九十六話 危険人物
忘れもしない、気配、魔力。呪いなんかより逃げたいかもしれない。
その薄らと嗤う顔に、レイは掠れた声で一言尋ねた。
「なんで……?」
ここに居るわけない。というより、居て欲しくない。
幻覚、幻聴を疑うが、何度まばたきしても消えることはなかった。
「この間、君が近くまで来てたからね」
「……」
「けど、すぐに帰った。挨拶してくれてもいいのに。……だから、僕の方から遊びに来たんだ」
嬉しそうな笑顔。
近寄られる前に、後退。
一挙一動が油断ならず、再び『夢氷』を現した。
「レイくん、あの人って……むぐっ!」
「ごめん、今は何もしないで」
夢の具現化で、カナタを一時的に黙らせる。
目の前の人を刺激してはいけない。
どうか興味を持たせないよう、じっと背景となっていて欲しい。
「大丈夫。今日は君と遊びたいだけ。何もするつもりはないよ」
「……信じられるわけないんだけど」
「だったら名前に誓おうか? 信じてくれないと、悲しいなぁ……?」
「……」
妖しく光る真紅と深緑。信じなければまずいと、直感が訴えた。
「誰にも手を出さないってことでいいの?」
「うん」
信じてもらえてよかった。
彼は普段より微笑んで、一房長い横髪を揺らす。その波打つ黒さは、レイにとって魔の手のようなもの。ただ、回答を間違えないようにすることしかできなかった。
いったい彼は誰なのか。レイは口にすることをためらった。
魔導師の一人、シグナメルム。レイの探しているオムニスの『杖』から生まれた、『杖』の守護者という存在だ。
ただ、それは見せかけの肩書きである。『救済』に由来する悪魔にも似た魔法使い。それが彼の本質であった。
「今日は一段と可愛らしいね? 僕もお揃いにしよう」
ワンピースをお揃いにしたいからと、わざわざ少女の姿になる。彼……いや、彼女は『杖』から生まれたため、こういうこともできるらしい。
「ふふ……お揃い」
「……」
別名『救済の悪魔』。そう呼ばれる彼は、人間といえば人間だが、限りなく悪魔に近い存在だった。
だから、ためらいなく人を殺める残忍さを持っており、それゆえに監視対象でもある。
だが、本当に恐ろしいのは残忍さではなかった。
「今日のために頑張ったんだ。彼らはそこまで頭が良くないから、教えるのが大変だったよ」
まるで慈悲深いかのように微笑む、シグナメルム。
無知を許している? 優しく教えてあげた?
否、むしろ逆。無慈悲に突き放したに違いない。そして、再び心の拠り所を覚えさせた──
「安心してよ。みんな幸せだ。『救済』したんだから、ね?」
その言葉こそ、まごうことなき偽り。彼の恐ろしさは、過剰なまでの『救済』だった。
少しの弱さに付け込んで、人を殺すことなく支配する。
つまり、神や教祖になりすまし、洗脳させて、救ったと口にする狂人。
「むぐぐ、むぐぅ……!」
「あ、ごめん」
カナタの口元にある魔法を解く。どうせ仲間の存在は知られてしまったので、黙る必要はなくなった。
「レイくん、その人って?」
「魔導師なんだけど……」
説明はできるが、説明はしたくない。これは意識の外にあればいい。わざわざ知る必要がない。
そんな言葉が渦巻いて、上手く言葉が出てこない。そうやって言葉を濁した後、密かに続けられた言葉に固まった。
『それだけ? それだけじゃない。世界で唯一の理解者だ』
なぜか、魔法が上手いだけで、この狂人に執着されてしまった。それが運の尽きというものだ。
ひとまず、決闘を申し込まれないあたり、いくらかマシな状況である。こんな街中で決闘なんてしたら大変なことになっただろう。
そうはなってないため、ミリアたちから意識を逸らせば、そう大事には至らないはず──
「お前、どっかで会った?」
「……っ!」
ふと横に目を向けたシグナメルムが、首を傾げる。
その先にいるのは、意味の分かっていないミリア。瞬いた彼女の姿に、レイは失念していたことに気が付く。
そうだった。魔法時の異変があった時、ミリアは会ってしまっていた。
固まっていたミリアも、紅と緑の鮮烈さを思い出したらしい。咄嗟に一歩下がって、思い当たった。
「あの人って、まさか……」
「ご名答。異変の魔物を斬った、ラトムーンの独裁者です」
魔法時の異変で飛ばされた、ラトムーン。夜の永刻であり、ほとんどが荒地の国らしき何かだ。
シグナメルムが教主として君臨する魔境であり、そこに住む人たちは皆、シグナメルムが『救済』した者ばかり。神秘的ではあるが、ほとんどの魔法使いが訪れたことのない場所である。
「ああ、異変の魔物? ……あの時レイがいた場所か」
異変の魔物を切ってくれたのだから、その礼でも言えば立ち去ってくれないか。
無表情から何かを読み取ろうとした、その口はすでに言葉を紡いでいた。
「へえ……つまり、あの邪魔者がお前だったと」
なんだか様子がおかしい。何もしないと約束したはずなのに、瞳が危うい輝きを宿した。
「えっ……」
狙われたのは、ミリア。目を見開く彼女の目の前には、脳にはっきりと焼きつくような刻印が現れる。
鈍く光を放つ、文字のような形。それは知らない言語のようで、どこか恐ろしいような気もした。
「『ミ・ロードゥ』……!」
「へえ……庇うほどの人か。大切が、また増えたんだ?」
薄らと口は微笑んだ。一見は優しげな表情。その細められた目には、真反対の感情が込められている。
「そこの……誰だっけ? 赤い女の子は特別大事にしてるから許してあげるけど、こっちの人たちも気にする必要があるんだ」
「シグ、これ以上は──」
「ああ、今日は何もしないつもりだったのにね? 随分と久しぶりなのに、こんなつまらないものを連れてるなんて」
同じ文字、同じ絵柄をした、金色の刻印。『星誕祭』の街中だというのに、次々と生み出されていく。
「禁止にするなら、代償に何をくれる?」
支配や戒律を現す、印の魔法。いかなる守りもすり抜けて、逃げることしかできない魔法。
『夢氷』による書き換えは可能。だが、一度でも刻印されれば、いかなる魔法も受け付けない。書き換えが叶わないことが、レイの焦る理由であった。
「あぁ……呪文を忘れた。まあいっか」
両手に支えられる心臓。レイもよく知っている。
「よりによって感覚の刻印!」
ここら一帯を占拠するつもりなのか。一つでも触れれば、シグナメルムの手中に囚われてしまう。
「……みんなは絶対に、絶対に、手を出さないで」
「俺もかよ」
「一番やめて欲しいです」
全て書き換えるのは間に合わない。かといって、『夢想する世界』で制限を足しても、相手に制限は筒抜けなので決定打にはならない。
「ほら、防いでみてよ……! 君とは互角なんだからさ?」
「…………あぁもう、なんでこうなったんだ!」
今は『夢氷』で応戦するしかない。避けたり逃げたりすれば、周りが大変なことになる。
「そんなに怖い顔をしないでよ。遊んでくれればいいんだ」
不意に近付いて、耳元に囁かれる。
振り返る間際に刻印を封じる。
彼の右目に刻まれた十字が、嫌にくっきりと見えた。
「これもダメか。やっぱりレイだけだよ。僕の魔法を完璧に防いでみせるのは」
「……!」
色の違う双眸は爛々と瞬く。下がり続けるレイに、刻印はわずかに逸れる。
(まずい、場所が……)
まだ近くに客がいるし、場所が限られていると刻印で包囲されてしまう。
逃げれば最悪な魔法をばら撒くことになるし、自らが盾になるしか方法が思いつかない。
「…………わかった!」
ここを守るのは現実的ではない。
最終手段に常套句を使うことにした。
「今度! 今度にしよう! シグも中途半端は嫌だよね?」
「へえ……僕のために時間をくれるんだ?」
このひと言は、まるで魔法のようである。
妖しい輝きを帯びたオッドアイは、途端に日の光を受け入れた。
「だったら、教会に来るといいよ。おもてなしするからさ」
「あーはいはい、なんでもいいよ……」
なんとか一件落着。シグナメルムはレイの隣に並ぶと、こっちを覗き込んでニコニコしていた。
「言っておくけど、不意打ちしたら二度と口聞かないから」
「いいよ。その時は、支配してあげる」
これでも遊びに来たという言葉に嘘偽りはないらしい。さすがに不意打ちはしない様子。
「でも、これが目に入るのは別問題だ」
「……っ!」
終わりかと思えば、冷酷な視線が端へと向けられる。
大人しくするとしても、ミリアたちは排除したがった。この極端な態度は、『救済』のいらない相手へ向けるもの。
「今はまだ守られてるから生かしてあげるけど、それ以上を望むなら廃人にしようか。盾にしたらレイを捕まえられるしね」
「うわ……うわぁ……」
『星誕祭』は諦めよう。一瞬だけ本気で検討したレイ。なんなら自分が別行動すれば安心安全かもしれない。
逃げたいけど逃げられない状況に、青い顔になるレイ。そんな傍で、ミリアが呑気に感じられることを言った。
「独占の仕方が、かなり独特なんですね」
「その通りだけど口にしないで」
「あ、すみません……」
正真正銘の狂人なので、細心の注意をして欲しい。ミリアたちにはもちろん、キーにも厳重に伝えておく。
ペドロは近くにいるようだが、それでも狙われたら無事にいられる保証はない。なんせ、一度でも当たればシグナメルムの思う通りになるのだから。
「まあ、明らかにやべえのは分かる。ペドロがいても、確勝できる気はしないな」
「絶対、間違っても喧嘩ふっかけたりしないで。主にぼくが犠牲者になる」
「お前が本気でビビるの珍しいな……」
「それぐらいの危機感なんだよ!」
この世で最も危険な魔導師であり、半悪魔。
それが、『救済の悪魔』という魔導師なのだと覚えておいて欲しい。
「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。今日は大人しくするつもりだから」
心なしか、鼻歌でも歌いそうなくらい機嫌が良い。それが後で裏目に出るのかどうか。
「こっちは平和な『星誕祭』じゃなくなったんだけど……」
「平和になりたいなら、僕が連れて行ってあげようか?」
「……地獄耳」
どこに行こうか、と手を引かれる。
可憐な少女の皮を被った狂人悪魔に、このままバッドエンドへ連れて行かれそうだ。
「はあ……とりあえず、ご飯でも食べに行こっかな……」
「ご飯? ああ、そっか。食べないと死ぬんだった」
美味しいもので癒されよう。
『星誕祭』を人質に取られたレイは、傍らを警戒しながらどこか落ち着けるところを探しに行くのであった。
◇◆◇
それから店を回って翌日まで、案外あっという間に過ぎていった。
現在は、夜中の一時。カナタが歌姫シャロルのコンサートのために、徹夜でチケットの列に並んでいる。
その間、レイたちは夜の『星誕祭』を見物中。帰ろうにも隣の方が離れてくれないので、なんだかんだミリアたちも残って、夜中の祭りを観覧することとなった。
「まあ、綺麗で楽しかったわけだけど……」
幸いシグナメルムは、ミリアたちの存在をスルーしてくれている。だが、途中でふといなくなる時があり、満たされたような表情で帰って来る。
おそらく、誰かしらを『救済』したと思われる。止められたら止めているのだが、人混みの中で姿を消すので追いつかない。
「止めるってことは、ここで相手してくれるんだ」
「……」
こう言われては、何も口出しできない。今この瞬間に、手当たり次第の人が刻印される。そうなったらと考えるだけで、ぞっとしてしまう。
「別に解放してあげてもいいけど。君が不機嫌になるのは嬉しくない」
「じゃあ、解放してよ」
「なら、もう少し後……せめて、盲目になってから」
目を細めて刻印の先を眺めている。無事に解放されるかは、定かではない。
パレードやディナーショー、オークションなどを楽しんだ頃、東の空から日の輝きが届き始めた。
「もう朝になったんだ。そろそろカナちゃんがチケットをゲットする頃かな?」
ネイウッド側のチケット売り場に向かってみると、ちょうど翡翠の髪が跳ねているのを発見。誰にもぶつからずに、レイたちの元へと戻ってきた。
「無事、確保! やっぱり夜中に並んで正解だった!」
カナタの話によると、夜中から並んだにも関わらず、たくさんの人が待っていたのだとか。
そこまでの情熱を持つ人が多くいることに、レイは驚くばかりである。
「歌姫シャロルさん、すごいね……!? それぐらい人気なのに、知らなくてすみません……」
「私も世間知らずだったな……」
すると、カナタは当然のようにチケットを手渡してきた。隣の悪魔を除いた全員分である。
「え?」
「シャロルちゃんの歌の良さを、みんなに教えるチャンスなんだし! ここは全員分買ったるしかないって!」
「あ、ありがとう」
どうやら家族や友人と観られる、セット売りのようなものがあったらしい。数量限定であったが、夜中から並んだ甲斐あって買うことができたようだ。
「一緒に行こうね!」
好きなことを共有できるのが嬉しいのか、「絶対だよ?」と念押ししている。
心配しなくても、行くに決まっている。レイとしても初めての経験なので、案外楽しみだったりする。
「やった! 明日だから! 明日だから……」
「カナちゃん?」
「明日ぁ……」
バタン、と倒れそうになったところを、師匠が受け止めた。眠らずに並んでいたため、もう限界だったようだ。
「よく起きてられたな……」
「明日のためにも、しばらく寝た方がいいね」
徹夜慣れはしているようだが、睡眠は不可欠らしい。
ネイウッドなら使ってない研究室があるので、そこに寝かせることにする。
「ミリちゃんも仮眠する?」
「……今は眠れなさそうだし、いいかな」
「そっか」
起きたらベッドにあるベルを鳴らすようメッセージを添えて、パルティータの方へ移動する。
ひとまず今日の目標は、シグナメルムに帰ってもらうことだ。
レイは『星誕祭』を楽しみつつも、いかに素早く満足してくれるか悩み続けるのであった。




