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ラーメングラディエーター地獄龍流  作者: 深津 弓春


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第四話 追憶せよ地獄龍! イモータルラーメン(前編)


 墓は広大な自然公園の一角に建てられており、ゆったりとした広めの敷地に立派な石材が真っ直ぐ空を向いて立っている。周囲の木々と広い公園の敷地に遮られ、都市の喧騒はひたすらに遠い。


 墓には家の名など記されず、ただ「鋼刃 鋸子(はがねば のこぎりこ)」とだけ刻まれている。

 この墓には金がかかったな、と地獄龍は一人、墓石の前に立って思い返していた。静かな場所が好きだった鋼刃のために土地と立派な墓を用意し、親類縁者との繋がりをほとんど持たぬ彼女をきちんと埋葬するにはとてつもない手間と金がかかった。だがこうして今も綺麗に磨かれた墓石ときちんと手入れされた周囲の草地を見渡すと、少しは苦労の甲斐もあったのか、と思えなくはない。


「俺はラーメンクリエイターとなったぞ、鋼刃」


 声に出して呟く。様々なラーメンを研究し、造り出し、プロデュースし、商業的成功もある程度収めた。人からは幻のラーメンクリエイターとまで呼ばれる存在となった、ラーメンの道を行くものとして一定のレベルにはなったのだ、と。それから、こちらは声に出さず、お前ほどではないかもしれんがな、と胸中で付け加える。


 と、地獄龍はあるものに気が付く。墓のたもとにはまだ真新しい花と半チャーハンが添えられていた。チャーハンの器に触れると、まだ暖かい。

 この墓の存在は、ほとんど誰も知らない。地獄龍にしても、自身を別にすれば、こんなことをしそうなのは一人しか思いつかなかった。


「久しぶりね、(ながれ)


 まさにそんな思いを読み取ったようなタイミングで、背後から声がかかる。

 振り返ると、長い銀糸の髪を真っ直ぐ垂らした細身の女性が地獄龍を瞳に映して立っている。緑がかった虹彩が今は昼の太陽光の中で周囲の草地と同じ色を振りまいていた。

 女は地獄龍と同じ年頃で、まだ若々しい。細身ではあるが引き締まった肉体には隙が感じられず、皺ひとつない高級な黒コートと合わせて峻厳さといったものを漂わせている。


奈落底綾香(ならくぞこ あやか)。五年ぶりになるか」


 相手に応えてこちらもフルネームを口にして、地獄龍は向き直る。


「お前がここに来るとはな。墓を掘り返しにでも来たのか」

「まさか。私もこの五年で少しは落ち着いた。あの時あなた一人に葬儀や墓の手配を任せたのは、悪かったと思ってる」

「こいつは――驚いたな。思った以上に五年という月日は長いものだったらしい」

「茶化さないでよ」


 言いつつも、奈落底は微かに笑う。笑顔が硬く表情変化が下手なのは昔から変わってないなと地獄龍は懐かしさを覚えた。


「あの時は、あの子の死があまりにも衝撃的だったし、信じられなかった。だから、どちらかと言えば周囲の皆が葬儀だとか埋葬だとかなんだとか、そういうことを話す様子こそが、あの子の死を決定づけるような気がして、受け入れられなかった」


 言葉に、地獄龍は当時を思い出す。地獄龍と奈落底、そして鋼刃。三人で共に過ごした最後の学生時代、その終わりのことを。


 地獄龍も奈落底も、人生をラーメンに奉げたラーメン者として、当然ながら日本でトップの国立ラーメン大学、東京ラー術大学に進学していた。幼少期からラーメン神童として育ち、各種ラーメン大会などで地元で誰もが驚くような実績を積み、当たり前のようにトップクラスの成績でラー大(東京ラー術大学)入りを果たした二人は、当時注目の的であり、ラーメン会の新たな世代の竜虎と呼ばれたものだった。二人のどちらかが全てのラーメンを統べる存在となるだろうと。だが、世界は広く、地獄龍も奈落底もあっさり鼻っ柱を折られることとなった。一人の天才が現れたことで。


 鋼刃鋸子という、ラーメンセンスの塊のような怪物的存在によって、地獄龍も奈落底も、自分たちが秀才ではあっても天才ではないのだと自覚することになったのだ。

 だがその天才は今、地上のどこにもいない。僅かな骨が墓石の下の納骨室にあるばかり。


「流、あなたも色々変わったように見える。昔よりも、タフになったって感じ」

「見かけだけさ。君のように有名チェーンを展開してるわけでもない。鋼刃のような才も無ければ君のような社会性も無く、今でも名の通りの流れ者だ」

「訂正。やっぱり変わらない。偏屈なラーメン男のまま」


 細く戸の隙間を風が通るような音を立てて、小さく奈落底が笑う。


「この後、少し時間ある? ちょうど新しいラーメンがあるの。次に展開する新しい店舗群のために考えたやつが」

「試食ってわけか」

「あの子がいない今、信用できる舌はお互いのものだけでしょ、私達」


 そんなことはないさ、と地獄龍は口にしようとして、しかし喉の奥で言葉は掠れて消えてしまっていた。優れたラーメンクリエイターは沢山いるのだし、自分たちを超える実力者だって広い世界には沢山いると分かっていて尚、地獄龍にはそれを口にすることが出来なかったのだ。

 三人でいつも一緒にいた頃と、二人しかいない今。お互い変わったと言いつつも、何も変わっていないのかもしれないと、地獄龍は空を仰いでそう考えていた。


   *


 奈落底に連れていかれた先は、彼女が展開する有名なラーメンチェーンの店舗の一つだった。どうやら一部設備の点検でこの日は休業らしく、店内には人気が無い。

 地獄龍をカウンター前に座らせると、奈落底は厨房用の仕事着に着替えて手早く調理を行い、すぐに一杯のラーメンが出てくる。


「鶏白湯か」


 乳白色の美しいスープと、旨味と塩分をソリッドに感じさせる芳香に、地獄龍はしばし感じ入る。学生時代の奈落底は醤油や塩系の透き通ったスープばかりを扱っていたなと思い出し、これもまた時間がもたらした変化の一つか、と考えながら箸をつける。


「……驚いたな」


 思わず声が漏れる。スープは極めてバランスの良い精緻な味わいで、出汁の風味も香りも濃いが、どこかが突き出てバランスを崩すようなところが全くなく、それ故に濃厚系の悪い部分が感じられない。口当たりは軽やかでありつつも、味わいの密度だけが濃い。丁寧な造りと巧妙精妙な計算が成せる味わいが、的確に食欲を刺激しつつ感性を満足させる。


 店で出すラーメンとは言うまでもなく商品であり、商業的制約からは逃れ得ない。原価、売価設定、人件費光熱費家賃その他諸々……金周り以外にも食品衛生法等の制約、提供にかかる時間的コストなど気にする点は多い。自由に創作するラーメンのような個人的文化存在とはまるで異なる社会的食品存在であり、そのルールと商業的利益目標の中で味を追求するには地獄龍のようなクリエイターとはまた異なるセンスと技術と経験を要する。

 奈落底はその全てを高い水準で所持しているらしい。彼女のラーメンは見事だった。


「これは売れるだろうな。調理の手間も見た目や味からは想像できないほど上手くコンパクトにまとめられている」

「食べただけで手間のことまで分かるの?」

「動きを見ていたからな。君の技巧は知っているが、今やった調理では何も特別な動きはしていない。店舗スタッフへの負荷の低減も考えられた、いいラーメンだ」

「巷で噂のラーメンクリエイターにそう言ってもらえるなんてね。ちょっと光栄かな」

「ただ――僅かに、スープに粒子感があるな。これが好きだという人間も多く居そうだが、個人的には舌触りに微かな違和感があるのが引っ掛かる」

「……さすが、流。そこは私も改善に悩んでいるところ。そっか、やっぱり気になるか」


 軽く肩をすくめる彼女の様子はいつもと変わらない。だが地獄龍は、奈落底の眉根がほんの一瞬、ピクリと蠢くのを見逃さなかった。


「美味かったよ。また何かあったら連絡をくれ」

「あれ、もう帰るの?」

「忙しい身でな。デカい看板背負ってるそっちほどじゃないが」


 上着を肩にかけて、地獄龍は店を後にする。学生時代の親友の一人を背後に歩き出しながら、彼はこの後の段取りを考えはじめる。


(まずは、胃の中身を取り出す。それから全身の徹底的な検査が必要だ)


 ラボに帰れば設備は問題ない。判断して、足を速める。


「奈落底――やはり、君は変わっていない」


 昔から彼女は、何かを誤魔化したり、嘘をついたり、痛い所をつかれたりしそうになると、眉根がピクリと痙攣するように動く。

 失われた存在と、学生時代、そして友人の癖。


 今日は思い出してばかりだと、地獄龍は虚空に向かって一人ぼやいていた。


   *


 鋼刃は、およそ料理人には見えない人間だった。


 身長が低く顔貌も若々しすぎたために、下手をすれば中学生に見られかねないような女性で、立ち振る舞いもどこかぼんやりしており、入学以後しばらくは完全に周囲から浮いていたし、厨房に立つとその見た目と調理場の景色のミスマッチ加減はちょっと異様なくらいだった。

 だが本当の異様さは、彼女がラーメンを作り始めてから発揮された。


「流、ラーメンはね、きっと私たちをもっと別の場所に連れていくよ。世界の諦念を破って、本当に見たかったものを見せてくれる」


 初めての実習で、彼女は地獄龍と奈落底のグループに配置された。それまでラーメン巧者の名をほしいままにしてきた神童たる二人は、それから一週間のラーメン制作実習の間、ただの傍観者へと引きずりおろされていた。


 圧倒的なセンスと、奇怪と評したくなるほどの発想力、そしてそれを形にする確かな技術と膨大な知識が、鋼刃には全て宿っていた。超電導ラーメン、ブラウンラチェットラーメン、量子ラーメンと、学生の身で、しかも一年時の基礎的な実習の段階で、彼女は大学の猛者揃いの麺教官たちすら置き去りにする新機軸の機能性ラーメンを次々に完成させていった。

 一般実食用ラーメンでも彼女は常に頭抜けた成績を残していた。あらゆるジャンル、あらゆる国家、地域、材料のラーメンを自在に作り、組み合わせ、創作し、国内の大会を総なめにしてみせた。


 地獄龍と奈落底は大学で出会った当初、あまり良い仲ではなかった。だが鋼刃の存在が全てを変えた。彼女を見上げ、なんとか追随しようと藻掻く二人はその努力の中でお互いを認め合ったのだ。

 ラー大三人衆と称されるまでになって、三人の未来はこの上なく開けていた。


 だが結局、誰より優秀なラーメン者だった鋼刃は死んだ。遠い異国の地で、ラーメンとは関係のない場所と理由の中で、彼女のラーメンは永遠に失われてしまった。


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