身近に潜む枝葉
エンジュから教えてもらった真実を反芻し、遅れてやってきた感情を整理するため、トウカは協力の返事もそこそこに部屋へと戻った。心配したエンが部屋の戸を叩いたので室内に引き込み、そのふかふかの毛皮を撫でながら思考に沈む。
ユキシロは又木だった。理詰めで考えたせいで追いつかなかった衝撃が今やっと来た。
彼がこの大熊杜にいてはならない勢力のひとりだったなんて。安易な言葉で言えば、恋人は敵だったのだ。
なんとまぁ、自分は自らが思うよりも大変な場所にいるらしい。
改めて協力を頼むついで、エンジュはこうも言っていた。もしユキシロから連絡があるようであれば知らせてほしい、と。それはつまり、エンジュにとってユキシロは狩るべき対象なのだ。
ユキシロのことは嫌いではない。セミナーを優先してデートを疎かにしたことや、急な別れ方など、思うことはたくさんあっても。曲がりなりにも恋人だったのだ。相応に愛着はあるし、親しみだってある。それを又木だからと切り捨てて敵視することは難しい。
そしてエンジュも。最初は恐ろしい大量殺人犯だと思っていたが、付き合ってみれば浮き世離れした世間知らず。愛嬌があって可愛らしい。婚約者の体裁だとか、一目惚れだという話を差し引いて、対等な人間として見れば嫌いではない。協力してほしいと頼むなら力添えしてやりたいと思うし、そのための同居だって悪くないと思っている。
嫌いになれないユキシロと、嫌いではないエンジュと。そんな位置に挟まれてしまった。
もし、ユキシロが連絡してきたらどうするべきだろう。自分も又木になるなんてことはできないし、かといってエンジュに通報することも躊躇する。
「どうしようねぇ……」
思わず溜息をこぼす。間抜けにも腹を見せて転がっていたエンが首を傾げた。
そりゃそうだ。エンだって守り人の側。又木など庇う必要もない、連絡があれば通報すればいいと言うだろう。
「でもねぇ、そう割り切れないんだよ」
そう簡単に手のひらを返せるほど薄情じゃない。この葛藤がわかるか、と問えば、エンはまた首を傾げた。
「くそぅ、人の気持ちをわからない犬っころめ」
こうしてやる。鬱憤紛れに思いっきり毛皮をもみくちゃにする。あぁやめてください毛並みが乱れる、と降参するように鳴いたので手を離してやった。
ひーん、トウカがいじめる。そう泣きそうに毛並みを前足で整えるエンの愛嬌ある仕草につられて笑う。
「よし、宿題しよ」
たっぷり毛皮を撫でてもみくちゃにして、多少気が紛れた。連絡してきたらどうしようだなんて、未来のことを考えたって埒が明かない。そんなのその時になったら考えればいい。今、気をもんだって憂鬱になるだけ。
それよりも明日のこと。明日が提出期限の課題をやらなければ。エンジュの真実の告白とその反芻ですっかり時間を使ってしまったが、やるべきことはやらないと。課題未提出で減点、赤点、追試のコースに乗ったら後が大変だ。
板挟みの憂鬱から気を紛らわせるためにも課題に取り組もう。気を取り直して、トウカはノートと教本を取り出すべく鞄を開いた。
「ん?」
ひらり、と鞄の隙間から何かが落ちた。エンが素早く前足で押さえつけたそれは、何かのチラシだった。拾って文面を読んでみれば、どうやら学習講座の勧誘だった。基礎学校を卒業して大人になった今、もう一度改めて勉強してみよう、というような内容の。
見た目はいたって普通だ。しかし、ユキシロが通っていたセミナーのことを思い出すと途端に怪しく見える。これもまた、講座を装った又木への勧誘なのでは。行けば最後、正しい歴史を教えるとか言って又木の思想に染められてしまうのでは。
「どう思う?」
それが間違った想像なのか、試しにエンに聞いてみる。チラシを嗅いだエンはかつてないほど苦い顔をしていた。嗅覚で素質を嗅ぎ分けるというし、苦い顔をするということはこの仮説は誤った想像ではないのだろう。
こうして又木は密やかに迫って来るし、そうと知れないように潜んでいるのだ。その事実を噛み締めて背筋が冷える思いがした。
またもや又木の存在を自覚したところで、ふと思う。
こんなもの受け取った覚えはない。ということは、誰かが鞄に紛れ込ませたのだ。いつ。放課後はデートと言って付き添うエンジュが誰も近寄らせない。ならば、つまり。
「……まさか、学校の中で……?」




