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終わらないまま、終わった話  作者: 高杉零
分からないまま、増えた選択肢
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見学

「ただいまー!」

「らいまー!」

「おかえり、美里、瑞穂」


 相変わらず在宅で仕事をしていると、美里と瑞穂が保育園から帰ってきた。


「克己くん聞いて聞いて! いい話!」

「ごめん、ちょっとだけ待って」


 さっさと遊びたくて仕方がない瑞穂を誘導して手洗いをさせ、リビングに戻ってきた美里が興奮気味に囃し立ててきたが、仕事のキリが悪かったので声の方を見ずに制した。

 手元の仕事をキリのいい所まで済ませると、どうしたのと声をかける。


「看護師さん派遣してくれるって!」


 ――いきなり過ぎて頭が追い付かなかった。


「派遣? 看護師の? どこから?」

「ひすとりあ保育園。次の保育園探しで選択肢があまりなくってって話したら、そういう事業をやってるんだって」


 なるほど分からん。


「そういう事業って、看護師派遣事業ってこと?」

「えっとね、今通ってるひすとりあ保育園って、NPO法人がやってる所でしょ?」

「そう言えば、医療的ケアが必要な子達を積極的に受け入れていて、それに対応する為に看護師も複数在籍しているって最初に説明されたね」

「市内なのか区内なのか分かんないけど、もういくつか実績もあるんだって青柳さんが言ってた」


 青柳さん――ひすとりあ保育園の園長だ――が言うなら、事業をやってるのは確かだろう。既に実績があるのなら、どういう手続きをしないといけないかは分かっているという事だ。


「瑞穂が今通っている保育園に在籍している看護師を、他の園に派遣して貰える――」


 それはつまり。


「――看護師がいない園だからって選択肢から外さなくていいって事?」

「そう!」


 満面の笑みである。


 仕方のない事だろう。看護師がいない事には瑞穂を預けられない。だからこの数ヶ月、看護師がいない園は最初から選択肢に入れられなかった。


 ――それが。


 頭の中に聳え立っていた黒い壁のド真ん中に、大きな穴が開いたような感覚だ。

 かく言う俺自身、聞き返しながら少し口元がニヤケている気がする。


 たくさんの保育園に問い合わせをしては難しいと言われていた一番大きな理由が、看護師がいない事だった。

 だが、それはもう大きな問題ではないという事になる。


 発想の転換だ。


 看護師がいるかいないかではなく、看護師を調達できるかが問題なのだとしたら。

 これは、その解決策になり得る。そう思えた。


 以前問い合わせた園の名前が、いくつか頭に浮かぶ。

 あの時は看護師がいないという理由で、話を聞く前に候補から外していた場所だ。


 そこも、もう一度考えていいのかもしれない。


「来週見学に行く事になってる2つ、あれも看護師自体はいなさそうでしょ?」

「うん」


 実は先日の自宅訪問に前後して、とりあえず話を聞いてみたいと言ってくれた2園に、見学に行かせて欲しいと調整していた。

 その調整がついたのがちょうど今日で、美里には連絡済みだった。


「その時にさ、看護師に関しては今の保育園からサポートを受けられそうでって言えたらいいなと思って」

「それ凄く大事」


 正直な所、2園に見学を申し込んでも、結局は看護師の問題に引っ掛かると思っていた。

 ないものを何とかしてくれと言うのは流石に筋が通らないだろうから。


 だが――


 ないものをある状態に持っていく事ができるのなら。


 看護師については今の保育園から出して貰えるので、それを受け入れてさえ貰えれば。


「もしその2つがだめでも、前に問い合わせて看護師がいないってなってた園ももっかい候補に入れられるかもね。あじさい保育園とかカナリアキッズ保育園とか」

「うん、とりあえず見学で話してみて感触聞いてみようか」


 何とかなるかもしれない。


 見学先の2園。かがやき保育園と、下行ひかる保育園がどんな反応を見せるか。それを見てから次の手を考えても遅くないと思う。


 針で開けた穴程の細い細い光が、少しだけ広がったような気がした。





「「ないわ……」」

「でしょうね」


 俺と美里が声を揃えて発した端的な感想に、河西さんが苦笑いをしながら肯定を添えた。


 ついさっき予約していたかがやき保育園の見学を終えて出てきた所だ。


 かがやき保育園は、看護師がいないという点を除けば、条件としては良さそうに見えていた。


 自宅から徒歩7分圏内。

 信号は2つ渡るものの、広い歩道を歩けるから車や自転車の危険もそこまで高くない。

 広さもまずまずで、中で遊べるスペースは十分あると思える。

 問い合わせの際に電話に出てくれた担当者は、瑞穂の事情についても真摯に聞いてくれ、まずは一度お話をと言ってくれていた。


 今朝家を出て見学に行くまでは、ここを瑞穂が歩くかもしれないね、なんて話しながら向かったのだ。


 だというのに。


「何であの人、ずっと職員の悪口言い続けてるの……?」

「俺に聞かないで欲しい」


 見学の案内をしてくれたのは少々高齢の男性職員だった。

 最初は園内の施設について案内をしてくれて、へぇこんなものまであるんだと感心していたくらいだったのだが。


 やれ保育士におばさんが多いだの、やれ入ったばかりの保育士が気が利かないだの、案内の途中から延々と職員の悪口を言い始め、ついにはそれしか言わなくなってしまったのだ。


 見学は30分くらいで終えたはずだが、開始15分くらいでもううんざりしていた。


「パパさんの表情がみるみる感情を失ってましたね」

「……ツッコミ入れずに我慢した事を褒めて欲しいです」


 河西さんから見て分かるくらいには表に出ていたらしい。


 気になったのは、悪口祭りそのものよりも、それが行われているのに他の保育士達が全く意にも介していない姿だった。

 空気感と言えばいいんだろうか。ああいう人が表に出てきても、周りが当たり前だと思っている感じというか。


 あれが、日常なんだろうな。そう思えてしまった。


 他の保育士や通っている子供達には悪いけれど、あれを聞いている子供達が可哀想だと思ってしまった。

 条件が良かっただけに、余計に残念に思えてならない。


「――とりあえず、何か凄くギスギスしてそうな気がしたし、あそこはないなぁ」

「そうだね、送り迎えの度にあれ聞かされたら発狂しそう」


 俺と美里の思いは一致したようだ。


「すみません河西さん、朝から付き合ってくださったのに」

「いえいえ。あそこまでとは私も知りませんでしたけど」


 医療的ケア児コーディネーターは家庭と教育等の現場を繋ぐ役割も持っているそうで、瑞穂の事情を医療的観点から説明してくれる為に時間を調整して来てくれていた。


 もう十二分に夏だ。強い日差しが降り注ぐ中で出歩きたくはないだろうに。ありがたい事である。


「でも、本命は次なんでしょう?」

「はい」


 そう、本命は次――もう1件の見学先、下行ひかる保育園。

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