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終わらないまま、終わった話  作者: 高杉零
分からないまま、増えた選択肢
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最善

 下行ひかる保育園の見学から1週間経って、俺は憑き物が落ちたように晴れやかに仕事に打ち込めていた。


 ひすとりあ保育園から看護師派遣を受けて、下行ひかる保育園に通わせる。


 それが今考えられる最善だと思う。

 家のすぐ傍の保育園に通えるというのは、それだけで色々なメリットがあるからだ。


 もちろん、俺達がそれがいいと思ったからその通りに事が進むとは限らない。


 下行ひかる保育園は認可保育園だから、そこへの入所を決めるのは自治体だ。

 だから、自治体に認めて貰う為に、何故そこがいいと思ったのかをしっかりと伝えないといけない。


 今日は美里がその為の相談に区役所に行っていた。


「ただいまー……」

「おかえり、美里」


 玄関から美里の声が聴こえた。


 迎えに行ってみると、何だか全身で疲れ切っているように見える。

 大量に抱えた買い物袋が原因ではないようだ。


「何かあったの?」

「それがさー」


 美里は、以前自宅訪問に来たケースワーカーに下行ひかる保育園の件を伝えたらしい。

 加えて、ひすとりあ保育園の看護師派遣事業についても合わせて相談したと言う。


「最初は、なるほどそれはいいかもですねって言ってたんだよ」


 元々こちらが考えていた条件は満たしている。

 その上で、何よりも『どんな子であれ受け入れを拒否する理由にはならない』と言って貰えた事が何よりも嬉しかった。


 そこまでを聞いて、しかしケースワーカーは気になる事を言ってきたのだと言う。


「希望園が1つだけだと通るのは厳しいんだって言われたの」


 どういう事かと尋ねると、保育園には枠があり、点数だか順位だか、そういうもので判断されるらしい。


 いつもより美里が言葉を選んでいる気がする。きっと、美里もよく理解できていないのだろう。


 何となく理解しきれない違和感がある。


 希望はあくまでも希望だ。俺達は娘をこの保育園に通わせたいですという意思表示のはずなのに。


 何だかすっきりしない。


「それでね。如月町保育園っていう所を入れたらどうかって言われて」


 如月町保育園。その名前には憶えがあった。確か、当初保育園の候補を見つけていく中で挙がっていた。


「少し遠いかもって、候補から外したとこだよね?」

「うん。けど、何て言ったかな――医療的ケア児サポート保育園っていうのになろうとしてるんだって」


 聞いた事がない単語だ。

 医療的ケア児をサポートする保育園という事なら、瑞穂のような子の為の保育園なのだろうか。


 手元のスマートフォンで軽く調べてみると、看護職員を複数配置していて、常時医療的ケア児の受け入れが可能な保育園らしい。


 要するに、看護師派遣などなくても受け入れができるという事か。


 ――それなら、条件としては良いのかもしれない。


 ただ、頭のどこかで、以前候補から外した理由が引っかかっていた。


 ――遠い。


 それだけの事のはずなのに、その「それだけ」が妙に重く感じられた。


「うーん……実際に見てみないと何とも言えないな」

「そうだね……見学行ってみる? 保育所入所申請まではまだ少し期間があるし」

「その方がいいかもしれない」

「じゃあ、後で電話してみるね」

「お願い」


 地図だけで見ていても、本当に距離感や安全性はよく分からない。

 そう言い聞かせるようにして、実際に行ってみて、自分の目で確かめた方がいいと思う事にした。


 それで納得ができたのなら、その時は希望園に追加すればいい。


 そそくさと支度を整えた後、美里は如月町保育園に問い合わせと見学予約をして、瑞穂のお迎えに出て行った。


「……如月町保育園ねぇ」


 後で少し調べてみよう。

 そんな事を思いながら、俺は仕事に戻っていった。


『1園だけだと難しいかもしれない』


 頭の中で、美里が聞いてきた言葉を反芻する。


 本当に、そういうものなのだろうか。


 疑問には思ったが、そういうものだと思う以外になかった。





「……あっぢい……」

「あはは、パパさんにはつらい時期ですね」

「ホントですよ……」


 やたらと元気な蝉達の合唱を聞きながら舌を出してヒイヒイ言っていると、河西さんは苦笑いしながら言ってきた。


 もう夏だ。日差しは強いし、暑いし、俺はどうも夏はあまり好きじゃない。


「それで、どうでしたか?」


 河西さんの表情が少し真面目になった。


「うーん……施設はとても良かったとは思うんですけど……」


 ついさっき見学に行ってきた如月町保育園の事だ。


 下行ひかる保育園と同様、こちらも園長が応対してくれた。

 医療的ケア児サポート保育園になろうとしているだけあって、施設はかなりしっかりしていた。


 病児保育の受け入れもあるとの事だし、広さもこちらの方がよほど広い。

 すぐ近くに公園もあって、子供達が遊ぶのには困らないだろう。

 看護師が常勤しているから、怪我をしたり病状が悪化した時にはすぐに対応できる体制が既にある。


 施設は文句のつけようがない。そう思えた。


 思えた、のだが――


「やっぱり、遠いなぁとは思います」


 施設は確かに問題ない。むしろこちらの方が良い。

 ただ、以前河西さんも含めて話していた条件に、どうしても満たせない条件があった。


 自宅からここまで徒歩20分。今日は俺と美里、今日も都合をつけて来てくれた河西さんの3人でその時間だから、瑞穂が歩いたら30分以上はかかりそうだ。


 その上、大きな通りを渡らなければならない。住み始めてから事故なんて起こった記憶はないが、いつ何が起こるか分からないと思ってしまう。


「もしここに通うなら、自転車買わないといけないかも」


 美里の言葉に頷く。


 今住んでいるマンションは一応駐輪スペースはあるもののほとんど空いていなくて、家に持って上がるくらいなら必要ないという事で自転車は購入していなかった。


 もしもここまで通うとなると、瑞穂が行きも帰りも歩くというのはおそらく無理だろう。


 今の保育園と同じく、瑞穂に何かがあった時にもし呼び出されたら。

 自転車で急いでもここまで来るのに対応がどうしても遅れてしまう。


 それに。


 上手く言葉にできないが、どうも下行ひかる保育園の時のような「ここなら」と思えるものを感じなかった。


 医療的ケア児を積極的に受け入れているのはよく分かったし、園長もそれは言っていた。


 ただ――何と言うのか、園長の言葉の端々に、瑞穂を医療的ケア児としてしか見ていない、そんな風に漠然と感じたのかもしれない。

 もちろん、俺がそう感じただけかもしれないし、そうであって欲しいとは思うけれど。


「……そうですね。私も正直、あちらの保育園の方が瑞穂ちゃんにも、ご両親にも合うんじゃないかという気がします」


 河西さんが少し眉をひそめて呟く。


「けど、ケースワーカーからは希望園が1つじゃ通らないかもしれないって……」

「うーん……」


 その場で考え込んでしまう。

 辺りの蝉の声だけが異様に五月蠅く感じた。


「……とりあえず、希望園には追加して、みるか」


 少し経ってから、告げてみる。


「保育園に通えないっていう事態は避けたい。それが一番瑞穂にとって良くない。そう思うんだ」


 保育園を選ぶ段になってからどこへ行かせるかばかり考えてきたけれど、一番大切な所はそこだ。


 最悪なのは、保育園に通えない事じゃないか。


 どうしても、美里がケースワーカーから言われてきた事が頭の中を駆け巡って仕方がない。


「うん……あたしもそう思えてきた」

「……そうかもしれませんね」


 希望している訳ではない。ただ、本当の希望を通す為の補助。


 俺達は、下行ひかる保育園を第一希望園に据えたまま、如月町保育園を第二希望園として加える事にした。


 それが最善だ。俺達が選んだのだ。そう思った。

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