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終わらないまま、終わった話  作者: 高杉零
見通しもないまま、始まった話
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転園

「ねぇ、次の保育園なんだけどさ」


 窓から見える桜が華やいだ春の日。

 日の入りはまだ早いものの、川沿いの通りに面するマンションの窓からは、街灯の瞬きがチラチラと見え隠れしている。

 昼間は大分暖かくなったが、夕刻にはまだ少し肌寒さを感じる頃だった。


 煌々と光る蛍光灯に照らされる中、夕食を並べながら妻の美里が呟いた。

 娘がテレビに見入っているので手元のスマートフォンで動画を見ていた俺は、適当に相槌を打ってから顔を上げた。


「え? 次の保育園?」


 次とはどういう事だ?

 娘の瑞穂は、去年の途中から保育園に通い始めたばかりだ。ようやく保育園に慣れてきて、帰ってきて友達の話をするようになってきたし、良かったなと思っていた。


 台所と行き来をしながら、妻は続ける。


「今の保育園、3歳までなのよ」

「えーーー……」


 知らなかった。

 非認可の保育園だからか? それとも俺が知らないだけで保育園は3歳までなのか?


「小さい保育園だからね。NPO法人がやってる保育園だし、大きい所と同じようには受け入れられないんじゃない?」

「そういうもんなんだ」

「うん、だから次の保育園の事考えてくださいねって言われた」


 なるほど。だとしたら考えないといけないな。


 保育園か、と口にしながら娘に目をやった。

 テレビから流れる音楽に合わせて、覚えたばかりの振り付けを真似している。


 正確には――その周辺に転がっている医療器具(・・・・)に。

 使い慣れているはずなのに、目に入ると少しだけ意識が引っ張られる。


 瞬間、頭の中に前の出来事がフラッシュバックしてきた。


 1年と少し前、俺達家族は今の地域に引っ越してきた。


 瑞穂にはとある事情がある。その事情を踏まえるとその時に住んでいた場所では都合が悪かった。

 引っ越してからしばらくは平和に過ごしていた。瑞穂も順調に成長してきたが、家の中だけでは限界があると思い、保育園に通わせることにした。


 その時はどうしたんだっけ――


「瑞穂ー! ご飯できたよー! 椅子座ってくださーい!」

「あーい!」


 随分と元気に返事できるようになったな。保育園で色んな事を学んでいる事がよく分かる。


 あ、そうだ。


「河西さんに相談してみた方がいいかもね」


 この地域を担当している医療的ケア児コーディネーターだ。

 元々看護師をしていた事もあって、この地域に引っ越すとなった時から定期的に訪問してくれて、様々な相談に乗ってくれる。


 河西さんは、この地域では珍しいくらいよく関わってくれる人だった。

 電話で話聞いて終わりというのもあるようで、この人に出会えただけでもこの地域に越して来て良かったと思っている。

 初めての子育てでも、何か困った事があったら相談すれば何とかなる。そう思わせてくれる人だった。


「河西さんかー、お忙しいだろうけどご迷惑にならないかな?」

「それだけの為に電話するとかじゃなくて、来てくれた時に話してみたらいいんじゃない?」


 美里は、瑞穂が熱を出したりする度に河西さんに電話するようになっていた。流石に今回の事だけで電話するのは俺も憚られる。

 定期的に来てくれるのだから、その時に相談すればどうにかなるだろう、そのくらいの考えだった。


「分かった。でも克己くんも調べてみて。どんな保育園があるのか」

「はいよ」


 相談するにしても何かしら事前情報を仕入れておくべきだろう。

 瑞穂には安全な所に安心して通ってもらいたいし、親としても安心して預けたい。


「はい、それじゃあ瑞穂ちゃん?」

「あい!」

「ご飯の時はどうするんだっけ?」

「こう!」


 美里の言葉に、瑞穂が振り被って両の手をパチンと合わせる。俺と美里も自然とそれをなぞる。


「せーの!」

「「「いただきます」」」


 言うが否やスプーンで夕食をとり始める瑞穂を見て、何だか微笑ましくなる。

 いただきますが言えるようになったのも、自分で食べようとし始めたのも、今の保育園に通い始めてからだ。


 親はどうしたって、子供ができないと言う事をやってあげようとしてしまいがちだ。

 保育園では子供の目線に立って一緒にやろうとしてくれる。

 おかげで、少しずつでも間違いなく瑞穂は成長している。家だけでは学べない事を学んで、自分のものにしている。


 やはり、保育園には通わせたい。


 保育園で同年代の子達と共に過ごす事で得られる事は確かにある。それは、間違いなく瑞穂にとってプラスになるものだ。

 娘にとってより良い選択をしたい。今はまだ、選択した事の責任を娘自身では負えないから。

 親として、果たさなければならない義務であるし、何より俺と妻がそうしたい。


 はてさて、瑞穂が通う保育園にどんな条件が求められるだろうか、と思考を巡らせる。

 今後の事を考えると認可保育園に通うのが良いと思う。非認可だと問題だとかそういう事ではなく、行政の支援を受けられる可能性があると思えたからだ。


「行政かぁ……」


 認可保育園に通おうとする事にはデメリットもある。行政に決定権が委ねられてしまうからだ。自分達がここへ行かせたいと思っても、自分達が頑張ればそれが達成できるとは限らなくなる。

 とは言え、行政は住民が豊かに暮らせる事を目的に行われているはずだし、事情をしっかりと伝えればどうすべきかを共に考えてくれるだろう。


 そう言えば待機児童問題なんてニュースもやってたなと頭をよぎる。保育需要に対して受入枠が少なく、通わせられない人達もいる。

 必ずしも思うようにいかないかもしれないけれど、それだけで諦める理由にはならない。


 世の中ではお役所仕事なんて言われ方をしてはいるが、それは正しい判断をする為の材料を渡さずに察して欲しいと思っているからではないのかと常々思っていた。

 事情と条件。それを明確に伝えれば、そんなに間違った判断がなされる事はないだろう。判断材料さえ整えれば、適切な判断をしてくれるはずだ。それが行政の仕事だろう。


 娘が安全に、安心して通う為には何が必要になるのか、それをきちんと伝える事が何より重要だ。


 この時は、そう思っていた。

 きっと良い形になるだろう、そう信じて疑わなかった。


 ――振り返ってみれば


 この時の俺達は、これから何が起こるのか、何一つ分かっていなかった――

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