あと二日
確実にエリックの婚約者としていられる時間は、あと二日。今日は、マルセルと街に潜入調査に行く。
けれど、幸先が悪いことに、雨。髪は広がらないように結ってみた。スカートかパンツ……、秋らしく可愛い銀杏色のスカートにしよう。靴はちょっぴり厚底の黒。トップスはシンプルな白のシャツで、アウターは初秋の雨の日に合うくらいの軽めのやつ。
結構、そこそこ、少しは可愛いと思う。せっかくだから髪も結んじゃお。
待ち合わせは商店街の入り口付近。もうすでに到着していた傘を差す赤茶髪のつんつんボーイも、もちろん私服。なんだか大人っぽく見える。ちょっと新鮮だった。
「よお。一応集まったけど、雨だからふたりはいないかもな」
「雨嫌だね。とりあえず、エリックとユリアの目撃場所回ろ」
ふたりで歩き出すおしゃれ街道。雨が降っているけど、休みの日だからか人は多めな気がする。嫌な予感がした。
うっ。苦しい……。眩しい人たちしかいない。そうだ、ここはこういうところだったんだった。
商店街の通りには屋根があったので、傘を差す必要はなかった。水に濡れた手荷物がひとつ増えた。人に当たらないように持って、マルセルの隣をおどおどしながら歩く。
「クラリス、その様子でよくまぁ俺を誘ってきたな」
「だっ、だって、あのときは焦ってて。ここが四六時中危険地帯なの忘れてたの」
「周りと一緒で、クラリスも十分可愛いから堂々としてろよ」
マルセル、さらっとそういうこと言えるんだ。照れ屋なくせに。
単純な私は、可愛いの一言で少し自信がついた。変におどおどして怪しまれたら潜入調査の意味ないし、堂々としていよう。背筋を伸ばして一歩一歩踏みしめて歩く。
あぁ、こんな風にエリックの前でも堂々とできたらいいのになぁ。
エリックとユリアが来たとされる雑貨屋さんに来た。小物があったり、クッションがあったり。どれも落ち着いたデザインでユリアが好きそう。私はもっと可愛いものが好きだから、あんまり合わないとこだ。
店内をうろついていたら、マルセルが黒いマグカップを見てた。マグカップが黒? 隣にある白色のほうが私は好きだなぁ。
「マルセルそれ買うの?」
「これすげぇ良くね? 買おっかな」
「良いと思うよ。でも、白じゃなくて黒なの?」
「なんか、黒いほうが俺に買えって語りかけてくる……」
なにそれ。よくわからないけど、まぁいっか。買ってこれば? マルセルはニコニコしながらお会計に向かった。
雑貨屋さんから出ると、向かいの化粧品店からちょうど出てくる金髪ボブを見つけた。あちらもこちらに気付いて、手を振った。私も振り返しながら美女の元へ向かう。
「ユリア!」
「ふたりはお買い物? 最近仲良いのね」
「や、俺らは……ぐ、偶然、的な?」
マルセルのぎこちない返しに私も勢いよく頷いた。エリックとユリアのデート場所調査なんて言えないし。ユリアが不思議そうに首をちょこんと傾げる。美人はどんな顔をしても可愛い。
それを見た、マルセルがほっぺたをほんのり赤くして、触角がぴょこついた。マルセルはいくら口で誤魔化しても素直な触角でバレバレ。ユリアと一緒に遊びたいらしい。
しょうがないなぁ。潜入調査は一時おあずけ。同盟仲間の恋路を応援してあげよう。トンと肘でつつくと、察したのかマルセルがユリアに笑いかけた。
「ユリアちゃんこれから暇? 良かったら、その、俺らと一緒に来ない?」
「ありがとう、いいよ。夕方までならね」
「よっしゃ」
マルセルの誘いは無事成功。マルセルの喜んだ顔を見て私まで嬉しくなっちゃった。
ユリアの好きなカフェ。落ち着いた内装は白と焦げ茶色に統一されていて、とても素敵だ。テーブルに座って、私はシフォンケーキ、ユリアはパンケーキを注文した。マルセルはよくわからないみたいでユリアと同じものを頼んだ。
外の雨音が微かに聴こえる中、スイーツが届くまで雑談。マルセルが空いた椅子に置いた袋をユリアがチラ見した。
「そういえば、マルセルくんは何買ってたの?」
「なんか、黒いコップ。重たい陶器の」
「マグカップ? それって隣に白色のがあった?」
「おー、それ。ユリアちゃんなんでわかんの」
「この前、私白いほう買ったの。色違いだね、マルセルくん」
その笑顔、マルセルにクリティカルヒット。赤茶髪つんつんボーイの触角が固まって、ゆっくり頬杖をつきながら顔を隠した。マルセルさん、耳まで赤いの隠せてないですよ。私までにやにやしてしまう。
美女はそんなこと全く気にせず、思い出したように、化粧品店の紙袋から何かを取り出した。なんか高そうな良いリップ。
「クラリス、これあげる」
「いいの? どうして?」
「証拠としてキスするならこういうの大事でしょ?」
「え、ふたりキスすんの?」
マルセルの触角がぴょこついた。頬杖をしたまま、上目遣いでこちらを見てくる。視線はちょっとうろうろしてて、困ったような不安そうな、そんな目をしてる。
キスするよ。正しくは、キスする予定、だけど。
「するよ? そしてぎゃふんと言わ」
「違うよ、マルセルくん。キスって私とクラリスじゃなくて、クラリスとエリックだからね?」
「クラリスがエリックと!?」
「そうよ。このふたり、婚約者だもの」
「婚約者ぁ!?」
ユリアがサラッと言ってしまって、私は絶句するはめになった。エリック側に内密にしてと言われているのに、広まってしまったら相手側の不興を買って婚約破棄まっしぐらだ。
こうなっては致し方なし。早急に既成事実を作らねばなるまい。
生クリームたっぷりのシフォンケーキはナイフを入れると柔らかく沈む。これはふわふわ間違いなし。口に入れると甘さ控えめの生クリームとほのかに広がるはちみつの味。美味しい、美味しすぎる。
カフェスイーツに舌鼓を打って幸せに浸っていると、パンケーキを見て困惑顔のマルセルがぽろっと爆弾を落としてきた。
「つか、婚約者ならキスくらいしてんじゃねーの。俺の兄貴はしてるけど」
えっ。ほろっとフォークからケーキが落ちた。
「そうね。クラスメイトたちもそういう話時々しているのよ」
「婚約者同士ならやってるよな、わりと。今って昔ほど厳しくねえし」
そ、そうなの? 普通はキスするものなの? 私はされる気配どころか破棄の話を持ち出されてる。やっぱり嫌われてるんだ。
でも、良い情報を手に入れた。『婚約者同士なら普通にキスをする』。つまり、婚約者同士でいられる間なら公然とキスしても無問題。
逆に、公の場でキスすることで、私とエリックの婚約を歴然と証明できる。そうしたら、エリックだって簡単には婚約破棄できなくなるはず。以前ユリアに、人前でのキスはやめたらって言われたけど、やっぱり人前ですることに価値があると思う。
絶対、してやる。絶対、みんなの前でエリックにキスしてやる!
「決めた! ふたりとも、聞いて」
「どうしたの」
「なんだよ」
フォークとナイフを握る手に力を込める。
今までキスするキスするって言ってきたけど、ずっと口だけだった。きちんと日時と場所を決めないと、また先延ばしにしちゃいそう。
だから、ここで、親友と同盟相手に宣言する。
「私、休み明けの明後日、中庭でエリックにキスする!」
すると、ユリアはくすっと、マルセルはふはっと笑った。
「おー、がんば」
「今度こそ、やるのよ?」
「うん!」
カフェを出る頃には雨は止んでいた。
☆
宣言したのはいいものの、ひとつ問題がある。
キスをする前に、このエリックユリア恋仲噂事件を解決しなくてはならない。この大事件は未解決のままになんてさせれない。迷宮入りしてしまったら、エリックにキスして婚約続行になったとしても、一生もやもやが残ってしまいそうだから。
明後日キスするまでに、この事件の真相を突き止めなければいけない。
仕立て屋さんを回ったり、また別の雑貨屋さんを覗いているとあっという間に夕方になった。ユリアが用事ということで解散。商店街の入り口に戻って、ユリアはまた商店街のほうへ、私とマルセルは寮のほうへと別れた。
帰り道の途中でマルセルのほうを見る。あちらも考えていることは同じらしく、目が合った。
「マルセル、ユリアの用事気にならない?」
「めっちゃ気になる。前にクラリスがふたりを見かけたのって飲み屋街のほうだっけか」
「そうだよ。あの日は夜だった」
「今日のユリアちゃんの用事、夕方からか……」
ふたり揃って黙ったまま、来た道を引き返す。尾行開始だ。
マルセルの後ろを歩く夜の街。見つからないように、距離を置きながら金髪ボブを追いかける。だんだん進んでいくにつれて、飲み屋街は賑わっていった。
私は客引きの人に話しかけられるごとに怯えたけど、マルセルは慣れたようにあしらっていた。私たちはもうお酒が飲める年齢だから、マルセルはここに来たことあるのかもしれない。
ユリアは赤煉瓦の壁の素敵なバーに入っていった。ちょっと時間を置いてから、何食わぬ顔で私たちも入店。店内は暗く、仄暗いランプが照らすカウンターで、端っこに凛と座っているのはユリアひとりだった。
私とマルセルは、そのカウンターが見える位置の離れたテーブル席に座った。バー特有の高い椅子にテンションが上がる。すごい、床に足がつかない。
メニューに載ってあったお酒はよくわからなかった。どうせそんなに飲まないし、前に本で見たことのある名前を適当に思い出しながら言った。ホワイトなんとか。バーテンダーの人には伝わったらしい。
妖しい照明にシックでアンニュイな雰囲気。ふんわりと漂うお酒の匂いにくらくらして飲まれそう。ぼんやりしていると、店に人が入ってきた。嘆息が漏れるほど格好良い、薄茶髪の魅力的なエリックだ。
静かな空間。エリックとユリアの話し声が微かに聴こえてくる。耳を澄ませてながら、注文したカクテルを飲む。生クリームが乗っている可愛いカクテル。とりあえず一口は飲んでみる。……コーヒーっぽい?
「ん、こんな味なんだ、お酒って」
「あんま飲みすぎんなよ。それ、やべーやつだから」
「……そうなの?」
「ねえねえねえねえ、まるせるまるせる!」
「ちょっと黙って酔っ払い。バレるだろ」
「わかった! …………ねえ、まるせるは、あのふたり、きにならない? ねえねえ」
「おい、絡んでくるな酔っ払い」
マルセルの腕を掴んで上下左右に振るまくる。ねえ、マルセルはどう思う? 私はすごくイライラするの。
愛しいエリックと大好きなユリア。でも、隣に座るってどういうこと? 距離が近いよ、近すぎる! やだやだ。真ん中に私を入れてほしい。あんな近くに座るなんて、羨ましい!
ムカついてマルセルの肩をぱすぱす叩く。速攻で雑に払われた。
「やめろって酔っ払い。ユリアちゃんたち見れな……あれ、いねぇ」
「でもでもっ、ねえねえ、まるせっ、わっ」
「クラリス」
背後から腕を掴まれ、マルセルを見る視界がぐらつき揺れた。倒れかければ、支えるように後ろから抱きしめられて、良い匂いに包まれる。エリックの匂いだ。好き、好き。
「騒いでる人がいると思ったらクラリスだったのね。どうしてここに? マルセルくん大丈夫?」
「よ、よお。き、奇遇だな? 俺は平気、だけど」
「そう、良かった」
お腹に腕を回されて密着する。背中に当たる体から伝わる心音に安心する。エリック、好き。ぼーっとしていると、エリックが指を絡めるように手を握ってきた。むにむにされて気持ちいい。
ふらつく視界にユリアが顔を覗かせる。心配顔で私のおでこを撫でた。
「クラリスは突然おとなしくなったけど大丈夫?」
「僕がいると喋らなくなっちゃうから。ね、クラリス?」
「……ん」
エリックがそばにいてくれたら、それだけで心がいっぱい。喋る余裕なんて全然なくて。エリックの手に頬を擦り寄せる。
「や、わりぃ。ちゃんと飲むの止めてれば」
「ううん、マルセルくんは悪くないよ。クラリス、チョコレートに入ってるお酒でも危なくなるの。ちょっとエリック、クラリスは私が連れて帰るからね?」
手にすりすりして戯れていたら、軽く振り解かれた。えっ、悲しい。腰を持ち上げられ、椅子から降ろされる。なになに。ハグはもう終わり? そんな……。
しゅんとなる私の手を握って、エリックが歩き出す。
「いや、僕が連れて帰るよ。お金はまとめて払っておくね」
「あっ、こら! クラリス置いて行きなさい! 待ちなさい、このむっつり変態バカエリック!」
ユリアの声が遠のき、近くでふふっと笑うエリックの声がした。




