約束の締結
「これまで妻や河西さんから再三に渡って瑞穂の状態や必要なケアについてお伝えしました。これらは病院で診断され、現状はひすとりあ保育園で実施頂いているものです」
看護師がいれば対応できるものではない。
いつだったか、河西さんと話していた事が頭に浮かぶ。
「先程、保護者に寄り添えていなかったというご発言もありましたが――実際に視察に行く事もしなかったのは、何故ですか?」
ここだ。
繋がりが途切れたのは。
だから、全てがちぐはぐになった。
この人達は――
「医療的ケア児である事は、その場でお伝え頂いた通り認められたという事で、共通認識であったと思います」
「はい、それはそうです」
「しかし、その上で看護師さえいれば医療的ケアは可能だと判断された」
言葉は選びながら。
それでも、しっかりと相手の目を見て、告げる。
「私はここが、今回における問題の最たるものだと感じています」
――看護師がいれば医療的ケアは行えると思っている。
もう、疑いようはない。
そう考えれば、全ての辻褄が合う。
「申請当初、ケースワーカーさんは妻に、ストーマだけであれば医療的ケア児には該当しないと断言しました」
とは言え、医師からの意見書も出てきた事で検討委員会にはかけた。
そうしたら、医療的ケア児として認められた。
では、医療的ケア児を受け入れられる保育園とは。
――看護師が常勤している保育園。
何故なら、ガイドラインの原則がそうなっているから。
その瞬間――頭の中で、これまで噛み合わなかった言葉が一気に繋がった。
そうか。
この人達は、瑞穂を見ていなかったんだ。
「要するに、瑞穂がどうこうではなく、医療的ケア児だからサポート園に手を挙げている園に決定した――1ヶ月前のあの日、私はそう感じました」
「……そう、ですね。少なくとも保護者様側からはそうとしか見えない、というのは今だからこそ理解できるつもりです」
三池さんは、言葉を選びながら言う。
「そういった部分をきちんと検討に含められなかった事が、保護者様に寄り添えていなかった点なのだと思います」
ようやく、辿り着いた感じがした。
「……医療的ケア児、と分類としては名前があるとは思うのですが」
まだまだ情報としては足りないだろうけれど。
「それはあくまでも、医療的なケアが必要な児、という事を表す言葉でしかありません」
俺達の心の根本に突き刺さった、小さな棘。
「必要な医療的ケアは対象者それぞれでまったく違います。当然、求められる環境もです。それがまったく無視されてしまっている事が、何よりも悔しかった」
やっと、それに指が届いた。
「――医療的ケア児は、単一の何かじゃありません。それは、是非この場で強く心に刻んで頂きたいと思います」
いつからだったのだろう。
この棘が、俺達の心に深く刺さったのは。
カンファレンスの頃か。保育所入所申請の頃か。
それとも――自宅訪問の頃からか。
瑞穂の事を見て欲しい。
瑞穂の事をちゃんと考えて欲しい。
責任を負ってくれなんて言うつもりはない。
子の責任は親が負う。それが当然だ。
ただ。
申請を受け付けるのでなく、相談に乗って欲しかった。
たぶん、それだけだったのだろうと思う。
「……それと」
俺は続ける。
「今回は急遽の見直しという事で間に合わなかったのだと思いますが」
ここまで辿り着いてなお、このまま口頭だけで終わらせれば、また全部が曖昧なまま流れていく。
そんな感覚が、はっきりとあったから。
「今度の一件――本日頂いた見直しの経緯も含めて――顛末書という形で公的文書として出して頂けますか?」
「顛末書、ですか……?」
今回の発端は、あの自宅訪問――あるいはその手前の相談だ。
そこから、区役所側が何をして、何を知り、どう判断して最初の決定に至ったのか。
そして、何をきっかけに見直し、何が妥当ではなかったと判断して決定が覆るに至ったのか。
その全てを、行政として正式な文書で提出して欲しいと、俺は要請した。
「それが誠意ある対応だと思います。それに――」
子の責任は親が負うのならば。
行政は、行政としての責任を負うべきだ。
「――公的機関としての、責任ですよね?」
そう、はっきりと伝えた。
仕事でも経験があった。
行政に何らかの申請や報告を行う際には、必ずそういった文書の提出が求められる。
だから。
個人や企業にそれを求めるならば、行政側もそれを行うのが筋でしょう、と俺は付け加えた。
「もちろん、書けない事は書けないで構いません。審査基準とか、表に出せないものもあるとは思っています」
「……分かりました。然るべき決裁手順を踏んだ上で、お出しするようにします」
これで、少なくとも全部を口約束のまま流される事は避けられそうだった。
「少し話は逸れてしまうんですが――」
そこで、書類記入が一通り終わった美里が話に戻ってくる。
「――実は、近々姪っ子が生まれるんです。妹の子です。すぐ近くに住んでいます」
美里は、ほんの少し目に涙を浮かべながら、言葉を紡ぐ。
「もし何かがあったりしたら、同じケースワーカーさん・保健師さんに相談するのは嫌だなと言っていました」
――正確には、そんな奴等に相談したって何も解決しないだろう、だったけど。
「是非とも、これからの子供達の為に、その親御さんにこんな思いをさせないで頂きたい――そう思います」
その美里の言葉に、改めて思う。
今回の一件は、俺達家族の問題だった。
けれど今後、瑞穂と同じような疾患を持つ子が他に現れないとも限らない。
その時の為に。
今回の事を、このまま流す訳にはいかなかった。
「「つっかれた……」」
三池さん達が帰った後。
俺と美里は、息を盛大に吐き散らして、その場にへたり込んだ。
「お疲れさまです、パパさん、ママさん」
「おちゅかれさまー!」
河西さんが声をかけてくると同時に、瑞穂が俺達に抱き着いてきた。
お、おい、やめろ。胸に頭をぐりぐりするんじゃない。
「2人ともかっくいいって、瑞穂ちゃん言ってました」
かっくいい……か。
今でも心臓はバクバク言ってるし、勢いで話していたから半分も覚えていないけど。
「そして――おめでとうございます」
河西さんが、告げる。
そうだ――。
第一希望園に通える事が確定したんだ。
「ありがとうございます。河西さんの助けもあったからです」
「いやいや、私は今日はずっと瑞穂ちゃんと遊んでただけですから。ねー瑞穂ちゃん?」
「ねー!」
そんな瑞穂の姿を見ながら、思わず目を細める。
少しは、瑞穂の父親として恥ずかしくない事をしてやれたんだろうか。
……できていたら、嬉しいな。
「さて! ママはご飯作ろうかな! 瑞穂、何食べたい?」
「かれー!」
「えー、カレー昨日食べたのにー」
「でもかれー!」
「はいはい」
美里がキッチンへと向かい、瑞穂はそれを追いかける。
いつもの日常。
けどその光景は、いつもと少しだけ違って明るく見えた。
「河西さんも食べて行きますか、カレー。うちのは甘いですよ」
「やめておきますよ。今日こそ家族3人の時間を目一杯過ごさないと。それに――」
河西さんは少し顔を近付けて、小さく呟く。
「まだ、終われない。パパさん、そう思ってるでしょ?」
図星をつかれてドキッとする。
「え、何で……」
「何となく分かりますよ。ママさんだって気付いてるはずです。フォローしてあげてくださいね」
「……はい」
そう言って河西さんは帰宅していった。
窓の外を見ると、もう夕日が差し込んでいた。
冬にしては珍しく、紅色の夕陽だった。
カーテンを閉めて、食卓に戻る。
――まだ、終われない。
河西さんの言葉が、頭の中で木霊していた。
終わってはいけない。
同じ事を繰り返させない為に。
同じ思いをする親を作らない為に。
俺達の手で、しっかりと終わらせる為に。




