【終わりと始まりの創星神話 0巻 第五章5話】
僕は腰帯に差した試験管を取り出した。
その色は緑ーー則ち風の元素魔力である。
試験管の蓋を取り、振りかけると重力に従って地面へと撒き散らす。
そして、すぐさま液体魔力を取り出した。グビリ、と一口煽り飲む。無味無臭のそれを嚥下すると、急激に視界が揺れる。
酩酊感にも似た、魔力酔いと呼ばれる現象が僕の身に起きているのだ。少量とはいえ魔力は魔力。普段から魔力を持たない僕には、魔力は毒性を持つ。
それをなんとか気合で耐えながら、瞬時に体内に巡る魔力を知覚した。
血液が沸騰しているかのような錯覚を得ながら、僕は地面ーー泥の沼に落ちて染み込んだ元素魔力に両手を向ける。泥の中に小さな旋風が生まれた。それは、泥を吸い上げると、急激に膨らんでいく。
「貴様ーー何をするつもりだ……⁉︎」
そこでやっとクルスが僕に気が付いた。
戦闘の最中、魔力が無い僕はさぞ見付け辛いだろう。こそこそと隠れながら動くのは僕の十八番だ。
「おっと、目を離す隙があると思ってんのか……⁉︎」
カイから目を離した隙に、クルスの顔面は直槍の穂先を突き入れる。容赦など一切ないその攻撃をクルスは魔法防盾で防いだ。
クルスの意識がそちらへ向いているその間に、僕は次の工程に移行する。
脳内に知覚するのは、泥の中に存在する水と地が混ざり合った元素魔力だ。
そして、そこへ投入した風の元素魔力を用いて撹拌させる。
そして続いて赤色の試験管ーー則ち火の元素魔力を地面に垂らす。
火の元素魔力に燃えがるような熱を持たせて一気に加熱する。それは、撹拌する泥から水と砂へと分解させていく。
それは、言葉にすれば容易いが簡単な事ではない。普通、水気のある泥を加熱したところですぐさま水気と砂に分離が出来るわけではない。
だが、液体魔力を取り入れた今の僕にならそれが出来る。
そして、ただ泥を分解しているわけでもない。その内に存在する元素魔力を抽出しているのだ。
熱を得た旋風は上昇気流を生み出し、泥を吸い込みながら巻き上げていく。同時に、分離した水気が蒸発し始めた。
脳裏に想像するのは、絡み合った四色の糸を解すようなものだ。
どれだけ複雑に絡み合い、溶け合っていたとしても、いずれは【元素魔力】へと辿り着く。
あとは簡単だ。そこに、液体魔力が入った試験管から魔力を注ぎ込む。
砂が水蒸気が熱が旋風がーー魔力を手繰り、四つの元素が絡み合う。色を変え、姿を変え、性質を変え、形を変え、ここに一個の万象とし、遍く全ての事象と成す。
「分離、収束――そして再結合。ここに、地水火風の元素をもって再錬成をする。――【万能溶解液】!」
そこに生じたのは、拳大の球体だ。
その名を溶解液というのだから、物を形あるものを溶かす液体である。
だが、これは普通の溶解液とは違うのだ。
それは、魔力が尽きぬ限りあらゆるモノを溶解させる。
例えそれが、魔法であろうともだ。
濁った色の、万物を溶かす粘液は、煮えたぎった油のような音を立てながら、膜のように広がると、大気すら溶かし尽くしながら落下する。
このままではカイとレイスを巻き込むような勢いだが、瞬時に察したレイスがカイの襟首を掴んど跳び退がる。
「ば、馬鹿なッ!? 万能溶解液だと!?」
その事態を察知したクルスも、回避しようとした。
腰を落とし、跳び退こうするも、その瞬間にクルスの右腿を魔力弾が貫く。
「ーー全く、驚かされるわね」
ユウキを見やれば、彼女の魔導器銃から、まるで硝煙のように魔力光を立ち昇らせていた。
彼女は僕の言った通り、見事クルスの足を止めさせたのだ。
「最上級の錬金術だぞ……⁉︎ そんな易々と発動出来る訳がない……‼︎」
しかし、言葉とは裏腹に幅広剣を正面に盾のようにして構え、魔法防盾を発動させた。
それはつまり、直観的に感じているのだ。これが本物であると。
だが、これで勝敗は決した。
「でもこれ、普段どうやって使えって話だよね。何でも溶かすから、保管もできないし。――ああでも、その剣を溶かすには十分かな」
ーー万能溶解液は、決して防いではならない。
何故ならば、例えそれが魔力で作った防壁であろうと、どんな硬度を誇る盾であろうと、あの溶液は全てを溶かすからだ。
その光景は、正しく浸食と言えた。
魔力の防盾は、触れた箇所からその魔力ごと溶かし、本体である剣身を溶かし尽くそうとする。
「がああああああっ!!」
クルスが絶叫を上げた。
万能溶解液から生じた瘴気が肌に触れた瞬間。皮膚が火傷したように爛れていく。
強度な剣、頑強な鎧すら溶かす万能溶解液が人体に触れでもしたら、それはきっと骨すら残さず溶かすだろう。
そこで、彼が取った行動は迅速だった。
瘴気が触れた鎧の肘部分の留金を外し、急いで脱ぎ捨てた。
不幸中の幸いか、人体に触れた部分は瘴気だけのようだったようだが、しかしその影響は大きかった。
指先から腕までが酷く爛れ、薄い皮膚は瘴気だけでも十分に灼いていた。
一部の血管は切れ、血がその爛れた肌を伝っていく。指先から肩までが痙攣し、無事な片方の手で押さえてもその震えは収まる気配を見せない。
片腕を押さえて蹲る。これで、しばらくはまともに動かすこともままならないだろう。
「ーーさて、どっちだ……?」
それでも僕は油断しない。
僕がした予想が、当たっているか外れているか。
悪い方が当たってさえいなければと願うばかりだがーー。
「クソがああああッ‼︎」
クルスは苦悶に歪む顔を僕に向けながら叫ぶ。
そして、表面をぐずぐずに溶かした幅広剣をこちらへと投擲したのだ。
「うわっ……⁉︎」
飛んで来る幅広剣を咄嗟に回避する。
弱った腕だから勢いこそはなかったから避けれてものの、僕は無理に避けたせいで体勢を崩して屋根から転落する。
頭から落ちるその先には、万能溶解液が作り出した水溜まりを作っていた。
蒸気のような煙を上げるそこへ落ちれば、勿論落下の衝撃もあるだろうが、それよりも万能溶解液の方がやばい。
だが、落下する僕に身を守る術などない。万事休すかと思う僕は覚悟を決めるが、しかしその時は訪れなかった。
ふわり、と。全身を包む浮力を感じる。
それは、柔らかな風が僕の身体を押し上げて地面から僅かに浮かしていた。
はっとユウキを見やれば、彼女はこちらへと手を差し向けて風の魔法で僕の身体を浮かしていたのだ。
そして、その手を手繰り寄せるようにすると、僕の身体は彼女の元へと運ばれる。
すると、全身を包んでいた風が無くなって僕は地面に背中を打ち付けた。
「痛てて……!」
「助かって何よりね。ーーでも、受身ぐらいとって欲しかったわ」
屋上から落ちるよりかはましてや溶解液溜まりに落ちるよりかは幾分もマシだったので、僕は素直にお礼を言う。
背中を摩りながら、付着した砂を払いつつ、クルスを睨む。
彼は膝を付いて未だ苦悶に唸りながら、紫色にまで変色していた腕を押さえ付けていた。
指先は細かく震えて痙攣しており、よくそんな手で幅広剣を投擲したものである。
「勝敗は決したな。大人しく、観念しろ」
レイスの言葉に、クルスは酷く憎々しげに視線を返した。
「奴さん、まだ諦めちゃいねーみたいだぜ」
これ以上戦えるとは到底思えない。無力化したのは間違いないとは思う。――だが、嫌な予感がした。
「負けだんだから、大人しく縄に付いて貰おうかしら。そうしたら、手当してあげないこともないわよ」
クルスの手はすぐに治療しなければならないほどの重症のはずだ。表皮は灼け爛れ、皮と肉を侵している。そのままにしておけば、一生手指の感覚を失うだろう。
「私の……負けだと……?」
だが、彼は立ち上がった。震える指先を握り締め、拳を作る。
矜持を踏みにじられた時に見せる狂気じみた怒り。
憎しみと悪意が入り混じった、濁った瞳。あの手の輩は、寧ろ追い詰めた時、何をするか分からない。
「危険だよ、ユウキ。あいつ、何かするつもりだ」
懐から細い捕縛縄を取り出して、クルスに近寄るユウキを引き止める。
ユウキが怪訝な顔で振り向いた瞬間、クルスは爛れた手を胸に当てる。
「貴様ら如き矮小な存在に……! この私が! クルス・ニンファルテトラが負けただと言うのか!? あり得ん……あり得なるものかぁぁぁぁっ!!」
膨大な魔力が膨れ上がった。
急激な魔力の上昇。最早それは奔流となり、彼を中心に渦巻く。
そしてそれは、僕の肌を刺すようにして伝ってきた。
怒り、憎しみ、憎悪といった負の圧力が魔力越しに伝わってくる。
ーーそれと、その裏に隠された、僅かな恐怖のようなもの。ずっと感じていた、ナニカに対する怯え。
「この魔力量は――まさか、【神器】……!?」
放出された魔力は一点へと集約される。
「こんな……町中で発現すつもり!?」
ユウキが叫んだ。
そうだ、クルスはそのつもりなのだろう。
緊張のあまり、心臓の鼓動が早鐘を打つ。圧倒的な魔力の前に、それを止める手段も、方法も思い付けず立ち惚けるしか無かった。
どうやら僕たちは、踏んではならぬ尾を踏み抜いてしまったらしい。
「――【聖浄四剣】!!」
それはーー人類が成した最古の魔法であり、奇跡である。
『魂の具現化』
遥か昔、魔の力を手に入れた太古の人類は、魂を具象化する術を手に入れた。
魔術師であろうと、錬金術師であろうと、それこそ種別に囚われず魔を操りし者ならば必ず辿り着く、到達点にして始原の法。
ーーいずれ人の魂が神へと至るために編み出された【魔法】。
いつしかそれを、人類は【神器】と呼ぶようになった。




