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あと一日

「おはよう、クラリス」


 良い声で呼ばれて目が覚めた。

 最高だと思う。起き上がったら、目の前に大好きな人がいるなんて。……なんで?


「……おはよ」

「体調は大丈夫かな。二日酔いしてる?」


 外からの光が明るい。いつの間にか朝になっている。つまり、婚約破棄まで、あと一日。


 エリックがこちらを窺うような目線で見ている。そういえば、ここは私の部屋じゃないし、全体的に良い匂いがする。エリックの部屋なのかな。

 私の結っていた髪は丁寧にほどかれていて、服はぶかぶかのトレーナーになっていた。体からはほのかに石鹸の香りがする。あれ、私って昨日お風呂入ったかな。

 ぼんやり考えていたら、エリックが私のおでこに手を当てた。


「まだ寝ぼけてるのかな。水飲む?」

「……ん」

「クラリス、僕がいないときにお酒飲むのはやめてほしいな」

「……うん?」


 思考がぼーっとする。これが二日酔いかぁ。

 再びベッドに横になったら、抱きしめられた。そのまま上半身を起こされて、水が入ったコップを手渡される。飲むと喉が潤った。さらにもう一杯もらう。

 そして、完全に目が覚めた。どうして、私はここにいるんだろう?




 候爵家のエリックの部屋は、男爵家の私の部屋よりもずっと広くて豪華だった。私が座る広いベッドもふかふかだ。あらゆる点において質が良い。窓からは明るい光が差し込み、整理整頓された綺麗なエリックの寝室を照らす。

 日光は、もちろん部屋だけじゃなく、目の前の立って私を見下ろす愛しい人の顔もよく見せてくれた。意識が覚醒してくると、どうしてもエリックの存在が私の中を占領する。頭、回らない。


「それで、男とふたりでお酒飲んで酔っ払って、クラリスはどうするつもりだったのかな」


 酔っ払って。昨夜のことはあんまり覚えてないや。

 マルセルとユリアを尾行して、そのあとバーでエリックを見て。そして、どうなったんだっけ。思い出そうと俯いて黙っていたら、エリックに頭を撫でられた。


「……クラリス、僕に言えないの?」

「えっと」


 困ったような囁き声が落ちてきた。余計に頭が働かなくなる。もう片方の手も降りてきて、私の耳から頬、唇に触れる。頭と顔を撫で回されてる。マッサージみたいで気持ちいい。

 エリックを見上げたら、薄茶色の目は笑ってなかった。なんと真顔。え、なんで。格好良い人の真顔はちょっと怖い。けれど、そんな顔してるのに触れる手付きは全部優しくて、なんだかずるい。


「マルセルとかいう男の部屋にでも泊まるつもりだった? 仲良さそうだったもんね」

「それは、ちが……うっ」


 私を弄ぶエリックの指が二本、口に入ってきた。これでは説明できない。

 私が絡めるように指を舐めると、応えるようにそれが動いた。エリックの、整っている唇が僅かに弧を描く。格好良すぎる。


「……えいっく」

「髪も服も、昨日はずいぶんお洒落してたね。彼のこと、好きなの?」

「……んっ」


 髪を梳きながらうなじを這う手と、口腔で暴れる指で脳が大パニック。これだめだ。エリックに触られるの、私はすごく気持ちいいし、エリックはどんどん色っぽい表情になっていく。身体が熱くなってぞくぞくする。


「や……」

「ここ気持ちいい? 彼にもこんなことされた?」


 気持ちいい、気持ちいい。こくこくと頷くと、いつもは優しい薄茶色の目が鋭く光って、私の心臓を止めた。エリックはいつだって私を射抜いてくる。好き。もっとドキドキさせて。


「それはされたってこと? じゃあ、ここも僕で塗り替えないといけないね」

「えいっく、っ……」


 口の中の指が動いて、やらしい音を立てる。息があがって、顔も多分もう真っ赤。ずっと口開けてるのしんどい。ずっと声が出て喉もしんどい。でも、それ以上に気持ちいい。

 なんだか、もっと他の場所も触ってほしくなってくる。その……胸、とか。だめだ、私は変態かもしれない。こんなことがバレたらますますエリックに嫌われちゃう。


 溢れた唾液が口の端から垂れ落ちると、ゆっくりと指が抜かられた。エリックの指と私の唇が糸を引いて離れていく。

 目の前の大好きな人が、その濡れた指を眺めて、舐めた。いやらしく私に見せつけてくるように。心がきゅんきゅんとときめいた。


「えりっく……」


 呟き声とともに目が合う。いつも優しい目をしているエリックが、見たことがないような獰猛な目付きをしていた。お腹の下がきゅっと締め付けられる。


「クラリス、全部僕にちょうだい」


 エリックが小さく笑って、私をベッドに押し倒した。





 私は荒げた息を整えたいのに、余裕そうなエリックは耳を舐めて淫らな音を立てながら、息を吹きかけてくる。その度に私の腰が勝手に動く。これ、どういう仕組み? 呼吸、余計に乱れちゃう。


「ま、まって、えりっ、あっ……」

「大丈夫だよ、クラリス。気持ちいいこと、しようね」

「バカエリック! いるんでしょ! 開けなさい!」


 突然、大きな声がした。ユリアの声だ。服の下に入ったエリックの手が止まる。彼の目は曇り、けれどたちまち笑みを浮かべた。


「僕の服、クラリスにはだいぶ大きいね。脱がせやすい」

「早く開けないと管理人さん呼ぶよ、アホエリック!」

「……仕方ないな。ごめんね、クラリス」


 エリックがため息をつきながら、体を起こす。そして、シャツのボタンを留めながら寝室から出ていった。

 よ、良かった。ずっとエリックに触れられてて、私はドキドキしすぎて命日を迎えそうだったもん。まだキスさえしてないのに。

 きっとあのまま続けられていたら、私はますますおかしくなって、変態なのがバレちゃって、エリックに蔑まれて死ぬところだった。ありがとう、ユリア。私の恩人。



 しばらくして、金髪ボブの美女がバタバタと寝室に駆け込んできた。私を見て飛んできて、ぎゅうっと抱きしめてくれる。私もぎゅーっと抱きしめ返す。

 ユリアとハグを続けていたら、寝室のドアにもたれたエリックがだるそうにこちらに声をかけた。


「はあ。ユリア、君はどうして僕の部屋に?」

「もうお昼過ぎなのに、クラリスが部屋に帰ってきてなかったからよ! クラリス、大丈夫? ちゃんとご飯食べた?」

「……あ、ご飯、食べてない」

「ぽんこつエリックのあんぽんたん!」


 ユリアがエリックを威嚇する。美人は怒った顔も可愛い。そのあと、私を見て心配そうな表情になった。よれよれになった脱げかけのトレーナーを着直させてくれる。

 ユリアが来て、頭も心も落ち着いてきた。さっきまでの熱が引いていく。そして空腹が気になってきた。お腹ペコペコすぎる。これじゃあエリックがいなくても死んでしまう。餓死する、餓死。


「ね、クラリス、痛くされてない?」

「死にそう、助けて」

「そう、今すぐ帰ろうね」

「……クラリス帰るの? 僕じゃなくてユリアを選ぶんだ?」


 ぶっちゃけ今はどっちでもいい。ご飯をくれる人、大募集。

 帰ろうと思って立ち上がりかけたら、エリックが私の隣に座った。ユリアが私を抱きしめる力を強くする。


 不意に思い出す、同盟相手との約束。そうだ、朝から幸せ続きで忘れていた。私、エリックにユリアをどう思ってるか聞かないといけなかった。マルセルは、もうエリックユリア恋仲噂事件のことを気にしてないかもしれないけど、念のため。


「ね、エリック」

「何かな、クラリス。こっちおいで」

「嫌よ、あげないからね」

「……あの、エリックはユリアのことどう思ってるの」


 ユリアにハグされたままエリックに尋ねてみた。エリックは一瞬だけ目を見張り、上品にくすくすと笑った。


「ユリアはクラリスのとても怖い友だちだと思ってるよ」

「はあ? なにそれ、もう相談のってあげないよ!」

「ほらね、怖いでしょ? こんなこと聞いてきてどうしたの、クラリス」

「ううん、ありがとう。ユリア行こ」


 私はユリアの腕の中から出て、今度は手を握った。そのままベッドから降りて、ドアのほうへ。


「じゃあね、エリック。私、マルセルのとこ行かなきゃ」

「……えっ、クラリス、待って」


 エリックに肩を掴まれた。振り返ったら、エリックが珍しく焦ったような顔をしている。

 どうしたんだろう。さっきのペタペタ触り合いゲームの続きがしたいのかな。でも、私はお腹が減ったから帰りたい。

 それとも、婚約破棄の話かな。こっちの説のほうが濃厚そうだ。だって、あの話はあれから一切されてない。そろそろ破棄の進行具合の話がされるかもしれない。嫌な嫌な破棄の話、私は何も聞きたくない。

 どちらにせよ、私はここに残っても、ちっとも良いことがない。



 私はエリックに、ひとつの宣戦布告を残して帰ることにした。薄茶色の瞳を見つめる。


「エリック。明日の昼休み、中庭に来て。覚悟しててよ」


 みんなの前でキスしてやるんだから。

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