第38話:大衆酒場(3) <翔サイド>
再度、見直しました。
いつの間にか、店内に聞き慣れない曲が流れていた。何となく古臭い哀愁を帯びたメロディで、子供の頃に懐メロとして聞いた曲のようだった。
藤田翔は、この手の曲が嫌いだった。じめじめしていて、どうしても好きにはなれない。
翔が物心ついてからは、ずっと明るい曲ばかり流行る傾向が続いている。バラードとかはあっても、その大半が人生の応援歌だったりして、暗いだけの歌は流行らない。
だから、こういった類の曲は、新鮮というより、不気味なものに感じられてしまう。
山口沙希や松永陽輝も、同じように感じたようだった。
「ねえ、何この曲。暗くて陰気な感じがして嫌なんだけど」
「これって、オレの親父の時代の懐メロだろ。確かに、こういう古い歌って、聞いてて嫌な気分になるよな」
「アメリカでも昔はソウルとかバラードの暗い感じの歌も流行ったみたいだけど、今はラップとかポップ調の明るい曲しか流行ってないな」
「オレ、こないだ後輩に聞いたんだけど、昭和の時代の『フォーク』って言われるジャンルの曲が最近、静かなブームなんだってよ。でも、デートの時とかに聞きたくはないわな」
「さっきから流れてるのって、別れ話の曲ばっかだもんね」
「ふーん。沙希もちゃんと聴いてたんだ。意外だな」
「まあね。あっ、別に失恋したとかじゃないからね。ただ最近、落ち込むこと多くってさ。学校の子供達のこととか……ほら、うちの学校、貧しい家庭の子が多いじゃない。こういう曲が流行るのも、やっぱ、最近の社会風潮にマッチしてるからなんだろうね」
そう言う沙希は、この四月に別の小学校に転勤したばかりらしい。
「前の学校は翔が住んでいるようなお屋敷街にあったんだけど、今度の所は反対にあまり良い場所じゃないの。親の所得が低くて、悪い言葉で言えば貧民街。街自体ごみごみしてて、いわゆる昭和って感じかな。もっとも、昭和って時代のこと、そんなに知ってるわけじゃないんだけどね」
沙希が言うには、親たちが生活に余裕が無い分、子供も経済面と精神面の両方で割を食ってるということらしい。
さっきは子供を持てるだけでも特権階級だと言っていた沙希だが、貧民街の事情は少し違うようだ。
どんなに生活が苦しくたって、男女がやることやれば子供はできる。避妊にだってお金は掛かるし、できてしまえば、今度は堕ろすお金が無い。しかも婚姻関係にない場合、身ごもった女性が捨てられる場合が多く、母子家庭になりやすい。
「今の私はね、そういった子供達に未来を語ってあげられないの。それが一番辛いんだ。学歴が絶対じゃないとは言うけど、良い職業に就くには、やっぱり、知識とか教養が必要なわけでしょう。給食費もまともに払えない家庭の子が、上の学校に進むのは現実的じゃないしね」
沙希は、そこで話を区切って翔の方を見た。
「翔だって思わない? 今の社会って昔以上に高度な教育が無いと、成功できない構造なんだよ。一流企業が社員に求めるスキルってのは、昭和の頃と比べて格段に高度になってる筈なんだ。それを独学で身に付けるなんて、たぶん絶対に無理なんじゃない?」
「まあ、そうかもな。それに社会全体で単純労働が減ってて、ホワイトカラーの職場だって、単純な知的労働は人工知能に置き換わりつつあるわけだし」
「それもあるよね。高齢化が進んで若い人が減ってるとはいえ、単純労働の職場は、もっと早いスピードで無くなりつつある。だからこそ親たちには、自分の職場が明日は無くなるかもって不安が絶えずあるわけ。だからイライラして、これを家で子供にぶつけてしまう。元から望まれない子なわけだし、子供の虐待が横行して当然よね」
沙希の話はまだまだ続くようだった。それで翔がふと隣を見ると、松永が少し眠そうにしている。そんな彼は無視して、翔は沙希の話に集中した。
★★★
「実際、貧乏な家庭の方が、子供の虐待とか家庭内暴力といった問題が起こりやすいのは間違いないの。離婚だって多いから、家庭環境も複雑になりがちだし、さっき言ったように母子家庭も多い。それに殺人や暴行、レイプといった犯罪に巻き込まれることもある……ねえ、翔。あんた、そういう子供達のこと、自分とは関係ないって思ってるんじゃない?」
そこで沙希は、再び翔に目を向けてきた。でも、翔は何も言わない。というか、何も言葉が浮かんでこなかった。
「翔にとっては関係ない世界かもしれないけど、薫にとっては、そうじゃないんだよ」
「……薫?」
「そうよ。薫は今、そういった弱い立場に……」
沙希の言葉は、最後まで翔の耳に届かなかった。店内に流れる曲の歌詞に気を取られていたからだ。
――二人のアパートは六畳一間、
それでも物が少ししか無いから、
十分、広く思えていたんだ。
――暖房代がもったいないからと、
夜は同じ布団にくるまって、
二人でずっと愛し合ってた。
――月の終わりには、お金がなくて、
食パンのミミばかり齧ってた。
だけど、二人は幸せだったんだ。
やっぱりそれも別れの歌で、サビの部分になると「もう帰れないあの頃」というフレーズが何度もリフレインされる。
翔が心を引き付けられたのは、「食パンのミミばかり齧ってた」のフレーズだ。昔の水草薫を思い浮かべてしまったからだ。
翔がしんみりしている所に、今度は隣のテーブルの会話が耳に飛び込んできた。
『……結局、正社員じゃなきゃ人じゃねえってことなんじゃねえの?』
『だよな。朝から晩まで、こんだけ必死こいて働いてんのに、結婚すらできやしねえ。やっぱ、今の世の中ってどっかおかしいんじゃね。なあ、お前もそう思わねえか?』
『そんなこと、私に聞かないでよ。何て答えりゃいいか、分かんないじゃん』
『なあ、何でこんな社会になっちまったんだろうな?』
『俺らの親達は、フツーに働いてりゃ、ちゃんと生活できて、子供だって育てられたわけだろ。俺らからしたら、それって夢でしかないよな。それって、ぜってー、おかしいだろ?』
『そうは言ってもなあ。やっぱ、俺らって、軍にでも入るしかなくね?』
『えっ、本気? あんたに人とか殺せんの? 反対に殺されちゃうかもしれないんだよ』
翔は「軍」という単語にドキッとしてしまった。圭介はその軍に入ったせいで、瀕死の重傷を負ったのだ。
さっきまで眠そうにしていた松永も彼らの会話を聞いていたようで、唐突に話し出した。
「オレな、病院を出てから時間があったんで、ネットで色々調べてみたんだわ。そしたら軍の悪口って半端ねえのな。すっげーいっぱいあって、マジでヤバいのばっかでよ」
「それって、軍に訴えられたりとか警察に捕まったりとかしないの?」
「あんまりひどいのは、管理人が削除したりすると思うけど、多過ぎていたちごっこなんじゃね。たまに見せしめで軍が訴えたりしてるみてぇだけど、実際にしょっぴかれたのがいるかどうかは分からん」
「いやいや、それこそ人工知能で簡単にできる筈だろ。それをやってないってことは、政府が意図的に見逃してるのかもな」
「ふーん、まあ、難しいことはいいからさ、どういう書き込みがあったの?」
それから松永は、彼が調べた様々な軍の評判について滔々と語った。それを熱心に聞いていたのは、翔よりも沙希の方だった。
「軍の評判が悪いのは、私も知ってる。宣伝では良いことばっか言ってるけど、ほんとはそんなに待遇が良いわけじゃなくて、訓練は大変だし、その後の現場はまさに死と隣り合わせなわけでしょう。ストレスがもの凄いから、しごきやいじめだって全然なくなんないってことだし、男女平等とかは徹底されてるようだけど、実際は女子が特別扱いされない分、男より体力的に劣る女には辛い面もあるみたい」
「兵士って、究極の肉体労働だもんな」
「軍事施設や軍用車とかも改良されたってことだし、昔よりは戦場でも快適に過ごせるようになったっていうけど、どこまでいっても目的が人殺しだからねえ」
そこで、翔が何気に「人殺しじゃなくて、戦争だろ」と訂正してしまったもんだから、沙希は目を光らせて噛み付いてきた。
「戦争と人殺しの何処が違うわけ? 殺す人数が多いか少ないかの違いだけでしょう。しかも戦争の方が遥かに多くて、それも無差別殺人。どっちが悪質かは明確じゃない」
「でも、戦争には目的があるだろう」
「国家の崇高な目的って奴? そんなの糞くらえよ。それに、フツーの人殺しにだって目的くらいあるでしょうが。『愛人と一緒になりたいから妻を殺しました』だとか、『金が必要だったから、金持ってそうなオバサンのバックを奪って逃げました』とかね。通りすがりの人をナイフで刺したのだって、『イライラするからスカッとしたい』って目的があるじゃない。もちろん国家としての目的と個人の目的との違いはあるけどさ、でも、それって実際は何も違わないんじゃないの? 『相手の国の人を殺して領土や利権を奪うこと』と『誰かを殺して財産を奪うこと』の違いって何なのか説明できる? 大きいか小さいかだけで、おんなじことなんじゃないの?」
「あのさあ、日本の軍は自衛軍だろ。相手が攻めて来た時に国を守るのが目的であって、相手の領土や財産を奪いに行くことはしないんだよ」
「何いってんの。日本は、何処の国からも攻撃されたりしてないじゃない。なのに、何で日本の『軍』がはるばる中東くんだりまで行って戦ってるわけ? もう、わけ分かんないんですけど」
「大規模な攻撃は受けてないけど、日本でもテロは起きてるだろ。『テロとの戦い』こそ、二十一世紀の戦争なんじゃないのか?」
翔がそう言うと、沙希は更に顔を歪めて口撃をヒートアップさせた。
「あのさあ、翔。あんた、本気でそれ信じてるわけ? 今の日本のテロって、本当に中東のどっかの国が攻撃してると思ってんの? 中東の人たちがわざわざこんな東洋の端っこの国まで来てんの?」
「いや、そういうのって、国家機密だからさ。公にはならないんじゃ……」
「違うでしょう。マスコミだって、犯人くらいは報道してるじゃない。ほとんどが日本の若者達だよ。その子達、どう見たって中東の国と繋がりがあるようには見えないんだけど……」
「中東のテロ組織に訓練されて……」
「何処で? 国内にそんな場所、あんの? 山奥とか?」
「海外だろ」
「あのね、今は昔と違って軍にでも入らない限り、そんなに簡単に海外なんて行けないでしょうが。それか、翔みたいなエリートサラリーマンだけでしょう。マスコミの連中が勝手にストーリーを作って、あること無いこと吹聴してるだけよ。そんなの、ちょっと考えれば分かることじゃないの。日本でマスコミがテロとか騒いでるのって、ほとんどが日本の社会に不満を持った若者達が起こしてる事件なの。そんなの常識でしょうが」
「いや、それだって、誰かに扇動されて……」
「ばっかじゃないの。中東のテロリストが国内の強力者を使って若者達を扇動するってわけ? たとえそうだったとしても、それって中東のテロリストに限らないことじゃない。私は国際情勢の複雑な力関係とか分かんないけど、例えば中国だとか、それこそアメリカだって良いわけでしょう」
今度は、さすがの翔も言葉に詰まってしまった。
確かに最近のテロで犯行声明が出されたのは、全て日本国内の団体からである。そうした団体が海外の著名なテロ組織との繋がりを仄めかすことはあっても、直接の関係が明るみに出たことは一度もない。
それに、実際に現場で犯人を捕まえてみると、バックに誰かがいるとは思えない十代のフツーの若者だったという話もよく聞く。そうした若者を、マスコミは単なる悪戯や愉快犯だと決め付けてテロとは区別しようとするけど、本当にそうなんだろうか。
「私はね、自分の可愛い教え子達が将来、戦場に行って悲惨な目に遭うことを想像すると、虫酸が走るの。誰も、あの圭介みたいな目には遭って欲しくないの」
圭介の名前を出されたことで、翔もそれ以上の反論ができなくなってしまった。
★★★
翔は、混乱していた。
沙希と話していて、自分は物事を表面的にしか見てこなかったことを思い知らされたからだ。
翔自身、深く考えるのが苦手だという自覚はあった。学生時代は、深く考えることよりも、いかに早く正確に答えを出して点数を稼ぐことの方が推奨されてきたし、会社に入ってからだって、与えられた仕事をいかに効率良く処理するかが求められる。それ以上の余計なことを質問しても却って教師にうっとおしがられたし、上司からは嫌がられる。「この忙しい時に、勝手に仕事を増やすんじゃない」というわけだ。
「なあ、大事なことは、そんなことじゃねえとオレは思うんだよな」
翔が黙り込んだのを見て、しばらく無言だった松永が口を挟んできた。
「翔、戦場で一番怖いのって何だと思う?」
翔が答えないでいると、松永はそのまま続けた。
「オレも今日知って正直ショックだったんだけど……実は、子供達なんだとよ。特に十歳未満の子。男の子とか女の子とかは関係ねえんだと。そうゆう年頃の子供って、まだ人の死とかあんまり分かんねえじゃん。だから人を殺しても罪悪感とかねえし、恐怖だとかも感じねえ。それに大人から言われたことを、そのまま素直に信じる傾向があるから、洗脳もされ易いんだってよ。死んだら天国に行けるだとか、死に別れた母親に会えるだとか言っとけば、自分が死ぬことも怖がらねえ。だから、大人に命令されたら、どんな残酷なこともフツーにやるし、爆弾抱えて飛び込んで行くなんてことも平気でやっちまうんだとよ」
松永は喉が渇いたのか、自分のウーロン茶を一気に飲み干してしまった。
その松永が語っていることは、翔が以前、歯医者の待合室で見た雑誌に書かれていたことと同じ内容だった。そのことを翔が言う前に、彼は再び熱弁を続けた。
「……もっとも普通の育て方したんじゃ、そこまで極端なことはできねえだろうけど、生まれた時から『お前は死ぬために生まれてきたんだ。死んだら英雄になれるし、天国に行ける』とか吹き込まれて育ちゃー、そういう風にもなるわな。……なあ、翔。想像してみろよ。十歳の可愛い女の子が近寄って来て『両親とはぐれて、ここが何処か分からない。お腹が空いて死にそうだ』とか涙ながらに言われたら、お前、冷たく追っ払ったりできるか?」
翔は、少しだけ考えてから答えた。
「……無理だな」
「だろ。でもよ、そうしなきゃ、隠し持ってた銃でいきなりズドーンだぞ。お前なら、どうするよ?」
目の前で沙希が「ハッと」息を飲んだ。
しばらくの間、重苦しい沈黙が続く。隣のグループは先ほど出て行ってしまい、会話が途切れたのが余計に気まずく感じられる。
「まあ、それができるとしたら、薫くらいね。あの子だったら『来世で幸せになってね』とか平気で言いそう。……でも、私は無理。やっぱ、子供が好きだもの」
「そうだろうな。お前って性格きついけど、根っこの部分で優しいもんな」
「な、何しれっと、こっちが恥ずかしくなること言ってんの」
沙希の顔がほんのり赤くなったのを、翔はアルコールのせいだと思い込むことにした。
「そう言えば、圭介も言ってたよな。女の子がどうのこうのって」
「小さな女の子が手招きする方に足を向けたら、地雷を踏まされたってんだろ。まさにオレが言ったのとおんなじで、典型的なパターンだよな。でも、やられた圭介にしてみれば、やり切れねえわな。その子を恨むわけにもいかんし、怒りの持って行き場所が何処にも無いんだもんな」
「そうだね。悪いのは、その子を操ってる大人なんだろうけど、そいつだって誰かに命令されてやってるんだろうし、結局、その国が悪い、だから戦えってなっちゃうわけじゃない。そうなったら、うちらを戦争にけしかけようとする誰かさんの思う壺だよね……」
翔が圭介のことを口にしたせいで、それからも松永と沙希は戦争の話で盛り上がってしまっていた。
もはや翔も「日本は戦争をしてるわけじゃない」などと主張する気は失せていて、ただ二人の話を聞き流しているだけだった。
いつの間にか店内に掛かっている音楽は、最新のJポップに切り替わっていた。それをぼんやり聞いている翔の耳に、こんな歌詞が飛び込んできた。
「……平和な国に生まれて良かった。この国であなたを好きになれて本当に良かった……」
しらじらしいフレーズだと思った。
ふいに『この国は、どっかおかしいのでは?』という疑問が翔の頭に浮かんだが、いつもの癖で、それについて深く考えようとはしなかった。それでも、その薄気味悪い「思い」は、彼の頭の片隅にしばらく居座って彼を不快にした。その上で、心の奥の何処かに、ゆっくりと沈み込んで行く。
彼は、思わず頭を振って、そうした気色の悪い思いを完全に振り払おうとした。それから深呼吸をして、ゆっくり息を吐きながら、薄暗い店内をサッと見回してみる。
そこで彼は、ずっと待っていた女性が店に入って来たのを見付けてしまった。
黄色いTシャツにぼてっとしたデニムのパンツ。居酒屋には場違いなほど若く見える彼女は、翔と目が合っても表情を変えない。それでも長い黒髪を翻して、こっちに小走りで向かって来た。
「ごめん、遅くなっちゃった。すっごい待たせちゃったよね」
急いでここへ来たのか、やや荒い息の彼女は、いきなり弾んだ声で、そう言ったのだった。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
次話は水草薫が居酒屋にやって来て、彼女を入れての会話になります。
もし宜しければ、感想、ブックマーク、いいね、評価をして頂けましたら大変嬉しいです。宜しくお願いします。
ツイッター:https://mobile.twitter.com/taramiro0




