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終わらないまま、終わった話  作者: 高杉零
伝わらないまま、膨らむ不安
8/28

違和感

 下行ひかる保育園の見学から3日。


 俺は今日も在宅で仕事に精を出していた。


「――はい。それでは、そのように対応いたします。いえいえ、いつもありがとうございます。失礼します――ふぅ」


 オンラインミーティングを終えると、手元に置いていたスマートフォンが震えているのが分かった。


 画面には美里の名前。


 今日は保育所入所申請だったはずだが、何か不備でもあったろうか。


 そう思いながら電話に出た。


「もしもし、どうした?」

『…………克己くん……』


 電話口から聞こえてきた声はとてもか細くて、内容は分からないが何かあった事は明白だった。


「どうした? 何かあったのか? 迎えに行くか?」

『……うぅん……だいじょぶ……ちょっと……ショックなだけ……』


 それは大丈夫とは言わない。


 職場に連絡して中抜けさせて貰おうかとも思ったが、迎えは要らないとしきりに言うので、何があったのかと尋ねてみた。


『何かね……瑞穂は医療的ケア児じゃないって……』

「……は?」


 電話で済む話じゃないと思った。

 1人で帰れると譲らないので、カフェでも行って気を紛らわしてもいいから、落ち着いてから気を付けて帰っておいでと伝えて電話を切る。


 美里の声は、少なからず震えていた。

 

 意味が分からない。


 ――何で今更そんな事を?


 自宅訪問の時にも医療的ケアが必要な事を説明したし、今日に至っては保育所入所申請の他に医療的ケア児申請が必要だと言われていたから、医師からの意見書も持って行ったはずだ。


 転園の可能性が出てきた時点で瑞穂の担当医には相談していて、これまでの経緯を踏まえて医療的ケアが必要である事を意見書にも書いて貰っていた。俺自身が内容を確認したから、それは間違いない。


 なのに医療的ケアではない?

 医者がそう言っているのに?

 自宅訪問の時にも確認していたのに?


 もやもやと考えてみてもまったく意味が分からずにいると、少しして美里が帰宅した。


 とにかく座らせ、飲み物を飲ませ、少し落ち着いた頃を見計らって聞いてみる。


「それで、医療的ケアがどうこうって、誰が言ったの?」

「いつものケースワーカーだよ、前に自宅訪問にも来た人」


 美里曰く、保育所入所の申請自体はすんなり進んだらしい。


 ただ、親としては第一希望園を強く希望している事と、今通っているひすとりあ保育園から看護師派遣を受ける形で進めたいと思っている事を伝えた辺りから、何と言うか空気感が変わった気がしたのだそうだ。


「何か、途中から話が全然伝わってないような気がしたの」


 医療的ケアが必要と説明すると、保育園では今の所ケア頻度は高くないんですよねと言い。

 便の状態が悪い時は浣腸が必要な事もあると説明すると、保育園で浣腸を行ったのは何回かと問われ、今の所はないと答えると、ないなら大丈夫そうですねと言い。

 二分脊椎があるので長時間歩かせるのは難しいと説明すると、必要に応じて支援が必要という事ですねと言い。


 ことごとく話を逸らされた気がした、と美里は呟いた。


 極めつけが――


「ストーマケアだけだと医療的ケアには当たらなくて、保育士がやるっぽい事も言ってた」


 そこがよく分からない。

 美里から聞いた話だと、どこかの基準に排便管理は医療的ケアに当たらないと書かれていると言われたのだそうだ。それがどこの基準なのかは教えて貰えなかったらしい。聞き返しても、同じ言葉が返ってくるだけだったという。


 保育士では対応できないからと看護師のいる今の保育園に通ったのだ。

 これまで問い合わせてきた保育園も、それは対応できないと言ってきていた。


 どうも話が繋がらない。

 何をもってそう判断したんだ?


「とりあえずどっちの申請も受理はして貰えたけど……大丈夫かな。何か不安になってきた」

「うーん……」


 流石に美里が俺に嘘をつく意味はないし、これが本当なのだとしたら不安になるのも無理はない。

 俺にもまったく意味が分からない。


 今すぐに区役所に行って、ケースワーカーに問い詰めたい気分に駆られた。


 ――いや待て、落ち着け


 自分自身に言い聞かせる。


 ケースワーカーはあくまで窓口だ。判断するのはケースワーカーではない。

 判断する為に必要な情報は文書で提出した。


 だとしたら、提出した文書を基に審査は行われるはずだ。

 役所の審査で、論理も何もあったものではない判断が、行われるはずがない。


 大丈夫。まだ結果が出た訳ではないのだ。


「河西さんに相談してみよう」


 俺はスマートフォンを手に取った。





『――まず結論から言うと、ケースワーカーさんは少し勘違いをしている可能性が高いです』


 電話に出て早々、河西さんから切り出された。


 美里から話を聞いた直後、河西さんに電話で相談した所、何だそれはと疑問を持ってくれていた。

 自分から区役所に連絡してみると言われ、その結果を伝える為に再度電話をしてくれた。


『医療的ケア指示書っていうのがあって、そこにストーマの欄があるんです。何故その欄があるのかも合わせて説明しました』

「そんなのあるんですね」

『はい。要するに、こういう医療的ケアを行ってくださいねっていう指示を医師が行う為のものですね』


 河西さん曰く、それは現場でケアに当たる看護師に出されるものなんだそうだ。


 そこにストーマに関するケアを記載する欄があるのだから、ストーマが医療的ケアに当たらないというのは既におかしいというのが河西さんの見解だ。


『小学校以降になると教育委員会がストーマケアは医療行為としては認めていつつ、学校に看護師を帯同はさせられないとしているんです』

「前に聞きましたね。だから保育園の間に瑞穂自身がある程度までのケアはできるようにならないといけないって」

『そうです。ですが、未就学児については必要に応じて看護師をつけられると定められているはずなんです』


 とは言え申請すれば全員という訳ではなく、医療的ケア児として認められればではあるのだとか。


 それは俺達も認識していた。


 だから、保育所入所申請と同時に医療的ケア児申請も行ったのだ。


『医療的ケア児申請をすると、それを受理した自治体は検討委員会に挙げて、これが議論されるんです』

「要するに……本当に看護師をつける必要があるのかを審査するって事ですよね」


 流石パパさん話が早いと言われて少し照れくさくなったが、いやあなたが教えてくれたんでしょと心の中でツッコミを入れた。


 検討委員会が例年12月頃にあって、そこで医療的ケア児か否かが確定するという事になる。


 事前に調べていた通りだ。ここまでの認識は間違っていないらしい。


『それも踏まえ、ストーマケアのみだから医療的ケア児ではないと断定するのは早計だと伝えてみたのです、が――』


 そこで、河西さんの言葉が止まった。


 言葉を選んでいるのか。はたまた、苦々しい思いを噛み締めているのか。


 ほんの少しの間を持って、続けられる。


『――私達の基準ではストーマケアは医療的ケアではなく、ご家族もそれは承知のはずで、いずれにせよ市に確認してからでないと検討委員会に挙げる事もできない、と……』


 瞬間、俺を取り巻く時間が止まった気がした。


 美里から話を聞いた時にも感じた違和感。たぶん、これは同質のものだ。


 話が、成り立っていない。


 通じていないのとは少し違う。

 言葉は返ってきているのに、繫がっていない。


 美里から聞いた時の違和感と、同じだった。


 2人がどうという事ではない。

 2人にも、伝わっていないのだ。


 やり取りをしているはずなのに、何も交わっていないような感覚。


 それが、たまらなく気持ち悪かった。


『パパさん、大丈夫ですか?』

「……大丈夫で、ありたいです」


 去勢を張るつもりが願望になってしまった。


『私も、流石に自治体の中は分かりませんし、手も出せません』


 当然だ。河西さんは自治体の職員ではないから。

 自治体から見ると委託先でしかないのだから、その全てを開示などしないだろう。


『だから、私は私にできる事をしてみるつもりです』

「できる事、ですか?」


 まだ何か残っているのだろうか。俺達にもできる事が。


『まずは――カンファレンスについては聞かれていますか?』

「あ、はい」


 それは美里から聞いていた。


 役所側で開くカンファレンスに美里が呼ばれているらしい。


『そのカンファレンスですが、私も参加させて貰える事になりました』


 それは心強い。

 できれば俺も参加した方がいいかもと思っていたが、河西さんがいるなら任せられるだろう。

 普段から定期的に話していて、俺が気にする事を河西さんも気にしている事が多かったし、補足や情報整理をしてくれるんじゃないかと期待できる。


 少なくとも、美里が1人で抱え込んで帰ってくるような事にはならないと思う。


 あの出来事には心底腸が煮えくり返ったから、あれと同じ状況になる事だけ避けたかった。


『カンファレンスにはケースワーカーだけではなく、他の職員の方も参加されるようなんです。そこで、改めて医療的ケアの必要性について説明しようと思います。今、その為の資料を準備し始めた所です』

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 電話だと言うのに深々とお辞儀をしながら、電話を切った。


 河西さんがいてくれるなら、何とかなるかもしれない。

 それでも、何とかなるかもしれない(・・・・・・)だけだ。


 これまで感じていた小さな違和感が少しずつ繋がり始めてきて、俺はこの時、明確な不安を覚えていた。

 ただ、その不安が何に向いたものなのか、俺自身にも分かっていなかった。

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