選択肢
「うん、特に異常なし。瑞穂ちゃーん、偉かったねー」
「あい!」
医療的ケア児コーディネーターの河西さんが優しく話しかけ、瑞穂が元気に手を挙げる。
今日は河西さんが定期的に訪問してくれる日。娘の身体がどういう状態かを観察し、問題があるかを確認してくれる。
この1年近くは大きな問題もなく過ごせている。この地域に引っ越してきた直後は色々な事が巻き起こったが、大分収まってきた実感がある。
「よし、これで終わり。もう起っきしていいよー」
ズボンを履かせて貰った瑞穂は起き上がるや否や目を輝かせる。
「ねぇねぇ! これかして!」
「はーい、いいよー」
「こら瑞穂、それは河西さんの!」
「あはは、大丈夫大丈夫。遊びたいんだよねー?」
自分の用事は終わったとばかりに河西さんの鞄を探り、聴診器を取り出した。鞄には聴診器の他にも大量の書類や簡易検査用の器具などが入っていて、2歳児にとっては格好のおもちゃ箱と化している。
美里が一言呈するが、当の瑞穂は意にも介さず、河西さんの脚の上に陣取ってしまった。
「まったく……すみません河西さん、今日もありがとうございます」
「いえいえ、今日も元気で何よりです。ママさん達が日頃しっかりケアしている成果ですね」
「いやーもうすっかりやんちゃになって来てまして。ちょっと目を離すとすぐ何かしてるから気が気じゃないです」
「そんなものですよ。見ていてあげた方がいいのは確かですけど、あれもだめそれもだめってなると癇癪起こしちゃう事もあるので、程々に見守るくらいで丁度いいくらいです」
河西さんが瑞穂の頭を撫でながら言う。
河西さんは元々小児の看護師だったこともあり、子供の扱いにも慣れている。医療的な知見と数ある家族の姿を見てきた経験からいつも困った俺達に対してアドバイスをくれる。
だからだろう。何か困った事があると妻はすぐに河西さんに相談するし、定期的に来てくれる事もあって瑞穂もとても懐いていた。
さて、と俺は居直って――
「それで、河西さん。こないだ少し相談させて貰った件なんですが」
「あぁ、保育園の事ですね」
――目下、一番の悩みについて切り出した。
美里から新しい保育園を探さないと言われてから2ヶ月。
家から通える保育園をリストアップして問い合わせを続けてきた。
保育園自体は思っていたよりも多数あったが、話をしていくと総じて渋い態度に変わってしまう事が多かった。
中には『そういったお子様につきましては、当園では受け入れる事が難しくて……』と言われてしまう事もあった。
問い合わせる度にリストアップしていた候補は軒並み消えていく。
冷たいとは思わない。致し方ないと思う。
保育園も子供を預かる以上、そこには責任がある。責任を負いきれない、それを負える体制がないなど、保育園側にも理由がある事は分かっている。
問題は、瑞穂の事情だった。
「医療的ケアが必要となるお子さんを受け入れる為には、どうしてもある程度の条件が求められます。そういう意味では、今通っているひすとりあ保育園がそういった事情に特化して合わせられる所なんですよね」
1年半近く前にこの地域に引っ越してきた後、河西さんとも相談して保育園に通わせてみようとなった。その時は河西さんから保育園を紹介して貰って、思いのほかスムーズに通わせるに至れていた。
ただ、今回は当時と少し事情が違う。
これから行政のサポートも受けながら学校にも通わせる事になるであろう事を考えると、同じ地区の子達――つまり、同じ学校に行く可能性が高い子達――と同じ空間で交流する場に行かせた方が良いのではないかと考えたのだ。
これには河西さんも同意してくれていた。
ただそうすると、どうしても越えなければならない壁がある。
「看護師を雇用している保育園って、思った以上にないんです」
保育園への問い合わせを繰り返すと繰り返し出てくる理由。
――看護師を直接雇用していない
看護師を雇用している保育園は実は驚く程少ない。俺達が調べてみただけでも保育園が30個ある中で2、3個が精々だ。
「瑞穂ちゃんには医療的ケアが必要です。だからこそ、私が関われている訳ですし」
河西さんが続ける。
医療的ケア児コーディネーターの河西さんは、地域の訪問看護ステーションから来てくれている。関わり始めた当初は医療的ケア児コーディネーターって何だろうと思っていたが、自治体が医師会などと協働して設置された職業だと教えて貰った。
医療的ケアが必要な子を持つ家庭の支援をしてくれるけれど、常に張り付いて介助してくれる訳ではない。
「園の中で医療的なケア対応ができる体制が必要になるって事ですよね?」
「そうですね。専属の看護師を配置する保育園も徐々に増えては来ているんですけど。まだまだ少ないのが実情です。この辺りだと……私が知っているのはちょっと遠いかな」
「そうですよね……」
河西さんの回答は自分達で問い合わせて確認した結果と同じ。確認の仕方が間違っていて、実はあるのに見つけられていないとかだったらいいのに。
「瑞穂ちゃんの場合、あまり通園先が遠くない方がいいと思うんです」
「そうなんですか?」
親としては送り迎えの都合上、近い方がそれはありがたいと思っていたけれど、瑞穂の場合とはどういう事だろう?
「えぇ。瑞穂ちゃんはお元気ですけど、長時間歩き続けるのは厳しいと思います。普段も、歩いているとすぐ疲れちゃうのでは?」
「あ、そうです。すぐ疲れちゃったーって言って抱っこせがんできます」
即座に妻が賛同する。
確かに、近場の公園などに遊びに行くと、行きはそうでもないものの帰りは途中で歩きたくなくなってしまうんだよなとは思っていた。
甘えたいだけかと思ってたが、違うのか?
「瑞穂ちゃんの場合、骨格も少し特殊なんです。他の子よりも負担がかかりやすいので、疲れやすい」
「今はベビーカーで送り迎えしてますけど、歩きたいとはあまりならないです」
「はい。ですが今後は瑞穂ちゃんも大きくなりますし、ベビーカーを嫌がりもするでしょう。そうなると、あまり遠い所は避けた方が安心かなと」
瑞穂に目をやると、見て見てと言わんばかりにほぼ180度に開脚している。
あぁそうか、と納得した。
だとすると、ケア体制以外に距離の問題も条件に含めないといけない。
「他に気にしておいた方がいい事ってあります?」
「うーん……これは言い方に気を付けないといけないんですが――」
河西さんは少し考えた後、瑞穂の姿を眺めながら小さく告げた。
「――看護師なら誰でもいい訳じゃない事、でしょうか」
誰でもいい訳じゃない。
河西さんが発した言葉はいつもと変わらず優しかったし、強い口調でも何でもなかったけれど。
何となく、重いものが圧し掛かってくるような感覚を覚えた。
「スキルの問題とかですか?」
「スキル……と言うより、経験ですね。看護師であれば誰でも同じ事ができる訳ではないのはパパさんもよく分かるとは思います」
分かる。看護師そのものの事は詳しくないが、同じ事は他の仕事にだって言える。
例えば俺が勤めているエンジニア職だって、皆が皆同じ仕事をする訳ではない。色んな仕事があって、それぞれの担当分野というものがある。
けれど、職業名で言うならどれもエンジニアと呼ばれるものだ。
要するに。
「瑞穂の状態についての知見を持っていて、瑞穂に必要なケアの経験を持っている看護師でないと意味がない?」
「正解、やっぱりパパさんは話が早いですね」
河西さんがにっこりと微笑む。
思い返せば瑞穂が入院していた時でさえ、担当看護師は毎日変わっていた。当たり前だ、常に同じ担当者が24時間365日張り付ける訳がない。
担当看護師によってはすぐに対応して貰える事も、一度医師に確認しないといけない事もあった。
看護師という言葉がどれだけ大きな範囲を指すものか、改めて思い知る。
「まぁそれも含めてケアできる体制ですね。後は距離の問題。それから――」
まだあるのか。重要な話なのはよく分かっているけれど、流石にこれ以上は――
そんな苦い気持ちが少し表情に出てしまっていたのか、河西さんは俺をチラと見やってから。
「――ご両親が、安心して預けられる事。これが一番大事です。もちろん、瑞穂ちゃん自身が安心して楽しめる事もですけどね」
……あぁもう。
この人はいつもこうだ。
こんな風に、忘れちゃいけない一番大切な事をしっかり教えてくれるから、美里だけじゃなくて俺も頼ってしまうんじゃないか、ちくしょう。
「そうですね、河西さんが常駐看護師兼ねてくれれば一番いいんですけどね」
「殺す気か」
妻と河西さんと笑い合う。瑞穂がどしたのーと駆け寄ってきて、美里がぎゅうと抱き締めていた。
条件はどうしてもいくつも必要になる。それによって選択肢が狭まるのはよく分かった。それは変えようがない。
だから俺にできる事は――
――選べる選択肢の中で、考えられる最善を突き詰める事だ。




