【終わりと始まりの創星神話 1巻 序章】
長い、とても長い夢を見ていたようだ。
そこは、悠久の空に落ちていく雲になったようで、はたまた深海に沈む泡になったようだった。
微睡む意識ははっきりせず、不鮮明な景色が流れていく。決して一定を保たず、前後不覚になりながらも、ただただ何処かへ落ちていくという感覚だけはあった。
それが、極光に塗り潰された輝きの中なのか、それとも真黒に溶けていく暗闇の中なのかは定かではない。
どちらにしても、結果は同じなのだ。
それが【終わり】なのか。
それが【始まり】なのか。
それを知る者は誰もいない。この世界に居るのは自分だけなのだから。
「ーーーー」
空虚な世界の何処かで、何かの音がした。
凛とした鈴の音のように澄み渡るようで、しかし金属を掻き毟る悲鳴にも聞こえる。
次第にソレは段々と音を増していき、連鎖して世界を作り変えていく。
空が崩壊し海に亀裂が入る。
世界の終焉から逃げようともがいて見せるも、両の手は何も掴めずに足掻くばかりだ。
「ーーーー」
音は鳴り止まない。
遂には頭蓋骨の中から振動を始め、脳味噌が振り子のように揺れた。
そうなるといよいよ世界は混沌を極めていく。光と闇の境界が消え、全てが瞬いて消えていく。
その瞬間、『僕』の身体がひっくり返る。
表が裏返り、意識が夢想から現実へと引き戻された。
それと同時に、僕の身体が地面へと落ちる。肩から木目の床に落ちて、強かに打ち付けた。
じんじんと痛む肩を手で抑え、眠気眼を擦りながら、いつまでも鳴り止まない目覚まし時計の釦を押して止める。
「はぁ……もう朝か……」
陽光が差し込むカーテンを開け放つと、部屋中に明るさを取り戻す。
すると、僕のベッドの中でもぞもぞと動く物体があった。
「ほらーークロネ、朝だよ。起きて学校に行くよ?」
僕は布団の真ん中辺りで丸くなっている所に手を差し込み、蠢く何かを持ち上げた。
ーーすると、全裸の少女が現れた。
「うにゅ……」
それは、少女の声で一鳴きすると、気怠げそうに手足をだらんとさせる。
頭は真下を向き、その表情は窺い知れない。カクカクと首が揺れているところを見ると、未だに意識が彷徨っているのだろう。
「クロネ、寝る時は服を着ろっていつも言ってるでしょ?」
まだ寝ぼけているのか腕を僕の首に回して抱き寄せようとする。
「あついから……やだ……」
「だったら自分のベッドがあるんだからそっちで寝なよ。毎夜僕の布団の中に潜り込んできて、もし誰かに見られでもしたら誤解されるでしょ」
引っ付いてくるクロネをベッドの上に降ろすと、ゆっくりと緩慢とした動作で、顔を上げたクロネは、ジトっとした半目をこちらへ向けた。
「にゅ……お兄ちゃんの……いじわる……」
不満を漏らすクロネを無視して、僕は寝巻きを脱ぎ捨てる。
箪笥を開けて、中に入っている服を一度眺めると、その中からある服を取り出す。
それは、先月から通う事になった【魔導学院】の制服だ。
ちらと、クロネを見やると、彼女はベッドの上で横になり始めていた。布団を掻き寄せて身体に挟み込み、そのまま再び寝ようとしていた。
「ーー僕は今日、朝早いんだからいつまでも寝てると置いてくよ?」
着替えを終えた僕は、教科書を詰め込んだ鞄を手にしてクロネを見る。
「にゅ……やだ……」
「だったら、早くクロネも服を着てよね。ーークロネの着替えは、僕は手伝えないよ?」
「う……にゅ……めんどう……」
漸く観念したのか、クロネは寝具から降りると自分の身体を見下ろす。
ふうと一息吐くと、クロネの身体から細い黒色の糸が湧き出た。まるで、全身に体毛が突然生えたかのように、ぶわりと黒い毛のような糸が生まれると、繭のようにクロネの全身を包み込む。
少しだけ、黒い繭の中でもごもごしていると、頂点から亀裂が入り繭が解けていく。
黒い繊維がポロポロと消えながら崩れ、中からは制服を着たクロネの姿が現れた。
ーーただ、僕と違うのはその制服は女生徒用のもので、そしてその色が真っ黒な所だ。
「制服の改造が校則で認められていなかったら、一発で駄目な姿だね……」
全裸姿から数秒で『着替え』を終えたクロネは、スカートの端を引っ張って調子を確かめている。
いや、これを着替えと呼んで果たして良いものだろうか?
今目の前で起きた出来事に見慣れている僕でさえ、疑問符が頭に浮かぶ。
しかし、これも魔法の力ならばそういうものなのだろうと、同時に納得している自分もいる。
ーーそう、【魔法】だ。
この世界は魔法が存在する。いや、魔法が支配していると言い換えてもいい。
クロネのように、魔力から糸を生成し、服を一瞬で作る魔法があるように、この世界には多種多様な魔法が存在する。
「にゅ、抱っこ」
両手を広げてクロネは催促する。
半分ぐらい目が覚めたクロネでも、自分の足で歩くのは億劫らしい。
「はいはい、我が儘なお嬢さんだよ、全く……」
鞄を持たない方の手でクロネを抱き寄せ、片手で抱き上げる。
彼女の吐息がかかり首元を擽る。落とさないようにしっかりと腕を腰に回して固定すると、僕は部屋を出る。
部屋の外に出ると、自室の扉に鍵を閉めようとしてポケットの中にある鍵を取り出そうとするが、鞄を持ったままだったので上手く取り出せず、狼狽えていると鞄を落としてしまった。
鞄の中から教科書が飛び出してしまい、廊下に散らばってしまう。
「あー……やっちゃった」
溜息を吐いて天を仰いでから、散乱した教科書を見る。
すると、その教科書が一人でに浮き上がった。
教科書だけでなく、鞄も共に空中に浮かぶと、それらは見えない旋風に巻かれるようにくるくると回り始め、教科書が鞄の中へ次々と入り込んでいく。
微風が髪を撫でた。ふわりと爽やかな香りが鼻腔を擽ると、その先にいる人の姿を見る。空中に浮かんだ鞄掴んだその人は、僕と同じく制服を着た少女だった。
「あら、今日は早いのねーーゼロ」
僕の名を呼ぶ彼女は、薄緑色の髪を微風に靡かせる。
「拾ってくれてありがとう、ユートピアさん」
僕はお礼と共に彼女の名前を呼んだ。
しかし、ユートピアと呼ばれた少女は、何故か困ったような顔で笑顔を浮かべる。
「もうーーユウキでいいって言ったのに。それに、敬称も不要よ」
「ああ、そう言えばそうだったね。ごめんごめん、こっちに来てから色々とあったから忘れていたよ」
「別に謝られる事でもないわ。ーーはい、鞄」
「あーうん、悪いね。ああでも、ちょっと待ってね。部屋の鍵を閉めてからーーはい、ありがとね」
制服の衣嚢から鍵を取り出して施錠し、差し出された鞄を受け取る。
新品の鞄だっていうのに、端っこの皮の部分が少しだけ擦り切れていて苦笑いを浮かべる。
「そう言えばーーユウキと話すのも何だか久しぶりな気がするね。今日は随分と早いけど、今から鍛錬?」
僕らは話しながら、寮の階段を降りる。
此処は、ある一部の生徒が共同で生活する学生寮ーー【黄昏荘】である。
学生寮と言うが、一部の教師もここで生活しており、尚且つ男女兼用である。
「そうね。今は新入生勧誘で部活動も控え目で暇なのよ。だから、最近は訓練場で汗を流してから学院に行くつもりよ」
「そっか。僕なんか朝早くに起きるだけでも大変なのにーーユウキは凄いね」
「そうでもないわ。慣れよ、慣れ。じっとしているのが億劫なのよ。そう言うゼロは、授業に慣れてきたかしら?」
「ああ、少しずつだけどね。ーーそれにしても、ここに来てから驚かされてばかりだよ。【魔導帝国】に来た時から驚いていたけど、特に帝都は更にその上を行くね」
帝都と言うのは、ここ【オルクスラント】の事である。【魔導帝国】が中枢、都市一つを学舎の園にしてしまった異色の都だ。
僕はある経緯から、その帝都にある【王立魔法教導学院ビブリオーネ】ーー通称【魔導学院】に通う事になった。
「そうねーー他国からの留学生も初めはみんなそうよ。ゼロもその内慣れてくる筈だわ」
そんな事を話していると、僕らは目的の部屋に辿り着いた。
そこは、黄昏荘の食堂である。
大きな机が幾つも並び、まばらだが僕らの他にも生徒が座って食事を摂っていた。
「あら〜。ゼロさんおはようございます〜」
食堂に入ると、沢山の皿を手に持った侍女姿の女性が現れた。
ーーただ、彼女の足は地面から離れ浮いており、空中にふわふわと浮遊していた。
「やあ、ルルベルさん。おはよう」
僕は挨拶すると、彼女は花を綻ばせるような柔かな笑顔を浮かべる。
「おはよう、ルルベル。早速だけど、朝食を頂いてもいいかしら? ゼロも朝ご飯を食べてから行くわよね?」
「うん、そうだね。まだ時間もあるし、軽く食べてから行こうかな」
「分かりました〜。では〜席にかけてお待ちしてて下さいね〜」
そう言うとルルベルは厨房へと去っていく。偶に彼女の身体が天地逆さまになっているのだが、持っている皿は大丈夫なのだろうか。
僕らは適当な席に座る。隣の席にはうたた寝を始めていたクロネを置き、僕の対面にはユウキが座る。
少しの間たわいもない会話をしていると、ルルベルが三人分の朝食を持って現れた。
その瞬間、ガバッとクロネが跳ね起きて、目の前に置かれたトーストと卵焼き、サラダーーそしてそれらに目をくれずベーコンを食べ始める。
手掴みで貪るようにベーコンを食べ尽くすと、次には僕の更に乗っていたベーコンに手を伸ばし、それも一瞬で平らげてしまった。
「あっ、こらクロネ。自分の分があるでしょーーもう……」
しかも、叱る前に卵焼きも食べられてしまい、残っていたのはトースト一枚とサラダが二人前である。
「にゅ……肉……おかわり」
目の前にある他の食べ物には一切目をくれず、皿を僕に押し付ける。
「あらあら〜クロネちゃんは肉食ね〜」
頬に手を当てて綻ぶルルベルは、追加でベーコンだけを持ってくると言って去っていく。
「もう、僕だって朝からサラダばかり食べられないんだけどな……」
すっかり肉気がなくなってしまった朝飯を前に、トーストの上にサラダの野菜を盛り付けて挟み、口に運ぶ。
「野菜だって食べないといけないんだよ? 聞いてる?」
「うにゅ……お兄ちゃんうるさい……」
「相変わらず貴方たちは仲が良いわね。私は兄弟が居なかったから羨ましいわ」
「あー……これが仲が良いように見えるのかな? 一方的な搾取が目の前で起きてるんだけど……」
「まあ、それもクロネちゃんの愛嬌よ。ーーでも、私が構おうとすると、威嚇されちゃうのよね……」
そう言うと、ユウキは切り分けたベーコンをフォークで刺して、それをクロネの方に向ける。
クロネは差し出されたベーコンに鼻を向けて匂いを嗅ぐが、すぐにぷいと顔を背けてしまった。
ユウキは諦めたように肩を竦めて苦笑いし、それを自分の口に運ぶ。
すると、ルルベルが山盛りになった分厚いベーコンを持って来てクロネの前に置く。
途端に目を輝かせたクロネが目の前の肉の塊に貪り付き、僕は溜息を溢した。
「ルルベルさん……有難いけど、あんまりクロネを甘やかさないでね」
「ええ〜どうしてですか〜? たくさん食べるクロネちゃんは可愛いじゃないですか〜」
「はぁ……黄昏荘のご飯がタダで本当に良かったよ……」
「そう言えば、ゼロは帝都に来るまでは【グレンツシュタット】に住んでいたのよね?」
「ああーーそうだね。一年ぐらいだったかな、でもどうして?」
「ちょっと気になったのよ。その頃はクロネちゃんの食生活はどうしてたのかしらって」
「ああ……うん、あの頃はーーって言ってもつい先月の話だけどさ、【組合】に所属して日銭を稼いだり、山か森に行って採取した素材を売ったお金で肉を買っていたね。お陰でお金がいつも足りなくてさ。偶に野生の動物なんかも狩ったりーークロネがいつの間にかにね」
それも、つい先月までの話だ。
文化的な生活から離れ、辺境の田舎町でひっそりと暮らしていた。
原始的な農耕生活を主とした、この世界ではありふれた生活だった。
「そうーー随分と苦労したのね」
「まあ、ね。でも、そのお陰か木登りだけは上手くなったよ」
「ふふ、奇遇ね。私も昔は森暮らしだったから得意だわ。ーー私みたいな【銃者】は高所を取るときに木の上や建物の上を登る事もよくあるのよ?」
ユウキは共用語で自身の役職を言うと、懐からあるものを取り出す。それは、この国で【器銃】と呼ばれているものだ。
ーーそれは、先史文明に滅んだ筈の技術によって形作られたものだ。
かつて、【銃】という武器があった。詳しい仕組みは分からないが、鉛の弾丸を物理的に射出する武器である。
当時は魔法が存在せず、兵器としての主流だったのだが、人類を襲った天変地異によりその文明は滅んでしまった。
かつての名残がある遺跡では、偶に出土するらしいのだが、今や魔法があり、無用の長物で歴史的な価値しかないと思われていた。
それをひっくり返したのが、この国ーー【魔導帝国】である。
魔法と機械の融合ーー【魔導】と呼ばれる技術は、【魔導器】なるものを生み出した。
器銃もその内の一つである。機械的に魔力の弾丸を内部で形成し射出する。魔法とは、扱う本人の才能によって能力が大きく左右され、魔法を使う為に必要な魔力も人一人では限りがある。しかし、術者の才能や魔力を用いない器銃は、それまでの常識に囚われない新規軸の兵器となった。
そして、その技術力はこの世界の特異点となり常識を覆してしまった。
その力を独占する【魔導帝国】は、世界中の国を巻き込んだ【魔導大戦】で勝利し、今日まで続く磐石な地位を築いたのである。
「ゼロもどうかしら? 護身用に一丁持っていてもいいと思うのだけれど?」
ユウキは取り出した器銃をこちらに見せびらかせる。
正直言って、僕も欲しいとは思っている。
ーーだが、ある理由によってそれは叶わないのだ。
「あー僕も欲しいとは思ってるよ? まあ、でも……お金がーーね?」
そう、お金がないのである。
と言うより、ほぼ無一文に近い状況に僕らはいるのだ。
「ヨミ先生から奨学金を貰っていたでしょ? まさか、全部使っちゃったの?」
「そうだね。教科書とか、制服代とかーー後はこの国の生活必需品とか揃えていたら、手元に残ったのは全くないね。本当、ここでの食費がタダでよかったよ」
寮での生活をするのであれば、飢える事がないのが本当に救いである。
特に、クロネは小さいのによく食べる。昔から、クロネの食費だけで赤字だったぐらいだ。
「それに、今は器銃の使い方を覚える前に『アレ』を使いこなせるようにならないとね」
「ああ、『アレ』……ね。私もあの【魔導兵装】が何で動くのか不思議に思ってるのよね」
「今のところ、まともに制御出来てるのは僕だけらしいよ? ゆくゆくは実験を繰り返して得た情報を基に誰でも使えるものを作るらしいけどさ。ーーおっといけない。僕は朝から授業があるから、そろそろ行くね?」
時計を見れば、まだ余裕はあったが、それなりの時間が経っていた。
「あら、もうそんな時間? 話に付き合わせちゃって悪かったわね」
「いや、そんな事ないさ。この国に来て僕も日が浅いからね。誰かとこうしてお喋りできるのは有難いのさ」
そう言って僕は、山盛りのベーコンを食べ終えて眠そうにしているクロネを連れて食堂を出る。
黄昏荘から出て、僕は綺麗に舗装された道路を歩く。
道は歩道と車道に分けられており、車道には時折魔力を燃料とした自動車が走っていた。
きっとあれも【魔導器】なのだろう。
【魔導器】とは、魔導帝国で作られる魔道具のことだ。
それ単体で魔法を魔法を用いることの出来るそれは、術者の魔力を必要とせず、内部に備わった魔力充填器によって魔力を供給している。
つまり、術者を一個の魔法装置だと考えた場合、才能や魔力量に関わらず一定の性能を発揮出来るのである。
「今まで僕がいた町では、馬車でも珍しかったのになあ」
最初、この帝都に来た時には腰を抜かしかけたものだ。
道ゆく道の人々が当たり前のように機械の車に乗り、空は箒のような形をしたものに跨り縦横無尽に駆け巡っていたのである。
「これも魔法の力ーーか。羨ましいね……」
僕の独り言の愚痴は、何処にでもないところに吸い込まれ消えていく。
しかし、自分には無いものを羨んでばかりいても仕方がない。
この帝都に来れたのも、色々な経緯と要因が重なって来れたのだ。今更学校に通えるとも思っていなかったのだから、これは僥倖だと言っていい。
「この場所でーー僕は手に入れるんだ……」
隣を歩くクロネを見る。
クロネは眠た気に顔を上げ、半目をこちらへと向けた。
そうだ、手に入れなきゃいけない。何も持っていないーーこの魔法の力にありふれた世界で魔法が使えない、その生まれから魔力を持たない僕が、クロネを守る為の力を手に入れるのだ。
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