた。


(不透明なスープもそのためというわけか、奈落底)


 彼女のラーメン分子機械は、地獄龍の内部をスキャンし、ある一定の関連性を持つ膨大なデータ群を取り出していた。タブレットに表示されたデータの全てに共通する関連性――それは、鋼刃に関する情報である、という点だった。

 要するに、彼女のラーメンは地獄龍から鋼刃鋸子に関する記憶や経験を探し出してコピーし、抜き出していたのだ。恐らく無線で奈落底の元に伝送されているのだろう。

 騙し打ちでこんなことをする理由は何か。地獄龍には心当たりがあった。


「まだ、諦めていないんだな、お前は」


 脳裏に過るのは、五年前、先日の再会以前に最後に奈落底を見た際の言葉だ。


『――私は、諦めない。鋸子のことを、誰も彼も過去の記憶としてしか語らなくなった。あなたもね、流。けど私は違う。私のラーメンで、あの子を取り戻して見せる。そのためのラーメンでしょう。ラーメンは全てを可能にする。あなたのように、死を受け止めるふりをして、足を止めてしまう人間でさえなければね!』


 彼女は鋼刃の信奉者と言っていい存在だった。地獄龍もまた同じだったからこそそれが分かる。


『私は作る。私の人生を賭けた最上のラーメン……反魂ラーメンをね』


 その言葉を最後に、奈落底は地獄龍と決別した。地獄龍は山籠もりして己がラーメンを問い続け、鋼刃のラーメンに迫る方法を追い求め続けた。だがそこで得た答えは、己がラーメンは己がラーメンにしか成り得ないという当たり前の事実であり、同時にそれを突き詰めた向こうに、いなくなった人間との関係性の価値があるのだと知ることでもあった。


「だがお前は別の道を歩んだ。奈落底綾香」


 彼女は鋼刃の歩んだ人生をなぞり始めた。生家、故郷、母校、友人たち、競争相手、全てを辿り始めた。偏執的なまでに鋼刃に関わった全てを調べ尽くしていった。

 何故か。答えは、タブレットの画面にあった。

 機能性ラーメンとして微小分子機械を利用し、鋼刃鋸子という存在を構成する情報を無数の人間から集めたのだ。記憶を。イメージを。無数の人間の無数の意識、無数の脳から取り出し集約して失われたはずの人格情報マトリクスを構成していたのだろう。

 墓で再開した際、まさかまだ続けているとは思っていなかった。そこまでの夢物語、さすがにとうに諦めたのだろうと。だからこそ、昔より大人びた様子を彼女を、時間の流れが変えたのかと考えた。

 何も変わってはいなかった。


 熾火のように、地獄龍の中に怒りが灯っていた。人の分を超えられぬ自ら、そして天命への怒り。人の命を好きに取り戻せぬ運命への怒り。しかしそれはどうしようもない。どうにかしてしまえば、全てが無価値化するのだ。

 代わりに、地獄龍は別の怒りを抱くことにした。

 五年間、まだ失われていない命を、最高のライバルであったはずの女性を放っておいた自らへの怒りを胸に、地獄龍はラボを後にする。

 奈落底綾香という人間に向けたラーメンを作るために。


   *


 地獄龍の筋肉が唸る。背筋がメキメキと音を立てて蠢き、肩から腕にかけてのマッスルたちが巨大なうねる山塊となって夜の墓場でその影を躍らせる。


「すまんな、鋼刃」


 言いつつ、地獄龍は墓石を持ち上げる。尋常ならざる膂力腕力その他が人の持ち上げるようには決してできていない巨大な墓石を軽々とリフトする。全部で二トンほどの重さがあるが、地獄龍は常にラーメンのための鍛錬を怠ってはいない。彼の筋肉は普通自動車程度までならば持ち上げることができる。

 邪魔になりそうな竿石や台、水鉢などを全てどけると、そこには虚ろが残る。納骨室は地面を掘って作られるタイプだが、そこには何も入っていない。葬儀から五年、骨が土に還るわけもない。

 最初からそこには、何も無い。異国で死んだ彼女の遺体がどこにあったのか、誰も知らない。

 だからこの墓は純粋に、生きている者のための儀式なのだ、とかつて奈落底は語った。


「ならば、俺の儀式を、俺たちのためにはじめよう」


 協力してくれ鋼刃、と心の中で唱えて、地獄龍は何もない納骨室の土の地面をすり鉢状に掘り起こし、半球状になった土の地面と、側面にある石材の壁面を、平手で叩いていく。目に見えぬ速さで繰り出される張手は次第に速度を増し、音速を超えてソニックブームが発生する。

 いつの間にか、地面がツヤめいていた。あまりに高速で繰り出される地獄龍の手の平が空気を圧縮し、断熱圧縮で凄まじい熱を生じさせていた。大気圏に突入する隕石もかくやといった熱が、石と土の表面を赤熱させ、薄く溶かしていた。普段から高硬度金属製の麺すら捏ねることのある地獄龍の手技が、自在に空気と熱を操っていた。

 十分に熱された納骨室に、地獄龍は用意しておいた具材と湯を入れていく。


「トゥーム・ラーメンだ」


 呟きに、足音が反応する。


「流、一体何をしているの……」


 背後に、奈落底が立っていた。


「いきなりメッセージを寄越して、呼びつけたと思ったら。私の狙いを理解したのは分かる。でもこれは、何?」

「勿論、ラーメンだ。俺とお前のためのな」


 麺を入れて、豪快にスープと共に煮込む。煮込み用の麺が墓穴の中でゆらゆらと広がってスープを吸っていく。


「俺たちは、失った。喪失を無化する方法はないんだ、奈落底。死者を取り戻し、生者との境を消していけば、残るのは何も入っていないこの墓と同じものだ。空虚だけが現れる」

「私のラーメンなら、生前のあの子を完全に取り戻せる。あなたにも分かっているはず。あの子が接触したありとあらゆる情報を集めたラーメンが、あの子をもう一度構築できる」

「そうして、歳をとってスレた俺たち二人の前に、あの輝かしい、若い彼女を呼び戻すのか。五年後の世界に同じ記憶と同じ肉体を構築し人格ゲシュタルトを構成させて、俺たちはどんな顔をするんだ?」

「五年前と同じ顔をしなさい、流、私達は全てを取り戻せる。なんなら、私たち自身をラーメン化して新しく構築し直してもいい」

「それでまた三人の誰かに何かがあれば、そこからやり直すのか。まるで拷問だな――奈落底、俺は、鋼刃が大事だったが、彼女を好ましく思っていたのは、彼女が誰よりもラーメンを愛しラーメンに愛される人間だったからだ。全ての価値をロールバックして補完する世界で、俺たちはどんなラーメンを愛することができるというんだ」


 突きつけるラーメンの言葉に、奈落底は何かを反論しようとして、しかし唇だけが中途半端に開いて、言葉は冷えた夜気の中で声になっていない。


「喰え、奈落底。これが今の俺たちの、失ったものを抱えて尚生きる俺たちのラーメンだ」


 跪く。荒らされた墓の元に座り込み、レンゲと箸を手に、地面に頭を下げるような姿勢でラーメンを食する。

 豚骨の芳香が熱と蒸気と共に吸い込まれる。肺を満たす。麺とスープが喉を通り、胃を満たす。食とは死を食らう行為である。死が一時二人の腹に食の喜びをもたらす。


「私達は結局、いつまでたっても追いつけていない。当然ね、だって私たち自身がそれを望めていないのだから」


 奈落底が、地獄龍の隣で同じように這いつくばってトゥームラーメンを啜りながら語る。


「皆が諦める。失われたものに背を向けて、仕方がないと目を逸らし、残った価値だけを持っていく。そんなのは、怠惰に過ぎない。けれど本当に怠惰なのは、死と生をまるで完全に別物のように扱って意味を捻じ曲げようとしていたこと」


 理解はしていたのだ、と奈落底はスープを一口飲み下して、熱い息を吐く。


「いっそあの子が人間向けのラーメンなんて興味なかったなら、私の行為にも意味があった。けれどあの子はいつだって人の食べるラーメンが好きだった。この逆説的な生と死を所与のものとする人間の為のラーメンが」


 言って、彼女は麺がほとんどなくなったスープに、ドボンと頭を入れた。

 そのまま、全てのスープを吸い込んでいく。嚥下の音が暗い墓地に響き、長い食事が終わる。

 髪も顔も全て豚骨スープで濡らした奈落底が顔を上げる。立ち上がる。


「流、私は、諦めない」


 言葉は同じ。しかし響はまるで違う。


「私は、あの子を超える。鋼刃鋸子を」

「ああ」

「ほんとうに取り戻すという事がどういうことか、あなたにも見せる」

「ああ」

「誰にも邪魔させない。私自身の中途半端さにも」


 だから、今回は助かった、と奈落底は顔を振って呟く。濡れた髪から豚骨スープが飛沫となって飛んでいく。きらきらと脂が輝き、油滴が景色を映して小さなレンズとなり、地面に当たって砕け散る。

 ある人間の、死までの全ての情報を集めても、その人間を取り戻せるわけではない。人間そのものの存在性は、集積された情報の枠を超えるからだ。人の身で人の身を超えたそれに接近するには、人の身というものを突き詰める以外にない。

 逆説だった。生と死に関する言説は、何にしても逆説に行き当たる。


 豚骨スープに濡れた奈落底の姿は美しかった。ギラギラと生の気配とマー油の香りを放つ彼女こそは、死者に接近するに相応しい。

 これは、本当に手強いライバルになるな、と地獄龍は思う。

 墓場の暗闇の中、もう一人のグラディエーターがそこにいる。五年前とはまるで違うラーメン闘士が。


 予告


 逃げ出した少女、遠い異国の血統、そして迫る時間。結婚のために来日した異国の姫は、逃げ出した先で愛おしき庶民の味を知る。どこにも行き場のないはずの彼女にラーメンを差し出した男は地獄龍流。幻のラーメンクリエイターにして、一切の惑い無しに正義を志向する生粋のファイターである。自ら人生を切り開くという事を体現する彼に少女は仄かに想いを寄せる。たった一日の出会い、一日の交流、楽しい時間はすぐに過ぎていく。最良の一日の後に残るは呪わしき宿命。だが地獄龍は人を不当に縛る血の契りに狂乱の怒りをもって相対する。ラーメングラディエーター地獄龍流、次回第五話『高潔たれ地獄龍! ホリデーラーメン』

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