第37話:大衆酒場(2) <翔サイド>
再度、見直しました。
「仕事って、バイトだろ、コンビニの」
藤田翔は、そう言った直後に『しまった』と思った。後悔しても、もう遅い。案の定、その言い方が気に食わなかったようで、山口沙希が翔を睨み付けた後、今の社会状況を長々と説明し出した。
「やっぱり翔は上級国民なんだね。なーんにも分かってないんだ。最近はね、いくらバイトでも、働き口を見付けるのは結構、大変なんだから……」
沙希が語ったのは、こんな内容だった。
十年前と比べて、今はコンビニや小さな商店でさえ自動化や人工知能の活用が進んでいて、人手が少なくても店が回るようになっている。自動レジが普及したり、在庫のカウントや発注が自動でできるようになったり、商品の配列とか梱包形態とかも細かい所で工夫されていて、簡単なロボットが導入されている店もある。
それに加えて、小売りの店舗数自体が減る一方なんだという。この天王市の市街地にしたって、天王通りは既にシャッター街だし、郊外の大規模店だって、最近は昔のような勢いが無くて、大型チェーンの統廃合も進んでいる。今でも賑わっているのは、一部の巨大モールだけだ。昔はあんなに沢山あったコンビニも、この辺には五店舗しか残っていない。
その理由は明らかで、今は日用品や食料でさえ、ネットで買うのが当たり前になってしまったからだ。その為、自動運転の小型配送車やドローンが二十四時間三百六十五日、街中を動き回っていて、いつでもどこでも欲しい物が手に入るようになった。
更に減ったのは、飲食店やレストランである。この業界は元々チェーン化が進んで店舗数が減っていたのだが、そこにコロナ禍が追い打ちを掛けた。
要するに、企業の正社員の採用が減っているだけでなく、今や単純作業の職場も雇用数を大きく減らしているということだ。
もちろん、日本の労働人口自体が減ってはいるのだが、雇用の数はそれ以上に減っている。
「まあ、生鮮食品とかお惣菜に関しては、まだまだスーパーで買う人の方が多いみたいだけどね。実際、その方が安いからだけど、十年後もそうかと言われると、違う気がするよね」
「買い物自体が面倒だもんな」
「買い物もそうだけど、献立を考えるのが面倒なんだよね。その辺も含めて、人工知能でやってくれちゃう賢いソフトとかできたら、飛び付いちゃうと思うな」
「オレは、その日に食いたいものを食いたいけどな」
「それだと栄養が偏っちゃうでしょうが。それだから、陽輝は最近、お腹が出てるんじゃないの?」
「ま、まだ、そんなに太ってねえわ」
「まあ、時間の問題だろうな」
「ちぇっ。沙希だって、そんなにビールばっか、飲んでると太るぞ……痛っ」
「こら、陽輝。女性に向かって、太るとか言うな」
沙希は、きつい目で松永を睨み付けてから、先を続けた。
「ちょっと脱線しちゃったけど……それで、自動化、効率化の話だけどね、ここみたいな普通の居酒屋で、ちゃんと調理してる所なんか、もうどっこも無いんだよね。昔の小料理屋みたいなとこは、趣味で細々とやってるとこ以外、ほとんど淘汰されちゃったんじゃないかな。店にちゃんとした料理人がいるのは、比較的裕福な人が行く高級レストランだけだよ。それと給仕に関しても、回転ずしみたいに料理がコンベアやロボットで運ばれてくる店が増えててね、ウエートレスとかの求人も昔より大幅に減ってるの。ほら、うちらが小学生だった頃、バイトとかの人手が足りなくて社会問題になってたの知ってる? あの後、一気に自動化が進んで、その後のコロナ禍で今度は無人化が進んじゃったんだよね」
「でも、この店は、店員が料理を運んでくるだろ。こないだ入った駅裏のお好み焼き屋もそうだったし……」
「駅裏のお好み焼き屋は、流行ってるもんね。と言っても、高校生ばっかだろうけど。ああいうとこは、薄利多売で何とかやってんじゃないかな。ここの大衆酒場は、『人が料理や飲み物を運んで来る』ってのを売りにしてる店なの。店のキャッチフレーズが『人と人の繋がりを大切に』だから。その代わり、徹底して設備投資をしないで、内装をシンプルにしてるわけ。で、採算が合わない店舗は素早く撤退……」
「なるほど。そうやって投資効率を上げてるわけだ」
沙希に言われて店内を眺めると、天井の柱や梁がむき出しで、床はコンクリート。壁もトタン板を張っただけの状態だ。
天井からは、あちこちにディスプレイが吊るされていて、そこに映像が映し出されている。照明が少ないから、周囲はかなり薄暗かった。
それから、テーブルや椅子といった什器が、まるで学食みたいで安っぽかった。
そこで、しばらく黙っていた松永陽輝が口を挟んで来た。
「でもよ、ここの飯って、結構、うまいけどな」
「そりゃ、そうでしょう。ただ安いだけじゃ、お客さん、来ないでしょうが」
「でも、お前って、さっき、ここでは調理してないって言ってなかったか?」
「それは、一からは作ってないって意味よ。ただ、ここの場合、一応は厨房を持っててね、一からじゃなくても多少は手を加えてるみたい」
「まあ、そうだろうな。料理とかは、差別化の一番重要な要素だろうから」
「翔の言う通りなんだよね。だから、料理には相当、気を使ってるっていうか……」
沙希はこの店のことに、かなり詳しいようだった。そのことを翔が言うと、沙希は気恥ずかしそうに答えてくれた。
「まあね。実は、友達の親戚の人が、ここのオーナーなんだ」
「えっ、そうなの?」
大きな声を出したのは、松永だった。
「陽輝だって、知ってる筈だと思うけど……まあ、それはいいや。あとは、ターゲットにしてる客層ね」
「サラリーマンじゃないのか?」
「サラリーマンもだけど、メインのターゲットは、それより下の層なの。地元の中小企業とか普通の工場で働いてる人達ね。翔は、そう思ってないと思うけど、普通の会社で正社員として働いている層は、今じゃ結構、上の方の階級なんだよ」
「そうなのか?」
「たぶん、上位二割とかじゃないのかなあ。それだけ、どこの企業も正社員を減らしてると思うんだよね」
「そっか。沙希って、そういうのも詳しいな」
「小学校の教師ってのはね、どうしても児童の家庭環境とかを意識せざるを得ないんだよね。特に、今の私の学校って、マジョリティが断然、下の方の層だからさ」
そう言うと、沙希は目の前のジョッキをぐびぐびと飲んだ。みるみるうちに中の液体が減って行く。
「それでもね、たぶん、このお店で働くのって、見た目が相当に良いとか強力なコネがあるとかじゃないと、難しいと思うよ。もちろん、どんなにビジュアルが良くたって、手際が悪い子は、すぐクビになっちゃうみたいだけどね」
確かに、少し注意して店員達を見てみると、イケメンや綺麗な子が揃っている。ただ、それは他のお店でも感じていたことで、翔は単純に『最近の日本は可愛い子が増えたんだな』くらいに思っていたのだった。
翔がそれを言うと、二人に呆れた顔をされてしまった。
「容姿だって才能のひとつなのよ。容姿で劣る子は、工場とかで働くしかないの」
沙希は、そう言い放つと、自分のジョッキを一気飲みして、またも開けてしまった。
「まあ、今の時代は容姿なんて、お金さえ出せば、どうにでもなるんだよね。つまり、容姿もやっぱり、裕福の度合いに正比例するってわけ」
翔は沙希の説明を聞きながら、水草薫がこないだ何であんなに怒ったのかが少し分かり掛けてきた気がした。あの時、薫に「何できちんとした所で働かないんだ」みたいなことを何気なく言ってしまったのだ。バイトですら雇ってもらうのが難しんだったら、正社員だと格段に難しいってことじゃないのか。
もっとも、薫の場合、容姿の点では問題ないだろうから、バイトでは割とすんなり雇ってもらえるのかもしれない。でも、問題は、愛想が無い所だろう。翔だって、高校に入って最初に彼女と出会った頃は、何かいけ好かない奴だと思ってたことがある。
それと、あの微妙というか、中途半端な笑顔も頂けない。見る人によっては、馬鹿にされてるような印象を相手に与えてしまいかねない。高校の時だって、薫が中途半端に笑った顔を「悪魔の笑み」とか言って、仲間内で恐れられていたのだ。薫の場合、笑わない方が良いくらいなのだが、面接の時は、そうもいかないだろう。
ということは、薫が就職試験に落ちまくったのって、愛想が無いと面接官に受け取られてしまったことが原因なんだろうか?
だとしたら、あまりにもったいない気がする。もっと彼女に寄り添って、一緒に対策を考えてやれば、何とかなったのかもしれない。そうすれば、二人の関係も今とは違っていたに違いない。
いや、駄目だろう。あの頃の俺には、そこまで彼女を思いやることなど、できる筈もなかった。要は、それだけ子供だったということだ……。
翔は、この時、そんな堂々巡りを頭の中で繰り返していたのだった。
★★★
「……翔、翔ったら、もう、どうしちゃったの、いきなり黙り込んじゃって」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「どうせ、薫のことでも考えてたんじゃねぇのか? あいつも、いろいろ大変みたいだし」
「えっ、そうなのか?」
「そうよ。でも、その話は、この場でしない方が良いかな。この後、本人が来ちゃうわけだし」
「確かに、そうかもな……と言っても、オレは詳しい事までは知らねえけどな」
「私だって、全部は知らないんだけどね。薫って忙しいみたいでさ。今月になって会ったのって、今日が初めてだし」
「まあ、あれだな。あんまり、こういう言い方は良くないとは思うんだけどよ。とにかく、日本は景気が悪すぎるんだわ。それで、いろんな所に歪みが出とるんじゃね」
「それは、そうなんじゃない。で、案外、薫ってのは、その犠牲者なのかもね」
翔にも日本の景気が悪いという認識はあったのだが、それを身近なこととして捉えてはいなかった。現実の雇用状況を数字でしか見ていなかったのだ。いくら景気が悪くたって、今まで自分の生活に直接の影響は何も無かったからである。
「最近の民間企業って、どこも人を減らすことばかり考えてるだろ。翔、お前の会社はどうなんだ?」
「うちは商社だから、ましな方だと思うよ。事務とかの仕事は徹底的に簡素化されてるだろうけど……。それでも、取引先の製造業とかは、大変だろうな。モノの値段が下がる一方だし、これ以上コストを下げるには、人を減らすしかないわけだからさ」
「いわゆるデフレだろ。インフレ目標とか作って何とかしようってやってた時代もあったけど、コロナショックの後、景気は悪くなる一方だもんな」
そういうことは、商社マンである翔にとっては専門分野だった。
コロナ禍の中で一度は値上がりが当たり前になってしまった物価だが、コロナが収束した後の不況で再び下降し出してしまったのだ。
もっとも、そうした中でも食品だけは高止まりしたままなのだが、日本人の支出に占める食費の割合なんてたかがしれている。大半の家庭が外食費を削ったことで、むしろ減っているんじゃないか?
日本の景気が立ち直れないことには、複合的な要因がある。
そのひとつは、かつて団塊の世代と呼ばれた人々がリーマンショックとコロナショックとの間に次々と社会から引退していったこと、高齢化して購買力を落としたことだと言われている。
団塊後の世代は、団塊の世代ほどの蓄えを得られなかった。それはそのまま日本が裕福ではなくなりつつあるということに繋がっている。
翔の説明に、沙希が更に言葉を加えた。
「そう言えば、うちらが中学の頃かな、ヤベノミクスって言葉が流行ったじゃない。あの頃は人手不足で就職とかも引く手あまただったみたいだけど、あれって単に団塊の世代が定年を迎えて、一斉にいなくなっちゃっただけだったんだよね」
「その反動もあって、オレらの就職活動の時には氷河期に逆戻りしてたんだよな。でもってオレも沙希も、受けた会社全部に断られてまったわけだ。あ、そういや、薫もそうだっけか」
話が再び薫のことに飛んで、翔は思わず身構えてしまった。そして、それを悟られないようにと、自然にビールを喉に流し込む。
「その通りよ。あの子、本当は素直な良い子なんだけど、人とちょっと違うとこあるからね。感情表現が下手っていうか、表情が乏しいから、初対面の人だと愛想が無いみたいに取られちゃうんだよね。面接の時は損したんじゃないかな」
やはり沙希も、さっき翔が考えていたことと同じことを思っていたようだった。
「それって、オレと正反対だよな。オレの場合、何でもすぐ顔に出て損するんだけど、薫はポーカーフェイスで顔がなまじ綺麗なもんだから、余計に冷たく見られちまうんだろうな。まあ、オレの場合はたまたま市役所に受かったから良かったけど、落ちてたらマジ悲惨だったわ」
「そうだね。陽輝が受かったのって、天王市役所七不思議のひとつだもんね」
「そんな七不思議、うちの役所にはねぇから」
「あら、私、こないだ住民票取りに行った時に聞いたよ。窓口にいたのがたまたま天高の後輩でさあ。ほら、バスケ部にいた、あんたが好きそうな巨乳の子」
「それ、大鹿久美のことだろ。ちぇっ、あいつ、変なことばっかり言い触らしやがって……」
「まあ、あれだよね。日本経済衰退の最大の要因ってのは、人口の減少だとも言われているわけで……」
松永陽輝の「ちぇっ、オレのことはスルーかよ」と呟くのが聞こえたが、翔もその声は聞かなかったことにしておいた。
「確かに日本の出生率は、ここんとこ更に下がり続けているよな」
「そうなの、翔の言うとおりよ。こないだの発表だと、遂に1.3を切っちゃったもんね」
「要するに、もっとじゃんじゃん女に子供を産んでもらわなきゃダメってことだろ。だからさ……」
「こら、陽輝。あんた今何か、いやらしいこと言い掛けたでしょう?」
松永に対して、沙希の鋭い目が向けられる。
「言わねえよ」
「もう一度、はっきり言うけどさ。今んとこ私、あんたの子なんて産むつもり無いからね」
「べ、別にオレは、『オレの子を産んでくれ』なんて言ってねえだろうがっ!」
「あんた、言いたそうだったじゃん」
「だから、オレは……」
「もう一度、付き合ってくれも無しよ」
「うっ」
「とにかく、その話はあとよ」
「……わ、分かった」
翔は二人の言い合いを聞き流しながら、政府は本気で出生率を上げる気があるんだろうかと考えていた。この国の子供を育てる環境は、悪くなる一方だと思えるからだ。
すると、翔の考えを読み取ったかのように、沙希が話し出した。
「とにかく、今の日本ってさ、基本的に子供が生まれにくい構造なんだよね。だいたい子供を育てるのにお金が掛かり過ぎるし、政府は財政難を口実に充分な援助をしようとしないわけでしょう。働き方改革で親が子供の面倒を見やすくはなったと言われてるけど、それって一部の大企業だけの話じゃない。それ以外の夫婦には、そんな余裕ないわけ。そもそも、そういう大多数の夫婦って、子供を産んでも将来、その子が幸せになれるとは思えないんだと思うよ。だから、子供を作ろうとしない。それでも、できちゃうことはあるんだろうけどね」
そう言った後で、沙希は大きな鳥のから揚げをポイっと口に放り込んだ。その口をもぐもぐしながら話を続ける。
「だからさ、今の親たちの大半は、子供を持てるってだけで特権階級なわけ。他にも無計画に作る奴とか、できちゃった奴とかいて、それはそれで問題なんだけど、そっちはひとまず置いといて、要するに普通の親は、特権階級なだけに無理難題を教師に押し付けてくるわけ。だいたい、できの悪い子に私立の有名中学とか行かせようったって、無理に決まってるじゃない。あ、ちょっと、そこのお兄さーん」
沙希はジョッキの残りを飲み干して、店員におかわりを頼んだ。そんな沙希を余所に、今度は松永がボソッと低い声で呟いた。
「やっぱ、子供を作る以前に、結婚できるかどうかなんじゃね?」
松永が結婚のことを口にしたのは、ちょうどまさにその時、翔たちの横のテーブルで、そのことが話されていたからだった。
『……だから、どんなに一生懸命働いたってよう、派遣じゃたいした給料もらえないんだって。やっぱ正社員にならんと、結婚なんか無理、無理』
『マサカズ、派遣だもんね。要するに貧乏人は結婚するなってことかもね』
『でもさあ、無理に結婚しなくても、一緒に住むだけなら簡単じゃん』
『それは本人たち次第だろうけど、あんただって、家から出たら生活できないんじゃないの。自分の給料だけでやっていけるの?』
店員が沙希に新しいビールのジョッキを運んで来た。松永はその店員にウーロン茶を頼む。翔も新しい中ジョッキを追加した。
「政府はさあ、本音じゃ金持ちで優秀な人間にしか、子供を作らせたくないんじゃねえの?」
「ふふっ、そうかもね。それって、人間の選別? それとも間引きかしら?」
「ははは、沙希は物騒だなあ。単純に格差社会ってことだろ」
何気なく翔が口を挟むと、沙希が「だって、陽輝が大げさなんだもん」と言って、またもやビールに口を付けた。
「あのなあ、翔。別に大げさなんかじゃねえぞ。そもそも、沙希が言ったことだって、中央の役人がいかにも考えそうなことじゃん」
「ふーん。だったら、俺は何とか選別される側に入って、間引かれないようにしなきゃな」
「お前なあ……」「何それ」
松永と沙希が、揃って呆れた声を出した。
翔は、二人の会話が空想の領域に入ったと思って、自分も乗り遅れまいと口を挟んだのだが、どうやら失敗だったようだ。
「翔は『選ばれし存在』に決まってるじゃない。エリートサラリーマンで上級国民なんだから」
「そういうことだ。少しは自覚持てよ。じゃねえと、嫌味に聞こえるぞ」
と、ここまでは翔が二人からの集中砲火を浴びた形だったのだが、この後は再び沙希と松永の言い争いになってしまう。
「とは言っても、オレと沙希だって一応、公務員だし、ぎりぎり選ばれる側かもしれんわな」
「まあ、そうかもね。だからと言って、私が陽輝とよりを戻す気は、もう無いんだけどね」
「……っ」
「あのね、陽輝。もう何度も言ってることだし、こういうのは優しく言うのも良くないと思うから、ストレートな言い方になっちゃうけど、私はもうあんたと特別な関係になろうとは思ってないの」
「……」
「もちろん、友達でいたいとは思ってるけど、それで陽輝の方が嫌だって言うんだったら、仕方ないかなとも思う」
「……」
「もう、どっちなの? 今夜こそは、この話題に決着、付けちゃいたいんだけど……」
「……」
「もう、黙ってないで、何とか言ってよ」
「……」
★★★
松永が沙希にあれこれ言われている横で翔は、この二人の関係について、いろいろと思いを巡らせていた。
高校時代、校内でのベストカップルと見做されながらも、実際にはきちんと付き合っていなかった二人だが、大学は別の所に通うようになったことで、却って距離を縮めたらしい。それでもなかなか付き合う所までは至らず、ちゃんとした形で付き合うようになったのは、大学三年の春、沙希の誕生日にようやく合意を取り付けたのだそうだ。
ところが、それも長くは続かず、大学四年のクリスマスの日に、いろいろあって破局したという。
それなのに相変わらず一緒にいるのが、こいつらの不思議な所で、社会人になっても休みの度に二人で出歩いていたようだ。まあ、沙希に言わせると、「腐れ縁だから」ということになるのだが、それが昨年末のクリスマスの日、再び陽輝はちょっとしたことをやらかしてしまい、再び沙希から別れを言い渡されたのだという。
翔はニューヨークにいても松永と沙希の二人とは、割と普通にメールとかのやり取りをしていた。もっとも二人とも翔と同じで基本はめんどくさがり。だから、メッセージアプリでの頻繁なやり取りとかは敬遠しがちなのだが、何故か二人の間で何かトラブルがあった時に限って翔とコンタクトしたがるのだ。しかも時差があるというのにメールではなく、必ず直接に話したがる。日本が夜だとニューヨークは朝なので、結構、迷惑であったりする。
ちなみにクリスマスにお別れ宣言をした沙希は、それだけだと不安だったので、正月、年賀状代わりのメールに「いつまでも良い友達でいましょうね」と書いたらしい。
ただ、それでもめげないのが松永という男である。四月末の沙希の誕生日には、きちんと指輪のプレゼントを渡したらしい。ところが、沙希は、こう言ったそうだ。
「こないだも言ったけど、陽輝と私は友達だからね。だから、もし陽輝が私を彼女だと思ってるんなら、これは受け取れないよ」
この時は日曜日の早朝で、翔はベッドの中で携帯端末越しに沙希と通話していた。もちろん、翔の方が彼女に叩き起こされたのだ。
「で、その指輪、松永に突っ返したのか?」
「ううん。友達でもいいから受け取ってくれって言われちゃってさ。あんまりしつこいから、受け取った」
「えっ、そうなのか? そんで良いんかよ?」
「あのさあ、翔。誤解してるみたいだから言っとくけど、指輪ったって、婚約指輪じゃないからね。まあ、二、三万円はしてると思うけど。でも、お返しとか、どうしよう。ああ、もう、こういうの、止めて欲しいんだよね」
翔の目から見ても、松永にはあまり勝ち目が無いように思えてしまう。
それでも何故か松永は、沙希を追い駆け続けている。
翔は今まで、そんな松永の行動が全く理解できなかった。というか、理解したくなかった。
それは、松永と沙希の関係を自分と薫に置き換えてみた時、自分がいかにあっさりと彼女を手放したかに嫌でも気付かされてしまうからだ。
しかし、今夜の翔は、少しだけ違っていた。もう少しだけ、薫のことを追い掛けてみたい。
初めて、そんなことを思っていたのだ。
別に今更、彼女とどうこうなろうとは思ってないのだが、それでも、今の薫は、翔にとって謎があり過ぎる。それらを少しでも知ってみたい。
そんなことを思って、翔は目の前の二人、松永と沙希を眺めながら、ビールのジョッキを傾けていたのだった。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
j次話も居酒屋でのお話です。しばらくお付き合いください。
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